第二十六節 旅人同士は一期一会

「おーい、クオー? もう、どこ行っちゃったんだろう……」


 森の中に、僕の声が木霊する。

 幾度となく呼び掛けても、返ってくるのは小鳥のさえずりだけ。


 多分、この近くにクオは居なさそうだ。


 僕はお弁当の入った籠を抱え直して、せめて見通しの良い開けた方へと向かうことにする。


「…なんで置いて行っちゃうのかなぁ」


 今日は二人でピクニック。


 ホッカイより若干は温暖なホートクだから、こうして穏やかに自然の中で安らぐことが出来る…筈だった。


 しかし実際は、に釣られたクオが早々に僕の視界から離脱。こうして捜索に明け暮れる羽目になっている。


「クオは何処にも居ないし、お弁当は持ち辛いし、ああもう…っ!」


 カゴから飛び出すはジャパリパン。

 僕の肘から指先ほどまである大きいパンで、なんとも非常に自己主張が激しい。


 どうにも硬くて食べにくそうだし、ピクニックには不向きではないか。


 『これ一本で四時間は持つ』…という言い伝えを僕にこのパンを渡したオオタカから聞いたが、それは単に食べるのに時間が掛かるだけではなかろうか。


 とは言え貰った物を断るのも申し訳ない。

 何とか斜めに押し込んで、露出する体積を小さくして持って来ている。


「早くクオを見つけないと、パンが乾いちゃう…」


 これ以上水分が抜けたら大変だ。

 まだパンがエディブルであるうちに、尋ね人と一緒にランチと洒落込まなくてはいけない。


 …単純に、そろそろお腹が空いてきたんだよね。


 腹部の震えを手で抑える。

 その時、鼓膜が空気の震えを感じ取る。


「…何か動いた」


 微かな、葉っぱの擦れる音。

 音は続く、鳴り続ける、あの音の主は歩いているのだろう。


 そして茂みのさえずりは、段々とこちらに向かってくる。


 漸く、人探しも終わりか。

 安堵のため息をついて、こちらも彼女を迎えに行く。


 影は木を通り過ぎ、とうとう僕の目の前に現れて。


「…え?」

「あら…」


 斯くしてクオ探しは続く。


 ”今度も長く掛かりそうだな”……と、の姿をハッキリ確かめた瞬間の思考であった。




§



「ごめんなさいね、期待させてしまって…」

「気にしないで。何も悪くないから」


 森から若干離れた小道。

 石で舗装された道の上に置かれたベンチ。

 落胆と同時に肩を圧し、波のようにどっと押し寄せてきた疲労に、長い目で効率を考えた僕はゆったりと座って休憩を取ることにした。


 最早この際だから、ジャパリパンも半分に割って少し食べてしまう。まあ、カゴが運びやすくなるしこれはこれで。


 あと意外に美味しい、中身はモチモチだね。

 案の定食べにくいけど。


「美味しそうですね、私も少し頂いても…?」

「いいよ。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 片手で口元を抑えつつ、パンを一口かじり取る。

 キッチリと着こなされた服装と、その上品な仕草はとても良く合っていた。


「あの、何か付いてますか…?」

「…いや、なんでもない」


 初対面なのに、失礼だったかな。

 だよね、無言で服装をまじまじと見つめるなんて。


 僕は彼女から視線を逸らし、彼女の横に立て掛けられた旅行鞄に目をやる。

 

「キャリーバッグ…?」

「もしかして、中身が気になりますか?」

「あぁ、まあ…そうだね」


 あまり他人の持ち物を詮索するのは気が引けるけど、彼女は特に気にしていないようだ。ベンチに上げてバッグを開き、アレかコレかと思案している。


 そして数秒後、満足げな表情と共に一冊のノートを取り出す。


 表紙には…特にタイトルはなかった。


「どうぞ、中を見てみてください」


 受け取ると、見た目に反してずっしりと重い。

 手に持った時の感触にも、妙な厚みを感じる。


 予想だにしない好奇に駆られつつ、万一にも傷つけないよう慎重に表紙をめくった。


 ―――その瞬間、幾つもの景色が目に飛び込んで来る。


 夕焼けの空、月の浮かぶ海、雨の降る森、山から虹の立ち昇る島。


 長方形の中に収められたインクの情景が、乱暴とも言える密度でページの隅から隅までを埋め尽くしていた。


「…これは、写真?」

「ご存じなのですね。その通りです」


 次のページをめくると、また世界が一変する。

 今度はフレンズたちが四角の中にちらほらと見られ、数枚の写真には隣に座っている彼女の姿も写っていた。


 記憶と違い、形を持って明確に残り続ける旅の記録。


 長い時が経てばどちらも色褪せるのが、せめてもの共通点と言えるだろうか。


「あっ…忘れていました。私、リョコウバトと申します」

「僕はソウジュ。よろしくね」

「ソウジュさんですね。お名前、覚えておきます」


 …リョコウバト。


 驚いた、何とピッタリすぎる名前。

 むしろ、そんな名前の動物だからこそなのか。


「ここに来たのも、旅の途中?」

「いえ、この度はスカイレースのお手伝いに呼ばれまして」

「…そっか」


 確かに、選手だけじゃレースなんて出来ないもんね。思うと、僕らもうまくお手伝いとしてすれば、一目見れたりもしたのかなあ。

 

「ソウジュさんは? ホートクのフレンズさんではないようですけど…」

「旅の途中だよ。パークの全部を巡る旅のね」

「まあ…!」


 リョコウバトは目を輝かせる。


「ソウジュさんも、お一人で旅を?」

「ううん。クオっていうキツネの子と一緒で、今探してるのもその子。そう遠くには行ってない筈なんだけど…」


 クオのことだから確証はない。

 飛んで行く蝶に釣られたまま、何処までもついて行ってしまっている可能性もある。


 別のものに興味が移っていなければ、蝶の生息範囲から考えてそれは無いと思うんだけど……いや、そもそも蝶の縄張りってどれくらいだろう。


 何となく狭いイメージが有るんだけど、違っていたら大惨事だよ?


 むぐぐ、読書が足りなかった……


「よければ、一緒にお探ししましょうか?」


 無言で悩む僕を見かねたのか、リョコウバトがそんな提案をする。


「…いいの?」

「はい。”旅は道連れ”と言うでしょう?」

「あはは、言っちゃえばただのなんだけど……」


 それでも、クオ探しが行き詰っていたことも事実。


 ここは彼女の厚意に甘えさせてもらうとしよう。


「では、そろそろ参りましょうか」


 気が付けばジャパリパンも既に半分。オオタカの談を信じるならばこの短い時間でおおよそ二時間分を消費したことになる。


 ならば休憩も終わり、五里霧中なクオ探しがまた始まる。


 行きがけのリョコウバトまで捕まえて手伝わせてしまったんだ。ちゃんと見つかったら、クオにはしっかりお礼を言わせないとね。




§



「ここは…」

「お花畑ですよ、綺麗でしょう?」


 まあ、確かに綺麗ではある。

 なんなら日向ぼっこをしてもとても気持ちよさそうだ。


 膝の高さまですっぽりと緑が覆い隠し、色とりどりの花弁が咲き誇る。小高いこの地から見下ろす景色は、また幻想的で面白い。


 それはそれとして、当のクオは来ているのかな。


 ついでにリョコウバトは、何を思って僕をここに連れてきたんだろう。


「ほら、蝶に釣られて行ってしまったと言うので……もしかしたら、ここに来るかなと」


 蝶の来そうな場所…ってことね。

 クオが蝶を追いかけ回すことに飽きていなければ、まだ可能性はあるか。


 探してみよう、居るかもしれない。


「…鬱陶しいな、これ」


 長く伸びた草は景観としては優れているものの、いざ中を歩くとなると途端に大きな邪魔者と化す。雪と違って単調な色でもないせいで、奥底に何かを発見することは容易ではない。


 視覚での捜索は心許ないな。

 時間は掛かるけど身を屈めて、手探りで探してみるとしよう。


 ……願わくば、変なものに当たったりしませんように。


 それにしても、ここ一帯だけ自然が豊かなのは何故だろう…?


「実は私、一つ予想があるんです」


 草の根をかき分けて、声が聞こえる。


「きっと昔、ここには神社があったんですよ。その証拠にほら、向こうを見てみてください」

「……あれは」


 リョコウバトが指で示した先。


 敷地の角にポツンと残る、あれは神社の分社にも見える。

 何もない場所に建っている孤独な姿は、周囲の風景とは不釣り合いだ。とても元々、こんな風に造られたとは思えない。


 …つまり。


「本殿は無くなったけど、だけは今まで無事に残り続けた…」

「私はそう思います。神社を建てる場所も、丁度ここのように高い場所が多いと聞きますから」


 なるほど、理に適っている。


 しかしその理屈で行くと、過去に存在していた神社が綺麗さっぱり無くなったことになる。こんな風に跡形もなく消失してしまった経緯が非常に気になるのだけれど……それは後回し。


 クオはどこだろう。

 そろそろここには居ない可能性が浮かび上がって来た。


 腕も疲れてきた。


 そろそろ終わりかな。



 …終わった。



「あ」



 声はおよそ八分はちぶ

 植物とは明らかに違う手触りに慌てて、逃がさないよう強くそれを握りしめる。


「……きゃぁっ!?」

 

 途端、響くクオの悲鳴。

 

 何を掴んでしまったのかと、草をかき分け確かめる。


 ――確かめた後、もう一握り。


「ひゃっ…なに…っ!?」


 綿のように柔らかな手触りと、指の隙間に滑り込む滑らかな毛の一本一本。


 吸い付くように僕の手を捕まえる温もりは仄に優しく、逃がさないと言わんばかりの拘束は空恐ろしい。


 ここまで言えば分かるだろう、僕が掴んだのはクオの尻尾だった。


 そして、尻尾への刺激で起き上がった彼女と目が合う。


「―――もー、ソウジュのばかーっ!」


 クオの反応は素早かった。


 虚空より出でし国語辞典。

 斜めに落ちてきた角は僕の後頭部を正確に穿つ。


「うっ…!」

「ソウジュのいじわるっ! いきなり何するのっ!?」


 恐ろしく鋭く、深く突き刺さる身体の痛み。

 幼い罵詈雑言にめった刺しにされる心の痛み。


 だけどその苦しみを差し引いたとて、得しかない取引だったと思う。



 それほどクオの尻尾は、極楽のような柔らかさを誇っていた―――!



「もう、ソウジュなんてしらないっ!」

「えぇ、そんな…!?」


 …しかし流石にやりすぎたのか、クオは大層ご立腹。


 宥めようとする僕の言葉にも、一切の聞く耳を持たない。


「あらあら、大変ですね…」


 呑気に呟くリョコウバト。

 だけど僕はそうとはしていられない。


 もしもここで選択を間違ってしまえば、残るわだかまりは後々の旅に大きく響いてしまう。



 ……尻尾を触ったのが既に間違いとは、思いたくないな。



「あっち行ってよ、お弁当を置いてからっ!」


 お弁当はしっかり食べるクオ。

 真っ先にジャパリパンに手を付けている。


 それはさておき。


 今から僕にとって、この旅最大(現時点)のミッションが始まる。


 理屈なんてどうでもいい。

 とにかく、何をしてでもクオの気持ちを収めるんだ。


 ……やるしか、ない。

 

 僕は指先に残った尻尾の毛決意を、コートの懐、奥深くに仕舞った。

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