第二節 クオ先生の教育実習

「まずはここのページを読んで、話はそれからっ!」

「う、うん…」


 見開きにして渡された妖術の指南書。

 チラッと表紙を見てみると、『戦場を支配する「妖術」の技法』というタイトルが付けられていた。


(なんというか、好戦的なタイトルだなぁ…)


 それになんだか小難しそう。


 本当にクオの言う通りなのかな。

 妖術と聞くと、どうにも浮世から離れたイメージが抜けない。


 そんな疑問を抱える僕を、キラキラした目で見つめるクオ。

 彼女を悲しませたくないのもまた事実。


 どうせ何かが減る訳じゃないし…とようやく、僕は彼女に指定されたページを読み始めた。


 そこは前書き、入りの文。

 妖術に関する簡単な理解の方法が、読みやすい調子の文章で綴られていた。


 …案外、クオの言葉も嘘じゃなかったかもしれない。


「…どう?」

「”どう”って聞かれても…まあ、面白い本だね」


 聞かれたから率直にそう答えたけど、クオは不満げ。


「そうじゃなくってー……何かこう、イメージが湧いてきたりとかはないの?」


 どうやら、もっと別に欲しい答えがあったみたい。


 だけどそうは言われても…このページの文章のまま、小さな火がゆらゆら浮いているくらいの想像しか出来ないなあ。


 だって基礎って書いてるし、あくまで参考って書いてるし。


「えー…」


 それをそのまま伝えると、クオはあからさまに頬を膨らませた。


 先生なのに、それでいいの…?


「…まあいいや、次はこのページを開いて」

「う、うん…」


 突然ご機嫌斜めなクオに戸惑いつつも、今は先生だし指示には従っておく。


 しかしどうして、急に機嫌を損ねてしまったんだろう?

 一番目の授業に選んだことと関係があるのかな……例えば、特別な思い入れがあったり。


 授業の後にでも、機会があれば聞いてみよう。

 僕は次にクオが指したページを開いた。


(…これはまた、難しくなってきたね)


 今度は実践編の基礎。


 ごく簡単な妖術を行使し、妖力の流れと放出の方法を学ぶ―――と、見出しは付けられている。


 でも、まだ信じられない。


「本当に…妖術なんて使えるのかな…? 僕みたいな、普通の人にさ…」

「…ソウジュって、本当に普通の人?」

「…えっ?」


 突然の言葉に驚いて顔を上げたら、クオと目が合った。

 クオは、じっと僕のことを見つめている。


「そもそも…”普通の人”って、どこにいるの?」


 寸分も目を逸らさずに、彼女は僕に問いかける。


 彼女の言う通りかもしれない。

 ヒトなんて一人もいないこのパークで、”普通”なんて考えたってきっと意味は無い。


「…っ」


 ポンポンと、優しく肩を叩かれた。


「心配しないで、ソウジュ。もし出来なくても、その時は別のことを試せばいいだけなんだから」

「そう…だね。なら気楽にやってみるよ」

「うん、ファイトだよっ!」


 普通がないなら、せめて自分らしく。


 まだの欠片も掴めていないけど、それはこの本を読み進めていった先で見つけられる……かもしれない。


「ふぅー…」


 深呼吸をして、感覚に意識を注ぐ。

 瞼を閉じ、裏側に小さな炎を空想する。


 腕を突き出して、手の平の先に、一気に燃え上がらせるように力を込めて―――!


「…えいっ!」


 束の間の静寂。

 目を開けて、手の陰に隠れた結果を確かめる。


「あ、火…!」

「…成功だよ、ソウジュっ!」


 弱々しく、宙に浮いて咲く火花。


 その可憐な姿が見えたのは数秒、境内を吹き抜ける風が花びらを吹き飛ばすように消し去ってしまった。


 仄かな熱は消え元通り。

 でも、それは見た目だけの話だ。


 目に焼き付いたあの色は、まだ消えていない。


「やった…僕にも、使えた」

「ソウジュっ!」


 静かに喜びを噛みしめる僕の所に、クオがはしゃいで駆け寄ってくる。

 まるで自分のことのように、この小さな成功を喜んでくれた。


「初めてなのにすごいよ! 最初の時のクオなんて、さっきくらいの火を出すのにも日が暮れちゃったんだよ?」

「え、そうなの…?」


 キラキラ輝く彼女の目。

 僕の胸の中にも、その瞳と同じように輝く期待が生まれつつあった。


「才能あるよ、ゼッタイ。 このまま続けていけば、いつかド派手な妖術も使えるようになるって!」

「ド派手な妖術…!」

 

 そしてクオの言葉が、僕の子供心を突っついた。


 「ド派手な妖術を見てみたい、そしてあわよくば自分で使ってみたい」という抑えようのない童心が、最後の一押しになった。


 そんなこんなで妖術を、この魔訶不思議な技術を自分なりに突き詰めていこうと、僕は決心するに至ったのだ。



§



 氷、水、風、雷。


 初歩の火の妖術の後にやったのは、”属性”を変えて妖術を行使してみると言う、いわゆる簡単な応用だった。

 どれも火の術と同じくらいの難しさで、さして苦労せずにこなしていけた。


 やっぱりコレ、僕に向いてるかも。


 因みに、人によって属性ごとに向き不向きがある―――ということは教科書曰く無いらしく、むしろ手こずるのは属性の複合や素早い切り替えといった制御に関わる部分らしい。


 それはさておき、初歩をトントン拍子に進めていく中。


 ふと思考の中にクエスチョンマークが一つ、ふわりと浮かんできた。


「…ところで、さ」

「ん、なーに?」

「クオさ、ちゃんと先生してる?」


 なんの思慮もなくその疑問を口にした、途端。


「うっ……!」 


 かちーん。


 雲一つない寒空の下、クオは固まってしまった。


「えっと…クオ?」

「……」


 肩を叩いても反応なし。

 尻尾を撫でても何も無し。

 尻尾に至っては毛先までカチコチという徹底ぶり。


 でも、少しすればは融けた。

 ギギギ…と軋む音が聞こえそうなほどぎこちない動きで、クオはゆっくりと僕を見る。


「だって、すぐ成功しちゃうじゃん。もし失敗したら、コツを教えてあげようと思ってたし…? でもソウジュの覚えが良すぎるから、何も出来なくて……うぅ、ぐすん…!」


 溢れんばかりの涙。

 だけどそれは、『調子よく覚えすぎちゃダメ』と言っているようなもの。


 そんなこと言われても……と頭では思っていても、目の前でクオが泣き出した衝撃には敵わない。 


「ご、ごめん、分からなくって…!」


 しどろもどろな言葉を振り回し、クオを宥めようと僕が慌てだした次の瞬間。


「…えへへ、冗談だよ」


 それまでの涙が全て幻であったかのように…ケロッと、クオは泣き止んだ。


「う、嘘泣きだったのっ!?」

「騙してごめんね。でも、ソウジュがあんなこと言うから…」


 一瞬で相手を化かす恐ろしき嘘泣き術、”流石キツネ”と言っても失礼にはならないよね。

 さっきは面食らったけど、嘘泣きならそれはそれで気が楽だ。


 あと、気になる事はまだ別にある。

 だけどこのタイミングで訊いてしまっても良いかも知れない。


「気のせいかもしれないけど……なんとなく、クオが妖術に拘っている気がするんだ。もし理由があって、クオが良ければ…聞かせてくれないかな?」

「…あはは、気付かれちゃってたんだね」


 観念したように両手を上げて、キツネの石像に背中を預ける。


 手招きをして、”他の子には内緒だよ”と念押しをして、クオは話し始めた。


「…こう見えてクオ、妖術が下手なんだ」

「え、そうなの? 」


 それは意外だ。


 キツネと言えば、妖術を巧みに操って人を化かすイメージが……なぜか、ある。


「でも、あのを出すのは使えてるよね…?」

「『収納用虚空間あれ』は、とっても簡単にできてるの。エネルギーさえ足りれば、ソウジュにだってすぐ使えるはずだよ」


 そうだったんだ。

 じゃあ、今後の訓練次第ってことかな。


「クオが出来ないのは、妖術のコントロール。エネルギーを込められても、それを抑え込む才能がなかったんだ」


 試しにと言って、クオは向こうの空に大掛かりな術を描いてみせた。


「綺麗…」

「あはは、今はね」


 クオの言葉通り、初めは規則正しく幾何学模様の線が広がっていた。


 だけどすぐに、素人の僕にも分かるくらい制御は乱れていって。十数秒もしないうちに、最初の美しさの片鱗もなく術は破綻してしまった。


「あっ…」


 落胆する僕に比べて、クオの反応は淡白で。


「……やっぱりね」


 そう呟いた顔は寂しげだった。


「だから、ソウジュに才能があってよかった。今まで埃を被ってた呪文書たちも、これで日の目を見られるもん!」


 頭を振り涙を払って、明るい笑顔でクオはそう言う。


 けれど、自分で使ってみたいとは思ってないのかな。


「出来ることなら、クオもやってみたいけど」

「……」


 心を読んだような独り言に掛ける言葉はない。


 まだ数日、を結んだとは言え、僕はクオのことをほとんど知れていないから。


「……さ、切り替えて次に行こっか! 次は少し大きい術に挑戦してもらうよ」

「う、うん…」


 急かすようにページを開いてグイグイと押し付けてくるクオに、僕はただ頷いて本を受け取る。


「イメージはここを見て、まずは形を宙に作って」

「こう…だね」


 簡単なのを何度もこなすうちに、基礎の感覚は掴めた。

 意識を集中させれば、このくらいの式の構築なら何とかいける。


「じゃあ少し力んで、術にエネルギーを多めに注いでみて。集中して…”これ以上は抑えきれない”って感じたらやめて、一気に放出するの」

「そう、すると…?」

「注いだエネルギーの量で、出てくる火の大きさが変わるんだよ」


 なるほど。

 普通に攻撃にも使えるし、こうして制御の限界を知ることも出来ると。


「じゃあ、やってみる」


 まずは集中。

 左手で式が崩れないように抑えて、右手から注ぎ込むイメージで。

 ゆっくりと、術式の中を妖力で満たしていく。


(そろそろかな…いや、もう少しいける)


「…慎重に入れてるのかな」


(……あ、限界かも知れない)


 前触れなく、急に襲って来た倦怠感。

 これは、制御の限界が近づいているからに違いない。


 僕はエネルギーを注ぐのを止め、クオが言った通り一気に術を解き放った。


「…はぁっ!」


 目の前に、さっきよりも大きい炎が立ち昇る。


「ふふ、中々だね」


 これは、成功だ。

 クオの反応を見て、僕は確信した。

 


「や、やったぁ……って、あれぇ…?」



 ガッツポーズを取ろう腕を突き上げた瞬間、世界がぐわんぐわんと動き始めた。


「ソウジュ……しっかりして、ソウジュっ!?」

「あっ…」


 視界はぐちゃぐちゃで、僕を呼ぶクオの声もぐにゃぐにゃになって。


 そして一瞬、世界が真っ青に変わったかと思った次の瞬間。

 


 ―――目の前が真っ暗になった。


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