泣いた男
きさまる
泣いた男
「あんた、一体ここで何をしていなさるのかね?」
「待っています。……
男はそう言って再び笛を吹こうとした。
「九尾の狐はもう退治し尽くされたって言う話だがよ、それでもここはまだ物の怪が多いところだから、あんた、悪いことは言わねえ。早いとこお帰んなさい」
「どうも
「それじゃあ、まあ。あんたがそう言うんなら。
ああそうだ、おら、七日に一度、そう、昼間のちょうど今頃はここを通るがよ。あんた、充分気い付けなされや」
そう言って、彼に声をかけてきた人の良さそうな行商人は、森の外を回る道に向かって歩いていった。彼が去ってからしばらく
森へ入る道のすぐ脇にある、やや大きな岩の上に腰掛けていた男は、行商人の姿が見えなくなるまで彼を見守っていたが、やがて、膝の上においていた横笛を手に取り、また静かに笛を吹き始めた。あたかも今の男の存在は、
全ては行商人がくる前と変わらなかった。
森の入り口あたりで
「おぬし、そこで一体何をしておる?」
「……待っています」
「ほう?
声をかけてきたのは、鼻が高く、背に翼の生えた赤ら顔の天狗。
森の奥から、滑るように歩いてきたかと思うと、男が気付いたときには、もう目の前にいた。
今は夜。男がたいている
だが、天狗に
「九尾の狐」
「この森の九尾狐は、もうすでに絶えて久しいぞ? 人間どもに討ち滅ぼされての」
「それでも待たせてもらえませんか? 九尾の狐がこの森にいようといまいと、私の気が済むまで」
「儂はよいが、他の
「それでも構いません。もはや私は、私の死を悼んでくれる人もいない天涯孤独の身。とって食われても、いっこうに気にはしません」
「うむ、左様か。……ここで終わらせるには惜しいほどの笛の音だが」
そう最後にぼそりと呟くと、天狗は男に背を向け、また森のほうへ、滑るように歩いていった。
男は、天狗の姿が夜の闇に
「やあ、随分ときれいな笛の音が聞こえると思ったら、こんなところに人がいた。……一体ここで何をしているのです? あなたの
その旅の若い男は、腰に刀をさして武装はしていたが、武人というわけではなさそうだった。
「ええ、待っているんです。九尾の狐を」
彼は、自分が話しかけたその男の返答に、少し
「なんですって!? 九尾の狐といえばあなた、物の怪ですよ?」
「ええ、分かっております。……無論私は正気ですよ」
「では何故そんなものを待っているのです?」
「魅せられた……と言えば簡単にあなたを追い払うことができますが、そこまでして人を拒むことはありませんね」
そう言って男は、少し
旅の若い男はこの国の決まりにより、ここよりもまだ遥か西の地方へ
男が話しているうちに夜になってしまったので、明日の朝早く出発することにして、若い男は一晩ここで野宿することにした。途中、彼は森に獲物を狩りにいき、
話し終わってからしばらくして、男が笛を吹き始めると、この前の天狗がまた笛を聞きに現れて、若い男の肝を冷やさせた。
その晩は、男のたっての願いにより、若い男の安全のために天狗が寝ずの番をすることになった。但しその代償として、男も一晩中起きて天狗のために笛を吹くことになったが……。
墨をひいたような闇の中に、焚火の燈色の光に照らされた地面と草と岩、そして三つの
「この森にいつまでも
ある日、胴回りが三ひろ、その尻尾は一体何処にあるのかも分からぬような
男は眉一つ動かさず、大蛇の目を見据えて言った。
「私は九尾の狐を待っています。どうか待たせてもらえませんか?」
「本来ならば、この
九尾の狐を待っておるじゃと? ふん、この森の九尾狐なぞもうとっくに滅びてしもうたわ」
「それでも待たせてもらえませんか? ……もし駄目なのだとしたら、今、この場で貴方に食われたほうがいい!」
男の、静かだが強いもの言いに、大蛇は興味深げな目つきになった。
「むう。何故じゃ、何故そこまでこだわる? この森ではなく、他の地の九尾狐ではいかぬのか?」
「ええ。それもただの九尾の狐ではありません。……いや、貴方にとっては何の変哲もないただの九尾狐でしょうが」
男は
「……ふん、人間らしい理由だな。だがやはり、この森にお主のような人間がおることは許さん。今この場で儂に食われるか、早々にこの森を立ち去るかの二つに一つじゃ。但し!!」
大蛇は理由を聞いた後、こう言って言葉を切ると男が気押される程の威圧感を発し、彼の顔が青ざめるほどの眼光で男をにらみつけた。
気も狂わんばかりの重苦しい沈黙が続く。男の額には、じっとりと汗が浮かび、やがて一筋の滴となって顔の側面をつたい降りる。笛を握り締めた手が震え、それを止めようとしてもどうしても止まらない。
脇にも胸にも背中にも、汗が吹き出し着物に吸われる。身体が妙に熱く感じる。男は心のどこかでそれらを感じ、そしてそれらに気が回るだけの余裕があったことに気が付き、そんな自分に心の中で苦笑した。
「但し、その笛を吹き続けるのならあと七日留まることを許そう。だがそれ以上留まるのならば、儂は手下の
そう言って大蛇は、男の返事も聞かずに森の奥へ帰っていった。
次の日、一日森が震えた。
「心配するな。ぬしは七日と言わず、気の済むまでここに留まることができるぞ。昨日のことはもう忘れろ」
そう言って、天狗はよたよたと森の奥から歩いてきた。
昼間の森の中の騒動は、昨日の
その日、鳥はあちこちで騒ぎ、飛び立ち、森のあちらこちらで木々が折れ、倒れ、動物たちは次々と森から避難していた。その動物たちは、男の所へもたくさんやってきて、騒ぎがやむまで彼の笛の音を聞き、周りにたたずんでいた。
男が笛を吹くのを止めると、その場にいたものは皆思い思いの格好で休み、首は森のほうへ向けて、ことの成り行きを見守った。
森からは、幾度となくかすかな怒号が聞こえ、時折小さな竜巻が、森のあちこちに起こった。男は一度だけ、翼のある人型が空を飛んでいるのを、森の上でちらりと見たような気がしたが、確かなことは分らない。なにぶんにも、彼の近くに生えている木々が視界を
騒ぎは、夕方になってようやく静まった。
「……どうも私のせいで、いらぬ争いを引き起こしてしまったようですね……。何も私のわがままの為だけに、貴方がそこまで傷付くことはなかった。……やはり、昨日大蛇に警告されたとき、速やかに立ち去るべきでした。どうも済みません。何と詫びれば良いのか」
男が満身創痍の天狗に向かってそう言うと、天狗は、いつものしかめ面からは想像もできないような
「いや……実は、儂が奴とここまで張り合ったのは、お主の笛をいつまででも聞いていたかったからでな。
ふ、ふふ。
その夜、天狗は男のところで傷を治しながら、夜が明けるまで笛の音を聞いた。
「もし、そこの御方。済みませぬが私をかくまってくれませぬか」
そう言って声をかけてきたのは、
だが彼女の顔は、男であれば誰であろうと保護の手を差しのべたくなるような、か弱く
「旅の途中で山賊に襲われ、
ああ、どうか食べ物と
女の声はとても哀れっぽく、普通の人であれば、すぐにでもできうるかぎりの救いの手を差しのべたであろうが、男は笛を吹き続けながらちらりと女を
女が涙を浮かべながら、黙って唇を固くへのじに曲げて突っ立っているのを見ると、男は片足で、焚火跡に突き刺さっている、食べ残りの焼いた肉を示した。そんな男の
彼女は食べ終わった後、しばらくその場にじっとしていたが、やがておずおずと男の隣に移って座り込み、男の横顔をじっと見つめ始めた。
男は相変わらず笛を吹き続けながら、自分のとなりに座った女を一瞥した。それだけだった。
「一応、助けてくれた御礼は言っておきます。しかし、貴方は本当に血の通った人間なのですか? 貴方の態度はとても人と付き合うものとは思えぬほど冷たい」
「貴方だけですよ、こんな態度で人と接するのは」
ようやく笛を吹くのを止めて、開口一番に女に対していった言葉がこれだった。そして、言うが早いかまたすぐに笛を口にくわえた。
「笛を吹きながらここに座り続けて、一体何をしているのですか!?」
女は、男が笛を吹き始める前にこう言い放つと、男は溜め息をつきながらこう答えた。
「貴方に答える義理などは無いのですが、まあいいでしょう。私はここで九尾の狐を待っているのですよ」
「もしかして貴方は、女には全く興味を示さぬ
「私は、魅力的な女性だったら充分に心ひかれるぐらいは、世俗的な価値観の持ち主ですよ。……しかし貴方はとても鈍いですね。ここまで近くにいるのにまだ気付かないとは」
「一体何のことですかっ!?」
女が、たまりかねたようにこう叫ぶと、男の後ろから、黒く大きな人型の異形が身を乗り出してきて言った。
「つまり、
「貴方が私に声をかけてくる前に、彼が教えてくれたのですよ。
それに貴方はうまく化けたつもりでしょうが、言葉の端々にボロが出ていましたしね。いや、でも普通なら男は皆引っ掛かっていたかもしれない……」
男がこう言った瞬間、女は、いや、鬼は本性を現して元の姿に戻り、彼に襲いかかる。が、天狗が、持っていた
男と天狗は、着物の持ち主が成仏することを願って手を合わせ、しばらく微動だにしなかった。
着物の上で塵が踊る。
風が森をざわめかせて去っていった。
「これ、そこの笛吹き。私のために笛を吹け」
と、見るからに
人々の悪評高い国司の中でも、
彼等は道端の真ん中で座り込み、道からはみ出した者は、道端の
「どうした、早くこちらへ来ぬか。私がせっかく貴様のような下賤な者の笛を聞いてやろうと、有り難くも声をかけてやったのではないか。
本来なら、貴様は私に頭を下げなかった罪で、首をはねておってもおかしくはないのだぞ? ただ貴様の笛が余りにも絶品な
男はぐっと腹立ちを
「
もしここを動くようなことあらば、たちまち私は彼等にとって食われてしまうでしょう。私だけならよいのですが、彼等は怒ると見境がなくなる故、貴方様まで襲い食うやもしれませぬ。
それ故に、今、ここを動くわけにはいかないのです」
これを聞いてもその受領は、高圧的な態度を崩さずに平然と、男を馬鹿にしたように笑ってこう言ってのけた。
「貴様、それで私を脅したつもりでおるのか?
彼がそう言って高らかに笑うと、男の後ろの茂みから巨大な影が起き上がり、その場にいた者全てを縮みあがらせた程のおそろしげな声で、
「では本当に貴様にへつらうかどうか試してやろう」
と、言い放つが早いか、受領とその周りを取り囲んでいた側近たちに襲いかかり、くわえ込んだ。たまらず彼は男に叫ぶ。
「お、おい貴様、この私を助けろ! 苦しい……」
彼をくわえ込んだ大蛇は、そのまま彼等を飲み込まずに物問いたげな目を男に向けた。しかし、男は暗い目をして首をゆっくりと振り、彼に
「
「何を寝ぼけたことを言っておるのだ。私を助ければ恩賞は思いのままだぞ! 早く助けねば払ってやらぬぞ! い、いいのか!?」
男は溜め息をつき、笛を口にくわえてまた吹こうとした。
「た、助け……」
声が聞こえなくなった。男が大蛇の腹を見やると、まだ何かが動いている。大蛇は満足げな声で言った。
「全て溶けてしまうまであと半日。しばらくすれば息ができずに、もがき死ぬであろ」
そう言って、受領の残りの従者を見やる。が、もうそこには人ひとりいない。
男は再び頭をゆっくりと振ると、笛を吹き始めた。しばらくすると鳥たちが集まりだし、そして動物もやってきて彼の笛の音を聞いた。
「もうすぐ
ある日、男のところへ笛を聞きにきた天狗が、ぼそりといった。
「ええ、確かにあと七日もすれば、盂蘭盆になりますね。……しかしそれがどうかしましたか?」
男が笛を吹くのを止め、天狗の言葉にそう答える。天狗は
「盂蘭盆だぞ? お主、言葉の意味が分っておるのか? 死者たちが
「ええ、一族が住む家に先祖の
天狗はやれやれといった顔をして、顔をゆっくりと振り、
「やはり何も分かってはおらぬ。全く人というのは何故そう言ったことを忘れたり、都合良く変えたりするのか……。確かにそういった面もあるにはあるが、この時期に黄泉比良坂から戻ってくるのは、祀られ、供養されている霊だけではないわ。
恨みを残して死んでいった者や、死んでも死にきれぬものが、生者を
そう言われて男は考え込んだ。男の笛の音に絡めとられた動物たちの呪縛が解け、心配げな表情を彼等二人に向ける。
天狗はそのまましばらく考えこんでいた後、
「儂のおらぬときにもちからがあるかどうか、まだ全く分からぬ。まだそんなことは試しておらぬからな。だが、いまさらそれを言うても仕方がない。とりあえずこの護符をもっておけ、せめてもの気休めだ」
そう言って天狗はその紙を男に押しつけた。
はたして、盂蘭盆は来た。
「あああ、苦しいよう……」
「恨み。苦痛。狂気。怨嗟。孤独。無常。流転。災疫」
「ひひひひひひひひ! ひひ! ひ……」
「助けて! 助けて! 助けて! 助けて!」
彼等は、三日目の盂蘭盆が終わる夜にやってきた。男は笛を吹く。
「ぎゃああああ!」
「おいでよ……」
「食う。食って殺す。殺して叫ぶ。叫んで砕く……」
「何故だ! 私は何もしちゃいない! なのに何故奴ばかりが良い目を見るのだ!! 悪事を行っているばかりの奴が……」
「いやだ、あんな寒くて暑くて痛いところは嫌だ」
「貴様も我等と来るのだ!!」
あたりに声だけが響く。男の額に汗が浮かぶ。男は焚火の明かりさえ恐ろしく感じた。この日に限って揺れ動く炎。
声がやんだ。焚火の炎がはぜる音だけしか聞こえない。夜風が吹く。風に揺らされて森の木々が葉をかき鳴らし、さざめく。……踊る炎。
影が絶えず濃さと動きを変える。男は笛を吹き始めては止め、吹き始めては止めていた。夜風は草木に呟きを強要する。
馬の足音が聞こえた……だがやんだ。剣を打ち合わせる音が聞こえた……だがやんだ。何かを引きずる音が聞こえた……これはやまない。何かを引きずっては休み、休んでは引きずる。うめき声。だんだん彼に近付いてくる……だがやんだ。男は身動き一つしない。
森の奥で何かの影が素早く動いた。人のような気もする。少しするとかすかに嘲笑が聞こえた。焚火の木がまたはぜた。
男が気が付くと、焚火の火が随分小さくなっている。木を足さなくてはいけない。しかし折り悪く、薪は手元にはもうなかった。森に取りにいかなければならない。男は決めかねたようにしばらく炎を見つめていたが、やがて手頃な木を焚火から抜き出し、森に向か……おうとすると、またさっきの影が森の奥でうごめいた。
男は
しばらく男は、闇夜に目を凝らして薪を拾い集めていたが、突然背後でパキリと音がしたので、全身から血の気が引いた。何か、この世のものでは絶対にない気配が背後に感じられる。天狗の言葉を思い出した。
『良いか、死者が後ろに立ったときは、決して振り向いて目を合わせてはならぬ……』
男は叫んで逃げ出すか、振り向いてしまいたくなるのをこらえた。そして、男の肩にぞっとするほど冷たい手がおかれたとき……手元の火が消えた。
男は走った、焚火に向かって。しかし男が近付くと、嘲笑うかのように焚火も消えて、あたりは真の闇になった。ガラガラと音を立てて男は薪を落とし、その場に立ち尽くす。そして……。
馬の足音が聞こえた……だがやんだ。剣を打ち合わせる音が聞こえた……だがやんだ。何かを引きずる音が聞こえた……これはやまない。何かを引きずっては休み、休んでは引きずる。うめき声。だんだん彼に近付いてくる……だがやんだ。男は身動き一つしない。
何かが、彼の全く知らぬ何かが、彼に忍び寄る。
……ふと気が付くと、気配は急速に弱まっている。空を見ると、夜明けの前兆である何とも言えぬ青白さがあった。
その日の夜明けから一日中、男は死者を
「いたぞ! ここだ! 今度は思い知らせてやるぞ!」
それはある日のこと、男がいつも通り
男の周りにはいつものとおりに動物がはべり、不意の乱入者に、怯えた目を向ける。男は笛を吹くのを止めて、彼等を見る。この場に留まるための足かせが無くなった動物たちは、慌てて森の奥へ逃げ込む。
「てめえ、今度は前のようにはいかねェぞ! この前みたいに化け物呼ぼうとしたって、こっちにゃどえらい法力を持った坊様がついているんだぜ! 何を呼ぼうが、坊様の力の前には一発で御陀仏よ!」
彼等は以前に、大蛇に飲み込まれた受領の、逃げ出した家来だった。
彼等は男の周りを、太刀を構えたまま取り囲み、眼をやってきた方向に向ける。そこには、頭をそり上げた、いやに強欲な笑みを顔に浮かべた僧らしき者がいた。
「ほっほっほっ。貴様がこやつらの言っていた化け物使いか。そなたには何の恨みもないが、死んでもらうぞえ」
しかし、周りを取り囲んだ男たちの一人は、心配げにいった。
「おい、本当に化け物は来ないんだろうな?」
「案ずるな。
そう言って、その僧は怪しげな言葉──それは決して経などではなかった──を呟き始め、懐に手を入れたまま男に近寄り始めた。
男は動こうとしたが、周りの刀で身動き一つできない。
薄笑いを浮かべて近寄る僧侶。そのとき男は、彼が唱えているのは、ただでたらめに並べた言葉に過ぎないことに気が付いた。
『この男は僧などではない! こいつはおまえ達をだましているのだぞ!』そう男が言おうとしたとき、そのインチキな僧は、男の口を左手で素早くふさぎ、懐から出した小さな刀で男の腹を刺した。
「今じゃ! こやつの腹を刀で刺せ! 但し
立て続けに、痛みとともに男の腹へ、冷たい異物が前後左右から侵入してきた。男の身体が痙攣し、眼が大きく見開かれる。
「…………!!……」
声にならない悲鳴が出、そして身体を貫いていた刀が抜き取られる。男の手の中から、笛がこぼれ落ちて岩に一度あたり、からんと音を立てると、地面に落ちた。そして男たちが彼から離れると同時に、彼の身体も岩から転げ落ちた。
……激痛に薄れゆく意識、自分の血に
「お前さんに恨みはないが、おかげで儲けさせてもらったよ。ひひ……」
イカサマ坊主が手を合わせて屈んだとき、小さな声でそう呟いた。
そしてその場にいた男たち全員が、彼の真っ赤な血が流れ出るさまを見下ろした時、一陣の突風がいきなり吹いて、森の奥から世にも恐ろしげな声が鳴り響いた。
『貴様等、いかな理由でその男を殺したかぁ!! たとえ訳が何であれ、
彼等の目の前で、風が集まったかと思うと、凄まじい悪鬼の形相を顔に張りつけた、赤ら顔の天狗が立ちはだかった。
イカサマ坊主を先頭に、男達は我先に逃げ出した。が、いつの間に立ちはだかったのだろうか、
「こ奴等は、以前に儂が食らいそこなった者どもじゃ。主は手を出すでないわ。儂の獲物じゃ、儂が食う」
壁の
天狗はその壁……いや、
「あとは主の好きにせい」
ぼそりと低い声でそう呟くと、天狗は、倒れて血を流し続けている、笛吹きの男へ駆け寄った。後ろで、思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴が次々と起こる。だが、やがてそれも静まった。
天狗は男をそっと抱え起こし、話しかける。
「気を確かに持て!
天狗の声はだんだん大きく、悲痛になっていき、最後のほうはほとんど叫び声になっていた。
「たのむぅ! 儂にもっとあの笛を聞かせてくれぇッ!!」
男は薄く目を開け、血が
「馬鹿な。この身体で笛を吹くつもりか。確かに笛は聞きたいが、別に今すぐと言った覚えはないぞ。無理はするな」
男はうつろな目で薄く
「いえ……もう判っています。もう……この……この傷では長くもたないことは……。ならば、少しでも……少しでも長く彼女をこの笛で呼んでいたい……。お願いします……」
天狗は首を振ると、自分の着物を裂いて傷口に巻き、止血を始めた。が、しかし、その作業を続けながらも、天狗は途中から顔を
男を岩に座らせると、拾ってきた
荒い息で笛を握り、吹き始める。それは、今までの笛の
動物たちが、まるで魂を抜き取られたような顔をして、森の奥から次々とやってくる。男の、文字通り血のにじむ笛の
そのまま、いかばかりの
夕暮れの、濃い
笛の
その、魔性の美しさが漂う女は、恋しさと寂しさのあふれる表情で彼にゆっくりと頭を下げ、そしてゆっくりと
男は、自分が涙を流していることに、気付きもしなかった。
泣いた男 きさまる @kisamaru03
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