第三節 単純に言えば、妖力切れ

『うふふ……』


『全く、兄さまは無茶ばかりなさるんですから…』


『身体を大事にしないと、いくら兄さまと言えども…』



『…死んでしまいますよ?』




§



「あ、あれ…?」


 目を覚ますと、僕は布団の上に寝ていた。

 夜なのか外はもう暗く、枕元にあったランタンが無いと手元もよく見えない。


「うっ…何してたんだっけ」


 ズキズキ痛む頭を抑えて、僕は日中のことを思い出そうとした。

 ゆっくりと、気を失う前の記憶が映像を伴って蘇ってくる。


 そうだ。僕は、クオに妖術の手ほどきを受けていたんだった。

 その途中で、突然めまいに襲われてしまって……


 きっとクオが、倒れた僕をここまで運んできてくれたんだろう。


 …それと何か、夢を見ていた気がする。


「ソウジュ、起きたの…?」


 扉を開けて、クオが部屋に入ってきた。


 彼女もさっきまで寝ていたらしく、頭のてっぺんに伸びるアホ毛は昼間以上に元気な様子だ。夜行性なのかな。


「あ、起こしちゃった?」

「ん…まあ、そうだね…」


 否定はしないみたい。

 目元をこすって大きなあくび…確かに眠そうだ。


「僕のこと、運んでくれたんだよね」

「だいじょぶ、軽かった…」


 こくこく、ふるふる、頭を揺らす。

 そろそろ眠気も払えてきたのか、目つきが段々しっかりしてきた。


「…迷惑掛けちゃったね。でも、ありがとう」

「そんな、全然だよ。まあ、けっこう心配したけど…」


 ほっぺを掻きながらそっぽを向くクオは、照れながらも安心した様子だ。


 恥ずかしさを隠すように、彼女はわざとらしく話題を逸らす。

 

「ソウジュ、お腹空いたでしょ? お昼から何も食べてないもんね」

「確かに、何だかお腹が寂しいかも」

「待ってて、すぐ持ってくるから」


 戻って来たクオの手には赤いジャパリまん。


 飲み物も欲しいとわがままを言うと、間もなくジャパリソーダなる炭酸水を持って来てくれた。

 美味しいけど、夜に炭酸水って。


 やれやれ、しっかり歯磨きしなきゃだね。


「ふぅ、ごちそうさま」


 何はともあれ、お腹は膨れた。


 だからこれから…何をしよう。

 しまった、もう真夜中だ。

 

「…まあいいや、寝よ」


 倒れた理由は気になるけど……今は大丈夫だし、多分急ぐことはない。


 それよりも眠い。

 たっぷり睡眠したはずなのに眠い。

 こっちの方が緊急事態だ。早急に対策を取らなければならない。


「あ、寝ちゃう?」

「うん、歯磨きだけして寝ることにするよ」

「そっか。じゃあおやすみ、ソウジュ」

「おやすみ、クオ。また明日」




§



 翌朝。


「おはよー、朝だよーっ!」

「んぇ…?」


 鈴を転がすような声を上げ、クオがやって来た。


「おは―――っ!?」


 ぐぐっと体を起こすや否や、それが何かを確認する暇もなく冷たいタオルを顔に押し当てられる。


「おはよう、目は覚めた?」

「ぷはあっ…! さ、覚めたね、ものすごく…!」


 冷たいタオルは以前の教訓を活かしたものなのか、ならば彼女の目論見通り僕の意識は透き通る水晶のごとく明快になっている。


 だけど、それにしてもあまりにも冷たい。


 まさか、雪解け水でも使ったの?


 この際だから文句の一つでも言ってみようかと僕は顔を上げた。


「……」

「ふふ、どうしたの?」


 だけど、クオと目が合った瞬間。


「…なんでもない」


 そんな気持ちはまさに、春に溶けだす雪のように融けて無くなってしまった。

 

(…なんでだろ)


 目が合う直前までは、確かにあったはずなのに。


 コンマ一秒の後には、幻のごとく消え失せていた。


 クオが純粋な目をしていなければ化かされたのではと疑ってしまう程の心変わり、むしろ本当に僕の思った通りかもしれない。


 あの出会いからずっと、何となくだけど、彼女に心が惹かれているような気がして。


(でも、違う…)


 それは命を助けられたから。

 凍える温度の中であんな出会いをしてしまったから。


 クオの笑顔があまりにも晴れやかだから。

 まだ、暖かさに慣れていないだけだから。


 きっと、一時の熱病に過ぎない。


(……)


 冷たいタオルを、もう一度。

 熱が収まる気配はない。


「あれ、まだ眠い?」

「ううん、もうパッチリ」


 ま、気持ち良かったからいいけどね。


「朝ご飯はもう出来てるから、お着がえしたら来てねっ!」

「うん、わかった」


 そして心のどこかには、この状況を楽しんでいる自分がいる。


 彼は言うのだ。


 きっと時間と共に消えてしまう感情なのだから、望むままに振舞ってしまえばいいのだと。


 どうだろう、どうすればいいのかな。


 温かいお味噌汁をすすりながら、答えは思い浮かばなかった。


 ただただ、美味しいだけだった。




§



「起立、気を付け、礼! 今日の授業を始めるよっ!」

「う、うん…」


 良いのかな。

 起立も気を付けも礼もしなかったけど。


「今日はソウジュの体調を考えて、妖術の授業はお休み」

「それなんだけど、どうして僕は倒れたの?」


 一応手を挙げて聞いてみる。

 いい質問だねと、なぜかクオが得意げに頷いた。


「それを知るために、今日は”妖力”についての座学にするよ」


 なるほど。妖力が原因かあ。

 だったら知識が空っぽのまま聞くより、まとめて教えてもらった方が効率的だね。


 まあ、クオは別のことに気を取られていたけど。


「ねぇ聞いた? ”座学”だって! クオ、賢い感じ出てるかな…?」

「先生なんだよ、賢いに決まってるじゃん」

「だよね、そうだよねっ!」


 僕の返答もあわせて、クオは大層ご満悦だ。

 浮かれすぎて、教える内容を飛ばしたりしないと良いけど。


 そんなこんなで授業が始まった……んだけど、案の定と言うべきか途中で世間話が入ったりして長くなったからバッサリと割愛。


 ノートに要点を記しておいたので、それを今のうちにもう一度振り返っておこう。

 復習は大事だからね。



 『妖力とは』


・ざっくりと言えばエネルギーの一種

・主に妖術を使う時に消費、だけど別の用途にも使う

・大体みんな身体の中に持っている


 ↓重要

・切らすと気を失ったり、意識があっても行動不能になったりする


・食事をしたり休んだり、体力を回復させれば自然と妖力も戻ってくる

・訓練をすれば使える妖力の量も増える


 ↓これも重要…かな?

・ただし妖力の上限は妖術の威力にあまり影響せず、むしろ相関するのは強い感情を持っているかどうか



 以上、おおよそこんな感じ。


 例えるなら、ゲームによくあるMPみたいなものだね。



「昨日僕が倒れたのは、妖力が切れちゃったから?」

「うん。普通は起きないことのはずなんだけど…」


 とどのつまり、普通じゃなかったと。

 

 コントロール能力を測るために使ったあの妖術。

 クオが初めて使った時は、1割も注がないうちに抑えるのが厳しくなってしまったらしい。


 だから、クオは妖力切れを起こさなかった。


「でも、僕は倒れた」

「予想外だったんだ。まさか、ソウジュが自分の限界以上の妖力を扱えるなんて思わなくって……」


 なるほど、つまり僕はすごいんだねっ!


 ……喜んでいいこと、だよね?


「うん、悪いことじゃないよ。ただし、危なくはあるかな」


 クオの言う通りだ。


 制御の限界が妖力の最大容量を超えているということは、昨日のような事がこの先何度も起こりうるということ。


 だから僕は――少なくとも妖力の容量が少ないうちは――残りの妖力がどれほど残っているかに気を配らないといけない。


 戦いの最中にぶっ倒れただなんて、笑い話にもならない。


 ……笑い話に出来る未来さえ、来なくなるかもしれない。


「まあ、今のうちは大丈夫だよ。消費の少ない簡単なものだけを選んで教えてあげるから」


 仕方ない、昨日の出来事はまさに予想外。

 きっとこれからは、クオもうまく対応してくれることだろう。


 でも、想像してみたんだ。


 もしもクオがピンチになって、僕が昏倒覚悟で妖術を使って、彼女を助けられるとしたら…


(…ううん、違うよね)


 ヒーローになりたいわけじゃない。


 そんなことしてたら身が持たないもの、賢く切り抜ける術を覚えなきゃ。


 そのための、知識だもんね。



「じゃあ、そろそろ二時間目の授業を始めるよ」


 そう言ってクオが教卓の本を手に取ると、外からガランガランと鈴の音が聞こえてくる。


「ごめんくださーい。クオさん、居ますかー?」


 神社の鈴を揺さぶり、クオの所在を尋ねる言葉。

 僕にとって、初めての来客だ。


「あ、あの声は…」

「もしかして知り合い?」


 迎えに行こうとするクオを呼び止めて、尋ねる。


「そうだよ。丁度良かった、ソウジュにも紹介しようと思ってたから」

「へぇ…どんな子?」


 くるり。

 癖のついた髪の毛を優雅に揺らしながら振り返って。


「うーんと……”元気な占い師さん”、かな」


 クオは唇に指を当て、にこりと含みのある笑顔で答えた。

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