編入生の登場


 授業初日は、それはもう騒がしかった。

 まず、クロエが上級クラスに来たことでひと騒動が起きた。下級クラスから上級クラスに昇格したということは、それ相応の成績を収めたということで、魔法学だけ一緒の女生徒程度の認識が一気に覆されたことになる。


「クロエ様! これからもよろしくお願いしますね!」


 合宿帰りの馬車で、クロエと一方的に打ち解けたマドレーヌがきゃいきゃいと騒ぐのをパルテレミー様が真顔で諫めたり、クラリスが「このクラスに相応しい振る舞いをすることね」と嫌味を言ったり、遠巻きに眺めている人たちがざわざわしたりと、本当に騒がしかった。


 そして、教師の告げた一言でより騒がしくなった。


「アドロフ国から留学生が来ましたので、皆さん仲良くするように」


 留学生に限らず、学園に入る気のある者は初年度から入学するのが普通だ。途中編入はそうある話ではない。というか、学園創立以来初めてのことかもしれない。

 そんな普通ではない編入生にざわめきが起きて、教師に促されて入って来た女の子を見て誰もが口を閉ざした。


「モイラ・ルクレティアと申します」


 スカートの裾を小さく摘まんで腰を落とす女の子に視線が集中する。


 あの陰険魔族にかけられた記憶力向上の魔法はいつの間にかなくなっていたので、はっきりと王妃様の顔が思い出せるわけではない。だけど、目の前にいる――モイラと名乗った女の子は王妃様を連想させるには十分すぎるほどの容姿を持っていた。


 ルシアン様と同じ色をした艶やかな髪に、宝石のような青い目。儚げなのに芯がありそうな、凛とした佇まい。薄く微笑む姿は妖精のようだった。


 王妃様が亡くなられてすでに六年が経っている。直接見たことのある人はこの場にはあまりいないかもしれないが、肖像画などで目にした機会はあるはずだ。

 だから皆息を呑み、編入生の一挙一動を見守っていた。


 軽やかな足取りで机の間を抜けて、彼女のために用意されていた椅子に座った。思わず視線で追ってしまうくらいに、彼女は人を惹きつける。


「それでは教科書を開いて――」


 老齢の歴史の教師の声が教室に響いても、教科書を開く音は中々聞こえてこなかった。




 教師が何度か教科書を開くように促して始まった授業は、またたく間に終わりを迎える。休憩時間を告げる鐘の音が鳴り響き、教師が教室を出ると皆の視線が編入生に集中した。

 だけど駆け寄って話しかけられるような人はいなかった――いつだって騒がしいマドレーヌを除いて。


「アドロフ国からの留学生だなんて珍しいですわ! アルフィーネ様とは親戚ですの? とてもよく似ていらっしゃいます!」

「え、ええと、あなたは?」


 ぐいぐいと来るマドレーヌに編入生の口元が引きつった。


「あ、失礼いたしました。私、マドレーヌ・ルシャンドルと申します」

「ルシャンドル様ですね。私はモイラ・ルクレティアです……それで、先ほどの質問ですけれど、私はアルフィーネ様とは縁戚関係に当たります」

「マドレーヌとお呼びください! ルクレティアはたしかアドロフ国の侯爵家でしたわね。三代前の王妹が嫁がれた家だとは知っているのですけど、銀の髪はたしかアルフィーネ様の母方由来のものだったような……それなのにこれほど綺麗な髪の色をされているだなんて、すごい偶然ですのね!」

「アルフィーネ様の母君も私の縁戚です」

「まあ、そうなんですの? ルクレティア家がそれほど王家の血筋と密な関係でいらっしゃるだなんて、勉強不足でしたわ」


 マドレーヌに勉強を教えているパルテレミー様の顔が引きつっている。

 パルテレミー様もルクレティア家について詳しいことは知らなかったのかもしれない。ちなみに私はまったく知らない。ルクレティア家が侯爵ということも、今の会話を聞いて初めて知った。


「それにルクレティア家にこれほど綺麗な方がいらっしゃることも知りませんでしたの。どちらに隠されていたのかしら」

「……私はつい先日まで市井で過ごしていましたから、知らなくて当然ですよ」

「まあ、そうなんですの? でしたら貴族階級についていくのは大変ですわね。でもご安心ください! このクラスにはもう一人市井出身の方がいますし、優しい方も多いので是非頼ってくださいな!」


 優しい方、というところでマドレーヌがちらりと私を見たような気がしたが、きっと気のせいだろう。

 編入生はきょとんと目を丸くしてから、可愛らしく微笑んだ。


「まあ、私の他にもいらっしゃるの? 是非仲良くしたいです」

「ええ! とっても可愛くて優しい方ですから、きっとすぐ打ち解けられると思いいます!」


 クロエの様子をうかがうと、完全に硬直していた。小動物の演技も忘れて、マドレーヌと編入生に釘付けになっている。

 承諾も何もないマドレーヌの善意の押し付けに、私は心の中で合掌することしかできなかった。


「マドレーヌ、そのあたりでやめておきなさい」

「はい!」


 パルテレミー様が仲介に入って、マドレーヌが引き下がった。パルテレミー様はもののついでとばかりに編入生に自己紹介だけして、自分の席に戻った。

 そして次にディートリヒが編入生に近づき、それを皮切りにどんどん声をかける人が増えていく。


 そして残すところ私とルシアン様だけとなった。席に座ったまま動かないルシアン様と、完全に出遅れてしまった私。


「レティシア・シルヴェストルと申します。今後ともよろくお願いいたします」


 最後に挨拶するのは目立ちそうなので急いで挨拶して、席に戻る。編入生は皆に「モイラとお呼びください」と言っていたので、多分私にも同じことを言おうとしていたのかもしれない。


 だけど、無理だ。教室中の視線が集中するような中で自己紹介とか、私のノミのような小さい心臓では耐えられない。


「あっ」


 早々に戻っていく私の背中に鳥がさえずるような可憐な声追いすがる。相手の挨拶も待たずにさっさと立ち去るのはどう考えてもマナー違反だ。

 だけどあの場に留まることは私にはできない。注目されているというだけで変な汗が出てきそうだった。


「……ルシアン・ミストラルです。ルクレティア家の方からご事情は聞いておりますので、何か困ったことがあれば言ってください」


 席に戻って、一生分の勇気を使ったと息を吐いていたらルシアン様の声が聞こえてきた。


「まあ、あなたが……。アルフィーネ様とはお会いしたことがありましたので、あなたにもお会いしたいと思っておりました」

「……母上と?」

「はい。五つにも満たないような小さなときですけど」

「そうですか……」

「ルシアン殿下の瞳は父親似ですけど、髪と目元はアルフィーネ様に似ていますのね。アルフィーネ様もあなたのように、とても穏やかな目をされていました」

「……私よりもあなたの方が似ていますよ」

「まあ、そうなの? 嬉しいことをおっしゃってくださるのね」


 うふふ、と穏やかな笑みがモイラの口から漏れて、授業開始を知らせる鐘の音が鳴った。



 二限目が終わり、同じ市井出身だからとモイラにクロエが引きずられていくのを横目に、クラリスたちと食堂に向かうことになった。

 クロエやモイラのインパクトが大きすぎてすっかり忘れていたが、アドリーヌも上級クラスに上がっていたので、同じ教室から食堂に向かっている。


「下級クラスから一名、中級クラスから一名……今年はずいぶんと豊作ね」

「なにが豊作なの?」


 ぽつりと呟いたクラリスの言葉に首をかしげる。


「上級クラスにいる方は、国の中枢を担うことになるかもしれない方たちですのよ。中枢とまでいかなくても、優秀な方が多ければ多いほど、国は栄えます」

「……なるほど?」

「……上級クラスにいる方は成績は勿論のこと、魔法も優秀ということになります。魔法に精通している方が増えると、災害に対応するのも楽になる、ということですわ。ですので上級クラスの方が多いということは、将来的に国の益となる方も多いということですわ」

「なるほど」


 なるほどなぁ、と頷いていたらクラリスがものすごく微妙な視線を向けてきた。


「領地を営むのにも魔法は必要不可欠ですのよ。魔物に対抗するのにも必要なものですもの」

「魔物討伐は騎士団の仕事ではないの?」

「騎士団は国に所属している機関ですので、すべての領地を守れるわけではございません。私兵として爵位を継げない三男以降を雇って防衛に充てたりするぐらいですのよ。ルシアン殿下に嫁がれるのでしたら、そういったことにも詳しくなっておいた方がよろしいのではなくて?」

「……そのうち詳しくなるわ」


 今は歴史や貴族間の繋がりとかを教えてもらっている最中なので、領地経営についてとかには触れていない。

 多分そのうち教えてくれるだろう。


「市井の方――たしかクロエとおっしゃったかしら。あの方を狙っている者がいたことはご存じ?」

「知らないわ」

「……他家との関わりもなく、知識もそれほど多くない見目のよい魔法を使える娘ですもの。去年は様子見をされている方が多かったようですが、今年からはそういった誘いも増えていたことでしょうね……下級クラスにいたままなら」


 詳しく話を聞いてみると、下級クラスにいる人で領地を持っている人はあまり多くないので、そこからの引き抜きを企む人が多いらしい。魔法を使える者が多ければ多いほど領地は発展する。

 だけど家同士の確執やらなんやらで、手あたり次第に――というわけにはいかない。そんな中で、一切の確執がなく、上級クラスにいけるほどの魔力を持つクロエはとても都合のよい相手だったらしい。


 下級クラスにいるということは成績もあまりよくない、つまりいくらでも言いくるめられそうな相手として見られていた。おどおどした小動物のような所作もその勘違いを増長させていたらしい。


 だけど上級クラスに上がってしまったせいで、おいそれと手を出せない相手になってしまったというわけだ。

 今は爵位のない相手でも、将来的には爵位を賜って国に仕えるようになるかもしれない――そうなると、国よりも先に声をかけるわけにはいかない、となるらしい。


 クロエは色々と都合がいいからと言って上級クラスに上がった。その辺りの思惑が関係していたのかもしれない。


「国に仕えるというのなら、それ相応の振る舞いを身に着けていただきたいものですけどね」


 多分クロエならやろうと思えばできると思う。やろうと思わないだけで。

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