壱の章 奇妙な双子のゆきまつり

第一節 旅立つために必要なこと

「……なにこれ?」


 例の約束を交わした次の日。


 僕の朝は、本の山が崩れ落ちてくることによって始まった。


「う、動けない…」


 途方もなく長い時間を掛けて集積された知識の重圧は凄まじく、容赦なく僕の全身を抑え込む。


 大方、夜のうちにクオが持って来て積んだんだと思うけど、部屋の隅に置いといて良かったんじゃないかな…?


 辛うじて動く首を必死に回して見てみると、どれもこれも分厚い本ばかりだ。

 

「せめて、腕だけでも…っ!」


 海をかき分け、腕を突き出し、本を少しづつどかして起きる。


 まさかジャパリパーク二回目の朝にして、こんな試練が襲い掛かってくるとは夢にも思わなかった。


 忘れないうちに言っておくと、今朝は化け物から逃げる夢を見たよ。

 きっと、写真で見せてもらったセルリアンのイメージが頭に強く残ったせいだと思う。


「敵は、セルリアンだけじゃないってことだね…」


 苦節十数分。

 ようやく本の海から這い上がった僕は、そんな冗談を口にした。


「おはようソウジュ…ってわわ、大丈夫!?」

「ああ、おはよう。まあ、なんとか大丈夫だよ」


 あたふたと慌てるクオを宥めて、ひとまず一緒に本を片づける。


 全部まとめて部屋の隅に積み直した後、お茶とジャパリまんを口にしながら改めてクオに事情を尋ねた。


「…それで、あの本たちは?」

「えっとね……動物図鑑と歴史の本と、サバイバル術の本。それに航海術に占星術、あと魔法と妖術と呪術と奇術と……」

「ま、待って? そんなに沢山、何に使うの…?」


 自然と頭に浮かんだ疑問を、何気なく尋ねた次の瞬間。


 …ドォンッ!


「っ…!?」


 けたたましい音が鳴り、震動でちゃぶ台の上のペンが転げ落ちた。


「これはね、必要なんだよっ! 旅っていうのは、生半可な知識と覚悟でやっていいことじゃないの!」

「ご、ごめん…知らなくて…」


 反射的に身体を縮めてしまう程の、恐ろしい気迫。


 改めて思ったよ。

 クオが"旅"に向ける想いは、並大抵のものじゃないんだね。


「……ううん、大丈夫。これから身に着ければ良いんだから」

「これを、全部…?」

「ちゃんと覚える必要はないよ。必要な本は持っていくから、どの本に何があるかさえ分かっていれば大丈夫」


 さも簡単なことのようにクオは言う。

 言いながら、積んである本の方へと足を運ぶ。


「持っていくって、こんな量……」


 流石に無理じゃない…?


 そう言おうとした僕の口は、を見て開いたままに固まった。


「…ん、どうかした?」

「ううん、なんでもない」


 空中に浮かぶ奇妙な穴。

 その中にポイポイと本を放り込んでいくクオ。

 さっきまでの様子が嘘のように消えてしまった本の山。


 ……全ての本を呑み込んでから、穴はしぼんで姿を消した。


「そのって、どこでも出せるの?」

「うん、使えるけものプラズム妖力が残ってればね」

「じゃあ、最初から全部入れておけば良かったんじゃ…」

「それが、そうも行かないんだ。中に入れると、本棚みたいな整理が出来なくって」

「…なるほど」


 正直、その穴を出現させる原理のところから詳しく問いただしたい気持ちでいっぱいだけど……


「じゃあ、本は持っていけるんだね」

「うん、見たい本があったらいつでも言ってね!」

「あはは、そうするよ…」


 少なくとも、それをすれば向こう一か月は潰れそうだ。


 色々なものを守るため、僕は”そういうもの”として納得することにした。



§



「というわけで、授業を始めるよっ!」

「あ、うん…」


 みかん箱の教卓に立ち、クオはピシャリと鞭を取る。

 箸と段ボールが間の抜けた音を響かせれば、どうしてか僕の背筋は伸びてしまった。


 ほっぺを引っ張ってみたくなるほど得意げな顔で、彼女は僕に問う。


「早速質問なんだけど、ソウジュは『旅』にとって大切なことって何だと思う?」

「んー…えーと、目的?」

「ふむふむ、ソウジュはそう思うんだね」


 何度も頷きながら、箸を手にペチペチと当てつつクオは部屋の中を歩き回る。

 さながらベテランの教授がするような仕草で、身も心も入り込んでいるんだなと感じた。


 そんな風格を感じさせるクオの様子に、僕の緊張は更に高まっていく。


「確かに、旅に目的は欠かせないよ。目的がなかったら、ただ宛もなくそこら辺を歩き回ってるのと同じだもん」


 よかった、好感触みたいだ。

 段々とボルテージの高鳴っていた緊張と拍動は、クオのこの言葉のおかげで収まっていく。


「ふふ……いいね、良い心構えだよっ」

「あはは、ありがとう」


 黒いマーカーの蓋を開け、気が付けばあったホワイトボードに文字を書く。

 トントンと文字を指し示しつつ、クオはハッキリ目的を言った。


「クオの夢は”世界を知ること”。とにかく色んな場所に行って、沢山のことを知りたいの」


 眩しかった。

 一点の迷いもなく、自分の夢を語ることが出来る彼女の姿が。


「僕は…えっと…クオの付き添い?」

「あはは、今はそれでいいよ!」


 羨ましいな。クオはこれでいいって言ってくれたけど。


 僕も欲しいな…クオと同じくらい、強い想いが。



「…でもね、旅って、心構えだけじゃ出来ないんだ」


 ガラリ、暗転を挟んだように大きく表情を変えて、クオの語りは真剣なものになった。


「昨日見せたよね、セルリアンの写真。でも、アレはまだ弱い方なの。パークには、もっと強くて危ないセルリアンが沢山いる」


 出した写真は昨日見たもの。

 木々の隙間から撮られたであろう、そっぽを向いている黄色いセルリアンの写真。


 とんでもない衝撃を受けた。


 写っているのはテープのように平べったく、ゲームに出ていれば大して恐ろしくもなさそうな姿形の怪物。

 なのに、これが現実にいる存在なのだと告げられた途端、有り得ないはずの恐怖心が僕の中に湧き出してきた。


 今見ても、とても不気味だ。

 だけどクオは、それだけじゃないと言う。


「危ないのはセルリアンだけじゃない。クオたちの棲むこの大自然も、時にはクオたちに牙を剥いて襲い掛かって来るの」


 自然。

 なんとなく、良いものだと考えてしまうけど……クオの言う通り、味方とは限らない。


 僕は知っている、嫌というほど理解させられている。つい二日前、僕はその自然の中で凍えて死んでしまうところだったんだから。


 呑気でいては、生きられないんだ。


「だから、知識が必要なの。そして、戦う力も持ってなきゃいけない」

「…戦う、力?」

「そう、身を守るための力。例えばクオは、この”刀”っていう武器を使ってる。まあ、斬るのはセルリアンだけだよ」


 スッと、穴の中から長い刀を取り出すクオ。

 鞘から静かに刃を抜いて、少し見せてから元に戻す。


「っ…!」


 じっくり見えたのはごく数秒。

 だけどその僅かな時間だけで、僕はその刀が持つオーラに気圧されてしまった。


 本当にことの出来る刀って…ああいう空気を出すんだね。


「それで、僕は?」

「そうだね~…ソウジュは、何が得意?」


 得意なこと…か。


 何があるかな、にやって来たことの中で、何か上手くできた試しのあること。


 に…やったこと…


「……あの」

「ごっ、ごめんっ! 今のは、クオが悪かったね。大丈夫、一つずつ試していこっ?」

「う、うん…」



§



「じゃあ、早速始めるよ」


 動きやすい服に替わって、石畳の上で準備運動。

 かなり早くも座学じゃなくて、実際に身体を動かす授業が始まるみたい。


「ふふふ、何にしようかな~」


 例の穴を出現させて、かき回すようにお目当てのものを探すクオ。

 やっぱり、本は使うんだね。


「やっぱり最初だし、馴染みやすいのが良いかなぁ」


(となると…野草の知識とかかな。辺りの草はみんな雪被っちゃってるけど)


 何を教えてもらえるんだろう、なんだかワクワクしてきちゃった。


「…ん、これにしよう」


 お、決まったみたい。

 どんな授業か、楽しみだなぁ。 


 そんな風に、僕は期待した。そして忘れていた。

 出会って最初のお願いの時、クオがどんな風に僕の予想を裏切ったのか。


 僕は思う。クオは…すごいよ。


 元気よく本は引き抜かれ、最初のが現れた。


「まずは一つ目……妖術の授業っ!」

「よ、妖術っ!?」


 そう。


 無尽蔵の穴から飛び出してきたのは、”馴染みやすい”という言葉から遠くかけ離れた『妖術』の授業。

 

「だ、大丈夫なの…?」

「安心して、全然難しくないからっ!」

「ほ、本当…?」


 ワクワク気分は落ちて一瞬、大きな不安がのしかかる。


 でも、この時の僕は知らなかった。


 この日、この瞬間に巡り合った”妖術”こそが、前途多難な僕たちの旅を幾度となく救ってくれる救世主になることを。

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