クロエ3

 休みに入り、私は遊戯棟にある一室の前に立つ。

 ただひとりのためだけに用意された部屋を前に、もう何度目になるかわからないため息を零す。

 レティシアに頬を打たれた次の日に呼び出しを受け、週に一度は足を運んでいるのだが、どうしても二の足を踏んでしまう。


 だがここで足を止めていても意味がないことはわかっている。小さくノックをして扉を開けると、椅子に座りながら頬杖をついている男性が視線だけをこちらに向けてきた。


「遅かったな」

「申し訳ございません」


 そもそも何時にといった約束はしていない。休みの日に来るように言われているだけだ。


「フレデリク殿下」

「俺と君の仲だろう。フレデリクでよい」

「どういう仲でもないので結構です」


 私を待ち構えていた男性――フレデリク殿下の正面に座る。

 彼との間にあるのは、ただの利害の一致による協力関係だけだ。呼び捨てにするような謂れはない。



 ことのはじまりは私が大規模催眠魔法を行ったのをフレデリク殿下に見られたことだった。幸い頬を打たれた現場は見られてはいなかったようで、そこについては追及を受けなかった。

 あの日フレデリク殿下の呼び出しを受けた私は、嫌々ながらもこの部屋に足を踏み入れ――


「君が卸している魔道具だが俺が愛用してやろうか?」


 ――何故か商売の話を持ち出された。


「……どうして知っているんですか」

「貴族街で一度君を見ているからな。一般市民でありながら貴族街に出入りし、学園に入学、そして俺の周りを探っているともなれば調べもする」

「それで何か出ましたか?」

「いいや、何も出ていない」


 それもそうだろう。私は母とふたりで暮らすだけのどこにでもいる少女だ。そこに魔法が使えるというものが加わっただけで、注視するような人物ではない。

 いや、探っているという時点で注視されてもおかしくはないか。だがそれでもわざわざ呼び出さずとも監視を付ければいいだけだ。


「だが君が今開発している魔道具に興味が沸いた」


 今開発しているのは、写真もどきだ。魔力に色を付け、紙に転写する。今はまだ私の記憶を頼りに写しているだけなので、どうにか魔道具に落とし込めないかと試行錯誤している段階だ。

 概要をまとめた計画書を店に提出だけしたが、まだ試作品すらできていない。フレデリク殿下が気にかけるほどのものではないと思うのだが、どうやらそうでもないらしい。


「君の知りたい情報を教える代わりに、俺に協力してもらいたい」


 そして、いけ好かない王子との協力関係が結ばれ、今に至る。



「やはりローデンヴァルトは聖女の子を求めている」

「……聖女様に似ていらっしゃるそうですからね」


 それはもう瓜二つだ。しかも魂まで同じだ。

 さすがに魂のことまでは知らないとは思うが。魂の見分けがつくのは魔族ぐらいだろう。


「国に持ち帰り、王かあるいは第一王子、第二王子の妻にと考えているようだな」


 レティシアが嫁げる年になるころには、王の妻は三十を超えていることだろう。

 そして第一王子も第二王子もすでに妻のいる身だ。愛を尊び、たった一人の伴侶しか愛さないこの国がそんなところに嫁ぐことをよしとするはずがない。


「現実的ではありませんね」

「あちらはレティシア嬢が愛に狂うことを望んでいるようだ。他の男に嫁ぐことすら頷いてしまうほどの愛にな」


 そこまでの愛に身を焦がすレティシアの姿は――想像できない。

 他の男に嫁げと言われた瞬間、彼女は愛されていないと思って逃げる。


「やはり現実的ではありませんね」

「俺の弟が十の頃から求めてやまなかったものを簡単に手に入ると思われるとは、ずいぶんとなめられたものだ」


 ――愛の言葉を山ほど囁けば落ちると思いますよ。


 思わず出そうになった言葉を飲み込む。ルシアン殿下の想いについては歪曲して捉えてはいるが、異性として意識していることは確かだ。それはこれまで彼女を慕って行動し続けていた結果だろう。

 しかしルシアン殿下でなくても、愛を囁かれれば彼女は落ちる。


 ルシアン殿下について語ったときの彼女の瞳は不安と寂しさで揺れていた。あれは愛を求める者の目だ。だというのに目の前にぶら下がっている愛を否定し、逃げている。だがそれも勘違いできないほどの愛の言葉に埋めて、逃げ道を奪えば済む話だ。


「そして当人が頷けば我が国が手を緩めるとでも思っているのだろうな。いつまで経っても人を子ども扱いする馬鹿がいるような国らしい、馬鹿な考えだ」


 フレデリク殿下はローデンヴァルトをこれでもかと敵視している。母親と弟を否定されているのだから、当然といえば当然か。

 どうしてゲームでは姫君と駆け落ちするほど想えたのか、不思議でならない。


「……エミーリア姫との仲はどうなっていますか」


 だがそれは、もはや考えてもしかたのないことだ。


「なんだ、妬いているのか」

「いえ、フレデリク殿下に国を捨てられては困るだけです」

「前にも言ったと思うが、俺は国を捨てるつもりはない。エミーリアには情報を得るために近づいただけだ」


 今のフレデリク殿下は姫君に興味を抱いていない。


「エミーリア姫はどう思っているのでしょう」

「さてな。俺は触れてもいなければ、口説いてもいない。あちらがどう思おうと関係のないことだ」


 いや、それ以上に質が悪い。


 この国の王子は顔だけはよい。王妃に似たルシアン殿下はどちらかといえば儚げな印象があるが、フレデリク殿下は妖艶な雰囲気をまとっている。

 それでいて自分の顔が武器になることをよく理解している。口説いていないというのは嘘ではないだろう。ただ表情や眼差しで秘めた想いがあると見せかけて、初心な姫君から自国の内情を聞き出した。

 その様は、見ていなくとも容易に想像できる。


「……悪い人ですね」

「使えるものを使う。それだけのことだ」


 どうにもいけ好かない男だが、その心意気にだけは同意する。

 どれほど憎い相手だろうと使えるものは使う。目的のためには手段など選んではいられない。


「それで、君の方は」

「はい。こちらに」


 手に持っていた書類を机の上に置く。


 優秀で顔もよく、婚約者がいないこの男に想いを寄せる者も少なくはないだろう。

 内面を知らなければ、私も年頃の少女らしく頬のひとつぐらいは染めていたかもしれない。

 だが相好を崩し嬉々として書類を手にする姿――弟の近辺情報を得て笑っている様を見れば、百年の恋も冷める。


「これは珍しい。嫉妬に焦がれる姿とは」


 フレデリク殿下が手にしているのは、ルシアン殿下の写っている写真もどきだ。

 つい昨日、勉強会で顔を真っ赤にさせたレティシアが席を立ったときのルシアン殿下を再現したものなのだが、傍目には平時通りとしか思えない。


「嫉妬されているようには見えませんが」

「ほら、ここを見ろ。口元がわずかに引きつっているし、ペンを持つ手にも力がこもっている。それに視線が少しばかり外に向いているだろう」


 この写真もどきはあくまでも私の記憶を参考にしたものだ。記憶が薄れる前にとその場で転写したが、それでもありのままを写したものとは言い難い。

 そんなちゃちな代物でそこまでの情報を引き出すフレデリク殿下は、普通に怖いし、引く。


「やはり絵姿よりもよいな」

「……まだ商品にはできませんよ」


 絵姿よりも正確な弟の絵が欲しい。あとついでに弟の近況を知りたい。

 ただそれだけを理由に――私から与えられるかもしれない害を飲み込んで――フレデリク殿下は私と手を組んだ。


 姫君と駆け落ちするはずだった無責任王子は、とんでもないブラコン王子になっていた。

 どうしてそうなったのか――私とレティシアという不純物が、この王子をここまで残念なものにしてしまったのなら、さすがに、少しだけ憐憫の情が沸く。





 そして休みが明け、教室に置いてある私の机に異変が起きていた。


「……なるほど、ここも変わっているか」


 度を越えたマザコンはそこそこのマザコンに、無責任王子はブラコン王子に、そして詰め込まれるはずだった死骸は――

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