結節 祈りを込めて、キミに名前を
ちゃぶ台の上に、ペンと紙。
若干しわのついた紙の上には、描きかけのまま放り出された稚拙な部屋のスケッチが形作られている。
あまりに暇だから描いてみたんだけど、絵とかよく分かんないし飽きてしまった。
――と、そこまで紙に書いて、僕はまたペンを置いた。
「……暇だな」
なんとなく空気の流れが欲しくて障子を開けてみると、雪に冷やされた空気が外から一気になだれ込んでくる。
「うっ…!」
僕はすかさず身震いをして、袖に手を半分ほど隠しながら障子を閉めた。
所謂”萌え袖”ってやつだけど、どうしてこんな物ばかり知っているのだろうか。
自分が持つ記憶の偏りに呆れを覚えつつ、やはり寒いので僕は一度脱ぎ捨てた上着をまた羽織った。
「あ、あれ…」
さっきの寒気…もとい換気で部屋の気温が下がりすぎたのか、上着を足しても暖かさが足りない。
仕方なく僕は布団に潜って、クオが戻ってくるのを大人しく待つことに決めた。
「あーあ、いつになるかな」
つい先程クオとしたばかりのやり取りを思い出しつつ、布団の温もりに包まれた僕の意識は、うつらうつらと融かされてゆく。
§
「これからよろしくね、クオ」
「うん、よろしく! えっと………あれ?」
紆余曲折と指切りの後。
心機一転して始められるはずの旅に、いきなりの『待った』が飛んできた。
「どうしよう、名前が無いと呼びづらいよね?」
そう言えばそうだった。クオの”お願い”のインパクトに負けて薄れていたけど、僕は名前を忘れている。
これから一緒に旅をするんだし、何かしらの呼び名が無いと不便だよね。
さて、何が良いかな。
「ねぇ、何か思いつく?」
「…ごめん、僕はさっぱりだ」
空っぽ、真っ白、雪のごとく。
名前の”な”の字も浮かんでこない。
「そっかぁ…じゃあ、クオに任せてっ!」
「えっ、クオが考えてくれるの?」
「うん! とびっきりに良い名前を探してきてあげる!」
親指を立ててニコニコのクオ。
数分前までの寂しさは抜けきったようで宜しいことである。
「探す…ってどういうこと?」
「向こうのお部屋にね、本がたくさん置いてあるんだ。本当に色々揃ってるから、名前の本もあるはずだよ!」
「じゃあ、僕が探すよ。なんでもかんでもクオに任せちゃ……わわっ」
立ち上がろうとしたところ、肩をガシッと掴まれた。
その手の動きはとても素早く、人間業とは思えない。
…あ、キツネか。
しかし、僕の驚きはこれだけに留まらない。
なんということだろう。華奢な女の子のものとは思えない力で、僕は無理やりに座らされてしまったのだ。
突然のことに戸惑う僕に、クオが言う。
「……名前はね、祈りを込めて、大切な誰かに付けてあげるものなの。だから、クオに任せて欲しいな」
「そう、なの…?」
誰かに名付けたことがないから、よく分からない感覚だ。
でも、クオが言うならそうなのかもしれない。僕は、その言葉を信じることにした。
「クオの名前も、お母さんに付けてもらったものなんだ」
最後にそんな言葉も残しつつ、クオは名前探しの小さな旅に出かけていった。
その言葉は、僕の耳の奥深くに引っ掛かる。
「……そっか」
そりゃあ、いるよね。
でも、さっきのクオは、なんだか暗い表情をしていたような気がする。
もしかして……もう、いないのかな。
「そう思ってみればここ、クオ以外誰の気配もしないような……」
考えるほどに、疑問は出てくる。
でも、本人に直接尋ねる訳にはいかない。
何かあるとも限らないし、実際にあったところで解決する算段も無いし。
「だから、まずはこの環境に慣れないとね」
ジャパリパーク。フレンズ。サンドスター。セルリアン。
クオに聞いた言葉がまだ頭の中で上手く繋がっていないけど、理解できるのもきっと時間の問題だ。
それに…まっさらな状態だからこそ、却って適応しやすいかもしれないもんね。
「忘れててよかった~…とは、あんまり思わないかな」
それと、もう一つ。
「……お母さん、か」
僕にも、居るのかな?
普通に考えれば居るはずなんだけど、なんだか信じられない。
もし居るとしたら、何をしてるのかな。
僕のこと、心配してくれてるのかな。
それなら、どうして僕はここに一人きりなんだろう……?
「んー……分かんない」
多分、考えるだけ無駄なんだ。
考えて気を滅入らせるくらいなら、お部屋のスケッチでも描いていた方がきっとマシだろう。
そんな訳でペンと紙を引っ張り出して、絵を描いてみてすぐ飽きて‥…そして、冒頭に至る。
うつらうつら。
夢の中で行動を辿りながら、夢の中でさえ眠りに就こうとした僕は―――
§
「―――て、―きて」
「…んん?」
「ねぇ、起きてってばっ!」
――クオに身体を揺さぶられて、ごろんと布団から床に落ちながら目を覚ました。
「あ、あぁ……寝ちゃってたんだ」
身体を伸ばして眠気を抜いて、身体を起こして座り込む。
クオは手を後ろに組みながら、そんな僕の様子を楽しそうに眺めていた。
「名前…決まったんだね?」
「…うん」
そう頷いたクオは、緊張している様子だ。きっとそれだけ、強い責任を感じているのだろう。
かく言う僕も、いざ誰かに名前を付けるとなれば、生半可な気持ちでは出来ないと思う。
唇を噛んで、深呼吸。
もう、その時が来た。
「じゃあ、改めて」
今度は、手を差し出してきて。
「これからよろしくね、ソウジュ」
ぎゅっと、固く、握手を交わした。
「……良い、名前だね」
「えへへ、そう言ってくれると嬉しいな」
付けられた僕が言うのも不思議な話だけど。
それでも、素直に良いと思えたから。
「ありがとう、クオ」
「どういたしまして、ソウジュ!」
何度も何度も、名前を呼び合う。
新しく貰ったおもちゃを、気が済むまで遊び倒すように。
ぱたん。
クオの後ろ手から、本が音を立てて落ちる。
「ん…?」
「あっ…気にしないで、何でもないからっ!」
「そう…?」
クオが慌てて隠すので、何の本かは分からなかった。
名付けに使った本なのかな、だったら別に隠す必要も無いと思うんだけど…
「……ふぅ、危なかった」
急いで隠した座布団の下。
偶然開いた絵本のページが、そのままにして隠されている。
そこにあるのは絵本の結末。
探検の末に辿り着いた森の最奥。
背を伸ばすうちに絡まりあい、まるで一つの樹のように立ち聳える二本の樹。その目の前で指切りをして、”ずっと一緒に居よう”と約束を交わした双子。
そんな偶然は、誰も知らない。
「ソウジュ、少しお散歩しない?」
「…座りっぱなしも、良くないかぁ」
眩しいくらいの銀世界。
右も左も行く先も、何も見えない未知の世界。
だけど振り返ってみれば、わずかばかりの足跡がある。
そうだ。心配することなんてない。
これから沢山、
だからもう一歩、勢いよく、深い足跡を雪に残した。
「ねぇ、クオ」
「どうしたの、ソウジュ?」
「……脚、抜けなくなっちゃった」
「もう、ソウジュったらはしゃぎ過ぎっ!」
……残し方だけは、気を付けなきゃかな。
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