番外編

宰相子息と元勇者 『庇護の対象』裏側

 まったく、うんざりする。魔族の話もそうだが、眼鏡を通して見たものや、今さっき目にしたもの、そのすべてが私を苛立たせる。


「パルテレミー様」


 横を歩くクロエが足を止めて呼びかけてきた。殿下たちから離れ、もう十分だと判断したのだろう。彼女が何を言いたいのか、何について言うのかはわかっている。

 魔族と交流のある彼女なら、あれが何かも知っているのだろう。


「彼女はなんですか」


 だからこちらから聞いてしまおう。言葉を選ばれたりなどの無駄な時間は過ごしたくない。


「……魔女について知っていますか?」

「勇者を殺した者と、文献には載っていましたが……彼女がそうだと?」

「私も彼女が魔女だと耳にしただけなので……ですが、間違ってはいないでしょう」


 魔族に続いて魔女か。いつか魔王まで現れるのではないか。


 魔王について記されているものが我が家にはある。何代か前の当主が残した手記には、魔王と魔女――そして魔族についてが載っていた。変わり者と呼ばれていたようだから、それも与太話か妄想の産物なのだと思っていたが、どうやら本当にあった話だったようだ。


 ――忘れたくない。


 手記に書かれた一文が頭に浮かぶ。

 その後からは、何を発明したか、光石をどう改良したかについてが書かれていた。


「魔女がどうしてこの学園に来たのかは?」

「さあ、それはわかりませんが……彼らと親睦がある方なので、教師をしている者に用でもあったのではないでしょうか」


 眉をひそめ、顎に手を当て、考えるような素振りは彼女に心当たりなどあるはずがないと思わせるには十分なものだった。


「……それで、彼らと交流があり、魔女についても知っているあなたは何者ですか」

「古い知り合いなだけ、では納得していただけませんか?」

「ええ、そうですね。彼らが幼児に興味を示すとは思えませんので」


 魔王の傍らには幼女がいたそうだが、それはまた別の話だろう。


「それに勇者と聞いても何も反応しませんでしたからね」


 ぴくりとクロエの瞳が揺れた。


 魔女が殺されたとされているのは女神の御使いであって、勇者ではない。それは手記に残されていた情報だ。

 女神の御使いを勇者と呼ぶ者は、この時代には存在しない。


「さて、あなたは誰ですか?」



 魔力量は多いが、人間の枠は超えていない。彼女が人間であることは間違いないはずだ。

 押し黙ったクロエを観察するように見ていると、不意に顔が上がった。ふんわりとした柔らかな笑みに、警戒心を強める。


「誰だなんて、私はただの一般市民です」


 彼女の周囲を取り巻く魔力が揺れ、触手のように私に向けて伸びてくる。


 まったく、うんざりすることばかりだ。


「催眠魔法は自分よりも魔力の多い相手には効かないと知っていますよね? 私があなたに負けていると思われるとは、なめられたものです」


 自分の魔力がどれぐらいあるのかなど、眼鏡を作ってまず確認したことだ。命を食めば多少だが増えることも確認してある。マドレーヌは野菜を食べろとうるさいが、魔力を増やすためには必要なことだ。


「……パルテレミーは厄介だと聞いてはいましたが、なるほど、そういうことですか」


 彼女の魔力は王族に匹敵する。普通なら、催眠魔法にかからない者の方が少ないだろう。

 思考の誘導ぐらいしかできないとされているが、それでも私にとっては厄介なものだった。自分の考えが誰かに誘導されるなど、パルテレミー家の者にあってはならないことだ。


 あの魔族には遅れを取ったが、人間の枠を超えていないのならば私の敵ではない。十の頃よりこれまで魔力を増やすことに専念してきた私はすでに、王族に匹敵するだけの魔力を持っている。


「こちらの力量を推し量られるというのは厄介ですね。……しかも私よりも魔力が多いとは予想外でした。戦闘力は五十三万とか言ってみませんか?」

「何を馬鹿なことを言っているんですか。魔力は戦闘力ではありませんし、数値化するようなものでもありません」

「いえ、こちらの話です。忘れてください」


 少し恥じ入るように頬を染めて視線を下げる姿に、今度は一体なんの策略かと警戒したが、いくら待っても何か仕掛けてくる気配はない。

 痺れを切らした頃に、ようやく顔を上げた。


「いいでしょう。お話します。……ですが、他言無用でお願いします」

「勿論。私は知識欲さえ満たせれば十分ですので」


 それからクロエと共に店に戻り、完全な人払いと音が漏れないように結界まで張られた。その結界についても今度詳しく聞くとしよう。


「私は勇者です。正確には、千年前の勇者の記憶を持つ者です」


 彼女が語ったのは魔族と共に旅をしたこと、その仲間には魔女もいたこと。そして魔女に殺された勇者こそ自分だというものだった。


「彼女を恨んではいないんですか?」

「私が殺してほしいと願ったのに恨むはずありませんよ」


 どいうことかと訝しげな表情になる私に、彼女は勇者とは何か――その最後がどういうものなのかを話してくれた。

 女神の加護を与えられただけの唯人で、使命を果たした末に待つのは拷問のような痛み。それは俄かには信じがたい話だったが、「信じられないのなら、それでも構いません」と言う彼女の顔には焦燥が浮かんでいた。


「いえ、信じますよ。あなたについても魔女についてもわかりました。……ではあれを従者にしていた彼女は一体何者なんですか」

「ただ目をつけられただけの、不運な方ですよ」


 自嘲にも似た笑みに、どこまでが真実なのかを推し量る。おそらく彼女はすべてを語ってはいないだろう。

 そしてすべてを語る気もない。


「……わかりました。今はそれで納得しておきます」

「助かります」

「ですがよかったんですか? 私にこんな話をして」

「聞いてきたのはあなたの方じゃないですか」

「それでも正直に話す必要はなかったでしょう」


 はぐらかすことも、何も言わないことも彼女にはできた。私の得たい知識は彼女の中にしかなく、無理矢理引っ張り出すような手段は私にはない。


「……頼るためですよ。あなたは私が何者なのかも、勇者がどういうものなのかも知ってしまいました。……もしもあなたが存命中に勇者が生まれるようなことがあれば、助けてあげてください」

「あれらにすら対抗できない私に何ができると言うんですか」

「あなたには地位があります。地位あるものの理解があれば、次代の勇者は救われるかもしれません」


 災厄を打ち払った末に死ぬ者に与えられるような救いなど、私は持ち合わせていない。

 そもそも私が見ず知らずの誰かを助けるような謂れもない。


「見捨てるかもしれませんよ」

「それならそれで仕方ないですね。でも、次代の勇者はどこから生まれるかわかりませんので、あなたが助けたくなるような方かもしれません。そのときに、諸手を挙げて見送るようなことはしないでほしい……それだけです」

「……そうですね。私に近しい者が勇者となったら、そのときは助けますよ」


 それで満足だというように頷く彼女を見て、話はこれで終わったのだと察する。もうこれ以上は何も話さないだろう。


「それでは私は帰りますが、あなたはどうしますか?」

「あなたと一緒に戻ってルジャンドル様に見つかっては厄介なので、少ししてから戻りますよ」


 それでは、と一礼して部屋を出ようとした私の背に「ああ、そういえば」となんの気ない彼女の言葉が向けられた。


「レティシアのこと、本気だったのでしょう?」

「さあ、どうでしょうね」


 その程度の揺さぶりに反応するほど、落ちぶれてはいない。


「どうやら私はあなたにも嫌われたようですね」

「私はこの世界すべてが嫌いなので、ご安心ください」


 彼女はそれ以上私を引き止めようとはしなかった。

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