クロエ1
私が勇者だった頃、この世界に国はなかった。ただひとりの王がすべてを統治し、領として区分されていた。
千年が経った今、領地だった場所のいくつかが国になっていた。
そして魔法すら存在していなかった。否、魔法はあったが広く知られているものではなかった。教会の使う力は治癒魔法ではなく癒しの力と呼ばれ、女神の奇跡だと崇められていた。
それが今はどうだ。教会にしか使えないと言われてはいるものの、女神の奇跡は魔法と名を変えて浸透している。そして貴族だけと言われてはいるが、癒しの力以外の魔法まで存在する。
それでもなお女神から授かった力であると言われているあたり、女神の威光というものは根深いものだ。
そして私と共に旅をしていた彼らもまた、魔族とは呼ばれていなかった。
そもそも彼らを表す言葉すら存在していなかった。私が見つけ、人の立ち寄らない場所から彼らを連れ出したのだから。
魔物もまた、それぞれの呼称はあったが総じて化け物と呼ばれていた。
勇者は今では女神の御使いと呼ばれ、人間扱いすらされていない。
千年も経つと、さすがに勝手が違う――では済まされないほどの変化だ。
事前知識とでも言うべきか、前世で遊んでいたゲームのおかげである程度はわかってはいたが、いざ目の当たりにするとどうしてこうなったのかと首をかしげてしまう。
「お母さん、出かけてくるねー」
「気をつけるのよ」
長期休みに入り、勝手知ったる我が家でくつろいでいたのだが、いつまでもそうしてはいられない。
母に断りを入れ、私は王都の外にある森に向かった。城壁を守る門番は、いまや顔見知りで二言三言交わすだけで通してくれる。
子どもの頃から何度も外に出た甲斐があった。
鬱蒼と茂る森はあまり人が来ない。城壁近くまでなら薪代わりになる枝を拾いに来たり、果物を取りに来たりするが、魔物がいるので奥まで行ってはいけないと言われている。
私はそんな森の中心部に向けて歩いていた。これからすることを誰かに見られたくない。
「ラスト」
易々と入っては来れない場所で名を呼ぶ。
それははるか昔に旅をしていた仲間のひとりの名前。性格には難しかないが、情報収集という点では群を抜いている。
「おー、久しぶりだな。元気だったか?」
「一回死んだ身だ。元気なわけがない」
まるで数年振りに再会するかのような気軽さで現れたのは、流れ出たばかりの血のように赤い髪と瞳をした魔族。こうして顔を合わせるのは千年振りだというのに変わっていない。
レティシアと共にいたライアーの色彩はだいぶ変わっていたというのに。
「それで、何? 俺になんか用?」
「聞きたいことがある」
千年間で何があったのかを聞くだけの時間も暇もない。
だから私は百年前に何があったのかを聞くことに決めていた。
『ハートフル・ラヴァ―』そう名付けられたゲームの舞台が百年前だったから。
はじまりは白い花が咲き誇る花畑での出会いだった。傷つき血を流す魔族の前に、ひとりの少女が現れる。少女は覚えたばかりの癒しの力を使って、魔族を治療した。
何日も魔族の元に通い、ある日少女は魔族に問われる。
「望みはないか」
「私は幸せだから、何もないよ」
ただそれだけの話だった。
だが少女の村が魔物に襲われ、生き残ったのは少女とその妹だけだった。彼女たちは別の町の教会に引き取られた。襲撃の影響か、少女の黒く艶やかだった髪は白くなり、青い目を片方失っていた。
そして月日は巡り、十八になった少女の町がまたもや魔物に襲われた。そこで少女と魔族は再会する。最悪の形で。
少女は襲撃を受けたせいで魔族の記憶を失い、魔族は髪が白くなった少女に気付かなかった。
だから代わりに妹が攫われ、少女は魔物に襲われた。
そしてそこを別の魔族が助け、妹を助けたいという少女の願いを聞いて魔族の住む屋敷に少女を案内した。少女か妹、そのどちらかが死ぬ運命にある屋敷に。
最初から最悪で、話の最中も最悪で、結末すらも最悪な物語。
続編ではある程度マシになっていたが、登場人物がろくでもないことは変わらなかった。マザコン、マッチポンプ、男尊女卑、犬、ヤンデレ。
だがそれでも前作よりはマシだというのが笑えない。
続編ではレティシア・シルヴェストルが聖女の系譜だという設定は出ていた。そして彼女の見た目が前作の登場人物と酷似していることもわかっていた。
だが聖女の名前についてだけは出ていなかった。
そして私はこの世界に産まれ、聖女の名前がリリアかフィーネ、そのどちらかだということを知った。それは前作において少女とその妹の初期設定でついていた名前だった。
「リリアとフィーネ。その名前に聞き覚えはあるか」
「ああ、知ってる知ってる。ルースレスのお気に入りとライアーのお気に入りだろ」
ライアー、今はリューゲと名乗る魔族の顔が頭をよぎる。そして氷の魔法を得意とする魔族の顔を思い出して、眉をひそめる。
「……あの冷血漢にお気に入りができるとはな」
前作を遊んだ記憶があるとはいえ、実際に起きたことなのか疑問に思っていた。彼らが誰かと恋をする図が浮かばなかったせいだ。冷酷という意味で名付けたルースレスはもちろんのこと、ライアーもまた玩具として気に入ることはあっても恋慕を抱くとは思えなかった。
そして攻略対象のひとりが、今目の前にいるラストだということも真偽を疑う要因のひとつだった。こいつが恋だ愛だなどという高尚な思いを抱くわけがない。
「俺も聞いたときは耳を疑ったな。二人とも過保護で、一回ぐらい貸せよって言っても貸してくんねェの。ひどくねェ?」
「同意を求めるな」
だがルースレスとライアーが気に入っていたことは確かなようだ。私の知らない間に多少は優しさというものを覚えたか。私が死ぬ前に覚えてほしかったものだ。
ラストは案の定変わっていない。
「リリアとフィーネ、どちらが聖女になったのか。それと聖女になるに至った経緯を教えろ」
「なんだ、そんなことか」
そしてラストの無駄が多い話がはじまった。
要約すると、リリアとフィーネが冒険者をしていたところをルースレスに確保され、住処にしていた屋敷に連れ去った。
そしてフィーネを手元に置き、屋敷に適当に転がしておいたリリアをライアーが見つけ飼うことにした。しばらくの間はつつがなく過ごしていたのだが、ある日勇者が人間を攫うなと叱りに来て、和解。その後、女神が新たに喚び出した勇者が屋敷にやって来た――
そこまで聞いて、思わず眩暈を覚えた。
「……新たな勇者って、なんだ」
「災厄――俺らが魔王って呼んでる奴なんだけど、そいつを放置している勇者はおかしいって女神が勇者を殺すための勇者を喚んだんだよ。つってもそいつ、人間の形をしているから殺せないとか、生き物は殺せないとか、女の子を殺せないとかで、なんにも殺せねェの」
あの女神ならば、たしかにそのぐらいのことはしでかしそうだ。人選は大いに間違えていたようだが。
「んで、その勇者の連れが当時の聖女と教皇だったんだよ。リリアの方が女神と話して、なんかよくわかんねェけど聖女になるって決めたってところだな」
「……私の生きていた時代だと、聖女になるのは簡単なものではなかったと思うが」
「姉の魔力を食ったんだよ、そいつ。お気に入りは双子だったからな」
双子。それはこの世界に産まれるはずのない存在。
一度にひとつの命のみと定められているが、稀に女神の定めた理から外れたものが産まれる。たとえば魔物がそうだ。あれらは普通の動物とは違い多産なものが多い。
そして災厄と呼ばれるものも、女神の理から外れたものだ。
総じて言えることは、女神の理から外れたものは通常ではありえないほどの魔力を持つということだ。
リリアとフィーネが双子だとすると、そのどちらかが女神の理から外れた存在だったということになる。
「フィーネの方が女神の理から外れた者だったということか」
「まあ、そうでもなきゃルースレスを治療なんざできなかっただろうからな」
「それで、魔力を食ったと言うが……どうやって食べたんだ? そもそも魔力は食べるものではないだろう」
「食えたんだよ。その二人がガキだった頃にそいつらが住んでた村を焼いて、ライアーが目玉ごと魔力を奪って保管してたから、目玉を食って魔力を取り込んだ」
前作において、少女たちの暮らしていた村を焼いたのがライアーだという情報は出ていたし、目玉を保管していたことも出ていた。
だがそこに魔力という要素や、双子という設定は出ていなかった。
そもそも、どうしてあちらの世界のここを舞台としたゲームがあったのか。ここがゲームを元にした世界――だとは思えない。何しろ私はゲーム以前の時代を生きていた。
そうすると、この世界を元にしてゲームが作られたと考えるのが妥当だ。そして世界を跨いで影響を及ぼせるものは、女神ぐらいしかいない。
女神があえて双子や魔力といった要素を隠したのか、わざわざ入れるほどのことではないと判断したのか。そのどちらなのかはわからない。
だがあの女神のことだ。どうせろくでもない思惑でも抱いていたのだろう。
「そもそもどうしてそこまでして聖女になったんだ?」
「世界に魔力が多すぎて災厄が生まれるから、魔法を広めるためにだとかなんとか言ってた気がするけど、よく覚えてねェな」
「……それは確かな情報か?」
「災厄についてはライアーが調べたことだから俺は詳しくは知らねェよ。まあ、お前が倒れてからあいつも色々調べてたし合ってるんじゃねェの? 調べてる間にお前死んで徒労に終わってるあたりとか、あいつらしくて笑えるだろ」
死んだ身からすれば笑いごとではない。
こいつらの価値観がおかしいことは知っているから何か言う気にはならないが、当人の前で笑い話にするのは避けてほしいものだ。
「そんで、魔法を広めるためだとか言って俺らまで使いだしたんだよ。ノイジィいただろ? あのうるせェの。あいつの催眠魔法使って人間全部洗脳して国を分けて、それまでの歴史が載ってる本を探して焼いたり、国境を定めるための壁を作ったり……あれは大変だった」
しみじみと語っているが、今の話の中にこいつが大変だった要素がない。
こいつの得意属性は風だ。情報を集めるぐらいはしただろうが、実行していたのは別の奴だろう。
そしておそらく、一番大変だったのは大規模な催眠魔法を使ったノイジィだろう。私と旅している間に歌に傾倒し、毎晩毎晩歌っていたうるさいやつで、私が死の淵にいるときですら歌おうとした馬鹿だが、思わず同情してしまう。
「で、こっからが面白い話なんだけど。その聖女になった奴……リリアが当時の教皇にころっと騙されて結婚してんの。教会の後ろ盾を得た方がいいとか言われて、んなもん洗脳すりゃあいいだけの話なのに、アホだろ?」
「同意を求められても答えかねるな」
「しかもその教皇の親、俺たちが殺してたんだよな。全然覚えてねェけど、その息子は覚えてたみたいで、一週間か一ヶ月ぐらい監禁してその恨みを聖女になった奴にぶつけてたんだよ。ライアーが教皇殺して助け出したけど、結局数年後に落石事故で死んでんの。あいつって徒労に終わる宿命でも背負ってんのかって話だよな?」
「同意を求めるな」
ノイジィに同情しかけていたが、どう考えても不憫なのはリリアの方だ。
村を焼かれ、親を殺され、姉の目を奪われ、屋敷に攫われた挙句災厄を生み出さないために聖女になったのに、監禁されて事故で死ぬ。
どんな業を背負ったらそういう人生になるというのか。半分以上が馬鹿どものせいだというところが笑えない。
ゲームを遊んでいたときですら、暮らしていた場所を襲った相手と恋に落ちるとか冗談ではないと思っていたが、現実のものとして改めて聞くと頭が痛くなる。
よくそんな奴らのいる屋敷で過ごそうと思ったものだ、いや、逃げることができなかっただけか。
「……とりあえず、わかった。今のこの世界の有様は聖女が作り上げたものなんだな」
「実際に動いてたの俺らなんだけど」
「お前らは精々働いていろ」
前作の情報のほとんどが意味をなさないことはよくわかった。
そして続編の舞台設定は、聖女が作り上げた後の世界だということもわかった。続編と銘打っておきながら、前作の流れはまったく汲んでいなかったということか。
「ルースレスは今どうしている?」
だが幸い、続編の情報さえ合っていればなんとかなる。
続編のルートのひとつで、レティシア・シルヴェストルは死ぬ。そしてすぐに、王国が氷に包まれた。王国全土を凍らせられるほどの魔力を持つ者がいるとすれば、それはルースレスぐらいだ。
どうしてレティシア・シルヴェストルの死を契機として国を凍らせるのかはわからないが、少しでも国が滅ぶ可能性を減らすためには彼の動向を掴まないといけない。
「そこらへんうろついてるんじゃねェの」
「呼んだら来るか?」
先ほどまですらすらと喋っていたラストが、ここにきて難色を示しはじめた。眉をひそめ、悩むかのように視線を宙に漂わせている。
「あー……やめておいた方がいいじゃねェかな。あいつの気に入ってた人間をライアーが殺したから、あいつら百年ぐらい追いかけっこ中なんだよ。ここを壊滅させたいなら呼ぶけど」
「いや、やめておく」
村を焼き、町を襲い、目玉を奪った挙句に殺したのか。何をやっているんだあいつは。
しかもそれで何食わぬ顔をして学園都市に入り浸っているのだから、救えない。
ああ、いや、冒険者になったところを捕まったということは町は襲っていないのかもしれない。
まあそれでも、非道な真似をフィーネにしたことには変わらないが。
「とりあえず、ある程度のことはわかった」
「ん? もういいのか? じゃあ一回ぐらい――」
ぐいと迫ってきた体にナイフを押しつけると、あっさりと引き下がった。口ではあれこれ言ってはいるが、無理強いはしない奴だ。
ただ殺すか殺されるかレベルじゃないと、無理だと判断しないから手に負えない。
「後は伝言を頼む。今ライアーと一緒にいる女の子に、ローデンヴァルトの姫君がどこに滞在しているか教えてほしいんだ」
「ライアーの近くって……ああ、リリアの生まれ変わりな。わかったわかった。じゃあ、その伝言を済ませたら――」
「それから、調べることができそうだったら調べてほしいとも伝えてくれ。くれぐれも人型で近づくなよ」
私は何も聞かなかったことにした。
いや、無理だ。聞いてしまったものはどうしようもない。
だが、そうか。彼女がリリアの――不遇な人生を送った少女の魂の持ち主ならば、今度の生では幸せになってもらいたいものだ。
馬鹿どもを野に放った身としては、心の底からそう思わずにはいられなかった。
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