第十五節 覚悟のおとり捜査
雲の向こうで月が輝く夜。
地上に届いた微かな明かりは、小さな灯篭の光に呑み込まれる。
背中に声が届く。
「……ソウジュ、起きてる?」
「寝てるよ」
「ふふ、うそつき」
布の擦れる音が聞こえる。
一瞬ドキッとしたけれど、布団が動いただけだったみたい。
「ねえ、こっちむいて」
「なに……む」
寝返りを打った僕のほっぺに、むにっと指が押し込まれる。
「えへへ…」
「…明日は早いんだから、寝ないと起きられないよ?」
早朝からホッキョクグマと待ち合わせ、日中に話し合った作戦を実行するつもりだ。
「わかってるよ。でも、緊張しちゃって」
「…だったら眠れるまで、今日のことを振り返ってみようか」
「……うん」
正直僕も、眠れなかった。
緊張もするよ。
だって、失敗できないんだから…
§
「…ふっ、そういうことか」
ホッキョクグマへの、『使う道具を教えて』という頼み。
彼女はそれを聞いて、すぐに僕の意図を察したように笑った。
「うん…頼める?」
「繰り返すが、構わん。皆の輝きを取り戻すためだ。だがそうすると、少し厄介な状況になるな…」
厄介とはどういうことだろう。
問いの答えはすぐに示された。
「私が使うのは……これだ」
「…え?」
ホッキョクグマは道具を出した。
…否、ずっと出し続けていた。
「嘘、本当に言ってる?」
「冗談など言うものか。常日頃より生活を共にするこの
…これは、確かに厄介だ。
話を聞いた僕は、ホッキョクグマの呟きにこれ以上なく共感した。
「え、えっ? 二人とも勝手に通じ合わないでよっ!?」
「ごめん、今から説明するね」
話は簡単。
相手の狙いが道具であるなら、餌として誰かの道具をこれ見よがしに置いておけばいいだけだ。
そして持ち帰っていく後を追えば、セルリアンの住処を割り出すことが出来る。
「でもそしたら、ホッキョクグマの武器が持っていかれちゃうよ?」
「そうなんだけど…ね」
僕らの道具はダメだ。
何故なら僕らが使うのは妖術だから。
物理的な形を持たない道具を、餌として使うことは考えるまでもなく不可能。
だったら、他のフレンズから借りてくるのも手だけど…
「構わん。これを差し出して終わらせられるならな。第一、向こうで取り返せば良いだけの話だろう?」
「……そうだね」
「なら、決まりだな」
§
翌朝。
クオよりもずっと早く起きた僕は、最近学んだ『
どうやらアレの繋がる先は共通の空間のようだ。
僕らが使う分には便利だけど、少し怖いね。
「……この辺かな」
僕が読んでいるのは妖術の指南書。
その中でも、尾行や追跡を補助する妖術が多く乗ったページに目を通している。
自分の気配を消す隠密。
敵の現在位置を常に察知する千里眼。
成功率を上げるために、付け焼刃だとしてもこれらの妖術を使ってみるのが有効なはずだ。
「多分、使えるよね」
消費妖力の目安も手軽。
制御にはかなりの自信があるから、問題は無いはず。
「……よし」
パタンと本を閉じる。
その時、後ろで扉の滑る音が聞こえた。
「ソウジュ、起きてたんだ」
「おはよう、クオ。よく眠れた?」
「うん…おかげでまだ眠いよぉ…」
それは眠れたというのかな。
まあいいや、そのうち嫌でも起きることになるし。
「ホッキョクグマが呼んでるよ。行こ?」
「そうだね、着替えをしてから」
「……ほぇ?」
とろんとした目で首を傾げる。
この調子だと気付いてないね。
「クオ、自分の服を見て」
「…あっ!」
僕の指摘を受けて、パジャマのまま起きてきたことをようやく悟ったクオ。
「その、えっと、そうじゃなくてね…!」
「先に行ってるから、早く着替えておいで?」
「わ、わかった…っ!」
あたふた慌てて、右向け右向け。踵を返して走り出すクオ。
「いたいっ!」
勢いあまって足をぶつけて、扉の枠が少し歪んだ。
「気を付けてねー?」
ちょっと不安だけど…まあ何も無いよね。
クオに言った通り、僕はホッキョクグマを迎えに外へ出ることにした。
――雲間の朝日に当てられて、照った毛皮は雪のよう。
その立ち姿は心中の覚悟を透かしているように見える。
そんな彼女も瞳の中には一抹の愛おしさを垣間見せ、間もなく一時の別れを迎える自分の
「おはよう、調子はどうだ?」
彼女は出てきた僕に気づいて、一言声を掛ける。
「悪くないよ、そっちは?」
「無論、万全だ」
ここに来てまで毅然としている彼女の姿に、僕の不安が薄れていくのを感じる。
まだ早いけど切に思う。
ホッキョクグマが味方に居てよかった。
「…クオはどうした?」
「あぁ、クオなら着替えてから……あ、来た」
忙しないリズムで奏でられる雪。
その音に僕は振り返る。
普段通りの恰好をしたクオが、息を切らせて立っていた。
「はぁ、はぁ…遅れてごめんっ! …待った?」
全く、デートじゃないんだから。
でも安心するよね、変わらない朗らかさっていうのも。
「揃ったな。忘れ物は無いか?」
「心配しないで、全部あるからっ!」
この『全部』とは文字通り。
例のアレから呼び出しできます。
「…よし、出発するぞ」
ホッキョクグマの洞窟に向かう途中、最後の擦り合わせを行う。
作戦の概要はこうだ。
まず洞窟の中に餌を置く。
僕たちは外の物陰に潜み、セルリアンが現れるのを待つ。
セルリアンが餌を持っていったら気付かれないように尾行し、住処を特定。
その後は向こうの戦力に応じて対応を講じる。
ごくシンプルな作戦。
だからこそ、事前に想定される穴も少なくはない。
「本当に来るの?」
「来るまで待つしかないよ」
「他の子の所に行っちゃったら?」
「奪われぬよう、常に目の届く場所に道具を置いておくよう促しておいた。まあ、最終的には祈るしかないが…」
「…バレない?」
「付け焼刃だけど、隠密の妖術を使ってみるよ」
ジャパリパークには誰かを追跡するために使えるものが少ない。
だからこうして、現行犯を追うしかない。
まだまだ至らない点は多いけど、きっとこれが今の最善だ。
「それと…これも思い付きだけど」
餌として使う武器に一つの妖術を掛ける。
さっき本で見たんだけど、運よくまだ覚えていた。
「隠密の逆だよ。気配を強くして、セルリアンをおびき寄せるんだ」
出来ることはした。
もう、待つだけだ。
§
「…なかなか来ないね」
「…うん」
草むらに隠れ、洞窟の監視を始めてから早一時間。
やはりと言うべきか、未だセルリアンの動向は音沙汰もない。
少しずつ、空のように視界が曇っていく。
「辛抱だ、奴らは必ずやって来る」
それでも彼女だけは、微塵も揺らぐことなくその時を待っている。
「…すごい自信だね」
「私がゆきまつりに向ける想い、その輝き。奴らとて、食わずに取っておくには惜しく思うだろうな」
…なんという豪胆さだ。
並外れた思い入れを持ちながら、その象徴と呼ぶべき道具をセルリアンの食卓の上に躊躇せず置いていくことが彼女には出来るのだ。
来れば、取られるのに。
必ず来ると、そうでなくては困ると言う。
そして、現実はその通りになる。
「…ねぇ、音がしない?」
クオが耳をピクっと揺らして、感じた気配を口にする。
「静かに。来たかもしれない」
「…いよいよか」
踏みにじられた雪はもう音を発さない。
一秒を極限まで引き延ばしたかのような緊張が空気を包む。
間もなく、ソレは現れた。
(……意外。そんなに大きくないね)
双眼鏡でよく観察して、セルリアンの特徴を頭に叩き込む。
戦闘になったとき、何が大きな脅威になりうるかを探るために。
(浮いてる……なんだろう、刃物みたいだ)
道具をコピーしたセルリアン。
なんと言うか予想通り。
見た目はそれほど強くなさそう。
先の鋭い攻撃が、唯一脅威となるくらいだろうか。
おとり捜査じゃなかったら、アレはもう倒されてたかもしれないね。
「…やはり、持ち出したな」
「追いかけよう、アイツは必ず住処へ向かうはず」
元から掛けていた隠密の妖術を強めて、セルリアンの後を追っていく。
クオは木々の間を跳びながら。
僕とホッキョクグマは地上に足跡を残しながら。
「……あぁ、怖いな」
「何故だ、奴の懐はもう目の前に迫っているぞ?」
「そう…なんだけどね」
ホッキョクグマの言う通り。
僕らはもうすぐ、あのセルリアンに王手を打つことが出来る。
でも…でも。
「アイツ、強そうじゃないんだよね…」
「…不思議だな。弱いことを怖がるのか?」
見る限り、あのセルリアンは並だ。
特別な強さなんて感じられない。
そんなセルリアンが、フレンズではなく道具だけを狙ったとはいえ、どうして今まで無事だったんだろう…?
「…それは、奴を追った先で分かるかもしれんな」
僕はまだ、敵の全てを掴めてはいない。
「それでも、恐れすぎないこと…か」
『大丈夫』とはまだ言えない。
でも、『大丈夫じゃない』とも言えない。
行こう、答えはここには無い。
歩きながら、覚悟を決めた。
次の一歩は、力強かった。
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