第二十七節 ソウジュ、そらをとぶ!
「あの、クオ…?」
「…ふんっ!」
ファーストコンタクトは案の定、クオは綺麗にそっぽを向いた。
弁明への入口すら用意させてもらえないとは大した事態である。ミッションは順調にインポッシブルへの道を辿っている。
はてさて、果たしてどうしたものか。
背中に汗が滲んできたけど、大丈夫。まだ慌てるような時間じゃない。
ひとまずは、謝罪から状況の打開を試みよう。
「さっきはごめんね? その…尻尾を揉みくちゃにしちゃって」
「……なんで」
「すごくもふもふで気持ち良くて…ついつい思いっきり」
「…そっか」
素っ気ない相槌。
陰になった表情は見えない。
だけど、一応会話には応じてくれるようだ。
となると次は、どうやってクオに機嫌を戻してもらうかだけど……絶望的なことに、まったく手立てが浮かばない。継ぐべき二の句は鉛のように重く、意識の海の奥深くに沈み、唇はまるで錨を吊るされたようだ。
ゆさゆさ、訝しむように小刻みに揺れるクオの尻尾は、目玉でも付いているかのように僕の仕草を追っている。
何か言わなければ。
気持ちだけが先走り、空っぽの吐息が喉を鳴らした。
「…クオ、とっても驚いた。ソウジュの手、冷たすぎるし」
「えっ、そうだった…!?」
クオの言葉に僕は慌てて、頬をパチンとひと叩き。
「うわ、本当に冷たい…」
自分でも驚く冷たさ。下手をすればホートクの空気とタメを張ることさえ出来そう。……いや無理だよね、誇張が過ぎた。
「尻尾って、結構敏感なんだよ? 普通に触られるだけでもくすぐったいのに……」
冗談はさておき冷たいのは事実。こんなものが敏感な部位に突っ込まれた日に受ける刺激は、僕が想像できる範疇をはるかに超えている。
彼女を見つけ、咄嗟に出てきた反応とはいえ、我ながら恐ろしいことをしてしまった。
「…本当にごめん」
事実が頭をぶん殴る。
精神的脳震盪を患ってしまった僕の手から、”謝る”以外のあらゆる選択肢が音を立ててこぼれ落ちていく。
数分間に渡り平謝りをして、恐る恐る顔を上げる。
座って僕を見下ろすクオの目には、薄く迷いの色が浮かび始めている。
目を花畑に泳がせながら、クオは口を開いた。
「そもそも、どうして尻尾にさわったの?」
「クオを探してたんだよ。この辺に居るんじゃないかと思って、草で見づらいから手探りで。そしたら、偶然尻尾に触れちゃって……」
リョコウバトの話は端折って、簡素な説明。
「…探す?」
だけどクオは首を傾げる。
間違ったことは言っていない筈、何処に合点がいかないのだろう?
「ほら、ピクニック! クオったら、途中でちょうちょに釣られてどこかに行っちゃったじゃん」
「そ、そうだっけ…?」
指先を合わせ、口元を触る。心なしか焦り始めた様子のクオは、空を仰いで失われし記憶を呼び戻そうとしているようだ。
「…まだ寝惚けてる?」
「ま…まさかっ! 心配しないで、ちゃんと覚えてるからっ…!」
……あー。確実に忘れてるね。
「お…おほんっ!」
わざとらしい咳払い。
事態を誤魔化す方向に舵を切ったみたいだ。
「まあ、事情はわかったよ」
「…本当?」
「わかったの!」
「……はいはい」
ここで口答えは止めておこう。
折角、事態も収束に向かい始めているんだし。
「でも、あんなことされて何も無しじゃクオは納得できないの。だからソウジュには、さっきのお詫びをしてもらうからね」
「お詫び…?」
それでこの件を水に流してくれるのならとても有難い。だけどクオのことだし、生半可な条件は出してこないだろう。
「ソウジュ」
「…うん」
固唾を飲んで、僕は覚悟を決めた。
「―――クオをお空に連れてってっ!」
§
――空を飛ぶことに憧れを抱く者は多く、章題を見て目を輝かせた読者も少なくないことだろう。しかし妖術による空中浮遊の実現には、様々な障壁が存在している。
反重力結界の展開、決して無視できぬ横風への防御、長時間に及ぶ術式の安定に、何より欠かせない多量の妖力エネルギー。
空中浮遊とは生半可な実力では達成しえない術であることを、読者はこの第九章に取り掛かる前に深く肝に銘じておかなければならない。
――『戦場を支配する「妖術」の技法』第九章三節より引用
「…これ、無理じゃないかな?」
「できるよ、がんばってっ!」
「んな無茶な…」
該当のページを読み直し、僕は外套の裾を正す。
何度見たとしても文章は同じく、望み薄である現実が変わる予兆は見えない。蝶は蜜を求め飛んでいるが、バタフライエフェクトは起こらない。
試しに撃ち落としてみようか。
ほの暗い気まぐれは永久に凍り付く。
「第一、妖力が足りないよ?」
「いいよ、クオがいるじゃん」
「…出力も、理想に届かなさそうなんだけど」
「えー、それもクオじゃダメ?」
なかなか食い下がってくるね。
じゃあ、本当に不可能なのか調べてみよう。
こんな時のために、この本には妖術についてのあらゆる知識が記されているのだ。
――”妖力の融通”には幾つかの方法がある。中でも主に用いられるのは妖力を直接相手に渡す方法と、複数人で同時に妖術を詠唱する方法だ。
前者は容量を超えた詠唱が可能になるが、同時出力の上昇は出来ない。
後者は単純に出力を上げることが出来るが、詠唱を全員が繊細な制御技術を身に着けなければならない。
「適材適所」とは使い古された言葉だが、この問題に対してはそれが適切な対処であるだろう。
――第二章より引用
少し長いけど、必要なことは全てここに書いてあった。
更に内容を噛み砕いて今の状況に当てはめるのなら、巡り巡って九章のあの妖術は使えないということになる。
前者なら僕の出力が。
後者ならクオの技術が。
それぞれの足りないものが、どちらのケースにおいても足を引っ張ることになる。
「むぐぐぐぐ…!」
そう説明をすると、クオはとても悔しがった。それはもう食いしばった歯を使い、ジャパリパンを一瞬で噛み千切ることが出来るくらいに。
だけどそれでも、『無理』の一言で終わらせたくはない。
今の僕には、それが出来ない負い目がある。
「……そうだ、リョコウバトがいるじゃん」
数秒、頭をひねり絞って、浮かんだ答えはそれだった。
「いいですよ。もしも空を飛びたいのでしたら…」
「クオは! ソウジュに飛ばしてほしいのっ!」
しかし即時却下。何とも世知辛い対応だね。
”お詫び”って体だし、僕がやらなきゃいけないのは分かってるよ。
それが出来ないからこそ、”リョコウバトに頼んでしまう”という方法に一縷の望みを掛けたのだけれど……
…万事休すか?
「お二人の話はよく分かりませんけど、飛べる方法があれば良いんですよね…?」
「クオはねー、風を感じられる飛び方がいいなーっ!」
「どうしてこれ以上注文を増やすの…!?」
クオったら、自分が無茶言ってるって分かってるのかな。
いくら僕が断れない状況に置いたって、不可能なものは不可能なのに!
……風を感じるって、どうやるんだろう?
難しいことは百も承知で、だとしでも実現してあげたい。
それこそ、あの素晴らしき”もふもふ”への実直な態度というものだ。
「何か代用できるものが見つかれば……あ」
そう言えばあった筈だ。
大きな妖力を代償に、イメージをそのまま現実に持って来られる妖術が。
しかし、浮遊の術と比べてどっちの消費が大きいんだろう。やることからして、どうにも同じくらいな気がしてならない。
でも、言霊の方は一度使ったことがある。
単純な操作ゆえかもしれないけど、『燃やす』のと『直す』のにそれほど消費の差は感じられなかった。
じゃあ、『飛ぶ』ことも?
ごく単純なイメージで再現すれば、十分に可能性はある。
…よし。
まだ小さい火種だけど、活路への道標が見えてきた。
「リョコウバト、一回飛んでみてくれるかな」
「はい、構いませんけど…?」
頭上にハテナを浮かべつつ、真っ赤な羽が空を舞う。
何が目的か分かりにくいお願いだとは思うけど、これが大事なんだ。
…そう、こうして彼女の飛ぶ姿を間近に見ることが。
「へぇ…なるほどね」
何回見ても面白い景色だ。
彼女たちの身体を支える浮力が何処から生まれているのか、どれほど注視したとしても一向に見当がつかない。
原理も、過程も、分からずじまい。
だけど、これでいい。
『脳内のイメージに収める』
たったそれだけの準備で使えるようになるのが、この言霊という妖術……そんな解釈で、きっと間違いはないはず。
まあ、御託はいいさ。
兎に角やってみるとしよう。
「クオ、手を……って、何してるの?」
膝を伸ばして座り込むクオは、差し出した僕の手を取る気配もない。どうしたんだろうと不思議に思っていると、彼女が口を開く。
「ソウジュ、抱っこ」
「…えっ?」
「早くして、お姫様抱っこっ!」
それがお望みならそうしよう。
ジタバタと手足を暴れさせる彼女を抑え、優しく両腕で抱き上げる。
腕からそっと逸れた尻尾が、楽しそうに躍っていた。
「…どうかな、お姫様?」
「くるしゅうない、褒めて遣わす…のじゃ」
その口調、ユキヒョウの真似でしょ。
古風なお姫様と考えればピッタリだね、キツネなのもファンタジー感があって僕は好きだ。
あーあー、また話が逸れちゃった。
「手、ちゃんと掴んでてね。途中でガス欠になったら地面まで真っ逆さまだから」
「わかった、もう何があっても離さないよっ!」
「…それは言いすぎだって」
だけど、本当に離さないのなら。
うれしいな。
「『翔べ』」
言霊を口にすると、その命令に反して身体が沈み込む様な感覚を覚える。
妖力欠乏症、だけど一瞬。
強く握った手から力を貰い、僕たちは空へと翔びあがる。
「んっ……」
強く吹き付ける向かい風。
でも夢で予習した僕には分かる、これは僕らが動くからこそ。
「すごいよソウジュ、クオたち飛んでるっ!」
木々の間を抜け空へ、太陽の光がとても眩しい。
だけどそれも、輝くクオの瞳の明るさには敵わない。
雲と明滅、風の色は青、遥か先で翼が回っている。
「ねぇねぇ、あっちにも行ってみようよ…!」
風が強いので若干高度を落とし、指差す山の方角を向いて低空飛行と相成った。
「クオ、楽しい?」
「うん、とってもっ!」
試みは成功した。何が何だか分からないまま、理由も過程もすっ飛ばして手に入れてしまった結果だけど、まあそれは降りてから考えよう。
今はただ、この雄大な眺めを一身に感じていたい。
「ゴーゴー、レッツゴーッ!」
いよいよテンションも最高潮。
大きく身を乗り出して、終着点に目標を向ける。
……そう、身を乗り出してね。
瞬間、がくんと落ち始める高度。
「あっ…!」
これはまずいと感じ、全力を出して高度を維持しようと頑張った僕。その努力は結果として、面白いくらいの裏目に出ることになる。
「ソウジュ? ……あっ、手!」
自分の過ちに気づいたクオ。
だが時すでに遅し、高速落下の勢いは止まらない。
手を繋いでも妖力は戻らない。完全な空きっ腹に食べ物が入らないのと同じように。
ガサガサガサッ!
「う、うわぁっ!?」
悲鳴が葉っぱを切り崩し、地面へと逆さまに墜落する。
あらかじめ高度を落としていたのが幸いし、受ける衝撃は小さく済んだ。
……まあ、僕は意識が朦朧として動けないけれど。
先ほど言った通り、水際での頑張りが裏目に出た。ほんの数秒、僅かに高度を維持するためだけに、残り少ない妖力を使い切ってしまったのだ。
さて、降りたことだし。
宣言通り考えよう。
欠かさず供給。これ大事。
「ごめんねソウジュ、クオのせいで…!」
”気にしなくていいよ”
そう言いたい。
でも出来ない。
だってもう、意識の糸が切れてしまいそうだから。
そして何より。
言う通り。
クオのせいで、間違いないから……
(一応は、成功ってことでいいのかな…?)
なんとか飛べたよ、僕たちは。
最後に飛ぶのが意識とは、まさか夢にも思わなかったけど。
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