クロエ2
休みが明け、早い時間に学園に到着していた私は同じ馬車から降りてくるフレデリク殿下とローデンヴァルトの姫君を見て、目を疑った。休みに入るまでは親密な関係ではなさそうだったのに、この一月で何があったのか。
そしてレティシアが到着したのを確認し、彼女の部屋を訪ねた。
結果としてはレティシアも何があったのかは知らなかった。ラストに聞ければいいのだが、学園都市にいては呼ぶことができない。
学園都市には聖女が張ったとされている障壁がある。それは外部からの侵入も、攻撃も受け付けない強力なものだ。門を通らなければ中に入ることはできず、門以外から出ることもできない。
そして音すらも外に出さない仕様になっている。完全にラスト対策だとしか思えない。
王都よりも安全と言える学園都市だが、こういった不慮の事態に対応できないのは困ったものだ。私ぐらいしか困らなさそうな理由だから、誰も改善はしてくれないだろう。
過ぎたものは仕方ないとしても、これ以上見ていない場所で予測のできないことが起きるのは避けたい。レティシアにフレデリク殿下と姫君の邪魔をすることを頼んで、その日は終わった。
間の悪いことは続くもので、休みの日にフレデリク殿下を見張っていたことが本人に見つかった。
レティシアがフレデリク殿下に相談を持ちかけ、そこにルシアン殿下が現れた。ルシアン殿下がレティシアを想っていることは、誰の目から見ても明らかだ。
だというのに、レティシアは気付いているのかいないのか、無下な態度ばかり取っている。
彼女に幸せになってもらいたいと思っていたから、思わずふたりの動向を見守ってしまった。
「そこの君」
だから、声をかけられるまで接近されていることに気が付かなかった。
「そう構えるな。俺につきまとっていることを責める気はない。共に見ようかと思っただけだ」
なんてことのないように言って、フレデリク殿下は私の横に座り花壇の隙間からルシアン殿下とレティシアの様子を眺めはじめた。
「……あの」
「君にはあのふたりはどう見える?」
何をしているんですかと聞く前に、質問を被せられた。あのふたりというのはルシアン殿下とレティシアのことだろう。
なるべく気付かれないようにと距離を離していたので、何を話しているかまでは聞こえない。だがレティシアが視線を落とし、ルシアン殿下がその様子を悲痛な表情で見ていることはわかる。
「……拗れてますね」
「ああ、そうだな」
「わかっているのなら、口を出されてもいいのでは?」
「俺は次期王だ。何か言えば、それが決定事項となってしまうかもしれない。無理矢理にレティシア嬢を繋ぎとめても弟は喜ばないだろう」
言っていることはまともなのに、フレデリク殿下に言われると苦笑いしか出ない。彼は姫君と恋に落ち、駆け落ちをするような無責任王子だ。一国を担う者としての心構えを語られたところで信用に欠ける。
「……終わったか。短かったな」
「あの二人はいつもあんな感じですので」
レティシアとルシアン殿下は長く話さない。レティシアが早々に逃げる。
「ところで、君の名前は?」
「知らないんですか?」
「知ってるとも。だが君から聞いてはいない」
「私はただの庶民です。殿下に名乗るような名は持ち合わせておりません」
フレデリク殿下は私の言葉を聞くと、親しみのこもった眼差しで、見る者が見れば胸を高鳴らせるほどの甘い笑みを浮かべた。
「ここは誰もが平等であるべき場だ。庶民だろうと関係ない。君の名前を聞かせてほしい」
「……クロエです」
――この男は、自分をどう魅せればいいのかを知っている。
フレデリク殿下の印象が無責任王子から、いけ好かない王子に変わった。
その後、レティシアと話をして、彼女に前世の記憶があることを聞き出し、悪役になる必要はないと諭した。私と同じようにこの世界で生きていた記憶がないのは少し残念だった。しかし不遇な人生の記憶などないほうがいいことは、私が一番よくわかっていることでもあった。
そんな微妙な気持ちでいたせいか、落ち込む彼女を見てゲームの通りにはならないかもと思わず話してしまった。
その失敗に気付いたのは、私の頬を打ち、諭したにもかかわらず悪役として振る舞うレティシアを見たときだった。
レティシアに悪役になられては困る。彼女の身に危険が迫ると国が滅ぶかもしれないということもあるが、馬鹿どもを野に放ったせいでリリアは散々な目にあった。
たとえ覚えていなくとも、私の心の安息のために今世では幸せになってほしい。
だというのに、ルシアン殿下は愛しい相手を追わずに留まった。
ここは誤解だなんだと言って、愛の言葉のひとつでも囁いてレティシアを改心させるべきだ。それなのに置いていけないなどと崇高なことを言っている。矮小な人間など捨て置けばよいのに、真面目なことだ。
ならば放っておいても大丈夫な人間だと思わせればいい。
そう思って普段とは違う姿を見せたというのに、それからもルシアン殿下に話しかけられた。
しかも魔法学の休憩中という、衆目のある場でだ。
ディートリヒ王子がレティシアに触れるだけでそんな顔をするぐらいなら、さっさと愛を囁いて繋ぎとめてしまえばいいのに。
レティシアは言いくるめられやすい人間だ。ライアーを傍に置いているのも、言いくるめられた結果だろう。でなければあんな人格破綻者を置いておくわけがない。
死の淵に立ってから後悔しても遅いというのに、ずいぶんと悠長なものだ。
愛を囁いてしまえばいいとは思っていた。
だが実際に迫っている場を目撃したときには眩暈を覚えた。怯えた顔でルシアン殿下を見上げるレティシアの姿は、どう見ても愛を囁かれた者のそれではない。
ならば止めるしかない。彼女が非道な目にあえば、この国が氷で包まれるかもしれない。
そして私は再度レティシアと話す機会を得た。
死という可能性を提示しても駄目だったから、今度はありのままの現実を見せつけた。
レティシアが大根役者であることは間違いない。感情のこもらない台詞と、どこを見ているのかわからない瞳。だがそれは、彼女をよく知らない者からすればそういう人間だと片付けられる程度のもの。
常日頃から悪役を演じようと努力していただけあって、不意に浮かべる表情以外は常時棒のようだった。
だからレティシアが演じていることに気付いている者はそう多くないだろう。
下手するとレティシアを想い続けているルシアン殿下や、よく一緒に行動しているレティシアの友人、そして穿った目で見ていた私ぐらいかもしれない。
「……皆と会わせる顔がないわ」
だからまあ、皆というのはレティシアの勘違いなのだが、訂正する気にはならなかった。勘違いして悪役をやめるのならば好都合だ。
レティシアが悪役のように振る舞う度、私は不利になりそうな噂を潰してきた。ルシアン殿下を取り合っているという不本意な噂だけはどうしても残ってしまったが、その程度で済んでよかったとでも思おう。
レティシアは色々な言葉で表現されている。
シルヴェストル家の宝石、鳥籠の鳥、聖女の子、人形のような子。
噂を潰していなければどんな言葉が増えていたのかなど、考えるまでもない。
その後帰ろうとしたところを引きとめられ、レティシアがルシアン殿下の好意に気付いていたことを知った。
ゲームにおいて、ルシアン殿下の恋は母親の面影を重ねたことからはじまった。だがゲームでの彼は度を超えたマザコンで、今の彼はそれに比べればずいぶんとマシになっている。何よりも王妃のようになることをレティシアに求めていない。
彼はただひたすらにレティシアからの愛を求めている。
多少の手助けとしてルシアン殿下の好意がレティシアにあることは伝えたが、それがどう転ぶかはルシアン殿下次第だ。
色恋といった甘さに疎そうなレティシアのことだから、その道は楽ではないだろう。
だからといってルシアン殿下とレティシアの橋渡しをする気にはなれなかった。ルシアン殿下が暴挙に出たというのもあるが、レティシアの口からノイジィを知っているような言葉が出てきたからだ。
もしかしたらリリアだったときの記憶を取り戻しつつあるのかもしれない。姿が同じで、魂も同じで、記憶すらも備えたとき、ライアーがどう動くのかが予測できなかった。
今はこれといって危害を加える気がなさそうだが、いざそのときにルシアン殿下がレティシアの横にいたら、どんな凶行に及ぶかわかったものではない。
私と共に旅をしていたとき、あの馬鹿どもは邪魔なものは殺せばいいと思っていた。橋渡しするにしても、ライアーが昔と違って大人になったと確信できたときだけだ。
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