冷血漢と姉 百年前


 白い花が咲く野原で男が一人寝転んでいた。

 心地良い風や、降り注ぐ暖かな日差しを楽しんでいる――わけではない。


 男の体には無数の傷が刻み込まれている。その傷口から流れる血で。白いはずの花弁はどす黒く染まっていた。

 花の香りを楽しむ余裕は勿論、傷を気にする余裕すら男にはない。

 ただ虚ろな瞳を空に向けながら、死にゆくのを待っているだけだった。



 今から二年前、魔王が現れた。


 魔王は人間を襲い、魔物と呼ばれる生き物を従えた。

 種を超えて徒党を組む魔物に加え、それまで人間の前に姿を現すことすらしなかった魔族までも魔王に従い、人間に刃を向けた。

 

 突然の事態に人々は逃げ惑い、明日の見えない生活に怯えるしかなかった。


 だが、魔王の恐怖は長くは続かなかった。


 現れたときと同じように、魔王は突然姿を消した。

 

 女神の加護を受けた勇者に討ち取られたと謳う者もいれば、気まぐれで姿を消しただけだと怯える者もいた。


 魔王が居なくなったことで、魔族と魔物は散り散りとなった。

 個人行動を好む魔族は好き勝手に動き始め、魔物は元いた縄張りに帰ろうとしはじめた。


 これを好機と捉えたのが、人間の王だった。武器を手に取るように人々に訴え、勇気ある者を従えて魔物を討ち取っていった。



 野原で寝転がる男もまた、一人で居たところを襲われた魔族の一人だった。



 百人程度ならば、男も苦戦はしなかっただろう。

 だが何百人という数は、一人で相手するには多すぎた。


 傷を負い続ける男とは違い、人間は深手を負っても治す術をもっていた。

 減らしても減らしてもかかってくる相手に、男は嫌気が差し、最後の力を振り絞って遠く離れた地に転移してきたのだった。


 静かな死を男は望んだ。



「だ、大丈夫ですか?」


 そんなささやかな望みは、呆気なく打ち砕かれた。

 甲高い声に、男の眉間に皺が刻み込まれる。


「邪魔だ、去れ」


 息を呑む気配は感じたが、立ち去ろうとはしていない。男は煩わしそうに、声のする方に視線を投げかけた。


 そこにいたのは、長い黒髪の、幼い子どもだった。

 顔は青ざめ、胸の前で固く握り締めている両の手は小刻みに震えている。

 今にも倒れそうなか弱い存在を見て、男は溜息を零した。


「そんな、こと言われても……怪我している人を、見捨てるなんて、できません」


 意思の篭った強い眼差しとは裏腹に、子どもの声は震えている。

 男は口の端を持ち上げて、馬鹿にするように笑った。


「おかしなことを言う、俺が人間に見えるのか?」


 目や肌、手足すら人間と変わらない風貌だが、髪の間から覗く長い耳は人間のものとは違う。

 見落とすことも、見逃すこともできない特徴は、魔族である証だった。


「魔族、ですよね。わかってます」

「ならば何故」

「……怪我、してますから」


 当たり前のように返ってきた答えに、男の顔から笑みが消えた。代わりに、眉間の皺が深くなる。

 剣呑な眼差しを向けられ、子どもの体がぶるりと震えた。


「ならばお前に何ができる。死に瀕した者を救う手立てが、お前にあるとでも?」

 

 齢十にも満たない子どもが取れる手段など、大人を呼んでくるか、死に際を見取るぐらいだろう。

 そのどちらも、静かな死を望む男にとっては遠慮したいものだった。


「女神様の奇跡を、扱えます」


 子どもの口から紡がれた言葉を受け、男は目を瞬かせた。


「覚えたてですが……私を、信じてくれますか?」

「好きにしろ」


 表情をぴくりとも動かさず、素っ気ない態度を取る男のことなど意に介していないように、子どもは男の傍らに座り込み、歌うように祝詞を紡いだ。





 女神の奇跡と呼ばれる、傷を治す魔法がある。人間がよく使う魔法として魔物や魔族の間では広まっていた。

 人間以外が使えない、というわけではないが、人間以外がこの魔法を好んで使うことはあまりない。

 信頼しあっている者同士ではないと効きにくいという点が、個人主義の魔族と相性が悪かった。

 

 自分用に使うには効率が悪く、信頼していない者に使おうとすると反動の多いこの魔法は、人間以外からは不便なものだと思われている。

 


 そして、男は今までの認識は何も間違っていなかったことを身をもって知ることになる。



 失われた血液が戻ってくることはない。傷口も完全には塞がっていない。

 致命傷を少しだけ塞いだぐらいの効果しかない。

 

 それなのに、子どもは肩で息するほど疲労していた。


「何度もやれば、効果は出るはずなんです」


 人間相手ならば、ほんの数分死を遠ざけただけに過ぎないだろう。

 だが幸いなことに、男は人間ではない。頑丈にできている体は、ほんの少しの手助けで生きるための活力を取り戻していた。


「また明日も、来ますね」


 感謝の言葉どころか、冷ややかな視線を投げかけてくる男に、子どもは小さな笑みを向けた。

 

 ふらつきながら立ち去って行く子どもの背中を見送ると、男はゆっくりと瞼を閉じ、眠りについた。





 子どもは毎日男の元にやってきた。

 食事を持ってきて、傷を多少癒すと子どもは立ち去り、男は冷ややかな態度でそれを見送る。


 それを何度か繰り返したある日のことだった。


 座れる程回復していた男は、歌う子どもをじっと見つめていた。


「え、と、どうしましたか?」


 歌い終えた子どもは困惑したような表情を男に向けた。


「お前は、何か得たい物はないのか?」


 突然の質問に、子どもは目を丸くする。

 子どもから話しかける試みをしたことはあるものの、その度に返ってきたのは気のない返事ばかりだった。


「と、突然、どうしたんですか」


 狼狽する子どもを見て、男は首をかしげた。


「何を慌てることがある」

「だって、会話、できたんですね」


 舌を打つ音に、子どもの体が震えた。


「あ、え、と……欲しいもの、ですよね! えーと、特には、ないです。家族もいて、幸せで……だから平穏な毎日で、十分ですよ」


 少し前まで魔王の脅威に晒され続けていた子どもにとって、それは心からの答えだった。


「ならば……俺がお前を守ってやろう」


 いつもの冷たい眼差しではない。温もりを感じる、というわけではないが、普段と違う様子に子どもは柔らかな笑みを浮かべる。


「私は今のままで満足なので、お礼なんていいですよ。今日みたいに、またお話してくれた嬉しいです」


 子どもは服についた葉を払うと、嬉しそうな表情で立ち去った。


 

「また、か」


 子どもの姿が見えなくなると、男は誰に呼びかけるでもなく小さく呟いた。

 

 万全の状態とは言えないが、男の体は十分に回復している。ここから立ち去る日が近いことも、男には分かっていた。


「ならば、万全になるまでは――」

 

 

 男が口に出そうとした声は、草の揺れる音でかき消された。

 

 いつからそこに居たのか、草の間から黒い羽毛で覆われた鳥が顔を覗かせている。

 紅く光る瞳が、男を見つめていた。


「可愛い子だね」


 人の言葉等話せそうな風貌ではないのに、鳥は流暢に言葉を操った。

 男は舌を打つと、冷ややかな視線を鳥に向けた。


「キミに幼女趣味があったとは知らなかったよ」

「なんだ」


 不機嫌を隠そうともしない男の様子を見て、鳥は愉しげな笑い声をあげた。


「久しぶりの再会だっていうのに、冷たいなぁ」

「用件を言え」

「キミは相変わらずせっかちだね」


 鳥は笑うのをやめると、男の膝の上に体を乗せる。

 無遠慮なその態度に、男の手が叩き落とそうと動いた。


「ここ最近の人間の横暴さは知っているだろう?」


 神妙な口ぶりに男の手が止まる。ゆっくりと手を下ろすと、男は訝しげに鳥を見つめた。


「まぁ、知らないとは言わせないよ。キミも被害にあった一人だっていうことは知ってるからね」


「馬鹿にでもしにきたのか?」

「ボクがそんな陰険なわけないだろう。対抗する為に、こっちも団結しないとねーって思って色々なところに声をかけてるんだよ。被害にあってない奴からは断られたから、キミなら頷いてくれるかなって思っただけさ」


 緊張感は微塵も感じられない。どこか軽い雰囲気は、使い魔を操っている者の性根のせいだろう。


「断ったらどうする」

「別にどうもしないよ。残念だけど、まぁ仕方ないことだと思って諦めるだけさ。キミが人間に好き勝手されても我慢できるぐらい丸くなったんだと思うと、嬉しいぐらいだよ」

 

 魔族が自らの意思で群れをつくることはない。

 好き勝手な場所に住み着き、個人で活動していた。魔王がいたから、他の魔族や魔物と手を取り合っていただけに過ぎない。


 

 だからこの誘いを受け入れる者は少ないだろう。

 

「いいだろう」

 

 だが、男は人間によって負わされた屈辱を忘れてはいなかった。


「キミならそう言ってくれると思ったよ」


 鳥は満足気な様子で羽を広げた。

 男の上空を旋回し、北に向けて飛び立つ様は、着いて来いといっているようだった。


 男は一瞬だけ子どもの去った方角に視線を向けたが、すぐに見るのをやめた。

 別れを告げることも、何かを残すこともせず、草原を立ち去った。

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