災厄の魔力

 私は今、寝台の上に正座していて、目の前には腕を組み怒り心頭といった様子のルシアンがいる。


 こうなった経緯は単純だ。リリアに体を貸したことがルシアンの逆鱗に触れた。それだけの話だ。


「相談してくれたら駄目とは……少しは言ったかもしれないけど、そうするしかないなら頷いたよ」

「持ち帰って返答は後日だと気が変わるんじゃないかって心配で」


 それに一度でもルシアンに駄目だと言われたら、怒ったルシアンに弱い私は躊躇なく頷いてしまったかもしれない。

 逃げることが大得意な私は、私が貫き通せるか不安だった。


「変わったら変わったで、別の条件が出るまでねばればいいよね」

「アンリ殿下のためにできることがあるってわかったら、ちょっとこう、気が逸ってしまいまして」


 アンリ殿下は私のことも思ってくれていたから、何かお返しできるならと考えてしまった。それにリリアに貸すだけだから、そうひどいことにはならないだろうし、と軽く考えてもいた。


「だからって勝手に決めていいことじゃないのはわかるよね? 魔王から様子がおかしいって聞いて駆けつけて、知らない人みたいな顔をされたんだよ」

「……はい、それは、申し訳ございません」


 返す言葉もない。

 土下座しそうなほど俯いている私の肩に手が置かれ、顔を上げると今にも泣き出しそうな顔をしたルシアンがいた。


「レティシア、二度と誰かに自分を貸すなんて言わないで」

「はい、もうしませんし、する機会もありません」


 他にリリアと話したい人はいないだろうし、リリアが話したい人もいない。


「……それで、リリアって誰?」




 執拗な追及の前に逃げ道はなかった。

 それでもなんとかリリアが聖女だという情報や、リリアと私の間にある前世の記憶とか、異世界がどうとかを伏せることはできた。ただ、リリアが私の前世で、フィーネの妹で、魔族とも縁があり、ライアーとは主従関係、飼い主とペットみたいな関係だったことは説明することになった。


「――以上です」

「主従って感じじゃなかったけど」

「それについてはよくわかりません」


 リリアの記憶を深く覗こうとは思わないので、主従関係だったということで私の中では結論が出ている。あるいは誘拐犯とその被害者だ。


「……レティシア、怒ったのは悪かったから、その話し方はやめてくれるかな。他人行儀みたいで……嫌だよ」

「え、反省の証だったのに」


 驚いて目を瞬かせると、ルシアンは皮肉げな苦笑を浮かべた。


「君から敬語をなくさせるのにどれだけ苦労したか……。もう二度と敬語は使わないで」

「ええ、わかったわ」


 こくこくと首振り人形のごとく頷いていると、力いっぱい抱きしめられた。


「必要だったことはわかってる。だけど、それでも相談ぐらいはしてほしかった」

「……ごめん、ね」


 なさい、とつけそうになるのを堪え、ルシアンの背中に手を回してぽんぽんと叩くと、一瞬だけルシアンの体が強張り、私に体重をかけるように寄りかかってきた。

 私とルシアンの体重差は歴然。重みに負け、寝台に背中を預けたあたりで、これは寄りかかられているのではなく、押し倒されているのでは――ということに気がついた。


 私に覆いかぶさるようにして寝台に乗り上げたルシアンを見上げる。今は体重を預けず、寝台に手をついて自身の体を支えながら私を見下ろしている。

 これは間違いなく、押し倒されている。


「あ、あの」

「これからは私の目の届くところにいてくれる?」

「わかった、わかったからよっと――」


 どいてくれないかしら、そう言おうとして、言えなかった。


 いや、たしかに少しだけならいいと言った。言ったけど、今しないといけないことなのか。状況に頭が追い付かない。

 唇に触れていた柔らかいものが離れ、ほんの少しだけ顔を赤くさせたルシアンがまた近づいてくるのを、息をするのも忘れて見つめた。


「はい、そこまで」


 べりっという音がしそうな勢いでルシアンがはがされた。目を瞬かせ体を持ち上げると、憮然とした表情のライアーがルシアンを持ち上げていた。


「どうして邪魔をするんだ」

「どうして邪魔をされないと思うかなぁ」

「レティシアの前世がどうだろうと、レティシアと私の関係に口を出す権利はあなたにはない」

「節度ある付き合いをさせたいって思うのは当然だよね」


 保護者か。


「ボクは彼女の世話役なんだから」


 保護者だった。


 いや、世話役は終わっているはず。お暇いただきますと去ったのはリューゲの方だ。その時点で世話役の任も解かれている、はず。


「人間には結婚するまで手を出したら駄目っていう決まりがあるんだから、ちゃんと守ってくれないと困るんだよね」


 寝台の上に降ろされたルシアンはむすっとした顔でライアーを睨みつけている。

 ライアーはそんなルシアンを気にすることなく、私の方を向いた。


「それで、災厄の魔力をこれから抜くけど、勇者であるキミも必要だから一緒に来てよ」

「私も同席させてもらおうか」

「好きにすればいいんじゃないかな。ほらレティシア、行くよ」


 手招きされて後をついていっている最中、あれ、と首をかしげた。


「ねえ、ライアー。さっき、私のこと」

「無駄口叩きたいんなら、災厄のことは放ってそっちを優先させるけどいいの?」

「いえ、なんでもないわ」



 約束の半日が過ぎてから数時間、アンリ殿下とライアーは一緒に過ごしていた。魔力を抜くためには魔力の動きとか色々観察しないといけないらしい。フィーネの目はあっさり引き抜いていたように見えたのに、と不思議に思った私に気づいたのか、災厄の魔力は特別だと説明してくれた。


「抜こうとすると逃げるから、意思を上書きさせて集まるように命令しないといけないんだよね。そのためには魔力の質や流れを見ないといけないし、少しでも残ると魔力を蓄えてまた災厄になるだけだから」


 そして、魔力を吸収しないように勇者である私を横に置いておかないといけないらしい。


「で、どこと一緒に抜けばいいの? 目? 耳? 指?」

「なっ……!」


 様子を見守っていたルシアンががたんと音を立てて立ち上がり、ライアーが眉をひそめた。


「体の一部に魔力を集めて切り離すんだよ。わかったら大人しく座ってて」


 そう、魔力を抜くためには体の一部を代償にしないといけない。アンリ殿下にもそれは話してある。

 意を決した顔でどこがなくなっても平気か真剣に悩んでいるアンリ殿下とライアーを見比べる。


「ねえ、一つ提案があるんだけど――」

 

 




 王城滞在四日目。

 ラストと水の魔族が帰ってきた。疲労困憊状態のライアーと見るも無残な姿になったアンリ殿下を部屋に残し、二人の説得をするために私とルシアンは二人のところに向かった。


「おー、久しぶり、元気だったか?」

「ええ、元気よ。あなたは、相変わらずそうね」


 水の魔族に引き摺られながら片手を上げるラストに頬が引きつる。私はずっと使い魔としてのラストしか見てなかったから新鮮なはずなのに、リリアの記憶と数寸違わずのんきな姿にそんな気がまったくしない。


「和平について話したいのだが、いいだろうか」

「ん? ああ、お前がルシアンか」

「はい、私はルシアン・ミストラル。国王からの命により和平の使者としてこちらに滞在させていただいております」


 ライアーのせいか必要以上に警戒していたルシアンだったが、気さくすぎるラストの態度に慌てて言葉を正した。


「俺はなんでもいいよ。女をくれるなら」

「……レティシアは渡しませんよ」

「あァ? あー、別にそいつである必要はねェよ。女ならなんでもいい」


 相変わらずこの魔族は最低だ。


「……女性を斡旋するのは道徳的に許されがたいので……娼館の紹介状でもよろしいでしょうか」

「抱けるならなんでもいい。それに、娼館の紹介状ならお前らの王からすでに貰ってるから気にすんな」


 ルシアンが顔を引きつらせながら私を見てきたので、苦笑を浮かべて首を振る。こいつはこういう奴だ。別に紹介状とかなくても勝手に女漁りしてると思うので、細かいことは気にするだけ損だ。


「……では、そういうことで。そちらの方は和平についてはどうお考えですか?」

「僕ですか? 僕はそうですね……どうでもいいです」

 水の魔族は首をかしげてから、微笑んだ。


「そんなことよりも、僕の名前を知りたくないですか? 知りたいですよね。教えてあげますよ」

「え、はあ、教えていただけるのでしたら」

「キュリアスです。よい名前だとは思いませんか?」


 その意味は、教えない方がよさそうだ。





 王城滞在五日目。ルースレスが帰ってきた。



 まさかフィーネを置いて帰ってくるとは思わず驚いていたら「同意する」とだけ言って消えた。どこに消えたのかは、探すまでもないだろう。間違いなくフィーネのところだ。


「……あれは、和平のことでいいのかな」

「いいと思うわ」


 ルシアンが戸惑うのも無理はない。たった一言だけ告げて消えた魔族の思考回路がわかるはずがない。


「まあ、とりあえずこれで全員同意ってことでよさそうね」


 水の魔族、改めキュリアスも「好きにすればいいんじゃないですか」と言っていたので、同意したということにしておいてよさそうだ。念のため魔王に確認を取ったところ「反対していないなら同意したことにしていい」とありがたいお言葉を頂いた。

 それを最初から言ってくれていたら、わざわざ話さなくていい人が何人かいたのに、という不満は心の内に留めておこう。


「……結局一週間もしないで終わったけど、いいのかな」

「いいんじゃないかしら」

「反対らしい反対もなかったけど……」


 完全に拍子抜けといった様子に苦笑を浮かべてしまう。

 こうなることは薄々わかっていた。何しろ、百年前にも一度和平を結ぼうとしていたのだから。

 陛下もそれを聞いたから、和平を決めた。一度でもそう思ったことがあるのなら話す余地はあると、そう判断したらしい。


「魔族は気紛れだから、維持する方が大変なのよ」


 ――それについては、魔王と陛下の話し合いや、これからの条件とかで色々変わってくるだろう。


 まあそれでも、少なくともクロエが生きている間はおかしなことはしないはずだ。彼らは皆、クロエを慕っている。




 そう、和平についてこれ以上ここですることはない。目下の問題は、私の首に浮かぶ紋様だ。加護がある限り、私は勇者のままだ。


「……だけど、これ、どうすればいいのかしら」


 目の前に散らばる災厄の魔力にまみれた物体を前に頭を抱えた。

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