第二十節 旅立つ日

 一人きりの部屋に、ファスナーの音が木霊する。


「……これでよし、かな」


 パンパンに道具を詰め込んだリュックを背負い、肩にのしかかる重さに未知への不安を感じる。

 脚を伸ばして立ち上がり、僕を取り囲む木と畳の香りを肺に収めた。


 懐かしさが、音と意味を持ってこぼれる。


「もう、出発の日なんだね」


 想像より短かった日々、けれど長い時を過ごした心地だ。


 朝早くクオに起こされて、冷たい水の目覚ましを掛けて、温かい味噌汁をすすりながら今日の予定を確かめる。


 ずっと昔から、そんな毎日を送ってきたように感じる。


 尤もそれは、そんな日々が僕の全てだったからだろう。

 ”ソウジュ”になる前の僕が何をしていたのか、僕は未だに思い出せていないから。


「……ふふ」


 ふと思い立って、窓を開ける。

 勢いよく冷や風が頬を撫でて、覆った手の甲に雪が一片融けてゆく。


「この空気も今日限りかぁ」


 風に裏返ったコートの裾を整える。

 木の隙間から昇る朝日が網膜を刺す。


「ソウジュ、準備は出来た?」

「うん、もう大丈夫」

「そう? じゃあ行こ! 時間は待ってくれないよっ!」


 場違いな温度が手首を包む。

 あの星空の下を思い出す構図だ、そう思うと胸の奥が暖かくなってくる。


 そのまま流れるように身体を引かれ、僕らは神社を後にする。


「…だけど、早くない?」

「だって時間が掛かるんだもん、今行かないと着くころは夜だよ!」


 一段一段、静かに踏んだ筈の足音が大きく響いて聞こえる。

 普段は何とも思わない石段、降り切った後の雪は硬く踏み固められていた。


 振り返る。

 見上げる。

 何気なく、頭を下げる。


「…何してるの?」

「神様への挨拶だよ。『行ってきます』ってね」

「おおー、じゃあクオもする! 神様、行ってきまーすっ!」

「あはは…」


 クオは相変わらずだな。

 得意げに揺れる尻尾がいつも通り可愛らしい。


「…なんで笑うの?」

「ううん…案外神様も、元気な子が好きかもしれないよね」

「……?」

「何でもないよ。行こうか」


 名残惜しさと流し目に、残り続ける神社の影。

 見えなくなった頃に、雪が降り始めた。




§



「そういえば、皆に挨拶はしなくて良かったの?」

「旅のことは前から言ってるし、見送り会とかも……そんなに得意じゃないし」

「へぇ、意外」


 こういう性格だから、パーティーとかも大好きだと思ってた。


 そっか、騒がしいのが苦手なのは僕と一緒だなぁ…


 ゆきまつりの時も、表彰式では揃って大人しくしていたし。

 優勝コンビなのにね。

 

「ソウジュこそ変だよ。リュックに詰めなくてもアレがあるのに…」

「そうだけどさ、旅してる感が欲しいじゃん」

「…そう? クオには分かんないや」


 雪玉を空に蹴っ飛ばすクオ。

 形そのままに落ちた球は、頭で砕けて飛散する白。


「お家に無いモノを見に行くのが、クオにとっての旅だから」


 ペロッと欠片を舌で融かして、美味しそうに飲み込む。


「…食べていいの?」

「作ったから、キレイ!」


 ならいいけど。

 

「…で、目的地は何処だったっけ?」

「ホートク。名物のスカイレースを見に行くんだよ!」

「ああ、前に言ってたやつだね」


 スカイレースとはその名の通り、フレンズたちが空を飛ぶ速さを競うとてもビッグなレース。


 ホッカイの名物を”ゆきまつり”とするなら、ホートクの名物は正にそれだ。

 どちらも長い歴史を持つ、由緒正しき催しなのだ。


 もちろん主役は鳥のフレンズ達だから、専ら僕らは観戦になるだろうね。


 でも楽しみだ、だってホッカイには鳥のフレンズが一人も……いや、二人はいたか。しかし彼女たちは飛べない。

 

 フレンズが飛ぶ。

 考えてみればそれは、とても興味深いことだ。


 果たしてヒトの姿形で、どんな風に安定した飛行を実現するのだろうか?


「ソウジュ、変なこと考えてない?」

「とんでもない、純粋な興味だよ」


 まあ、多少の憧れもある。

 いいなぁ、僕も空を飛べたらなぁ。


 妖術を使って何とか実現できないことだろうか。


「あ、出来るよ」

「えっ、本当…!?」

「でも難しいよ? 教科書の最後の方に載ってるから、あとで試してみたら?」


 いや、それで良い。

 むしろ難しくなければ拍子抜けと言うもの。

 

 いつの日か必ずや習得して、そして自在に空を飛んでみせよう。


 でもそうなると、スカイレースには参加できないかな。

 むしろそれ以前に、妖術の存在をどう説明するかが壁になってしまいそうだね。


 ……案外、すんなりと受け入れてくれたりして。


 まあ、一先ず置いておこう。


「ところで、スカイレースの日程は?」

「え、知らないよ」


 さも当然のように言い放つ。

 大胆を通り越して準備不足も甚だしい気がするのだけれど……


「…大丈夫なの?」

「もーまんたいっ! 始まるまで他のちほーを見てればいいでしょ?」

「あ、そっか」


 目的を達成するまで居場所を移してはいけない……そんなルールはない。


 そういう所を機転でカバーするのが旅だよね。

 すっかり失念していた。


「楽しみだね、スカイレース」

「うん、早く見てみたいなっ!」


 でも、この時の僕たちは知らなかった。


 ホートクへと着いた先に、あんな事件が待ち受けているなんて――




§



 まあそれは後の話。

 日は高く上り、影が長さを持たない時刻。


 朝から歩き続けた僕たちは、ホッカイとホートクの境界線に差し掛かっていた。


「ビックリしたよ、まさか境界を警護するラッキービーストがいるなんて」

「うぅ、まだ耳が痛いよぉ…」


 クオはぺたんと耳を伏せ、とても辛そうに涙を浮かべる。

 警備が発したさっきのサイレン、この子の大きい耳にはさぞや堪えたことだろう。


 ラッキービーストは境界を跨ごうとする僕らをセルリアンと誤認し、周囲に警戒を促すためのサイレンを流し始めたのだ。

 もちろん自分の誤報に気づくと、彼はサイレンを鳴らすことを止めてお詫びにジャパリまんをくれた。


 いいよ、それはいい。

 だけど鼓膜の傷は食べ物じゃ癒えないし、ガバガバな警備をした事実も消えない。


 極めつけに…なんだ、あのサイレンは。


 アレは言うなれば”地獄の歌声”。

 この世の全ての苦痛を融合したかのような狂気のサウンド。


 あんなものを間近で聞かされたクオには心の底から同情するし、ついでに後からやって来たセルリアンの相手も心底面倒だった。


「旅にトラブルは付き物、旅にトラブルは付き物、旅にトラブルは―――」


 取り憑かれたように同じフレーズを繰り返す。

 まるでサイレンの狂気に呑み込まれてしまったかのようだ。


 そんな様子が全く不思議に思えない程、アレは恐ろしかった。


「まあ…元気出して?」

「むり、もうだめ…」


 無茶、言っちゃったかな。

 だけどクオがこんな調子じゃ、僕も気が滅入ってしまう。


 ホートクとの境界線を跨ぐのは後にして、今はその辺の木陰で休んでいようかな。


「クオ、こっちおいで」

「…うん」


 しおらしく座り込むクオ。


 こう言っちゃ悪いけど、落ち込んだ姿もかわいいなぁ。


 特に元気なく垂れた尻尾。

 へなっとした感じがまた……おほん、何でもないや。


 クオの調子が戻るまで、しばらく休息していよう。

 

 妖の炎で暖を取りつつ、密かにまた降り始めた雪を眺める。


 しばらくそうしていると、向こうから誰かの足音が聞こえてきた。

 誰だろう、こんな場所に来るなんて。


「……あ、見つけました!」


 その子の声を聞いて、僕は耳を疑った。


「え、ダチョウ?」

「はい、みんなのダチョウですっ!」


 いや、誰のとかは知らないけど。

 とにかく、目の前に現れたのはダチョウだった。


「どうして…?」

「占いです!」

「…だよね」


 他に無いもん。

 可能性ってやつが。


「ずっと探しても見つからず……しかし、あのおぞましい音を聞いた瞬間もしかしてと思い、そして私はやって来たのです!」


 へぇ。

 案外あのサイレンも役に立つことがあるんだね。

 僕たちには害でしかなかったけどさ。


「あ、ダチョウちゃん…」


 途中から眠っていたクオが目を覚ます。

 いるはずのない彼女の姿に首を傾げつつも、思いっきり驚くほど目覚めてはいない様子だ。


 まあ、ダチョウはそんなのお構いなしだけどね。


「どうしてですかクオさん、水臭いですよっ!」

「んー…そんなに?」

「せめて一声掛けてください、寂しいじゃないですか」


 よく遊んでて、仲も良いからだよね。

 旅でしばらく会えないのは寂しいはず。

 

 むしろ、クオの方が意外にもサバサバしていた。

 ここに来て、まだまだ知ることが多いと感じるよ。


「そっか…ごめん。じゃあ言うね」


 でも頼み事を断るクオじゃない。

 

 ゆっくり立ち上がって、努めるように笑顔を作って、彼女は言う。


「ソウジュと一緒に、行ってきます」

「はい、楽しんできてくださいね」



 一緒に境界線を跨ぐ。


 向こうでダチョウが手を振っている。


 ここはホートク。


 僕たちの旅は、今本当に始まった。

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