第二十二節 クオ先生の課外授業
風通しの良いテントの中で、自由気ままな授業が始まる。
「はい、この本の最終章を開いて。今日は汎用的な妖術について学ぶよ」
「…ねぇ、テントを直すんじゃなかったの?」
色々すっとばして最終章ねえ。
当初の目的が一瞬で消えるのはいつものことだけど、流石に本日ばかりは勘弁してほしい。こんな早朝から真面目な授業なんて受けたくないよ。
もっと手っ取り早く、”物を直す妖術”をピンポイントで学びたいな。
「むぅ…」
…あ、拗ねた。
「おーい、クオ?」
「……」
…やめてよジト目。
悪かったからさ。
「…ソウジュのせっかち。折角だから、色々なことに応用の利く妖術を教えちゃおうって思っただけだよ」
ふぅと息を吐いて、本を開く。
「”この世界はエネルギーで満たされている。それを利用する術さえ学べば、誰でも超常的な力を身に着けることが出来る”……これは半分嘘。誰でもなんてありえないよ」
教科書を読み上げる声は若干恨めしげ。
妖術をコントロール出来ないこと、やっぱり気にしているらしい。
「”この本では言霊――言葉とそれに結びつくイメージを再現し、具現化させる方法――を取り上げる”」
言葉を種に現象を引き起こす妖術。それは確かに汎用的だ。
「さあ、やってみよっか」
いいね。久々に頭抜けて面白い授業がやって来たかも。
僕の心のワクワクが、朝日と同じ速さで昇り始めた。
§
――言霊を扱う上で、最も重要なものは想像力である。対象、起点、過程、結果。その全てを頭の中で順序に倣って並べ、明確な映像を伴って想起しなければならない。
――『戦場を支配する「妖術」の技法』最終章一節より引用
「平たく言えば、イメージかな」
具体的な例で見てみよう。
対象はテント。
起点は破れの端。
過程は難しいけど、それぞれの糸が絡まる感じ。
そして結果は、元通り。
これらを明確な映像として脳内に思い起こし、妖術という手段で一つの現象を生み出す。
その引き金が単語の発話、つまりは言霊。
脳内のイメージを端的に表す言葉を、他の妖術における詠唱全ての代名詞として扱うのだ。
例えるなら、ゲームによくある『魔法の名前』。
あるいは漫画でキャラクターが叫ぶ『技の名前』。
創作の中では一種の演出たるそれが、この本では極めて実用的な存在として扱われている。
「…難しいね」
「クオも、ちょっと頭がこんがらがってる…」
よし、一旦要約して理解しよう。
大事なのはイメージと、それにぴったりの言葉。
声に出して読み上げることで現象を生み出すことが出来る。
他の妖術との相違点は、発話の有無に関わらず魔術的な詠唱を必要としないこと。
使いこなすのは難しいけどコツを掴めば万能。
想像力さえあれば何でも出来る……ってところかな。
「物は試しってことで、一回やってみたいね」
「じゃあさ、使い慣れてる妖術を再現してみたらどう?」
なるほど、名案だ。
使うものである妖術ならイメージも掴みやすいだろう。
結果の確かめやすさから考えて、火がいいかな。
「……よし」
一旦視界を黒に染め、瞼の裏に外の世界を想起する。
幻の森に火種を浮かべ、炎が立ち上がる姿をコマ送りにしてイメージ。
集まって、熱くなって、揺らめいて、燦と散って。
言霊は易しく、他に無き命令で。
「……『燃えろ』」
立ち昇るのは想像通りの炎。
冷ややかに心地よい空気に突如現れた不自然は、周囲の温度を歪めて蜃気楼を僕に見せる。
……違った。
僕が見ていただけだ。
「これ、案外キツイね…!」
蜃気楼の正体は立ち眩み。
最初の妖術の授業でも襲われた、妖力を使いすぎた時の症状。
膝をついた僕にクオが駆け寄ってきて声を掛けているけど、聴覚も若干やられたのか鼓膜の調子は曖昧だ。
致命的に重い消費ではないことは救いか、或いは日頃の修行の成果か。
兎にも角にも、この汎用的な妖術の消費が非常に大きいことは理解した。
普段使いと同じ大きさの火を起こすだけでこの調子なのだから、燃費の悪さは他の妖術の比ではないだろう。
流石は、最終章に位置する妖術だ……
「……ソウジュ、やっぱり辛い?」
「まあね、なんとか耐えてるよ…」
握りしめた手から妖力が流れ込んでくる。
力が器に満ちるにつれて、妖力切れの辛さも収まってきた。
はぁ、クオがいてよかった。
この妖術をクオが勧めたことは、忘れたままでよかった。
「やれやれ、なんでこうも消費が激しいんだろうね」
「一から創ってるから、じゃないかな?」
「…どういう意味?」
尋ねると、クオは紙を取り出して何かを描く。
覗き込むと、それは僕もよく知る火を起こす妖術の術式だった。
「あのね。今ある妖術の消費が少ないのは、既にある術式を記憶から引き出して再現してるからなの」
授業を受けたからそれは知っている。
あの書斎にあった妖術は全て、過去にそれらを創り出した誰かが本に記したものであるらしい。
とんでもない天才だ。
どんな人だったのだろう。
「でもそれは、目的に応じて『妖術を創る妖術』。だから構築と発動で、少なくとも二重に妖力を使っちゃうんだと思う」
ああ、そういうことか。
納得した、本当に分かりやすい説明だ。
小手先のコントロールこそ出来たとしても、知識の分野では全く敵わないね。
「まあ、使えないことは無さそうか…」
妖力のリソースはクオが持っている。
制御さえ可能だと分かればあとはこちらのモノ。
――言霊。
――最終章に載っている恐らく最高の妖術。
今からそれを使って、ごくありふれたテントの穴を修復する。
「…やめよう、何も考えるな」
シナプスを電気が走る度、目を向けずにはいられない徒労感が僕を蝕む。
見方を変えよう。
どんなに素晴らしい技術だって、最初の実験はちっぽけだったに違いない。
悲観することはない。
あのテントだって僕らの旅のパートナーだ。
友達の命を救うと考えれば、そう悪い話じゃない。
「はぁ…」
普通に直す妖術、あったはずだよなぁ……
「……『直って』」
破れ解れた糸が絡まり、大きな風穴をゆっくりと塞ぐ。
それは植物の蔦のように結びつき、血小板のように傷口を守り、やがて
「ふぅ、疲れた」
テントの壁に手を当てて、集中を解くと同時に肩にのしかかった疲労感。
二度寝がしたい。
妖力を回復してもこの欲求は収まらない。
やれやれ、朝から頭を使いすぎたよ……
「…あれ、ソウジュ?」
「後で起こして、ちょっと休むから」
頭から布団を被り、インスタントな暗闇に目を閉じる。
鋭くなった聴覚で葉っぱの戦ぐ音を聞きながら、頭から眠気にずぶずぶ沈む。
「じゃあ、おやすみ…」
クオの返事を聞く前に、僕の心は夢に浸った。
§
「……あーあ」
ソウジュが寝てしまった。
今になって思えば、朝から無茶をさせちゃったよね。……テントを破ったのはクオなのに。だから、ゆっくり休ませてあげなきゃ。
そしたら、ソウジュが起きるまでクオは何してようかな?
お料理も今から作ったらきっと冷めちゃうし。
うーん……あ、そうだ。
あっちの服でも片づけてあげよう。
セルリアンに水を掛けられて、茂みの方の木に干したって言ってたよね。
「お、あったあった」
すぐに見つけたソウジュのコート。
枝に吊るされたその姿にクオは驚いちゃった。
「わあ、がさつ…」
適当に干されたコートはしわしわで、もはや地面に落ちていないことが奇跡。
まったくソウジュったら、案外こういうところもあるんだね。
うふふ、ソウジュの秘密はっけー……ん?
「なんか…変」
クオが取り込もうとコートに手を掛けた時、その違和感が鼻につく。
…匂い?
ううん違う、それとは他の何かおかしなものが、コートの生地に染み込んでいる。
無意識のうちに歯を鳴らす。
危険な存在が迫っているなら、襲われる前に対処しないと。
突き止めてクオ、この気配の正体は何?
「……あはは」
乾いた笑いが出てきちゃう。
ちょっと考えれば分かることだった。
これ水だ。
セルリアンに掛けられた水。
中にサンドスターが溶け込んでいて、蒸発した時に結晶化して出てきた。それだけ。
「あーあ、心配して損しちゃった」
よりにもよってこんな場所、クオたち以外に居る訳ないよね。
さてさて、すっかり安心した所でコートの干し具合をチェック。
「ふふふ…!」
うんうん、とってもいい匂い。
干したてだから余計に幸せ、ソウジュの匂いってやっぱり落ち着くなぁ。
……ちょっとくらいなら、着てもいいよね。
「えへへ、おっきいー」
腕を通すと袖はぶかぶか、それにとっても動きにくい。
でもソウジュが着てる服ってだけでなんか素敵。
このままここで寝ちゃいたいなぁ……
「…ってダメダメっ! ちゃんと畳んで片づけないと!」
そう、我慢。
もしかしたら…ソウジュが嫌がるかもしれないし。
早く戻ろう、また変な気が起こる前に。
「寝床に食料……遭難者ではなさそうね」
だけどいざ戻ってみると、知らない誰かがテントの様子を窺っていた。
どうしたんだろう。
一先ず彼女に声を掛けてみる。
「ねぇねぇ、どちら様? クオたちに用かな…?」
「…あら、あなたが持ち主かしら?」
「うん、そうだけど」
もしかしてパトロールさんかな?
確かに居ても不思議じゃないよね、
…あのサイレンだけは許さないよ。
「初めまして、私の名前はハクトウワシ……正義の使者よ」
「――正義の使者?」
クオの予想は当たらずも遠からず。
だけど、彼女の自己紹介を聞いたときはそう。
……ちょっぴり、面倒そうな子だなって思った。
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