【んー、まいったな。潮時か】

『本当に、綺麗で、思わず聞き惚れてしまったの。よかったらまた聞かせて』


 椅子に座っていたお兄さんの顔が困ったように笑った。


『だからといって……私は王妃様の代わりにはなれません』


 縋ってきた男の子を冷たく突き放した。


『別にいいもの。問題児だっていう自覚はあるもの』


 自分よりも年下の男の子に慰めさせた。


『言葉一つで許しを乞えるだなんて、思わないことね』


許しを乞う女の子を見放した。



 新しいものも、古いものも、忘れてしまったものも、忘れようとしたものも、覚えているかいないかも関係ない。しまいこんだものすらも開かれて、ごちゃまぜな記憶が押し寄せてくる。


『家族皆で旅行に行きたい』


 そして、一番最初にしまった記憶まで掘り返された。

 




 私は昔から病弱な子どもだった。大病を患っているわけでもなく、ただひたすら体が弱かった。外に出かければ熱を出して、予防注射で病を発症する。入院と退院を繰り返して、ろくに学校にも行けなかった。

 食事も制限ばかりで、好きなものも食べられない。そんな子どもだった。


 家で過ごすことの多かった私に、お父さんは漫画や小説、ゲームとかをたくさん買ってくれて、お母さんは私にいつもつきっきりで看病してくれた。

 お姉ちゃんは我儘も言わず、私が一緒に遊びに行きたいと言ったら一緒に出かけて、体調を気にしてくれていた。そして少しでも私の顔色が悪くなると、遊んでいる最中でも引き返してくれた。


 だからお姉ちゃんのはじめてのお願いに、お父さんもお母さんも困った顔をしていた。そして私を見て、お姉ちゃんを見て、悲しそうな顔をして、次に何を言うのかすぐにわかった。


『私なら大丈夫だよ』


 二人が何か言う前に、私が言わないといけない。


『もう中学生だし、最近は体調もいいから、大丈夫だよ』


 実際、最近は体調を崩すことが減っていた。だから、大丈夫だと思って、笑った。


 少しでも悪くなったら言うようにと言われていたのに、家族皆でのお出かけが楽しくて、笑っているお姉ちゃんが嬉しくて、少しなら大丈夫。このぐらいなら大丈夫と、誤魔化して――



 そして結局、私は死んだ。家に帰って気が抜けたからか、我慢していたものが一気に押し寄せてきて、病院に着くこともできなかった。


 旅行に行きたいと言った自分のせいだと責める声、気付いてあげられなかったと嘆く声。違う違う、お姉ちゃんのせいでも、お母さんのせいでも、お父さんのせいでもない。そう言いたいのに、それはもう届かない。


 誰かのせいにできるほど私は子供じゃなくて、だけど自分のせいだと言えるほど大人でもなかった。


 そして新しく突きつけられた悪い魔女になるという未来に、なりたくないと大泣きした。なりたくない、だけどなっちゃう。どうしてこうなったのかと、嘆いて、喚いて――


『またお嬢様が空想の世界に旅立ったのですか?』

『なんだか普段とは様子が違って……』


 遠くに聞こえる声に、向けられてきた冷たい目を思い出した。誰がこんな理由で泣いているとわかってくれる。きっと誰もわかってくれない。私の言ってくれることを理解してくれる人はどこにもいない。


 誰のせいでもなく死んだのならそれはきっと運命で、悪い魔女になるのも運命で、だから仕方ないからと諦めて、どうしようもないと割り切ろうとした。


 泣き続けられるほど子供ではなく、あっさりと切り替えられるほど大人でもなかった私は、悪い魔女になることで得になることを考えて、だから悪い魔女になるのだと自分に言い聞かせた。

 都合の悪いことは全部しまって忘れてしまえばいい。


『あら、また? そういうことはマリーに言ってちょうだい』


 呆れたようなお母様の声も。


『……レティ、もっと普通のことを言ってくれるかな』


 疲れたようなお兄様の声も。


『書類にまとめてくれ』


 私ではなく執事に話しかけるお父様の声も。


『あの、お嬢様は普通の貴族のご令嬢として扱わないほうがいいのではないでしょうか』


 必死なマリーの声も。


 全部全部忘れてしまえばいい。

 

 そうやっていくつもしまいこんできた思い出が、私を押しつぶす。



「レティシア」


 どこか遠くで声が聞こえた。鈴の鳴るような女の子の声。


「大丈夫、嫌なものばかりではないはずです」


 力強い声。


『私はあなたをなんとお呼びすればいいのでしょう』


 私を気にしてくれた、女の子の声。


『……それは、教会に、というよりも……家族に、その、残されたものなので……』


 私を気遣ってくれて、秘匿されていることを教えてくれた男の子もいた。



『どうしようもなくなったときに、その、唱えてください』


 私に託してくれた呪文。呪文とはいえない、ただの単語。

 その短すぎる単語を私は夢の中で聞いたから唱える気はなかった。


『そこらへんの人間が敵うような存在じゃない。魔力量の差ってのは、技術どうこうでどうにかできるものじゃないんだよ』


 ああ、そうか。だから魔族には緊張感がない。

 自分を害せる存在がいないと、そう思っているから。

 

 ――だけど、同種が相手ならどうなる。


 唱える気のなかった呪文。だけど私を気遣ったあの子の思いがこもっている。たとえそれが残虐非道、極悪卑劣な魔族を呼びだす呪文だとしても、今の私にはこれしかない。


「ルースレス」


『世界中の音が聞こえる者は一人しかいませんが、自身の名前ぐらいは聞き分けてしまうかもしれません』


 だから現れるまで、何度だって呼んでやる。


「ルースレス」


『レティシア様は聖女様にとてもよく似ていると……』


 それなら、私を赤の他人だとは思わないかもしれない。夢の中での聖女様とあの魔族は少しだけ親しそうだった。


「ルースレス」




 凍り付くような寒さと共に、意識が浮上した。



 戻ってきた視界に、氷の世界が映りこむ。足元には氷が張られ、木の表面も氷に覆われている。


「どこだ」


 そして、熱の感じさせない赤い目と共に、深紫色の髪をした魔族が立っていた。


「我が友よ、久しいな」


 足が氷で覆われ身動きの取れなくなった青い魔族が、深紫色の魔族に話しかける。深紫色の魔族はちらりとそちらに目をやると、すぐに視線を外し、ヒロインと私と、その後ろで転がる隣国の王子を見た。


 ――足元に氷が張られている。


「あ……!」


 慌てて隣国の王子の体を抱き起そうとして――重かったので膝の上に頭を乗せることにした。これで少しはマシになるだろう。頬とかが張り付いている可能性に気付いたのは、持ち上げてからだった。

 恐る恐る隣国の王子の顔を確認すると、寒さからか少し青褪めてはいるが、剥がれてはいない。ほっと胸を撫で下ろしてから、今度は正座している自分の足が心配になった。スカートを挟んではいるけど、凍傷になりそうだ。


「……リリア」


 深紫色の魔族の口から聖女様の名前が零れ落ちる。


「ライアーはどこだ」


 そして、まさかの名前に顔が引きつる。あの適当魔族、今度は何をした。


「……ここにはいないよ」

「ならばどうして呼んだ」


 聖女様がどんな風に話すのかは、夢の中で見たから知っている。


「困ったことが起きたから、手を借りたくて」

「手を? どうしてお前を助けないといけない」


 どういう経緯で彼の名前が教会にあったのかはわからない。夢で見たのも断片的で、二人の関係性もわからない。

 だけど夢で見た内容なら一言一句違わず思い出せる。なにせ、今さっき思い出したばかりだ。


「あなたに頼んで借りた魔族に危ない目にあわされてるから」


 深紫色の魔族が青い魔族を見る。青い魔族は引きつった笑みを浮かべて、動かない足をどうにかできないかともがいている。


「……まさか友に手を出す気ではないだろうな」

「友?」

「ああ、そうだろう。俺らは同種であり友であるはずだ。たとえ肉体が朽ちようと再度生まれ、永久を生きることを運命づけられている俺らはまさに運命共同体――友と呼ぶにふさわしい」

「戯言を」

「何、俺は友思いだからな。お前の求めるものを差し出すことができるだろう。たとえばそれが、お前が何より大切にしているフィーネの居場所だとしたらどうする」


 沈黙が落ちる。冷え冷えとした空気に纏わりつかれ、誰も言葉を発することができない。

 だから、最初に口を開いたのは深紫色の魔族だった。


「……あれは死んだ」

「だが魂は生まれ変わる。記憶までは知らんが、それは確かだ」


 緩慢な動きで、深紫色の魔族が今度は私を見た。ぴくりとも動かない表情、熱のない瞳。何を考えているのか、まったくわからない。


「フィーネはどこにいる」

「……知らない」


 首を横に振る。ここで嘘をついて、それが露見したら、きっと私を殺しにくる。

 こいつが駄目なら次はリューゲでも呼べばいいのだろうか。しかし、彼がライアーを探していたことを考えるとよくないことが起こりそうだ。


「俺を見逃すのなら、俺はフィーネの魂を持つ者を差し出してやろう」


 それが決定打になったのか、深紫色の魔族が一歩踏み出そうとして――



「ならば我には何を差し出す」


 大気が震え、張られていた氷が一気に氷解した。


「魔王」


 そう言ったのがどちらの魔族なのか判断する前に――意識が刈り取られた。





 かさりという乾いた感触に、意識が戻ったことに気付いた。体を起こすと、心配そうに私を見ているヒロインと、地面に座る青い魔族と隣国の王子がいた。深紫色の魔族の姿は見当たらない。

 そして枯れはてた木と、茶色く乾いた草がどこまでも広がっている。


「災厄は魔を集め生を食らう」


 ふてくされた顔の青い魔族がおもむろに口を開いた。


「故に、俺らはあれには敵わない。勇者がいれば別だろうが、あれは対の勇者を制御している」

「……幼女?」

「勇者は加護がある限り成長しない。不死ではないが不老になる加護が授けられている。だからいまだに加護に囚われているのなら、その姿は幼い少女の姿をしているはずだ」


 夢で見た、十にも満たない女の子を思い出した。


「……幼女を傍に置き続けた王」


 それは、歴史の勉強をしていたときにリューゲに教えてもらった話だった。

 あの適当魔族、歴史に絶対でないことをわざわざ教えるとは、嫌がらせにもほどがある。


 私はもう大丈夫だと判断したのか、ヒロインは私の傍から離れて青い魔族の前に座った。私が起きるまでになんらかのやり取りがあったのか、剣を手にしてはいるが向ける気はなさそうだ。


「何を話したか詳しく聞かせてもらおうか」

「他愛もない話だ。俺はあれから逃げ、あれは俺を探していた。あれは人心に興味がないからな。俺の魔法はあれには扱えないのだよ。……だからそう、勇者を見守る許可を得る代わりにかけ続けた魔法を解くことを約束した」

「私を勝手に約束に組み込むな」


 がんがんと剣の柄で頭を殴られているのに、青い魔族は抵抗することなくされるがままを受け入れている。


 魔王と遭遇したのはこれで二回目だが、そのどちらも気絶している。魔を吸い生を食らうという特性のせいか。

 前回は足音で、今回は声だった。次回があれば姿を拝んでみたいものだ。


「……そんなことをしてなんの得があるの?」

「貸しを作っただけだろうな。あれの取り立ては容赦がない。精々何を要求されるか怯えるがいい」


 邪悪な笑みを私に向けているが、私が青い魔族に何をした。ヒロインを人質にとったことか。あれは申し訳ないと思うけど、傷一つつけてないから許してほしい。


「あー……くそ、なんなんだよ」


 そこで、傍観に徹していた隣国の王子が乱暴に頭を掻きむしった。苛々とした様子に、ヒロインが立ち上がり剣を構え直した。


「なんもしねぇよ。で、何? 説明ぐらいはしてくれんの?」


 あぐらをかいた足の上に肘を置き頬杖をつくと、隣国の王子は胡乱げな視線を一同に向けた。その粗野な振る舞いに、思わず目を瞬かせる。


「ディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルト。彼は密命を帯びて学園に来た、ローデンヴァルト王の犬です」


 そういえば、隣国の王子が一番効率がよいと言っていたけど、どう効率がよいのかは聞いていなかった。その密命というのが関係あるのかもしれない。


「……この国が愛に狂っている理由を探りに来たのですよ」


 すごいなヒロイン。私は声に出していないのに、ぽんぽんと私の疑問に答えてくれる。思考が読めるのか、私の思考が読まれやすいのか、どっちだ。


「……お前、どこでそれを知った」

「さて、どこでしょうね。それに私はあなたのことも知っていますよ。商会と母を守るために王にその身を差し出した……そうでしょう?」


 隣国の王子の髪はとても綺麗な金色をしている。お姫様が、あのぐらい綺麗なら父も認めると言っていたぐらいの金色だ。

 そしてその身を差し出したということは――


「……稚児趣味?」

「違う!」


 これ以上ないぐらいの叱責がヒロインと隣国の王子から飛んできた。


 稚児趣味じゃなかった。ならその身を差し出すというのはどういうことだろう。

 今さっきまで色々なことがあったせいか、うまく頭が動かない。というか、いまだに色々な記憶が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。


「見てわかりましたよね? この国が愛で狂っていたのはそこにいる男のせいです。王に説明できるのなら、説明してもいいですよ」

「……わけわかんなさすぎて説明できるかよ」


 とりあえず隣国の王子はヒロインに任せよう。ローデンヴァルト国の事情を私はほとんど知らない。


「……なんだ?」


 つんつんと青い魔族の手をつつくと、不機嫌そうな顔で見下ろされた。


「さっきの魔族は?」

「帰った。ルースレスは魔王を嫌っているからな」

「フィーネの魂は?」

「どこかにはいるだろう」


 はったりだったのか。魔王が来なかったら、この口から出まかせに負けていたのかもしれないと思うと、地団駄を踏んで罵倒してやりたい。


「今後は愛に狂った国ではなくなります。ただそういうことが続いただけだと説明すればいいでしょう」

「それで納得してくれるわけないって、わかるだろ」

「では正直に話してみますか? だけど魔族はいまや秘匿された存在ですので……信じてくれる者がいるといいですね」


 隣国の王子とヒロインの交渉は長引きそうだ。


「せっかくしまってた記憶を引っ張り出されて、私は困ってるのだけど」

「勝手に困っていればいい」


 青い魔族に無理矢理掘り返されたときよりはマシだけど、ちらちらと頭を掠めたり、かと思えば思考を埋めるぐらいの勢いで思い出したりと、頭の中はひっくり返したおもちゃ箱状態だ。今鏡を見たら、赤くなったり青くなったりで忙しい顔が映っていると思う。


「しまいなおせないんだけど」

「無論。引き出した端から忘れられては困るからな」

「どうにかしてよ」

「俺がお前の言うことを聞く理由がない。記憶の整理にでも勤しめばいい」


 簡単に言ってのけてくれる。これまでの十六年間に加えて、前世の記憶まであったら中々整理できるものではない。しかも普通は忘れているような、幼い頃の記憶まである。

 泣かないのが奇跡なぐらいだ。しっちゃかめっちゃかで、泣こうにも泣けないのかもしれない。


「俺はお前が好きじゃない」

「私はあなたのことが嫌い」


 王子様と宰相子息を凶行に駆り立てた。好きになれるはずがない。


「だがいいことを教えてやろう」

「何?」


 青い魔族が天を仰ぐ。


「他の者が森の異変に気付いた。すぐに戻らないと遭遇するだろうな」


 私は大慌てで、まだ交渉中だったヒロインと隣国の王子の間に割り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る