魔族の話

 学年が変わっても時間割は変わらない。五日目にはダンスの授業を受けて、寮に帰る。明日はルシアン様に予定があるとかで、完全に自由だ。何して過ごそうかとうきうきしていた私の腕を誰かに掴まれた。

 予告なく掴まれたせいで前に進もうとしていた体がよろめく。倒れかけたところを受け止められて視線を上げると、少し気まずそうな顔をしたディートリヒがいた。


「……この程度で倒れかけるとか、貧弱すぎるだろ」

「運動とは無縁の生活を送ってきたので」


 部屋でごろごろしかしてこなかった女子ををなめないでいただきたい。全力で走るだけでぶっ倒れそうになるぐらいの貧弱さだ。


「明日さ、暇だったら遊びに行かない?」

「いやよ」


 どうしてディートリヒと出かけないといけないのか。そんな暇があったら部屋でごろごろしていたい。


 寄りかかっているところを誰かに見られたら誤解しか生まれないのでさっさと離れようとしたら、逃がさないとばかりに胴に腕を回された。

 もはや誤解どころでは済まされない体勢だ。授業が終わった後にダンスの教師と少し話していたので周りには誰もいないが、いつどこで誰に見られるかわからない。そして私は噂というものは空恐ろしいものだと、今さっき学んだばかりだった。


 ダンスの教師は私が婚約の解消を望んだことを知っていた。そしてダンスのパートナーを変えたいかどうかと聞いてきたのだ。学園の教師まで知っているとか、噂って怖い。


「離してよ」

「一緒に行くって約束してくれたら離すよ」

「冗談じゃないわ。どうして私があなたと出かけないといけないの」


 せっかくの休日をそんなことで潰したくない。私は部屋でごろごろしていたい。


「魔族について色々聞きたいんだよね」

「クロエに聞いてちょうだい。ルシアン様以外の異性と出かける気はないわ」


 異性の話題をみだりに出すなということは、異性とふたりで出かけることもよく思わないはずだ。それにルシアン様とディートリヒは仲が悪い。

 親しい友人が嫌いな相手と遊んでいると不機嫌になるのは、女の子同士でもよくあることらしい。

 私自身は友人の少ない人生を歩んできたので、体験談とかではなく本とかで読んだ知識だけど、あながち外れてもいないだろう。


「そんなにあいつがいいんだ?」


 胴を強く締められて内臓が出そうになった。腹筋を鍛えていない人間の耐久力を甘くみないでほしい。


「……なんでそんなにルシアン様のことが嫌いなのよ」

「気にくわないだけだよ。で、どうする? 出かける? 出かけないならこのままだけど」


 学舎から寮までの道中。人目につくかもしれない場所で、ディートリヒに潰されかけている私。それが傍目からどう見えるかを考えて、悩みに悩んで――




「明日、一緒に出かけてくれる?」

「いいですよ」


 クロエと一緒なら、ということで解放してもらった。ふたりじゃないなら問題ない、はずだ。多分。

 内臓を潰されたり嫌な噂が立つよりはマシだと判断したのだが、了承なくクロエを巻き込んでしまったことが申し訳ない。


「ディートリヒ王子も一緒なのよね」

「……それなら立ち寄る店を考えないといけませんね」


 眉根を寄せてあれやこれやと考えはじめるクロエに、そういえばと思い出したことを伝えることにした。


「パルテレミー様のことなんだけど――」





 まあ、そんな色々なことが重なった結果、クロエと私、それからディートリヒとパルテレミー様で出かけることになった。



「なんでこいつがいるのかな」


 思いっきり顔をしかめているディートリヒと、頭が痛いみたいなポーズをしているパルテレミー様。これが一番効率的だと判断したクロエの案だったけど、そういえばディートリヒに伝え忘れていた。


「それはこちらの台詞ですよ。話があると言われたからわざわざ予定を空けたというのに……」


 そしてパルテレミー様にも伝え忘れていた。


「面倒なのでおふたりの疑問を一気に解消しようと思ったのですが、気にくわないのであればいつでもお帰りください」


 パルテレミー様に用件を伝えたのはクロエなので、これに関しては確信犯だったのかもしれない。

 不満を抱きながらも帰りたくない男性陣を引き連れて、クロエの選んだ店に向かう。人目を避けられて、美味しいお茶も飲めるいい場所があるとかなんとか。



 大通りを抜け、細道を抜け、人の通りの少ない場所を抜け到着した先にあったのは、魔道具店だった。


「管理を任されているんですよ」


 棚に並んでいる魔道具に目を奪われつつ、店の奥に進んでいく。従業員が少しだけこちらを気にしているが、声をかけてくることはない。


「気に入ったものがあれば言ってくださいね。知人価格で少しおまけしますよ」


 会議室のような広い空間に到着してようやく、クロエが私たちに振り返った。お茶の用意を従業員に頼んでから、椅子に座るように促される。

 私はクロエの横に座り、対面にディートリヒとパルテレミー様が間に椅子ひとつ分空けて座った。


「……稼ぐことを目的にしているようには見えませんが」

「稼げるに越したことはありませんよ。扱っている商品が商品なので、大通りに出店できなかっただけです」


 並べられたお茶に口をつけて、用意された茶菓子にも手を伸ばす。甘いし美味しい。


「それで、何を聞きたいのでしょう」

「まずは、あれがなんなのかを」

「彼らは魔族と呼ばれる種族です。膨大な魔力を持ち、気紛れに人を害する種族なので近づかれないことをお勧めします」


 私が口を挟む隙はなさそうだ。というか、クロエだけで十分だったのではないか。どうして私はここにいるのだろうと悩んでいたらディートリヒと目が合った。


「美味しい?」

「ええ、美味しいわよ」

「お菓子が好きなんだね」

「美味しいものはなんでも好きよ」


 食は生きていくのに欠かせないものだ。それなら美味しいものを食べたいと思うのは当然のことだろう。


「しかし、教師をしているのなら近づくなというのは無理があるでしょう」

「あれは……まあ、神経を逆撫でしなければ害はありません」

「私の存在そのものを厭んでいるようでしたが、その場合はどうしろと?」

「あなたに害を及ぼそうとした場合は、私から注意しますのでご安心ください」

「……そもそも、あなたはあれとどんな関係にあるんですか」

「古い知り合いなだけですよ」

「それは、彼女も?」


 パルテレミー様がこちらを見て眉をひそめた。私は屋敷から出ないことで有名な令嬢だ。魔族とどうやって知り合ったのか不思議に思っているのかもしれない。


「……彼らはかつての聖女とも知り合いです。聖女によく似た彼女に興味を抱いたのでしょう」


 クロエの返答にパルテレミー様の眉間の皺が深まった。

 疑問は多いだろうが、すべてを説明することはできない。元聖女の魂とか、元勇者の魂とか、前世の記憶があるとか、説明のしようがない。


「パルテレミー様は彼らのことを忘れて学業に勤しむことをお勧めします。気にしたところで、どうしようもない話ですから」

「忘れられるわけがないでしょう」

「……それもそうでしょうが、彼らのことを探るのはやめておいた方がいいですよ。ろくなことになりませんので」


 そもそも魔族がろくでもない奴らばかりだ。関わったところで得になるようなことは何もない、というか損にしかならない。


「どうして魔族に関する文献が残されていないのか、パルテレミー様なら察しがつくのでは?」


 苦虫を噛み潰したような顔をしながらパルテレミー様が黙りこんだ。

 よくわからないことに巻き込まれたパルテレミー様は完全な被害者だ。泣き寝入りしろと言われているようなこの状況に、色々と思うところがあるのだろう。


「……ロレンツィ家は悪魔召喚を目論んでいた」


 ふと思い出したかのようにディートリヒが話し始め、皆の視線が集中した。


「魔族に関する文献はあるところにはあるんだよ」


 カップの縁を指でなぞり、自嘲するような薄笑いを浮かべている。


「俺が聞きたいのは、ライアーという魔族についてだ」


 その名前に私とクロエの視線が交差する。さて、どう誤魔化したものか。

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