令嬢じゃないけどね
これまでこの世界には五人の勇者がいた。
一人は大樹を切り倒し、最初の王となった。
一人は巨大蛙と戦った。
一人は竜と戦った。
一人は魔王に囚われた。
そして最後の一人は――
「無理無理無理! 殺すとか無理! 健全な男子高校生にんな物騒なこと求めんな!」
彼には特別な力はなく、ただ万物の声が聞こえるという能力しか備わっていなかった。
災厄を倒すためではなく、勇者を倒すために呼ばれた特別な勇者――彼は異世界から呼ばれた勇者だった。
平和ぼけした日本人の高校生である彼は、話のできる相手を殺せないと言い、人の形をしたものは殺せないと言い、一度も剣を振るうことはなかった。
「いや、だって無理だろ。家畜の解体ですら見れないのに、自分で殺すとか、無理無理」
無理が口癖のようになっていた彼は、勇者でありながら不殺で、だからこそ女神の加護が外れても生きていた。
「え? マジ? 俺死ぬかもしれなかったの? こわっ!」
女神様との交渉が終わり、勇者の任が解かれた彼は元気に笑い、歩き、食べていた。爆発四散する様子のなさに、仮定が確信に変わった。
「まあでも、これで勇者がなんも殺さなきゃ死なないってのがわかったんだし、よかったんじゃないか? 必要な犠牲だったってことで――いや、犠牲にはなってないな。楽しかったし」
女神様の勝手で呼ばれたのが申し訳なくて、代わりに謝ったら笑っていた。
「それに、俺も迂闊だったよ。美人の話には裏があるって思うべきだよな。夢だと思ってたからほいほい頷いた俺も悪かった」
だから謝ることなんてない、とそう言って彼は元の世界に帰った。
五代目勇者の残した成果は四代目勇者には意味がなかった。
彼女は魔王を探す旅の間に何度も魔物を殺していた。
「別にいいですよ。次代の勇者が苦しまないならそれで」
そう言って、成長することのない四代目勇者も笑っていた。
そして、六代目勇者である私は――
「これはちょっと、無理じゃない?」
頭を抱えていた。
「キミが言い出したことなんだから、なんとかしなよ」
疲れからか、長椅子の上でだらしなく寝そべるライアーに助けを求めても無駄だということはわかっている。
「でも、これは……生理的に」
床に散らばるのは、アンリ殿下から切り離された――髪だ。
女神の加護は災厄を殺すことで外れる。
――というのも、魔力は殺した相手や食らった相手に大なり小なり移る性質があるからだ。
災厄の魔力も例外ではなく、自分を殺した相手に移り、災厄に作り変える。
兎から始まった災厄は弱肉強食の世界で食われ、食われ、食われた結果最終的に竜に行き着いた。
そのため災厄を殺せるのは勇者だけだ。女神の加護は災厄の魔力に反応し、受けた魔力と共に消える。
だからつまり、私はこの髪を殺すか食べるかしないといけない。
「髪って殺せないわよね」
「無理だろうね」
あっさりと頷かれて思わず睨みつけるが、そんなことをしても意味がないことはわかっている。
「ごめんなさい、僕のために」
見るも無残な丸坊主になってしまったアンリ殿下がしゅんと肩を落とした。
指も耳も目も失うには大きすぎる代償だ。だから私は、髪ではできないのかと提案した。髪はいつか伸びるし、どうせ色が変わるのだから少しぐらい短くなってもいいだろうと、軽い気持ちで。
だけど災厄の魔力は強情だった。何度もライアーの手から逃げ、そのたびに捕まえようと髪を切り――結果として、切りすぎた。
「いえ、いいのよ。あなたのせいじゃないもの……私が出した案なんだから、なんとかするわ。それが勇者の役目なら……たとえ髪だろうと、食べてみせる」
「……燃やすのは? 灰にするなりしてからなら食べやすいだろうし、燃えた時点で殺したことになるかもよ」
呆れ顔のルシアンの意見により、髪をひとまとめにして燃やすことにした。
火を点けたのが私だからか、災厄は私を対象と選んでくれたらしい。
無事加護は外れ、私は生還した。
それから、アンリ殿下の髪や魔族や魔王については、すべて仇敵を倒すためのものだったと発表された。
魔王の協力のもと、王族の魔力を費やすことによって仇敵を滅ぼしたとかなんとか。和平を結ぶためにもそういうことにした方が話が通しやすいらしい。お偉いさんたちの機微とかはよくわからないので、なるほどと頷いてわかっている風を装った。
休校状態になっていた学園も再開した。しばらくの間は事態の移り変わりに皆大人しくしていたが、次第に御使いとして発表されたクロエが色々な人から質問責めにされ、モイラがそれを追い払うのが日常風景と化した。
パルテレミー様はあれ以来ジールとやり取りしているらしい。たまに手紙をびりびりに破いてマドレーヌに片付けさせていた。
ペルシェ様は何度かクロエに挑戦しようとして、そのたびにヴィクス様に咎められていた。多分そのうち、秘密裏に決闘が行われることだろう。クロエとペルシェ様の。
サミュエルとクラリスは学園が再開しても相変わらずで、アドリーヌが二人の仲裁に入る姿を見かけるようになった。
リュカは事故に遭い命を落としたことになり、フィーネと呼ばれる聖女が教会を治めている。教皇様は燃え尽き症候群のごとく余生をのんびり送っているとかなんとか、詳しい話は知らない。
ディートリヒは相変わらずルシアンが嫌いなようで、たまに突っかかったりするが前よりは大人しくなっている。
「レティシア」
私はというと、特に何かが変わったわけではない。
聖女の生まれ変わりでもなく、御使いでもない、ただのレティシアとして学園にいる。
「卒業したらどうしようか。何かしたいことはある?」
「……そうね、シルヴェストル領に行ってみたいわ」
「…………行ったことないの?」
「あら、私が王都から出たのを見たことがある?」
「アンペール領にいたのを見たよ」
「それは忘れてちょうだい」
「あの森は王都の外だったよね」
「……思ったよりも出てるのね、私」
部屋と屋敷に引きこもってばかりだったと思っていたが、こうして振りかえってみると思ったよりも出かけていた。
指の数以下なので普通に考えたら少ないのだが、私としては頑張ってると思う。
「それじゃあ、卒業したら一緒に国中を回ってみようか」
「あら、いいわね。それ」
「卒業しても出かけられるように、色々準備しないとね」
「……出かけられなくなるようなことがあるの?」
「覚えてないなら、それでいいよ」
はてと首をかしげる私の頭をルシアンが撫でた。
一体、なんのことだろう。
「王都でもどこでも、気軽に出かけられるように根回ししているから安心して」
「あらそうなの。ありがとう」
よくわからないけど、私のために何かしていたらしいことはわかった。
お礼を言う私の髪を撫で、柔らかく微笑むルシアンを見て、私も笑みを返す。
「これからは二人だけの思い出をたくさん作ろうね」
「ええ、もちろん。そのつもりよ」
――数百年後。
とても大きな樹が枝をまるで自分の手かのように振り回し、すべてを薙ぎ払おうと
しなる。
「たしかに、言った、けど……!」
大樹と対峙する私は渾身の力をこめて斧を幹に何度も何度も叩きつけた。
「本当に樹として生まれるな……!」
人間ならまだ話し合う余地があったけど、樹は無理だ。知性がない。
災厄の意思の赴くままに枝を動かし、脅威を取り除こうとしている。
「あああもう! 次! 次の斧!」
「……また?」
「すぐ壊れるんだから仕方ないでしょ!」
地面に転がっている枯草色の魔族に手を出して、新たな斧の出現を待つ。
別に魔法で作られたものである必要はない。だけど普通の斧を消費するのは、金銭的にも色々ともったいない。
「ご飯にでもします? ああ、あなたは休まないでくださいね。大丈夫、食べさせてあげますから」
「休憩ぐらいさせてよ、この悪魔!」
「悪魔ではなく魔族です。休憩するとそれだけ倒す時間が延びるんですから、頑張ってください」
はい、あーんとサンドイッチを差し出す桃色の魔族と、本を読みながらサンドイッチを頬張る若草色の魔族。これはどちらを睨めばいいのか悩ましい。
いや、悩むまでもない。どう考えても若草色の方だ。
「この役立たず……! 魔法を使えないあんたがなんでここにいるの!」
「応援係です」
「心の底からいらない!」
他の魔族は枝を燃やしたり切ったり色々してくれているのに、こいつだけはのんびりと本を読んでいる。応援係とか言っておきながら、応援された覚えはない。
「半分か。まだまだかかりそうだな」
「魔王ー、こいつ邪魔だからどっかやってよ」
「いざというときの盾にでも使え」
「ああ、盾役だったんだ……」
幼女を腕に抱えた魔王が大樹を見て小さく溜息を零した。
大樹はこうしている間にも成長している。魔族の魔力を吸収してるせいだけど、こいつらがいないと枝をなんとかしつつ切り倒さないといけなくなるので、どこかに追いやることもできない。
成長するよりも早く倒さないといけない、なんという苦行だ。
「私の加護は魔王用なので、お役に立てずごめんなさい」
「ううん、いいの。勇者さまは魔王を見張っててくれればいいから」
勇者さまは相変わらず幼女だ。千年経っても幼女のままだ。
何回か前の私が「女神様にお願いして大人になる?」と聞いたことがある。
「いえ、大丈夫です。この姿にも慣れましたし……それに、災厄と勇者の間に子ができるか試してみるか、とか言い出されても困るので」
だから、今日も勇者は幼女のままだ。さすがに幼女に手を出すほど魔王は外道ではないらしい。
私には私じゃない記憶がある。
それはある聖女と呼ばれた女の子の記憶から始まり、今の私にまで続いている。
聖女の次の私が女神様に「情報伝達とか面倒だから、必要な記憶だけは引き継げるようにしてちょうだい」とお願いしたからだ。
全部ではないのは人間の記憶容量がどのぐらいかわからないということもあるが、一番の理由は二人だけの思い出だから、らしい。
かつての自分に惚気られるとか、そうそう経験できないと思う。
昔は貴族にしか使えないと言われていた魔法は、世界中の誰もが使えるものになっている。
だけど平民と貴族の間の壁は厚い。魔力は親から受け継ぐ部分もあるし、肉を食べる機会が多い方が魔力を増やしやすいからだ。持って生まれた貧富の差は埋められない。
それでも、昔よりはずいぶんと平民も裕福になっている。そして同時に、魔力は必要不可欠なものとして世界中に根付いている。
「次の斧ちょうだい!」
聖女と呼ばれた私は、女神様に災厄を生まれさせないと約束した。
だけど災厄は、魔力がある限り生まれてくる。
約束が果たされる日は、同時に世界中から魔力がなくなる日を意味していた。
人々の生活に必要なものを奪おうとしていることを知れば、私を大罪人だと責める人も出てくるだろう。
だけどそれでも、私は諦めない。
数百年前にお世話になった人がこの世界に戻ってこないようにするために。
災厄によって世界が滅ぼされないようにするために。
女神様がこの世界に見切りをつけないようにするために。
何百年、何千年、何万年かかるかわからない。
それでも私は今までも、そしてこれからもずっと――
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