聖女と嘘つき

 魔族の屋敷にさらわれてから一年と半年が経過した。

 安穏とした生活は変わらず、すでに話すことも教えることもないのに私はいまだライアーの部屋にいる。



「本を持ってきたから読めば?」


 無造作に置かれた本の山に手を伸ばし、適当にひとつ引き抜いて広げる。

 長椅子に転がるライアーは本を読む私を見ながら髪をいじったり、気が向いたら覗きこむようにして私が読んでいる本を見てくる。


 わからない。

 どうして私がここにいるのかわからない。


「ねえ、ライアー」

「何?」

「私をここに置いて、何か意味があるの? もう話せることなんてないよ」

「キミはボクのだから置いているだけだよ」


 興味を引ける話も何もない。いつライアーの気が変わって捨てられるかわからない。


「……別の部屋をもらえたりするのかな」


 たとえライアーに捨てられても別室がもらえて、姉と交流できるならそれでいい。

 だけど部屋もなく屋敷の中をさまよえと言われるかもしれない。一年以上という長い時間は、身の危険を感じることのない生活を失いたくないと思わせるには十分だった。


「……なんで?」


 ぐいと髪を引っ張られて首が上を向く。いつの間にか長椅子の上に座っていたライアーが、赤い瞳を不機嫌な色に染めて私を見下ろしていた。


「キミはまだ自分の立場がわかってないの?」

「な、何が……?」


 苛立ちの混じる声に、私が何をしてしまったのか思考を巡らせるが心当たりはまるでない。ただ本を読んでいただけだ。

 読んでいる本がライアーのお気に召さなかったのだろうか。しかし、これまでどんな本を読んでいようと構うことはなかった。


「キミはボクのものなんだから、他の部屋なんてあげないよ」

「いや、それは……ライアーが私を捨てた後、とかに」

「捨てられたいの?」


 捨てられたいか捨てられたくないかと聞かれれば、放っておいてほしいとは思う。いつ気が変わって殺されるかわからない状況は心が休まらないし、緊張感で頭が痛くなりそうだ。


「別に、そういうわけじゃないよ」


 だけど馬鹿正直にそれを言えば、ライアーは怒るだろう。

 気まぐれな男だが、一年半も一緒にいたので多少だが法則性が掴めるようになってきた。


「そう。ならいいけど」


 掴んでいた髪を離し寝台に寝転がりなおすライアーにそれ以上声をかけることはせず、本に視線を落とす。触らぬ神に祟りなし、余計なことは言わないに限る。


「髪、伸びたね」


 先ほどのように力任せに引っ張るのではなく、持ち上げるようにして私の髪をいじりはじめた。

 ここに来てから手入れはしているが、切ってはいない。人間は日々成長しているので、髪だって伸びる。


「ライアーの髪は変わらないね」


 ライアーの髪は長いが、伸びているような気はしない。切っているのかもしれないが。


「ボクたちは生まれたときから変わらないんだよ」

「そうなんだ? じゃあ魔族はその姿で生まれてくるの?」

「そうだよ」


 それは、なんとも摩訶不思議な生き物だ。そもそも親とかいるのだろうか。

 魔族が総勢七人いることは聞いた。そのうちのひとりはすでに死んでいるらしいので、今は六人だそうだ。


 その中にライアーの親がいるとは考えにくい。ライアーの口から家族や親の話を聞いたことはない。


 唯一聞いたのは、ライアーに名前をつけた人のこと。千年前一緒に旅をしていた女性。

 人を人とも思わない彼が親しそうに語っていたが、人間だそうだから家族ではないだろう。


「切る?」

「首を?」

「どうしてそうなるかな。今は髪の話をしてるよね」


 思わず本音が漏れてしまった。


「うーん、このままでいいかな。お姉ちゃんも切ってなさそうだし……ライアーは切らないの?」


 人のことは言えないとは思うが、長い髪は見てるだけで邪魔そうだ。


「切らないよ。切る意味もないし」

「邪魔じゃないの?」

「生まれたときからこれだから、今さら気にならないよ」


 そう、と短く返して、髪をいじられながら本を読むことに専念した。





 ふと思いついた考えは、後にして思えばあまりにも迂闊なものだった。


 その日ライアーは本を机の上に置くとすぐに部屋を出ていった。ひとり残された私は本を一冊読みながら、つい先日したライアーとの会話を思い出していた。

 気にならないと言っていたが、気になることもあったのではないだろうかと、そう考えてしまった。


 そして次に思い出したのは、フィーネのために編んだ髪紐のこと。

 冒険者として活動していたときは、長い髪は邪魔になるので結ぶことが何度もあった。折角だからと自分の手で編んだ髪紐をフィーネにあげたのは――攫われてくる半月ほど前のことだ。


 そのときに色の組み合わせを変えて何個も作った。

 そしてそれは、手荷物に入っていたはずだ。しかし荷物はここに来たときに没収され、今はどこにあるのかわからない。

 だが捨てている、ということはないだろう。ないと思いたい。



 私は部屋を出て、隣の部屋、そのまた隣の部屋とひとつずつ中を確認することにした。どこかに保管されているかもしれないと思ったからだ。

 もしも捨てられていてどこにもなかったら、そのときはそのときだ。


 廊下を真っ直ぐ進みひとつひとつ確認したが、荷物が見つからないままフィーネの部屋にまで辿りついてしまった。もしかしたら別の階にあるのかもしれない。


 この屋敷が何階建てなのかは知らないが、この階には上に続く階段と下に続く階段がある。そして同じだけの部屋がすべての階にあるのかもしれないと考えたら億劫になってきた。


 別に、ライアーに何かあげたところで私の待遇が変わるわけではない。ただ見ていて鬱陶しいと思っただけだ。

 わざわざ探してまで――そう思って踵を返そうとした私の背に声がかけられた。


「何をしてますの?」


 高いような低いような、聞き慣れない声に振り向くと白を基調としたフリフリのワンピースを着た人が立っていた。

 桃色の髪をひとつに結わい、赤い瞳を不思議そうに私に向けているその人は、間違いなく魔族だ。


「あ、あなたは……?」

「まあ、私が聞いてますのに質問で返すだなんて、人間というものはずいぶんと不作法ですね」


 鼻を鳴らすように笑われ、私はどうしたものかと悩んだ。

 謝罪をするのが先か、聞かれたことを答えるのか先か。どちらなら相手の気分を害せずにすむのか、それだけを考えていた。


「まあでも、人間風情に作法を説いたところで意味はありませんものね。よろしいでしょう、答えてあげます。私はジール、この屋敷に住む者に用があってまいりましたの」

「あ、ご丁寧にありがとうございます。私はリリアで――」


 私はなんだろう。ライアーに飼われているペットですとでも言えばいいのか、あるいはルースレスが囲っているフィーネの妹ですとでも言えばいいのか。

 自分の立ち位置の不安定さに言葉に詰まる。


「お話は聞いています。人間を屋敷に置いているとか。あなたがそれなのでしょう?」

「……多分」


 私はフィーネのおまけのような存在だ。話をするほどの価値はないと思うので、おそらく話に上がったのはフィーネのことだろう。


「それで、あなたはこんなところで何をしていますの?」

「少し、荷物を探していました」

「荷物を? それでしたら物置ではないでしょうか。案内してさしあげますから感謝なさい」

「ええと……親切にありがとうございます」


 ものすごく横柄で高圧的なのに、何故か案内してくれるらしい。

 ぺこりと頭を下げてお礼を言う私を一瞥すると、ジールと名乗った魔族は階段を降りはじめた。


「地下に物置がございます。ライアーから聞いてませんの?」

「屋敷について詳しくは……」

「迷子になったらどうするつもりなのでしょう。……まあどうせ、そんな心配などされていないのでしょうけど」


 やれやれというように肩を竦めるジールに私はどう返したらいいのかわからず沈黙を選んだ。

 ジールの言うとおり、私が迷子になろうとどうなろうと、ライアーは心配しないだろう。ただ、飼っていたペットが消えただけだ。


「それではそちらの階段を降りて右手側に物置はございますので、ここからはおひとりで行ってくださいな。私は別の用事がありますので」

「はい。ありがとうございました」


 地下に続く階段を手で指すジールに再度お礼を言い、私は地下に、ジールは上階に戻るため足を進めた。




 階段を降りるとすぐに右手側に扉があった。おそらく、ここなのだろう。

 私は簡素な扉を開け、ゆっくりと中を覗きこむ。魔族が住む屋敷の物置だ。何が飛び出てくるかわからない。


 だが物置の中には特にこれといったものはなかった。さらわれた日に持っていた荷物が床に置かれ、フィーネの剣や私が持っていた小剣が壁に立てかけられているぐらいだ。


「物置なのに、使ってなかったのかな」


 床に埃は落ちていないので管理はしているのだろう。私は手提げ鞄を手に持ち、物置から出た。


 そして――か細くだが話し声が聞こえてきた。



「だから……んで……」

「めんど……」


 誘われるように声のするほうに向かう。一歩、二歩、三歩と近づくうちに途切れ途切れにしか聞こえなかった声が確かな言葉として聞こえてきた。


「あれが何を考えてるかなんて知らねェし、どうでもいいけどよ。お前をご指名なんだ、上手くやれよ」

「ボクは便利屋でもなんでもないんだけど? そもそも、そういうのはキミのほうが向いてるでしょ」

「俺は今のところ弱味は握られてねェからなァ。でもお前は違うだろ? あいつがここに来てもいいのかよ」

「ルースレスだっているんだし、そっちにすれば?」

「あいつに任せたら失敗するからだろ」

「新しい勇者の動向を見張るぐらいならできるでしょ」

「本気でそう思ってるなら、そのまんま伝えるぞ」


 勇者?

 思わぬ言葉に目を瞬かせる。新しい、ということは魔王と共に消えた勇者さまのことではなく、別の、女神様の加護を受けた勇者が現れたということになる。


「しっかし、お前が人間を飼うなんてなァ」

「そこらへんをうろちょろされても困るからね。あいつが勝手に連れてきただけで、ボクが望んだわけじゃないよ」

「おお、そうかい。にしちゃあ、ずいぶんと気を許してるんだな」

「はあ?」

「そこにいんのにお前が気づかないなんて、よっぽどだろ」


 その言葉に、弾かれたように走り出した。


 ばれた。まずい、どうしよう。そう考えながら、私は逃げた。

 どうして逃げているのかなんて、わからない。


 人の声がするからと盗み聞きするほど、私は野次馬根性があるわけではない。それなのに聞いてしまったのは、ここが魔族の屋敷だからだ。

 何を考えているのか、どういう生き物なのかもよくわからない魔族が普段何を話すのかを知りたくて――その根本にある理由から目を背けて、私はただ走った。


 階段を駆け上がり、さらに上階に進むための階段を上り――足を滑らせた。


 浮遊感は一瞬だった。

 ここに来た初日に床に放り投げられた痛みを思い出し固く目を瞑るが、痛みは襲ってこなかった。


「危ないな、何してんの」


 すぐ近くから聞こえる声に目を開けると、ライアーの呆れた顔がすぐ近くにあった。

 階段の上だというのに私を片腕で抱きとめ、平然とした顔で私を支えている。


「あ、ありが――」

「で、何してんの?」


 お礼を言おうとしたが、すぐに遮られた。細められた赤い瞳が私と、私が掴んでいる手提げ鞄を見た。


「逃げようとでも思った?」

「え、いや」

「だったら、盗み聞きなんてしないですぐ逃げるべきだったね」


 荷物を運ぶように私を抱えると、ライアーはいつもの部屋に私を連れ戻した。

 盗み聞きと逃亡未遂。このふたつによってライアーの機嫌は最悪なことになっているだろう。これから訪れる叱責と、何をされるかわからない恐怖に手提げ鞄を強く抱きしめた。


「逃げられるとでも思った?」


 ライアーは床の上に私を放り、長椅子に座ることなく冷たい目で私を見下ろした。へたりこんでいる私は、ただその赤い瞳を見つめ返すことしかできない。

 何を言えば彼の機嫌は戻るだろう。逃げようとはしていないと弁解して聞いてくれるだろうか。


「キミはいつになったら自分の立場を理解するのかな?」


 理解している。

 私はフィーネのおまけで、この屋敷では塵や埃よりも軽い存在で、ルースレスが殺すなと言っているから死んでいないだけだ。


 そんなこと、嫌でもわかっている。


「よくしてやってるのに、どうして逃げようとするかなぁ」


 頭上から降ってくる呆れた声に、歯噛みする。

 そもそも拉致監禁しているのだから、待遇がどうだろうと逃げたいと思うのは当然のことだ。だがそんなことを言っても彼はわからないだろう。


 私はゆっくりと目を瞑り、心の中でくすぶる思いから必死で目を逸らす。


 ライアーが何を考えているのかとか、どうしたいのかとかはわからない。だが、この手の男が何を求めているのかはわかる。

 従順すぎる相手は望んでいないが、気の強すぎる相手も好まない。適度な距離感と態度を維持しないといけない。


 だからそう、聞くかどうかは問題ではない。ここで何も言わずに黙りこむようでは駄目だ。


「……逃げようとしたわけじゃないよ」

「じゃあなんで――」

「ライアーにあげたいものがあったの」


 抱えていた鞄から髪紐を取り出して「はい」とライアーに差し出す。

 どの色がいいかとか選ぶ余裕はない。相手に考える間を与えず意表をついて話の流れを変える。


「ボクに?」


 虚をつかれたように髪紐をまじまじと眺めるライアーに、私はことさら明かるい笑みを向ける。


「慣れてるのかもしれないけど、邪魔なときもあるんじゃないかなって思って。……余計なお世話だったかな?」


 押しつけがましすぎるのも駄目。差し出した手を引っこめようとしたら、ライアーに手首を掴まれた。


「別に、くれるなら貰うけど」

「そっか。よかった」


 笑って笑って笑って――余計なことは考えないように、笑う。


「じゃあ、あげる」


 受け取れとばかりに手を広げて髪紐を見せつけるが、ライアーはじっと髪紐を見下ろしたまま動こうとしない。


 ん? と首を傾げようとした頃、ライアーがようやく口を開いた。


「結んでよ」

「ん?」

「だから、キミが結んでくれる? ボクは髪を結んだことなんてないからね」

「ん?」


 どうしてそうなった。

 髪ぐらい自分で結べるだろう。疑問符を浮かべながら首を傾げる私を無視して、ライアーはその場に腰を下ろした。


「ほら」

「えーと、それなら後ろを向いてくれるかな?」

「なんで?」

「いや、結びにくいし……」

「キミに背中を見せたら何されるかわからないし、このままでいいよ」

「私がよくないよ!?」


 思いもよらなすぎる提案に声を張り上げると、ライアーは「うるさいなぁ」と言わんばかりに眉根を寄せた。

 真正面に座るライアーと睨みあう、もとい見つめあうこと数十秒。駄目だ、本気で後ろを向く気がない。


「じゃ、じゃあじっとしててね」


 膝立ちになりライアーの首の後ろに手を回す。下手すると抱きついているかのような体勢に血の気が失せるような増えるような不思議な感覚になる。


 ――これはストックホルム症候群のせいで、この男に対して何か思っているわけでは、決してない。こんな、人を塵芥のようにしか思っていないような男に何か思うはずがない。自分の家族を殺して、拉致監禁するような相手に何か思うわけがない。


 それにライアー自身が言っていたではないか。うろちょろされないように飼っているだけだと、ついさっき。

 だからそう、こいつは私の家族を殺して姉から目を奪った悪逆非道な魔族だ――それ以上にも、それ以下にも思ってはいけない。




 五代目勇者と聖女、それから教皇が屋敷に訪れたのは、それから二ヶ月後のことだった。

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