後日談

ローデンヴァルト1

 かつて聖女と謳われた少女の再来に懐疑的な者はいたが、教会がそれを認め現教皇を務めていた男を退けてまで長としたのならば是非を問うことは許されなかった。

 特に我が母国であるローデンヴァルトは敬虔な民が多く、不用意なことを言えば非難の目が向けられる。


 父である王と二十を超える妃たちはもちろんのこと、王子王女であろうと公の場では口を慎まざるを得ない。


 民ほどの敬虔さを持ち合わせている王族は少ないというのに、頂点に立つ王も含めこの国は信仰心の厚い国と他国に思われている。

 となれば、聖女の再来に懐疑的であろうと祝福し、歓待しなければ他国と民に対する示しがつかなくなる。


「この国の王が誰なのか、たまにわからなくなりそうだ」


 そう漏らしていたのはいつのことだったか。年端もいかない幼い頃であったことは確かだ。意味を理解できるほどの年齢に達した者にそのような弱音を吐くほど、父は短慮な人間ではなかった。


 父の誤算は弱音を漏らした幼子が意味を理解できるほどに聡明であったということだろう。


 教会の教えに則り妻と子を設け、民の意を汲むために精進する日々に疲れを感じるのは、しかたのないことだったのだろう。

 七人目となる子をよそから持ってきたときには、父はそこまで耄碌してしまったのかと呆れこそしたが驚きはしなかった。


 それが間違いであったことはすぐにわかった。新たな王子となった子は、庶民の出でありながら魔法を扱えた。

 国のため、民のため、敬虔な信徒である父に捨て置く道は最初からない。殺めるか拾うか、突きつけられた選択肢に父はきっと苦悩したことだろう。


 そうして悩みに悩んだ末、ありえてはいけない存在である子は王家に名を連ねることになった。父の選んだ道が吉と出るか凶と出るかは定かではないが、王に仕える臣下としてその選択の行く末を見守る心づもりであった。



 少なくとも、当時十二だった自分はそう思っていたはずだ。



 そうした紆余曲折の末、外から来た王子は隣国に留学生として旅立った。その背を見送る者は多くはない。王家の血を引いていないのに王族となった彼を快く思わない者は少なくなく、そうでなくとも自分を含む十七人の王の子は多忙を極めていた。


 第一王子は生来の繊細さ故か度々体調を崩して寝こみ、第二王子は次代の王となる第一王子の代わりに職務を果たし、第三王女は他国に嫁ぎ、第四王女は自国内の有力貴族との縁を繋ぐために走り回り、第五王子は国を潤す政策に手を尽くし、第六王女はすでに隣国に留学生として滞在し、第七王子は教会の教えに反しない方法を模索し、第八王女は他国の王子の遊び相手として国外に出ており、第九王子は日々勉学に励み、第十以降の王子や王女は齢十にも満たない幼子ばかり。


 そういった状況で隣国に赴く王家の血を持たない王子を見送るために、自身の時間を減らそうと思う者はそうはいないだろう。


 無邪気に戯れるだけの年頃である幼子数人と城に仕える者に見送られて旅立った王子は、その二年後かつての聖女の友人として名を馳せた。



 彼が王家に来たときはまだ十歳の子どもで、隣国に旅立ったのはその五年後。十五歳のときだった。

 当時は六人しかいなかった王の子は十七人にまで増え、同時に七位であった彼の継承位も十八位になっていた。


 彼が聖女の友人として名を馳せたときには、王の子がさらに三人増えていた。子が産まれるたびに順位を繰り下げるのも面倒になったのか、節目で継承位の変動を記録としてしたため確かなものとしていた。

 彼が国に戻ってきた際に繰り下げようとしていたが、かつての聖女の友人となったのなら下手に下げすぎてはいけないのでは――そのような声がちらほらと出てくるようになった。


 各国の王は女神が定めたとされているため、間違っても王家の血を持たない王子が王にならないようにと下げ続けた継承位であったが、ことここにきて困った問題が浮上してしまった。

 もうじき、彼の弟が産まれる。弟よりも継承位が低いとなれば、王家はかつての聖女の友人を軽んじているのではと思われてしまうかもしれない。誰に、などとは言うまでもない。

 敬虔な民は女神だけでなく聖女も重んじている。その友人の立ち位置が民の中でどうなるかわからない現状では、下手なことはできない。


 民意を取るか、これまでの習慣を取るか――王の苦悩をよそに、隣国の王が女神の御使いを娶ることになった。


 女神の御使いの血を継ぐ王と、女神の御使いの婚姻を祝福しないわけにはいかない。継承位についての問題は先送りとなり、隣国に贈るための物品や祝辞の厳選、隣国に赴く者の選抜と手配。

 隣国の王の即位式以上に王城は騒然となった。


 第一王子はまたもや寝こんでしまい、第二王子は職務に追われ、第三王女と第四王女はすでに他国と貴族の妻となっている。

 そこで白羽の矢が立ったのか、身軽な身である第五王子と第六王女だった。第六王女は隣国に留学していた経緯があり、第五王子はそこそこ名の知られた人物である。

 同行者として選んだ王の目に狂いはなく、自分もまたそれを妥当だと思っていた。




 そうして訪れた国で、かつての聖女である少女を垣間見た。

 もしも即位式の場に参列したのが父ではなく自分であったならば、今後の展開も変わっていただろう。

 少なくとも、今回の同行は断り抱いた疑念を振り払うために一心不乱に政策に心血を注いだことだろう。


 だが運悪く、少女を見たのはこの日がはじめてだった。


「彼女が聖女様の生まれ変わりであるフィーネ様だ」


 王城の廊下を歩く少女を見て、父がそっと耳打ちしてきた。

 フィーネ、とその名前を呟いた。かろうじてその後に様と付け加えることはできたが、どこか呆然とした様子に気づいたのか父がわずかに顔をしかめた。


「まあ、本当にレティシア様そっくりですのね」


 少女の姿はもう見えなくなっている。第六王女である妹の声もどこか遠くに聞こえた。


 ――違う。


 どうしてそう思ったのかはわからない。だが、彼女は違う。ただそう思った。


 隣国の王に挨拶をすませ、婚姻式までの二日間を過ごすことになる邸に辿りついてもなお、自分の頭を支配するのはほんの一瞬垣間見ただけの少女の姿だった。

 肩のあたりで切りそろえられた黒い髪、穏やかな光を湛える青い瞳。そしてフィーネという名前。そのすべてに違和感を抱いていた。



 その違和感が晴れたのは、その二日後――婚姻式当日となってからだった。


 悶々とした気もちを払拭するために訪れた街中で、彼女と出会った。

 出会ったというのは少々語弊があるが、心境としてはそれが一番相応しい言葉だった。


 銀の髪を持つ男と共に、見慣れぬ色合いをした者と語らう彼女を見てようやく、抱いた疑念の正体に気がついた。


 ――リリア。


 彼女が、彼女こそがかつての聖女で――俺の妻だった女性だ。

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