『さあて、乗ってやるとしようか』
「やることはとても簡単です」
休日最終日、朝食を一緒に食べていたヒロインが口火を切った。
「あなたには囮になってもらいます。何が起きるかわからないので、どのぐらい危険か私にもわかりません」
食後のお茶を淹れてもらって、かすかな甘みを堪能する。やはり甘いものはいい。
「悩んでいるのですよ。本当にあなたを巻き込んでよいのか」
「そんなのは今更でしょう」
多分すでに巻き込まれているのだろう。ヒロインが私に助力を願うということは、きっとそういうことだ。
関係なかったら囮になれない。
「……私はあなたに幸せになってもらいたい」
「私は幸せよ」
衣食住が足りていて、健康な体もあって、美味しいものも食べられる。それは十分幸せなことだ。
それにヒロインと友達になりたい。危険であればあるほど償いになるから、献身でもなんでもない、打算で私はヒロインに手を貸すだけだ。
「ねえ、すべて終わったら――」
あ、これ駄目なやつだ。
慌てて口を閉じたがすでに手遅れな気がする。友達になりましょうと言っても駄目だし、やはり戻ってきてからで、と言うのも駄目だ。口に出した時点で詰んでいる。
ヒロインもなんともいえない微妙な顔をしている。
「……まあ、それはともかく」
こほんと咳払いをひとつして、ヒロインが話を変えた。
「危なくなったらすぐに逃げてください。私が逃げろと言っても逃げてください。もういっそ、囮が終わった時点で逃げてください」
「え、ええ。わかったわ」
逃げるのは得意だ。条件反射で逃げるぐらいには体に染みついている。
体力や脚力には自信はないけど、逃げ癖だけなら胸を張って誇れるほどだ。誇ったところで誰も褒めてくれないだろうけど。
「それでは、お話しますが……気が変わったらすぐに言ってくださいね」
「わかったわ」
こくりと頷いて返すと、ヒロインが神妙な面持ちで語りはじめた。
「この国は愛に狂った国と呼ばれています。誰かを愛し、愛される……それだけならよくある話です。それなのにどうして狂っているとまで言われるのか――愛した者しか見ていないからです。愛した者を失えば、子も国も教えすらも忘れて嘆きます。死がふたりを別つまで、どころではないんですよ。死してもなお愛に囚われています」
――ただひとりを愛し、未来永劫その者だけを愛する。
どこかで聞いた言葉が頭に浮かんだ。それを言っていたのは誰だったろうか。
「そしておかしいとわかっていても、止められない。意思と感情、思考すらも捻じ曲げられる者を、私はひとりしか知りません」
「催眠魔法?」
たしかリューゲは催眠魔法を思考すら操ると言っていた。
「人の操れる催眠魔法はそこまで強力ではありません。できても精々が白を白に近い灰色に見せるぐらいのもので、白を黒に変えることはできません」
「人は、ということは」
「おそらく、どこかの馬鹿の仕業です。あなたも心当たりがあるのではないでしょうか? 歴史も記憶も、すべて塗り替えた者を」
夢に出てきた青い髪の魔族は、愛だなんだと騒いでいた。
――愛なき婚姻などになんの意味がある。
たしか、そう言っていた。愛さえあればいいというものではないだろうに。
「魔力は声にも宿ります。世界中の音が聞こえる者はひとりしかいませんが、自身の名前ぐらいは聞き分けてしまうかもしれません。ですので、名前は口に出されないようにお願いします」
ふに、とヒロインの指が口に当たった。柔らかい。
そしてさっきから魔族に関するときだけ口が悪い。
「私の知っている馬鹿は歌に傾倒していました。いつのまにか鞍替えしていたようで、気付けませんでした。……千年は思っていたよりも長かったようです」
千年経って何も変化がなかったら、むしろ恐ろしいと思う。
「あの馬鹿のせいで国が正常な形になっていないのなら、私は正したいのです。ローデンヴァルトがこの国に喧嘩を吹っかけるのも、結局はそれのせいですからね」
「……つまり、戦争の回避にも繋がるということかしら」
「そうですね。フレデリク殿下が王になるのなら、戦争は起きないかもしれませんが……念には念をといったところでしょうか」
そして、とヒロインが言葉を続ける。
「彼らを世に放ったのは私です。だからこれは、私が背負わないといけない責任です。あなたはただ巻き込まれただけ……本当は助力を乞うべきではありませんでした。ただ時間があまりなく、慌ててしまいました」
あれで慌てていたのか。堂々としていたから気付かなかった。
もうちょっとわかりやすく慌ててほしい。
「……だから、何も聞かなかったことにして、家で本を読んでいてもかまわないんですよ?」
「……ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら」
ヒロインがきょとんとした顔で首をかしげたが、すぐに頷いてくれた。
「パルテレミー様と殿下が柄にもないことをしでかしたのは、それが原因なの?」
「……おそらくは」
宰相子息は手よりも先に口が出る人で、王子様は優しい人だ。
そもそも宰相子息が嫌がらせをするような人なら、とっくの昔にクラリスの机は廃品で埋め尽くされたはずだ。あのふたりはそれぐらい仲が悪い。
「なら、一言ぐらい言ってやらないと気がすまないわ」
こちらに敵意がある相手なら、棒だ大根だと思われても痛くも痒くもない。
封印していた悪役語録を解き放つときがようやくやってきた。
「わかりました……危ないときには絶対に逃げてくださいね」
「わかってるわよ」
さすがに死にたくはない。
「あれは人を操るので、人の多い時間は避けます。なので、夜中にディートリヒ王子を呼び出していただきたいのですが……身の危険を感じたらすぐに指輪でもなんでも使ってください」
「でもどうやって呼び出すの? 私は彼がどこで寝泊まりしているのかも知らないわよ」
「それについてはご安心ください。誰がどこに滞在しているのかはすでに調べてありますので……呼び出しについても、私が文を忍ばせます。あなたには文章を書いていただくのと、待ち合わせ場所に待機してあれが姿を現すまでねばっていただくことになります」
「姿を見せたら逃げればいいのね?」
「はい。人が多いとそれだけ不利になるので」
だから学園ではなく、限られた人数しかいない合宿所を選んだのか。
しかし何か見落としているような、そんな不安が頭を掠める。だけど何を見落としているのかわからないまま、夜中になった。
授業以外での立ち入りが禁止された森の中で、隣国の王子が来るのを待っている。青い屋根の家から真っ直ぐ進んだところにいますと書いたが、ちゃんと来てくれるだろうか。これで現れなかったら情けない話になってしまう。
「レティシア嬢」
だけどその心配は杞憂に終わった。ランタンを掲げた隣国の王子が木々の隙間から出てきた。そして私の近くまで来ると、地面に置かれている私のランタンの横に自分のランタンを置いた。
「話って?」
「ロレンツィ家について」
リューゲには何も聞いていない。どうせ聞いたところで隣国の王子が欲しい情報は出てこない。
それなら私の作り上げた嘘を代わりにあげるとしよう。嘘八百を並び立てることには慣れている。
「……聞いてくれたんだ?」
「ええ、そうよ。でもあなたが求めているのとは違う答えだと思うわ」
隣国の王子は眉根を寄せて一歩近づいてきた。
「当時各地を放浪していて、その集まりにも行っていなかったらしいのよ。だから当時何があったのか、何も知らなかったわ」
「そっか」
落胆のまじった声と共に、一歩近づいてくる。一歩一歩、ゆっくりとだけど確実に。そして見上げるぐらい近くなった。
「君の従者、名前なんて言ったっけ?」
「リューゲ、リューゲ・ロレンツィよ」
手首を掴んで、引き寄せられた。隣国の王子の口元が弧を描く。
「ロレンツィ家にそんな奴いないよ」
あの嘘つき魔族、せめて一族の名前を名乗れ。だから適当な嘘をつくなと再三――言ってなかった。心の中で思っただけだ。
「一応さ、俺も調べてみたんだよ。君の従者について――白い髪に、赤い目、それで男。別に君がこっそり男を寮に連れ込んでいても俺は気にしないけど」
そこは気にしてほしい。なんだかすごくふしだらに聞こえる。
お姫様と王太子相手には誤魔化したが、そこから伝え聞いた隣国の王子には何もしていない。そしてあのふたりにかけた催眠は、男性が女子寮にいても不思議ではないというものだ。不思議だと思う人に伝わったらどうなるか――
「ルシアン殿下は知ってるのかな?」
こうして、どうしようもない状況に陥る。
「殿下は関係ないでしょう」
「彼以上に関係ある人はいないと思うけど……その反応からすると知らないってことかな」
口を開くと墓穴を掘りそうだ。ここからはだんまりを決めこもう。ヒロインから合図が出次第逃げればいい。
口を一文字に結んで、何も言いませんよとばかりに顔を背けていたら頬を舐められた。
「ひっ」
「もう少し色気のある声を期待したんだけど……まあいいや。情夫がいるなら遠慮しなくていいよね?」
「いや、そこは遠慮しよう。それ以前に情夫じゃない」
魔族が情夫とか、そんな命がいくらあっても足りない関係にはなりたくない。あれは従者で護衛で教育係で見張りなだけだ。見張りの要素はもうないかもしれないけど。
ということを、魔族の部分は伏せて必死に訴えたらすごく変な顔をされた。
「それが素?」
「あらいやだわ。私ったら」
必死すぎて色々崩れていた。情夫だなんだというとんでもない勘違いをされたのだから仕方ない。
しかも勘違いを放置したら襲われそうな状況だ。口調のひとつやふたつ崩れもする。
「……情夫ではないわ。とっても清い関係よ」
「その言い方も誤解を生むと思うんだけど、まあいいか」
ふしだらな関係ではないので清い関係だと思ったのだが、何か違っただろうか。これまでそんな勘違いをされたことがないから、どう説明すればわかってくれるのか――難しい。
「それでリューゲって誰?」
「だから、私の従者で護衛で教育係で見張りよ」
「見張りがつくって……君、素行不良なの?」
「……似たようなものかしら」
あほなことをしないか見張られているのだと思う。リューゲ主導の元屋敷から抜け出したことがあるから、ほぼ無意味な見張りだ。
「んー、まあそこは俺が気にするところじゃないからいいか。……そのリューゲとかいう男はどうしてロレンツィ姓を名乗ってるの?」
「知らないわよ。お父様が連れてきただけだもの」
「寮に連れてくるぐらい信用してるのに?」
「何年も仕えてくれているし、何もしてこないのはわかってるからよ」
大量虐殺宣言はされたが、同じ部屋にいても危なくないことは知っている。万年発情期魔族ならともかく、リューゲに足りないのは倫理観ぐらいだ。
「俺の家族を殺した奴は水色の髪に赤い目をしていた。君の従者も赤い目なんだってね? 関係あるのかな」
――やはり、そうか。
なんの関わりもない姓をリューゲが名乗るとは思えなかった。そして、事件についてもロレンツィについても詳しそうだった。
あの適当魔族、自分が殺した一族の姓を名乗るな。
私が謝るようなことでもないけど、今頃屋敷でのんびり過ごしているであろうリューゲを思うと申し訳なくなる。
「……やっぱり何か知ってるよね」
「何も知らないわ」
だけど、あれ魔族なんですよとは言えない。魔族について話したら異端認定を受ける。しかも隣国の王子は女神様大好きなローデンヴァルトの王子だから、うっかり漏らしたら火炙りにされるかもしれない。
「言うつもりがないなら、お楽しみの時間にでもするか」
隣国の王子の手が私の髪を梳き、耳にかける。そしてその指が耳の形をなぞるように動き、そのままゆっくりと下に落ちて首に触れた。
どうしよう、麻痺毒を使ってもいいのだろうか。もうあの魔族は近くまで来ているのだろうか。ヒロインは今どこで、何をしている。
「抵抗しないんだ?」
くすりと笑う声がやけに近い。
よし、麻痺させよう――そう思ったところで、少し離れた場所に何かが落ちてきた。
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