『不安や不満で潰えるのなら、その程度だったということだ』

 隣国の王子が私の前に立ちふさがったので、こっそりと顔を覗かせると地面に男性が倒れていた。

 そして少し遅れて、男性の上にヒロインが着地した。


「逃げてください」


 その声に反応して、隣国の王子の手を掴んで走り出そうとして――


「どこに?」


 ヒロインの下から聞こえた声に足が止まる。

 どこに、逃げればいい。

       

「耳を傾けないでください。何も聞かずに、ただ足を動かして」

「ああ、無理だろうな。傾けずにはいられない、聞かずにはいられない。それこそが俺の領分だ」


 風が吹けば掻き消えそうな声なのに、しっかりと聞き取っている。隣国の王子も微動だにせず、ヒロインとその下に這いつくばる男性を眺めていた。


「心地よく、気付けばその胸に巣食う。無視などできるはずが――」

「お前は少し黙っていろ」


 ヒロインが手に持っていた剣の柄で男性の頭を殴りつけた。


「数種類の毒を食らわせています。動きが鈍いうちに逃げてください」


 逃げないといけないのはわかっているのに、どこに逃げればいいのかわからない。戻ることはできるのに、進むことができない。

 ヒロインの声にわずかに体が反応するけど、それ以上に頭が混乱している。どこに、ただその一言が頭の中をぐるぐると回っている。


「ふむ、毒か。食らったのは初めてだが、なるほど、これは実に厄介な代物だ。だがまあ、動けないほどではないか」


 ぐぐっと男性の体がヒロインを乗せたまま起き上がろうと動く。ヒロインが舌打ちをしながら剣の柄で頭を叩いているかびくともしない。

 魔族は馬鹿力だ。いや、成人男性なら女の子を乗せての腕立て伏せぐらいはできるか。殴られながらできるのかは知らないが。


「勇者ともあろう者が、俺らがいかに強靭かを忘れたか」


 そして完全に立ち上がった。ヒロインは男性から距離を取り、私たちと男性の間に割り込むようにして白い剣を構えた。

 はじばみ色の目に、茶色い髪、どこにでもいるような平凡な顔は間違いなく芸術の教師のものだった。

 緩慢な動きでヒロインから私たちに視線を滑らせていく。目の色が徐々に赤色に染まり、茶色い髪は青く、平凡な容姿すらも変わっていく。

 繋いでいた手が力強く掴み返され、隣国の王子を見上げると目を見開いて青い魔族を見つめていた。青と水色の違いはあるけど、長い耳や赤い目で、きっと記憶にある誰かを思い出したのだろう。


「嘆かわしいことだ。共に旅をしてきた間、何度もその身を守ってやったというのに。毒を代わりに受けてやったこともあったはずだ。それなのに今更毒を食らったところで、俺の口を封じられると、本気で思ったのか」

「黙れ」

「人間の手から何度も守ってやった過去を忘れてしまったと? ああ、なんと悲しいことだろうか。幾度となく守った果てで、俺から言葉を奪おうとするとは。言葉を失えば死んだも当然だというのに……もしや俺に死ねと言っているのだろうか。しかし困ったことに俺らはそう簡単に死ねない作りをしているのでね。君の希望は叶えられそうにない」


 凄い。黙る気がまったくない。べらべらとよく動く口に、ヒロインが舌打ちを返した。


「死に瀕している私を見捨てておきながらよく言えたな」

「救いたくとも救う手立てはなかったのだよ。俺にできるのは精々が歌うことぐらいだが、君は無情にも黙れと言っただろう? だから今度は歌ではなく愛にまみれた生をあげようかと思ったのだよ。そうすればたとえ君がまた勇者となろうとも死ぬことは――」


 ヒロインの投げた剣が鈍い音を立てて青い魔族の顔に当たった。そしてまたヒロインの手に剣が出現する。あれはもしかしたら魔法で作り出しているのかもしれない。手品の域を超えすぎている。


「対話よりも先に武に訴えようとするとは困ったものだ。ならば俺も対話を捨てることにしようか」


 赤い目が私と隣国の王子に注がれる。ヒロインが視界を遮るように動くけど、声を遮ることはできない。ヒロインもそれをわかっているのだろう、舌打ちをしてから対話を続ける道を選んだ。


「……どうしてレティシアを標的にした」

「標的に? いつ標的にしたというのか。俺は彼女には何もしていないというのに、おかしなことを言う」

「一番割りを食っていたのは彼女だ。そして今もお前は動向を見ようとここに来た。何もしていないなどと戯言を」

「そう言われても、実際に俺は彼女にだけは何もしていない。我が友ライアーと約束したからな」

「ライアー?」


 思わぬ名前に、思わず口を出してしまった。青い魔族の表情はうかがえないが、ヒロインが再度舌を打ったので、おそらくろくでもない顔をしているのだろう。


「ああ、そうだとも。俺は隠れ潜んでいる身でね。見逃す代わりにお前にだけは催眠魔法をかけるなと、そう約束したのだよ。俺はこれでも友は大切にする性分でね……一度約束を破りかけたが、まああれは事故のようなものだ」

「こいつの話は聞かなくていいです。どうせ無益なことしか言いません」


 そうか、ライアーはこの青い魔族のことを知っていたのか。そうすると、王子様と宰相子息についても知っていたのかもしれない。一体いつから知っていたのか、知っていながら何を思って私と話していたのか。

 王子様の肩を持ったかと思えば批判して、宰相子息をあれ呼ばわり――適当なことしか言っていないから、びっくりするぐらい真意が測れない。


「ならば殿下とパルテレミー様の凶行はどう説明するつもりだ」

「何、単純なことだ。俺は元より愛を語るためにここにいる。そして俺はパルテレミーの者が好きではなく、勇者であった君に地位ある者の愛を捧げたいとそう思っただけだとも」

「レティシアは巻き込まれただけだと、そう言いたいのか」

「事実そうなのだから他に紡げる言葉はない。不安を煽り、不満を募らせ、不平を口にしやすくし、君に目を向けさせた。だというのに、君は俺からの誠意を受け取ろうとはしなかった。君が受け入れていれば、話はもっと簡単についただろうな。たとえ理念に反しようと愛を直接植え付けるべきだったろうか。それならば君も観念して受け入れたのではないかと、後悔してもし足りない」

「……そのような愛、受け入れるわけがないだろう」


 ヒロインがちらちらとこちらを気にしている。会話している隙に逃げて欲しいのだろうけど、困ったことに逃げる道が選べない。


「未来永劫続き、他の者に目もくれず、ただひたすら愛し続ける――それこそ、素晴らしいと言われるべき愛だというのに、わかってくれないとは悲しいことだ」

「そうなるように仕向けておきながら、どこに愛があると言うつもりだ。ただの紛い物に過ぎないだろう」

「では愛とはなんだ。愛を語った口でまた別の者に愛を語り、愛を騙って金銭を得る者すらいる。愛とは素晴らしいものだと誰もが言うくせに、素晴らしい愛がどこにも見つからない。ならば俺が作るしかないだろう」

「歌っているだけならまだ可愛かったものを……どこでそんな妄執に憑りつかれた」

「愛とは何か、そう問いかけた君は自分で考えろとそう言っただろう? だからこれが、俺自身が考えた結論だというだけだ」

「……いつそんなことを聞いた」

「無論、竜を倒した後だ」

「死にかけている相手の言葉を真に受けるな!」


 そしてまた、教師の顔に剣が飛んだ。避ける気がないのか、教師は大人しく剣を食らっている。しかし傷ひとつついていない。


「私のせいだと……ああ、くそ、過去の自分が憎い」

「おや、それはいけない。自身を憎むなどと不毛なことはするべきではないな」

「ああ、そうだな。お前のせいだ。今度は真面目に答えてやるから、すぐに催眠魔法を解け」


 ヒロインがこめかみを押さえて、呻くように言う。どこか緊張感に欠けるのは、青い魔族から真剣さを感じないからかもしれない。リューゲものんきな魔族だったから、そういう種族性なのだろうか。

 

「おかしなことを言う。どうして俺がそれに従うと思うのか。加護のあったときならまだしも、ただの人間が俺らに命令できるなどと、どうしてそんな勘違いをしてしまったのか。――ああ、なんと嘆かわしい。所詮その身は加護のない人間の体だということを理解していないのか。勇者ともあろう者が!」


 青い魔族が天を仰ぎ、嘆きの声が木々の間を抜け木霊する。闇がいっそう深まったような感覚に襲われ、視界も足元もどこか朧気で、不安定だ。


「加護なき身で俺らと相対したことがないのだろう? もしも戦う道を選んでいたのなら、たかが人間が俺らに敵うはずがないとすぐにわかったはずだ。勇者だった自身の身は安全であると、そう思ったのか? ああ、だとしたらそれは正しい。俺は君には何もする気がないからな。だがそれ以外ならば、どうなろうとどうでもいい」


 土を踏む音がして、ヒロインが剣を構え直した。

 一言も発しない隣国の王子がこの話を聞いてどう思っているのかはわからない。私はリューゲとの約束があり、ヒロインには何もしないと言った。ならば青い魔族が手を出せる相手は隣国の王子しかいない。


「たとえ始まりがどうであったとしても、俺はこうするべきだと思うからやっているまでのこと。理解しないというのなら、それでいい。元より俺の探求と、愛がいかに素晴らしいかを語っているだけなのだからな」


 隣国の王子の耳をふさごうと手を伸ばし――思い直して麻痺毒を打ち込む。

 さすが護身用にと配られた毒だ。打ち込んですぐ、隣国の王子の体が崩れ落ちた。


「おま……え」


 隣国の王子の口から声にならない音が漏れた。声になっているような気もするが、きっとなっていない。もしも何か言っているとしたら、感謝の言葉だと思うことにしよう。

 なにしろこれは隣国の王子のためだ。麻痺毒がどのぐらい痛いかとか不快なのかは知らないけど、仕方ないことだと諦めてもらおう。


「私には約束があるから何もできないのでしょう? 唯一手出しできる彼は使い物にならない――さて、この状況であなたはどうするのかしら」


 髪を手で翻し、不敵な笑みを浮かべる。浮かべられているといいけど、大根だと言われているから少し不安だ。


「ふむ、なるほど。たしかにこの状況はいささか厄介ではあるが……だからどうしたと言うのか。俺の魔法を解けるのは俺だけだ。たとえ魔王であろうと、俺の魔法を解くことはできない。手詰まりなのはそちらの方だろう」


 引くことはできないけど、戻ることはできる。隣国の王子を踏み越えて、ヒロインの横に並び立つ。

 魔法で作り出したものなら私にもできるはずだ。呪文もいらない。頭の中で思い描けばいい。素材は石で、色は白。大きなものもいらない、短剣程度のものでいい。


「なら、あなたの大切な彼女が傷つくとなったらどうするのかしら?」


 手の中に現れた重みを、そのままヒロインに向ける。青い魔族の目が細まり、不快なものを見るように私と白い短剣を見比べている。


「彼女を傷つけるだけの度量があるとは思えんな」

「あら、私は悪役なのよ。彼女と反目していたことはあなたも知っているのではないかしら」


 この状況を打破するような魔力も腕力も知恵もない。私にできるのは、悪役になることぐらいだ。


「なるほど、悪役か。ああ、お前は本当に、俺の神経を逆撫でするのが得意だな」


 その顔は笑っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見えた。


「ならば、仕方ないな」


 そして一瞬で表情が消える。感情のうかがえない赤い目が私を捉えた。


「耳を――」

「記憶の底に沈め」


 そのたった一言で、視界と意識が埋め尽くされた。


 ――ああ、私は悪役すらも満足にできないのか。

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