弐の章 射手駆け抜けて、空貫いて

第二十一節 ふたごの旅の第一歩

 雪もまばらにやがて消え、緑が蔓延る森を抜け、光が眩しい赤から美しい白色へと移り変わりゆく時刻。

 見上げれば山嶺には雲が掛かり、靴先を飾り付けていた雪の欠片は気が付かぬ間に雫に変わる。


 見ての通り寒さも和らいできたし、この辺りなら大丈夫だろう。

 僕たちはここらで足を止め、野営の準備を始めることにした。


「ふっふっふ……ここをキャンプ地とするっ!」


 星を指差し、胸を張って宣言するクオ。


 暖を取るため薪に火を点け、ついでに上に即席の窯を組み立てる。

 例のアレのおかげで重い荷物も運び放題、掛け値なしの大助かりだ。


 …中身をパンパンに詰めた例のリュックも、歩くのが辛くなって放り込んでしまった。


 ともあれ、設営は順調の限り。


「さて、次はテントかな」

「えー、お腹すいた…」

「…じゃあ、先に何か食べちゃう?」

「うんっ!」


 うなずくや否や野菜の山が。

 鍋にお玉に菜箸に、調理器具まで勢ぞろい。


 答えを聞く前から取り出せるよう準備してたんだろうね、やれやれ。


「で、何を作るの? 僕は出来ないからクオに任せちゃうけど」

「んーとね、適当に作るっ!」

「そっか、じゃあお願いね」


 クオの”適当”は信用できる方の意味合いだ。

 僕がやったらそうは行かない。


「あれはまあ…ね」


 名誉のため言っておくと、食べられない不味さの怪物が出来上がった訳じゃない。

 しかし、諸手を挙げて美味しいと思える出来でもなかった。


 何とも微妙で、面白味もない。


 まあ、無くていいんだけどさ……


「ふんふっふふーん♪」


 楽しそうな鼻歌と、鍋をかき混ぜる音。

 火花の散る音も心地よく、程よい暗さと徒歩の疲れも相まって、甘い眠気に意識を侵されていく。


 うつら、うつら、蛍火が尽きる。

 

 そんな気持ちの良い眠りに、文字通りの冷や水をぶちまける者がいた。

 

「…んぇ?」


 最初に感じたのは重力。

 冷たく脚に張り付くズボンと、重く動きの鈍ったコート。

 水を掛けられてしまったようだ。


 ええと、クオかな?

 彼女の起こし方にしては乱暴だけれど……とにかく、もう眠ってはいられない。


 手で大口を叩き、背中を伸ばして目を開ける。


「えっと、次は火の通りやすい野菜を……」


 透き通るようによく響く声は、料理の手順を確認している。

 きっとずうっと付きっ切りだし、僕に水を掛ける暇は無いはず。


 じゃあ、誰が…?

 

「…あ」


 視界を戻すと、目が合った。


「ああ…キミだったんだね」


 コートを木の根元に脱ぎ捨てる。

 そうして軽くなった身体で、まずはジグザグな痺れをお見舞い。


 ついでに遠くに蹴っ飛ばし、改めての容貌を観察した。


「んーとまあ、コップかな」


 見た目は大体そんな感じ。

 大きさは拳より二回り程度大きい…非常に使いづらそうなコップだ。


 まあ、倒しちゃうから関係ないけどね。 


「どうしたの、そんなに濡れちゃって…?」

「セルリアンだよ。一体だけだし、サクッと片付けてくるね」


 でも普通に倒しちゃ退屈だし、ここは妖術の使い方を工夫してやってみよう。


「ええと、使えそうなものは…っと」


 少し辺りを見回して……見つけた。

 たき火の余りに残った薪で、その中でも細くて扱いやすい枝。

 魔法使いじゃないけれど、杖みたいに振舞えるのも楽しそうだね。


「うんうん、まあ十分かな」

 

 折角だし、本当の魔法の杖みたいに使ってみよう。

 エネルギーの流れを操作して、普段は指先だけど木の枝に集まるようにして……


「痺れろっ!」


 そうして枝先から発されたのは、さっきよりも細くて弱々しい電撃。


「……」


 セルリアンには当たった。

 しかし何も起こらなかった。


 僕らは揃って首を傾げた。


「あー……くらえっ!」


 力任せの投擲。

 クリーンヒットで爆発四散。

 やっぱり枝は投げて使おう。


「お、また石板落としてる」


 ”珍しい”とはこれ如何に。

 これでもう七枚目、呆れるほどにドロップしている。


 …それとも、僕の運がいいだけ?


 もしかすると、そういう星の下に生まれてしまったのかな。


「いいや、仕舞っとこ」


 全部で何種類あるんだろう。

 ラインナップがあるならコンプリートしたいな。


 ま、無いだろうけどさ。


 模様の区別も付けられないし、あったところで…って感じ。


「……はぁ」


 さて、セルリアンは返り討ちにした。


 ただし、受けてしまった先制攻撃は非常に手痛い。


「どうしよう、これ」


 頭から水を被せられ、ぐしょぐしょに濡れてしまった服。

 何とも容赦のない量に、上着は確かめるまでもなくアウト。


 もちろん替えの服は持って来ている。

 だけどこんなに早く用入りになるとは思わなかったし、どこで着替えればいいんだろう。


 ……あっちで隠れて、かな。


 コートの土埃を払い、近くの茂みに向かい始めたその時。


「ソウジュ、ご飯できたよー」

「わわっ、ちょっとだけ待ってて」

「……んー?」


 茂みの陰で服を替え、上着やズボンは適当に木に干しておいた。本当に適当だ、乾いたらシワが残っちゃいそうだけど、後で幾らでも伸ばせるよね、多分。


 これで翌朝には乾いているはず。

 取り込むことだけ忘れないようにしておかないとね。

 

「ソウジュ、食べよー?」

「分かった、今行くよ」


 やれやれ、旅路に災難ありか。


「あれ、なんで服が変わってるの?」

「セルリアンに濡らされちゃってね、そこで乾かしてるんだ」

「わぁ…不運だったね」


 僕も本当にそう思う。

 もしもこれが旅だと言うなら、甘んじて受け入れるしかないけどもね。


「…クオは、違うと思うよ?」


 たき火で水気を乾かしつつの食事。

 水と風とで冷えた身体に、温かいスープがよく染みる。


 またウトウトと、眠気に襲われ。


「こらっ、寝るのはテントを張ってから!」


 今度はクオに起こされた。



 数分後。

 手に握られるはテントを固定するための杭。


「ソウジュの仕事、ちゃんと覚えた?」

「杭を、刺すこと…」


 クオが言うには、地面に刺せばそれで完成らしい。

 だから、僕は地面に打ちつけた。


「…ソウジュ、そこには何もないよ?」

「あぁ、そっか」


 そうだった。

 うっかりしてたよ。


 テントの端にある穴に通さないと、何も固定できないんだったね。


 土を抉って杭を抜き取る。

 心なしか杭が曲がったような気もするけど、気にしてなんていられない。


 だって、眠いんだもの。


「…ねぇ、いつ終わるの」

「も、もうちょっとだから。ね、がんばろ?」

「うん、わかってる…」


 手探りの作業。

 眠すぎて瞼が開かず、頼れるのは悴んで心許ない指先の触覚だけ。


 辛うじて僕の意識を保たたせてくれるのはクオの声援と、普段は僕らを布団と二度寝の中に閉じ込める北国の冷気。


「クオ、ここ…?」

「少し右。…よいしょ、そこだよ」


 クオの小さい手が僕の手首を掴み、優しく目的地まで誘導する。


「…あった」


 真っ暗な世界の中でようやくテントの端を見つけた僕は、もう面倒になって体重に任せて杭を地面にずぶずぶと沈めていく。


 ああ、抜く時が大変だ。

 そこまで回る頭は既に眠ってしまっていた。


 これで四分の一。


「あー…残りはクオに任せて?」


 簡単な作業すら覚束ない様子を憂いて、クオがそう言う。

 有無を言わせず、彼女は僕の手から残りの3本を奪い去っていく。


 ぽかんと呆けて空を眺める僕の頬を軽くはたき、一言。


「ソウジュは寝てて、あとはやるから」

「…わかった」


 好意に甘えて、今夜は寝よう。

 中に転がって目を閉じる。

 テントの揺れる音が耳をくすぐる中、今度こそ僕は眠りに落ちた。


 心地のよい、声を聞きながら…




§



 翌朝僕は、何事もなく目を覚ます。


「ん、もう朝…?」


 目をパッチリと開け、布越しに太陽の光を認める。

 朝の到来を心身共に理解し、脳裏には今日空っぽの予定が想起される。

 慣れない環境で寝たからだろう、若干手足が痛いことを除けば体調は万全だ。


 僕は身体を起こそうとした。

 

「…ん?」


 身体が重くて動かない、何かに引き止められているようだ。

 寝返りを打つこともままならず、手足のささやかな痛みはこれが原因なのかもしれない。


 今更それが何かは分かり切っている。

 今も彼女は、僕の背中にくっついて穏やかに寝息を立てている。


「すぅ、すぅ…」


 そよ風のような呼吸。

 耳を撫でる暖かい息がくすぐったくも、起こすという思考には至らない。

 誰が好き好んで起こすだろうか、色々な意味で。


 さても動けぬ明朝。

 本を取り出しても読む気にはならず、目を閉じても二度寝は出来ず。

 あまりに暇が押し寄せるので、昨夜木の枝に干したコートのことを思い出した。

 ただまあ、忘れるよりかはマシであろう。


 どうにかクオの拘束から逃れられぬかと身をよじってみる。


「だめ…」


 結果は束縛の強化。

 起きるまで待つしかないようだけど、どんな反応をするか若干楽しみだ。


 ……飛び退かれたりしないといいけど。


 それにしても今朝は妙に寒いね。

 もふもふの権化たる狐に眠りながら抱きつかれて、暖かいそよ風も耳の傍を通り過ぎているのに……ん?


「風が、多いような…」


 と言うか奇妙な話であるのだ。

 テントはしっかり閉じているのに、どうしてこう外気と同じような温度をしているのだろう。


 動かせない首の代わりに手鏡を使い、僕は真相を突き止めた。


「……あっ!?」


 あった。

 穴が開いていた。

 クオの脚が突き破っていた。

 

 何も、テントの壁まで破壊しなくてもよかったのに。


「起きてクオ、テントが壊れてるよ…!」

「んぇ、えぇ…?」


 由々しき事態なので無理やり起こす。

 反応を見れないのは残念だけどそんな場合ではない。


 目を覚ましたクオは自分が開けた穴を見て、冷や汗を流し始めた。


「ソウジュ、どうしよう…?」

「どうも何も、直すしかないんじゃない?」

「そんなっ、クオはお裁縫なんて……あ!」


 くるり表情一回転。

 名案を思い付いた顔でクオはアレから本を取り出す。


「いいこと思いついた! 破れたなら、妖術で直しちゃえばいいんだよ…!」


 妖術ってことはそれ、僕のお仕事になるよ。

 今までに習得した妖術も、実用に堪えるのは攻撃用の術しか無いし。


「それは大丈夫、今から覚えればいいのっ!」

「…つまり?」


 僕は聞き直す。

 答えは分かっていたけれど。



「教科書を準備して。妖術の授業を始めるよっ!」



 まあ、そういうことだよね。

 

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