教皇子息の計画

「いや、え? どういうことですか?」


 一番最初に我に返ったのはクロエで、疑問をそのまま口にしたのもクロエだった。


「……教皇というのは、言わば教会という国の王だ。だから、貴族として入学するのも不可能ではない。……これまでそうしようとした者はいなかったが」

「え、と、だから、僕は、その……レティシア様に、色々お話を伺って、それで、その……」

「私のせい!?」


 私が話したのは変わった教師がいるぐらいだ。まさかそれで貴族側で入学しようとするなんて。

 いや、そもそも、教えの厳しい教会がそんな理由での入学を許すとか、思いもしなかった。


「いえ、レティシア様のせいでは、だから、それで、僕は……父にお願いして、それで……」

「経緯はどうあれ、父上……陛下も教皇も納得されている。だから彼にはこの場に留まる権利がある」

「え、ええ、それは、その、わかりましたけど……不可侵であるという取り決めはどうなってしまいますの?」

「それについては陛下が決めることだ。私たちが異を唱えるようなことではない」


 きっぱりと言い切られて、クラリスの表情が翳る。教会嫌いのクラリスにとって、教会の象徴であるような存在が貴族側に留まるのが許せないのだろう。


「あ、ああの、そもそも、その、不可侵というのも、だいぶ形骸化してまして、だから、許していただけたのだと」

「あなたには聞いてなくてよ」


 びくびくと震えるサミュエルの目には少しだけ涙が浮かんでいた。


「クラリス、私の従弟にそんな態度を取るものじゃないわ。サミュエルもよく来てくれたわね。私を心配してくれたのでしょう?」

「は、はい、えと、倒れたと聞いて、それで」

「まあ! サミュエル様はお優しいのですね!」


 様子を見守っていたマドレーヌが、サミュエルに話しかけても大丈夫と判断したのか一際大きな声で感激の叫びを上げた。サミュエルの体が面白いぐらい飛び上がった。


「お初にお目にかかります。アドリーヌ・バルビエと申します」

「あ、は、はい。僕は、サミュエル・マティスです」


 そういえばサミュエルはアドリーヌと会うのは初めてか。サミュエルが我が家に遊びに来ていたとき、アドリーヌは自領に帰っていた。


「教会の方は挨拶も満足にできませんの?」

「あ……え、と、ご、ごめんなさい」


 サミュエルの瞳に涙が浮かびはじめる。見てるこっちが可哀相になるのでやめてあげてほしい。


「クラリス、私の言ったことをもう忘れたの?」

「失礼いたしました」


 しれっとした顔で心の籠らない言葉を吐くクラリスに、頭が痛くなってくる。クラリスが教会やパルテレミー様を嫌っているのは知っているけど、サミュエルは気弱な子だからあまり嫌味を言わないでほしい。

 ぽんぽんと言い返せるようなパルテレミー様とは違うのだ。


「……サミュエル・マティス様。私はクロエと申します、お会いできて光栄です」

「あ、あなたが、あの……お噂は、聞いております。こちらこそ、お会いできて、嬉しいです」


 ぺこりと頭を下げるクロエにつられたのか、サミュエルも同じように頭を下げた。私のお見舞いではなく、自己紹介の場に変わってしまっている。


「それにしてもわざわざ見舞いにくるとは、レティシアとはずいぶんと親しいようだね」

「あ、は、はい。レティシア様には、その、よくしてもらっていて……だから、それで、倒れたと聞いて、思わず来てしまって」

「そうか。私からも礼を言っておくよ」

「いえ、その、お礼を言われるようなことでは」

「レティシアを心配して来てくれたのだから、私が礼を言うのは当然だろう?」

「あ、あの、僕は、その」


 一国の王子を前にして、サミュエルの顔から血の気が失せている。このままではサミュエルが倒れてしまう。


「ルシアン様、サミュエルはとても気が弱いのです。だからあまり構わないであげてください」

「そう、気が弱いんだ。それにしては入学先を直前で変えるような豪胆さは持ち合わせているようだけど」

「あ、あの、直前、と言うほどではなくて、父を説得できたのが直前になったというだけで」

「教皇を説得するだけの気概は持ち合わせていると?」


 おかしいな、優しいルシアン様までサミュエルに対する当たりがきつい。

 どうしよう、どうしよう、とおろおろしていたら、クロエが仕方ないなというような苦笑を浮かべた。


「ルシアン殿下、マティス様は教会との意向とは無関係でしょう。いえ、完全に関係していないとまでは言いませんが、彼自身の意思は別のところにあると考えてよろしいかと」

「君に何がわかる」

「ルシアン殿下が教会を気にされる理由ぐらいはわかりますとも。それも踏まえた上で申し上げております。マティス様のこの怯えようを御覧なさい。とても腹に一物抱えているようには見えないでしょう?」


 びくびくと小さくなってしまっているサミュエルをルシアン様が見下ろした。サミュエルは小柄だから、どうあがいてもルシアン様が見下ろす形になる。

 じっと紫の瞳に見つめられて、サミュエルが助けを求めるように私を見た。


「あの、ルシアン様。あまり苛めないであげてくださいね?」

「別に……苛めているつもりはないよ」

「嫉妬されていますのよね! レティシアはサミュエル様ととても親しげですもの!」


 マドレーヌの感激するような声に、全員が固まった。


「マドレーヌ様、殿下にそのような物言いは」


 おろおろとしたアドリーヌがマドレーヌの口を塞ごうとするが、直前で思いとどまったようで注意するだけに留めた。だけど感激屋のマドレーヌの口は止まらない。

 頭の中でどんな物語が構成されたのか、嫉妬に焦がれるルシアン様を想像しているようだ。


「レティシアはとても可愛らしいですものね。ルシアン殿下がご心配されるのも当然ですわ! ですが、恋敵に当たるのではなく、おふたりでいるときに甘い言葉を囁くほうが素敵だと思いますの!」

「いや、その、私は」

「みなまでおっしゃらなくても大丈夫ですわ! ルシアン殿下は嫉妬しているなどと認めたくはございませんのよね? ええ、私、そのお気持ちはよくはわからないのですけれど、わかっておりますのよ!」


 マドレーヌの弾丸のような言葉の雨にルシアン様がたじたじになっている。とても珍しい光景だ。


「マドレーヌ様! だから、おやめくださいと!」


 そしてアドリーヌが物理的にマドレーヌの口を塞いだ。思いとどまったはずなのに結局実行に移さざるを得ないとは、マドレーヌ恐るべし。


「……マドレーヌが失礼いたしました」

「いや、気にしなくていい」


 そしてマドレーヌの代わりに首を垂れるクラリスに、ルシアン様が引きつった笑みを返した。

 そして口を塞がれたマドレーヌを連れてクラリスとアドリーヌが退場する。このままここにマドレーヌを置いておくとろくなことにならないと判断したからだろう。


 一気に三人減り、医務室が広くなった。


「……それで、先ほどの話だが」

「あ、あの、本当に、お礼を言われるようなことはしてなくて、その、騒がしくしてしまっただけなので、気にしないでください」


 騒がしくしたのはマドレーヌだが、サミュエルは自分が来たせいだと考えているらしい。ルシアン様はなんとも言えない表情で苦笑いを浮かべている。


「教会の意向がどうなっているか知っているのか?」

「いえ、僕は、その、父からは、あまりそういった話を聞かないので、だから……あまり、知りません」

「……そうか」


 ルシアン様の目がヴィクス様に向けられる。ここまで沈黙を守っていたヴィクス様の眉がわずかに跳ねた。

 それから小さく頷いて、一歩前に進み出る。


「マティス様。ルシアン殿下は少々、厳しい立場にある方ですので……どの程度聞き及んでいるかは存じませんが、事情を汲んでいただけますか」

「あ、はい、大丈夫です」


 こくこくとサミュエルが頷くと、張り詰めていた空気が一気にほどけた。

 知らず止めていた息をゆっくりと吐きだすと、クロエが気遣うような目で私を見てきた。


「……そういった政治に絡むようなお話はここではされないほうがよろしいかと」

「ああ、そうだな……レティシア、すまなかった」


 クロエの言葉を受け、ルシアン様が私に向けて首を垂れた。いや、私はこれといった害を受けていないので、謝られても困る。


「謝るのでしたら、サミュエルにしてください」

「……ああ」


 改めて謝るルシアン様にサミュエルが恐縮しきって、倒れそうになっていた。なんだか申し訳ないことをしてしまった。


「それで、ふたりはずいぶんと親しいようだね」

「ええ、まあ。弟のように思っております」

「あの、だから、僕は弟ではないと……」


 どうしてもサミュエルは私を姉とは認めてくれないらしい。弟と口にする度に否定されている。


「……しかし、次期教皇がこちら側で学んでも問題ないのか? その、だいぶ教えが違うだろう?」

「あ、えと、その、それは……僕が継ぐと決まっているわけでは、ないので」


 ん? とルシアン様が首をかしげ、私とクロエ、それからヴィクス様も遅れて首をかしげた。


「もしも、その、弟か妹ができれば、そちらが……継ぐことに、なるかな、と」

「でも、教皇になるために学んでいるのよね? この間も教皇と一緒に各地を回ったと言っていたでしょう?」

「……あ、はい、それは、そうですけど……僕はあまり、継ぐ気はなくて、だから……」



 ――父に精力剤を盛っています。


 と、おどおどとしながら恐ろしいことを言いはじめた。

 いや、きっと聞き間違いだ。そうに決まっている。


「あ、あの、そもそも、その、跡取りが僕しかいないというのが、おかしいわけで、だから、えと、頑張ってもらおうと」


 硬直した私たちを見て何を思ったのか、どんどんと言葉を重ねていく。違う、私が聞きたいのはそういうことじゃない。


「マティス様。そのようなことはあまり女性の前で口に出すような……いえ、人前で言うようなことではありません」

「あ、えと、ごめんなさい」


 ヴィクス様が慌てて口を挟むと、サミュエルはしゅんと肩を落とした。こんな気が弱そうな子が、そうか、父親に精力剤を盛っているのか。虫も殺せなさそうなのに、跡を継ぎたくないから精力剤を……。


「私は何も聞かなかったことにする」


 ルシアン様が笑みを引きつらせながら言って、私はそれに同意するように大きく頷いた。

 うん、そうだよね。人の家庭の精力事情、じゃなくてそういった事情とか知りたくなかった。


 このなんとも言えない雰囲気に負けたのか、ルシアン様とヴィクス様も医務室を後にした。そしてサミュエルも「あの、お大事にしてください」と言って去っていく。

 サミュエルは私の体よりも先に父親を心配するべきだと思う。



「……ねえ、クロエ」

「はい、なんでしょうか」

「ゲームの知識に頼ってはいけないことはわかっているわ」

「はい」

「……でも、どうしても教えてほしいのだけど、サミュエルはゲーム、というか本来どういう子に育つはずだったの?」


 もしもサミュエルが跡を継ぎたくないと思ったのが私のせいだったら、いたたまれない。一度しか会ったことのない教皇にも申し訳ないし、本来のサミュエルにも申し訳ない。


「……サミュエル・マティスは厳しい教えを受けて育ったため、屈折していました。欲しいと思ったものを手に入れるためには手段を選ばず、戦争の引き金を引いたので……それに比べると、被害が父親だけなら、まだマシかと」

「……そう、マシなのね」


 あれでマシなのか。父親に精力剤を盛るような子でもマシなのか。どれだけやばい精神の持ち主だったんだ、ゲームのサミュエルは。


「いや、え? 戦争の引き金?」

「はい。サミュエル・マティスは初めて欲しいと思ったもの……つまり、ヒロインを手に入れるために周囲にいる者の陰謀を暴き、結果として戦争が起こります」

「結果としてって、色々省略しすぎじゃない?」

「……同じことは起きません。だから、途中経過については知らなくてもいいかと」


 そうやって濁されると気になるのが人の性だ。


「私は知りたいわ。このままじゃ気になって夜も眠れなくなりそう」

「知ったところでどうにもなりませんし、何も起きませんよ」

「それでも聞きたいわ。本を読んでいるときに途中の巻が抜けていたら気になるでしょう?」


 渋るクロエを頑張って説得する。別に知った知識でどうこうするつもりはない。ただ気になるだけだ。

 もしもお皿を数える怪談の、皿を割った部分を抜かして井戸に数を数える幽霊が出るとか聞いたら、どうしてそうなったと思ってしまうのと同じ感じだ。


「……ルシアン・ミストラルの暗殺未遂の犯人はディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルトです。サミュエル・マティスはそれを暴き、両国間に亀裂が生まれます」


 王子様の暗殺未遂事件は、犯人が捕まらずに終わる。ただ暗殺を阻止した一幕だけが描かれていた。


「ローデンヴァルトの王が命令したのでしょう。ですが捕まったディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルトは自分の独断だと言い張り、獄中で自死します。犯人が死に、真実は闇の中――とはなりませんでした」

「それは、そうよね。他の国の王子がしたことだもの。本人がどう証言したとしても国の関与を疑うわ」

「……ローデンヴァルト王が我が国の王子を死なせるとはどういうことだと怒り、再度の戦争を仕掛けてきました」


 無茶苦茶だ。


「前の戦争では消極的だったミストラル王もさすがにこのときばかりは黙っておらず、血を流す戦争がはじまりました」

「……本来の未来、殺伐としすぎじゃない?」

「あの女神が管理しているような世界ですからね」


 しかし、この話の中のサミュエルは特別何かをしているわけではない。引き金を引いた、というほどではないのでは。


「……教会がディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルトの治療と、戦争参加者の治療を拒否したため、戦争は泥沼化しました。そしてその判断を下したのが、サミュエル・マティスです」

「……教皇ではなく?」

「教皇はヒロインとサミュエル・マティスが出会って少ししてから毒殺されましたので。だからまあ、精力剤ならまだマシでしょう」


 父親に何か盛らないと気がすまないのか。

 いや、でもたしかに毒でないだけマシなのかもしれない。


「……ですので、レティシアが気にされなくても大丈夫ですよ」

「……だといいけれど」

「死よりも生を望まれるのは、よい傾向だと思います」


 それだけ聞くと素晴らしいことに思えてくるが、サミュエルの未来が空恐ろしいのは多分気のせいではない。

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