聖女の記憶1
私はずっと恐れていた。
子供の時から、恐れ続けていた。
双子は不吉だと言われ続け、一人娘として育てられた。危ないから、二人一緒に出てはいけないといい含められてきた。
危ないと繰り返された言葉は、子供心に恐怖を植えつけた。
姉が外に出る時は私は家の中に、私が外に出る時は姉は家の中。四人分の食材を買うと怪しまれるから、といつも姉と私は一人分の食事を与えられた。
一日置きに入れ替わり、どちらかは窓のない自室で一日を過ごし、どちらかは食卓に座り外に出かけて一日を過ごした。
文字通り、私達は二人で一人だった。
それでも良いと思っていた。姉も同じだったから。
どちらかだけが優遇されるような事は無かったから。
なのに姉はある日約束を破った。私が外に出てるのに、姉も外に出た。
魔族に会ったと楽しげに話す姉の姿が信じられなかった。
出てはいけない、危ないと言われているのに、どうして出たのか理解できなかった。だけど親に言うようなことはしなかった。私と姉は二人で一人だから、私も怒られるかもと思うと、言えなかった。
それから何度も姉は外に出続けた。私が止めても、姉は聞かなかった。
姉が出るなら私は出てはいけない。私は約束を守り続けた。
初めて二人で外に出たのは、魔物が村に押し寄せてきたときだった。
叫び声や獰猛な鳴き声が聞こえるたびに、私と姉は震えた。家の隅でうずくまり、互いに互いを抱きしめながらただひたすら耐えていた。
「逃げよう」
そう言って立ち上がる姉を、私はただ見上げる。何度も言われ続けた言葉が私を支配して、身動きが取れなかった。
二人で外に出てはいけない。何度も何度も、そう言い聞かせられてきた。動こうとしない私の手を引いて、姉は無理矢理私を家から引っ張り出した。
初めて二人で出た外は、悲惨だった。
散らばる人だったもの。崩れた家、上がる火と煙――そして家の前に、父と母だったものが転がっている。
近くに落ちている手にはペーパーナイフと包丁。それはいつも両親が使っているもので、とうてい武器になんてならない代物だ。
噎せ返るような血の匂いと光景に、姉が悲鳴を上げかけて、口元を押さえた。どこからか聞こえてくる魔物の声に体を震わせている。
「行こう」
今にも座り込みそうな姉の手を今度は私が引いた。
二人で外に出てはいけない、そう言っていた人はもういない。そしてとっくの昔に、言いつけを破っている。
だから今にも泣きだしそうな姉が不思議でならなかった。
叫び声から少しでも離れるように歩く。瓦礫に押しつぶされて呻いている人を見ても歩き続けた。足を失ってのたうち回っている人を見ても歩き続けた。
村を出れば助かるかもしれない。淡い期待を抱いて歩き続けた。
あと少しで、というところで声がした。
「お前らのせいだ!」
喚くような声に足を止める。
「双子がいたから魔物が来たんだ!」
血の気を感じさせない青い顔をして、その人は私たちを睨んでいた。もしもこの人に腕があったら、私たちを指さしていたに違いない。
この人のことを私は知っている。雑貨屋の店主で、いつも少しだけおまけをしてくれて、可愛がってくれていた人だ。
「おま――」
そこで声が途切れた。
私たちを睨んでいた目と頭が一緒になくなった。そして私たちを見つめる相手が、雑貨屋の店主から別のものに変わった。髪から覗く長い耳、赤く染まった瞳、人にはありえない髪の色――そのすべてが、それが人ではないと告げている。
愉しそうな笑みを浮かべるそれは、魔王と共に人の世を蹂躙した、人によく似ながら人ではない存在、魔族だった。
「ひっ」
姉が怯えた声を出して、一歩後ずさった。
私は動かなかった。動けないのではなく、自らの意思で動くのをやめた。そう、わかっていたことだ。双子は不吉だと散々言われていた。
だから私たちはいつも一人で、二人になってはいけない存在だった。
「逃げよう」
強く手を引っ張られ、走り出す姉につられて私の足も動き出す。
でも残念。必死な抵抗は無駄に終わった。
「どこ行くんだよ」
首根っこを掴まれ、宙に持ち上げられた。手を繋いでいた姉も引っ張られ、地面に転がっている。
「そっちじゃないよ」
「あァ? どっちも同じじゃねェか」
状況にそぐわない軽いやりとりをして、私を掴んでいる魔族が姉を引き離すともう一人の魔族に投げた。まるで物のような扱いに、地面に激突した姉の口からうめき声が漏れる。
「双子だったんだ」
地面に転がる姉と私を交互に見て、魔族は愉しそうに笑った。
「じゃあこっちはいらねェってことでいいのかよ」
「そっちも残しておいて。双子なら、面白いし」
首を掴む手に力が入り、少しだけ息苦しくなった。
「色が変わってもあいつは気付くかな」
独り言のように小さく呟くと、魔族は姉を持ち上げた。襟を掴まれて、苦しそうにもがいている。
「ああ、大丈夫。殺しはしないよ。後が怖いからね」
愉悦の混じる声と、姉の絶叫が私の耳をつんざいた。
「またいつか」
そう言って、魔族は私と姉を置いていった。
人も魔物もいなくなった村に残され、目を失い、髪の色も失った姉が起きるのを、ただ待ち続けた。
髪の色が白くなった姉と私を双子だと思う人はいなかった。町の教会に引き取られ、私と姉は一人ずつの人間になった。
二人で一つ、リフィーネという名前を二人で分けて、私たちはリリアとフィーネになった。村の近くに咲いていた、とてもよく似た二つの花の名前。それは私たちにとても似合っている。
それからずっと、私は恐れていた。家の中に閉じこもっているときよりも、ずっとずっと恐ろしかった。
またいつか、あの魔族が私たちの前に現れるのを恐れ続けた。
そして十六になり――夢を見た。
それはここではない、まったく別の世界の夢。
そこで私は一つのゲームを遊んでいた。個人製作の無料配布のゲームで、なんの気なく遊んでいたそれは、私と姉の未来を描いたものだった。
十六になったある日、町に魔物が押し寄せてくる。そこには姉が昔知り合った魔族もいた。
その魔族は姉を守ると誓い、村が襲われたことを今更ながら知り、姉を確保するために町を襲った。そして、髪の色が変わった姉に気付かず、私を攫う。
目を失い、色を失った姉ではなく、私が攫われてよかったと――最初は本気でそう思っていた。姉はこれ以上何も奪われないのだと、嬉しかった。
それなのに姉は私を助けるために、魔族の住処である屋敷に姿を現した。傍らに自身の目を奪った魔族を連れて。
村を焼かれ、親を殺され、教会で共に育った人も殺された。魔族に対する恨みや憎しみはいつしか狂気に変わり――魔族と親しく接する姉に対する怒りにも変わった。
姉が言いつけを破らなければ、不吉だと言われていたのだから、ずっと一人でいれば――姉を思って喜んでいた日の自分はいつしかいなくなり、ただ狂った少女だけが残った。
私もまた魔族と親しくし、魔族が守ると誓った姉に目を向けさせなかった。守ると誓った相手を傷つけて、最後の最後で間違いに気付くき嘆く魔族を想像し、歓喜に震えた。
だけど、そう上手くは運ばない。
いつしか魔族は姉と私の違いに気付き、姉を選んだ。そして姉と寄り添いあいながら、魔族は姉に告げる。
「妹は帰りたいと願ったから人里に置いてきた」
姉はその言葉を信じ、魔族に優しい笑みを向けた。
そして、私は一人暗いところに転がっていた。
「痛いよ、苦しいよ……お姉ちゃん、助けて……」
呻きながら、涙を流し、救いを求めていた。
「……ごめんなさい……」
そしてその言葉を最後に場面が切り替わり、姉と魔族の幸せな最後が語られる。
――というのが姉視点で進んでいくゲームだった。
私――妹の視点については詳細は描かれない。ゲームには幸せな終わりか、姉の死という終わりしかなく、妹の心理描写については姉の死で終えたときに、端的に語られていく。そしてそれを繋ぎ合わせ、今の私の境遇と照らし合わせた結果、きっとこういうことなのだろうと推測した。
また、姉が恋する相手は私を攫った魔族以外にもいた。目を奪った魔族、私を捕らえて姉を放った魔族。どれもがろくでもない相手で、到底許せる相手でもなかった。
だからそう、何も知らずに進んでいけばたしかに私はすべてを恨み、憎んだだろう。
「……さすがに、無理」
目が覚めて最初に漏れ出たのがその一言だった。こんな結末を知ってまで、同じ道は歩めない。
それに私は別の世界での幸せな家庭というものを知ってしまった。二人で一人、それのなんと異常なことかを知ってしまった。
以前のように親を慕う心は残っていない。ずいぶんと身勝手な話だとしか思えなくなった。せめて家族四人で食卓を囲めていれば違ったのかもしれない。
だけど私たちはいつでも三人家族だった。四人になったことはない。
そんな親のために、どうして私か姉が死なないといけない。それに村で一番優しくしてくれた人は、私たちが双子だとわかると罵り、襲ってこようとした。
今親しくしている人たちは死んでいない。
すでに死んだ人たちのために、自らの命を差し出す気にはなれない。
「起きちゃったの?」
布が敷かれているだけの寝台の上で、姉が体をわずかに起こして首をかしげた。
「悪い夢を見ちゃって」
本当に、悪夢としか思えない夢だった。それなのに、どうしてもあれが非現実的なただの夢だとは思えない。夢ではなく現実であると思わないと、よくないことが起きる気がする。
「じゃあ、少しお話でもしようか」
そう言って、姉は将来何なりたいかとかを明るい声で話しはじめた。
私はこの会話を知っている。この会話をした翌日に、魔族が襲ってくる。
「――だけど、私には無理かなぁ」
花嫁になりたい、そう語った口で、ぼやく姉に向けて、私はこれでもかと笑顔を作った。
「じゃあ、冒険者になろう」
姉の目が丸くなり、本気? と問いかけるように僅かに口が開いた。
「どうせ今年中には教会を出ないといけないんだし、今日出ていってもいいと思うんだよね」
「ね、ねえ、ちょっと待って。今日って、どうしてそんな急に」
「思い立ったらすぐ行動しないと、うじうじ考えてたら乗り遅れちゃうよ」
寝台から飛び起きて、荷物をまとめる。あの魔族は姉を攫うために町に来た。それなら姉が町からいなくなれば、探すことに労力を使うはずだ。
ただの希望的観測でしかない。だけど他に方法はない。
「ほら、お姉ちゃん。行こう」
あの日姉に手を取られたように、今日は私が姉の手を引っ張る番だ。
多少どころかだいぶ無理矢理だったが、姉は私についてきてくれた。
夜中に出たせいで、まだ外は暗い。月明かりを頼りに町を出て、とりあえずは一番近くの村に行くことにした。
冒険者制度は魔王がいなくなってから、王様によって作られたものだ。魔族や魔物の情報を集め、討伐を生業とする。報酬も軍庫から出るのだが、魔王のいた時代にだいぶ消費していたようで、税を費やしているらしいと噂で聞いたことがある。
そのあおりを受けて、教会に対する支援金は減り中々苦しい生活をしていた。教会を出て冒険者になった人や、何かしらの職についた人が援助してくれてはいたが、それでもやはり生活は楽ではなかった。
教会で暮らしている間は冒険者なんて、と思っていたが、居住を決めず転々と過ごすことを目的とするなら一番の隠れ蓑になる。
一つ所に留まって、あの魔族が襲ってきたらたまったものじゃない。
――そんな気持ちではじめた冒険者だったが、意外なことに姉には剣の才能があった。師事してくれる人を見つけ二人で習ったのだが、私にはまったく、これっぽちも才能がなかった。
姉のお荷物となるのは嫌だったので、情報を集めたり人との渡りをつけたりといった、裏方業に専念することにして、気付けば一年が経っていた。
町が襲われることも、私たちが立ち寄った場所が襲われることもなく、ただ安穏とした一年を過ごしていたある日、洞窟の探索という依頼が舞いこんできた。
魔物の調査と、危険であると判断した場合は即時退却、報告の後騎士団の案内を。よくある依頼ではあったのだが、報酬があまりにも破格だった。
報酬の度合いによって、命の危険度が測れる。これは、下手すると命を落とす依頼だ。
死んだ場合は、危険な依頼だと冒険者組合が判断し王に仕える騎士団に報告書を提出する流れになっている。
「……どうする?」
机を挟んで前に座る姉に視線を投げかける。もっぱら戦うのは姉の仕事だ。姉の剣技の腕前は凄まじく、この依頼も完全な捨て石ではなく完遂できる可能性のある人に出している。でなければ、案内という一文はいらない。
実際、あまりにも危険な依頼は組合に報告で締めくくられる。それでも、その依頼を受けてしまう人がいるのは報酬の高さと、自分の腕前を過信してのことだろう。
魔王と人との戦いが終わってもう十年も経つが、当時の爪痕は色濃く残っている。家族を失った人や、家や住んでいた土地すらなくなった人もいる。
職に溢れた人も多く、冒険者になるのは明日の食事にすら困る手合いがほとんどだ。
「危なくなったら逃げればいいんだよね。逃走用の道具を多くすればできないかな」
姉は少し悩んでから、わずかに首をかしげた。報酬が高いということは、その分教会に送れる仕送りが多くなる。
だから姉はなるべく依頼を断らずにここまでやってきた。残してきた小さな子どもたちや、お世話になった神父さまに報いることを一番に考えている。
「大丈夫だよ。何があっても、リリアは私が逃がすから」
なら私は姉を逃がすために尽力しよう。
そうして受けた依頼の先で――あの魔族に、姉を守ると誓った魔族に出会うことを、私はこのときまだ知らなかった。
洞窟の中を歩いていると、ぞわりとした嫌な寒気を感じた。これ以上はいけない、行ってはいけない。言い知れぬ不安に、姉に帰ろうと告げる。
「リリアが言うなら、そうしよっか」
姉はきょとんとした表情ながら、こくりと頷いてくれた。
だけど、少し遅かった。
「どこに行くつもりだ」
わざとらしい靴音と共に、踵を返そうとした私たちの背に声が届く。
「ようやく見つけたというのに、逃がすわけがないだろう」
淡々とした口調に、慌てて姉を背に庇った。大丈夫、こいつは私と姉の区別がつかない。私が攫われるだけなら、姉は無事に帰れるはずだ。
ランタンの明かりが、近づいてきた魔族を照らす。深紫の髪に、長い耳。そして赤い瞳が私と姉を交互に見比べた。
「……癒しの力を使えるのはどちらだ」
癒しの力は教会の人が使える、女神様の奇跡だ。傷を癒すそれは門外不出の教会だけの技術。
だけど姉は一度怪我をしたときに女神様の奇跡を受けた。そしてそのときに、祝詞を覚えてしまった。
姉が魔族と出会ったのは、白い花の咲く花畑だった。傷つき血を流す魔族を見て、姉は必死に覚えたばかりの祝詞を唱え、癒しの力を行使した。
それを連日続けた結果、魔族は姉を守ると誓った。
私からしてみれば傍迷惑な話だ。
姉が私の服をぎゅっと掴んだ。幸い、とでも言うべきか、姉は村を襲われたときの衝撃で魔族や祝詞についての記憶を失っている。
だから魔族に悟られることはない。
「……下がって」
ぽそりと耳元で囁かれる。
「ま、待って、お姉ちゃん。駄目だよ」
魔族を前にして姉は戦う気だ。それだけは止めないといけない。到底敵う相手ではない。
「逃げて」
端的に告げられ、続いてかちゃりと金属音が後ろから聞こえた。これは柄に手をかけている音だ。魔族から目を逸らしたくはないが、今は姉を止めないといけない。私は姉を逃がすと、そう決めたのだから。
「ああ――そちらの方か」
姉を止めようと振りかえる寸前、どこまでも冷たい声が静かに響いた。
「言っただろう。守ると。お前に危害を加えるつもりはない」
「……何?」
魔族と姉の間に挟まれて、どうすればいいのかと逡巡する。どうして姉だと気付いたのかはわからないが、ここから私ですと言い出しても信じてはくれないだろう。
夢で遊んだゲームの話ではあるが、この魔族は鈍いくせに頑固だった。
「大人しくついてくるというのなら、それに手だしはしない」
ちらりと魔族の視線が注がれる。感情がないのではと思わせるほどの、絶対零度の眼差しに、体の芯が凍り付く錯覚に襲われる。
唾を飲み込むことすらもできず、ただじっと赤い瞳を見返すことしかできない。
じゃり、と砂を踏む音がすぐ近くから聞こえた。
「駄目」
姉が一歩踏み出したことに気付き、凍り付いていた体が言葉を紡ぐ。
「お姉ちゃんが行ったら、この場で死ぬから」
自分を人質に取った作戦は、思いのほか姉によく効いた。息を呑み、肩を落とす気配を感じる。
「……くだらん」
そして姉の代わりに魔族が一歩前に踏み出した。
「ならばどちらも連れて行くまで」
思っていたよりも短気な魔族は、これ以上の問答は不要とばかりに私と姉を攫った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます