第二十三節 ようこそホートク、正義の風と

「さあ、もうすぐ到着ね」


 その声に僕は顔を上げる。

 数分前からずっと蹴り続けていた小石を脇に飛ばして、彼女の指差す山麓に目をやってみる。


 初めに僕の目に留まったのは、小高い丘にそびえ立っている巨大な風車。網目の羽はゆっくり回り、それに合わせて雲が泳ぐ。

 歩みを止めて見入ってみると、ささやかな追い風が背を押した。


 身に着けたコートから、とても落ち着く匂いが漂う。

 その匂いを追いかけて僕はまた歩み出す。


「…あら、もう満足なの?」

「まあね。観光は後でもゆっくりできるし」

「気にしなくて良いわよ、私もどうせ暇なんだから」


 ハクトウワシが言う。


 聞けば明朝、優雅な空の散歩を楽しんでいた彼女は、ふと地上に発見した珍しい物の正体を確かめに降りて来たらしい。


 起きていたクオが応対をして、ついでに軽い朝食をご馳走したそうだ。

 きっとそのせいだろう、僕の朝食が若干冷めてしまっていたのは。


「ハクトウワシは、あの建物に住んでるの?」

「ええ、だけど私一人じゃないわ。私なんかよりもずっと個性豊かなチームメイトたちと一緒に暮らしてる」

「…チームって?」

「うん……それも向こうで詳しく話そうかしら。と顔を合わせてからの方が良く伝わりそうだし」


 先程よりも風車の像は大きく、彼女の言う”チームメイト”の正体を確かめられる時もそう遠くはないだろう。

 しかしそれはそれとして、勿体ぶられると気になる。


 ”個性豊か”と形容するのはこういう場面のお約束だけど、やはり人間それでも何が出てくるのかを期待してしまうもの。

 隣で渋い顔をしているクオも、その点は変わらない筈だ。

 

 このまま静観していても何も分からなそうだし、一思いに尋ねてみようか。


「ねぇ、何かあったの?」

「ううん…ちょっとね」

「……?」


 はぐらかされた。

 大した事じゃないのか、隠していたい大事なのか。


 数秒後、思わず耳を疑う問いがハクトウワシに向けられる。


「…あなたの言う正義って、何かな?」

「あら、気になるの?」

「え、えっ…?」


 クオの三音が心を掴み、リフレインして止まらない。

 僕が寝ている間にどれほど深刻なやり取りがあったのだろう。初対面にしては中々思想的に踏み入った領域の話題に発展しているよね。


 ……結論だけ言えば、僕の誤解だったんだけど。


 ともあれ真相を知らない僕は、ハクトウワシに聞かれないようクオに小声で話し掛ける。


(あのさ、正義って一体どうして…)

(ハクトウワシちゃんだよ。正義の使者を名乗っているみたいなの)

(あー…)


 なるほど、何となく話が繋がった。

 

 正義の使者―――本気か酔狂かは置いといて、かなり個性に溢れる部類だ。そんな彼女が誰かを”個性豊か”と形容したのだから、クオのあの神妙な表情にも頷ける。


 さておき興味深い名乗りだし、詳しく聞いてみるのも面白そう。


「…お話は終わった?」

「うん。だから答えを聞いてもいい?」

もちろんOf Course!」


 ガッツポーズと元気な英語。

 頭上で大きくはためく羽が彼女のハイテンションを示している。


「と言っても簡単なことよ。"悪は許さない"、”困っているフレンズを見捨てない”、それが私の信条なの」


 何とも模範的なヒーロー…じゃなくてヒロイン。


「どう、貴方達も私と一緒に正義をしない?」

「…色々と考えさせて」


 えっと…”正義する”って何かな。

 多分彼女の造語だよね、朧げに意味は伝わってくるけど。


 それと、を抜きにした真面目な理由を考えるとするなら……一つだけ思い浮かぶものがある。


「まだ、分からないことが多いんだ。全然…知識が足りなくてさ」


 正義とは何か。

 何が一つの考えを正義たらしめるのか。


 もっと沢山の本を読んでいけば、そのうち結論を出せる気がしている。


 だけど、今はまだ。

 

 だから、簡単には頷けない。


「…なるほどI see

「その…ごめんね」

「気にしないで、貴方の信念は感じ取れたわ」


 ―――論理的に公平であろうとすることも一つの、正義の形だと思うから。


 ハクトウワシはそう言って、今度はクオの方を向く。


「ならそうね、クオちゃんはどうする?」

「正義したらさ、ジャパリまんいっぱい貰えるかな…!?」

「……しなくてもあげるから、やるなら真剣にして欲しいわ」


 あはは、クオらしいや。

 特段悪いことはしないけど、大して正義とかには興味が無い様な。

 悪いことをしないのは悪いからじゃなくて、わざわざ危険を冒す意味がないからという様な。


 だからその考えが裏返る瞬間には、とても恐ろしいことになるかも知れない。…来ないと良いんだけどね。


「…さて、立ち話も良い頃合いじゃないかしら」

「だね、そろそろ行こうか」


 見上げると、いつの間にか風車は止まっていた。

 騒めく葉っぱも静かに眠り、僕は小鳥のさえずりに耳を傾けながら歩き続く。


 しかしふと急に、僕以外の二人が歩みを止めた。


「…ねぇ、何かいない?」

「ええ、セルリアンね」


 二人の視線に追従すると、その先で揺れている茂み。

 緑の隙間から見える半透明の水色は、地上に落ちた空のような色彩のセルリアン。


「まだ悪さはしてないけど……念の為、倒しておきましょう」


 ハクトウワシの戦闘態勢。

 虹色の輝きをうっすらと纏い、静謐ながら瞬きの間に迫りくる圧力。


 どうせ乗りかかった舟だし、僕らも惚けてはいられないね。


「手伝ってくれるの? ありがとう」

「一応、戦う力は持ってるからね」

「えへへ、倒しちゃうぞ~っ!」


 僕は妖術で戦うから良いけど、クオは刀をブンブン振り回していて非常に物騒。

 お願い、セルリアンが遠くに居るから刀はまだ仕舞ってて。


「となると、あの掛け声が必要ね」

「掛け声?」

「ええ。セルリアンを倒すことは正義。そして正義には、みんなで唱える合言葉が必要なのよ」


 ヒーローアニメの名乗りみたいな、そんな感じかな。

 あまり気取ったのは恥ずかしいんだけど……きっと、そこまでのじゃないよね?

 ちょっと不安だ。


「さあ、二人も一緒に!」

「あ、うん…」

「ほらソウジュ、元気を出してっ!」


 嘘でしょ、乗っかるのが早いよクオ。

 心の底から楽しそうで本当に何よりであるんだけれども。

 

 ええい、僕もこのまま流されてしまえ。


「いい? 私に合わせて、『レッツ・ジャスティス』と叫ぶのよ」

「わ、分かった…!」


 どんな怪物が来るかと慄いていたら意外とまとも。

 いや、本当にそうかな…?


「せーの……レッツ・ジャスティスッ!」

「ジャ、ジャスティス…」

「レッツゴーっ!」


 肝心な時に恥ずかしがって声が出ない僕。

 ハナから合言葉を守る気概の欠片も感じられないクオ。


 それでもやっぱり風は吹く。


「もう、私しかちゃんと言ってないじゃないっ! まあいいわ、行くわよっ!」


 三色の風が、森を吹き抜けていく。




§



「ふぅ、楽勝だったね」

「当然よ、正義は勝つの!」


 短い戦いだった。


 本当に吹き抜ける風のような、光陰矢の如しという言葉のよく似合う短期決戦。

 一番の敵はハクトウワシが飛んだ後に舞い上がる土埃かもしれない。


 尤も相手は普通のセルリアンが数体。

 こちらは普段から戦い慣れているハクトウワシ、フィジカルがつよつよのクオ、妖術で遠くから手を出せる僕。


 一人くらいサボっていても過剰戦力になりそうなくらいの力量差だった。


 ……もちろん、真剣に戦いましたとも。


「これで、心置きなく先に進めるわね」

「うぅ…早すぎるよぉ…」


 クオは明確に不完全燃焼。

 思い切り戦いたかったんだろうね、しかし不幸にも敵はとても弱かった。

 僕は案外ホッとしている、ギリギリの駆け引きなんてあんまり好きじゃない。


 もしもセルリアン以外と安全に戦える方法があれば、きっとクオの欲求も満たしてあげられるはず。


 そんな方法、無いかなぁ……無いかぁ。

 第一、『安全な戦い』ってフレーズが矛盾しちゃってるもんねぇ。


 しかし幸か不幸か、このパークの何処かには強いセルリアンが棲息しているらしい。絶対に出会いたくない相手だけど、そいつ等だったらクオも満足できるかも。

 

「そろそろ行こうよ、セルリアンも倒しちゃったし」

「はぁ~…」


 燃え残りの戦意がため息となって現れた。

 戦いたかった気持ちは理解するけど、あまりクオが落ち込んでいると僕も悲しいな。


 ここは僕が、クオの意識を明るい方に逸らしてみよう。


「……そうだ。ねぇハクトウワシ、スカイレースって知ってる?」


 さりげなくを装い、クオが楽しみにしていたスカイレースの話題を出す。


「ええ、当然知っているわよ。何なら出場だってしたわ」

「ほらクオ、何か聞いてみようよ。楽しみにしてたでしょ?」

「うん…」


 よし、話題運びは順調だ。

 若干ハクトウワシの言い回しに引っ掛かる部分はあるけど、まあ別に構わない。


 あとは目的地に着くまで、流れに乗って適当に……


「スカイレースって、いつやるの?」


 ……行ければよかった。

 クオのこの質問が歯車を狂わせた。


 尤も真実を知った上で見れば、ただ少し予定が早まっただけ。


「…どうかした?」

「あぁ、いえ。そうね……」


 ――視点を戻して。


 あからさまに答えを言い淀むハクトウワシ。

 僕の頭に残った引っ掛かりが段々と肥大し、不安へと姿を変えていく。

 膨れ上がったそれは、嘴で突けば破裂する。


「昨日よ」

「あ、オオタカ…」

「散歩にしては遅いと思えば、誰か捕まえてたのね」


 オオタカと呼ばれたフレンズは、目指す建物の方から現れた。

 すると、彼女がハクトウワシの言うチームメイトだろうか。しかしそんなこと、今はどうでもいい。


「ちょっと待って? ”昨日”って、一体…?」

「質問への答えよ? 今度のスカイレースは昨日、ついこの間終わったの」


 ……風さえ吹かない。


「な、なに…? 確かに昨日のことよね?」

「それは、正しいけど…」


 ハクトウワシが言うのだ、恐らく間違いではない。


 敢えて何かが間違っているとするなら、タイミングだろうか。



「……ええええぇぇっ!?」



 ――不運だったね、色々と。

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