ルシアン・ミストラル4

「今日は来ませんのね」


 空席を見て頬を膨らませるマドレーヌにシモンが「そういうこともありますよ」と答えていた。

 レティシアと話をしないまま、勉強会の日になった。そしてレティシアとあの男が来ないまま、勉強会がはじまった。


 かかさず来ていないのに、どうして来ない。しかもふたり一緒に。クロエに勉強を教えながら、頭の中で嫌な想像をしてしまう。


 あの男に触れられたとき、レティシアは邪険に扱っていた。だから想い人だというのは私の勘違いで、ただ付きまとわれていただけかもしれない。だけどもしかしたらふたりだけではなかったから装っただけかもしれない。

 それで私という邪魔の入らないこの日を選んでふたりで会っているのかもしれない。


 ただの予想に過ぎず、確認する方法もないのに考えずにはいられない。何度も否定しては否定しきれず、苛立ちばかりが募っていく。


「……すみません。私はここで失礼します」


 本を取りに行っていたはずのシモンが戻ってくるなりそう言って、足早に図書室を出て行った。


「シモン様!」


 そしてその後をマドレーヌが追う。置き去りにされた本をクロエがまとめ、本棚に返しに行くのを眺めながら、どうしてレティシアのいないこの場所にいるのかを考えていた。


 窓際の本棚に近づいたクロエの動きが止まる。窓の外をじっと眺めているのを見て、何があったのかとそちらに近づき――頭が冷えた。


 眼下に見える場所にレティシアとあの男がいる。何を話しているのかまでは聞こえなかったが、レティシアが逃げることなくその場に留まっていることだけはわかった。


「殿下」


 横からかかる声に、視線をずらすと心配そうに見上げてくるクロエがいた。

 心配そうな青い瞳に見つめられたのに、何も感じなかった。


「皆いなくなったことだし、今日はここでお開きとしようか」

「……いいんですか?」

「何が?」


 クロエはそれ以上何も言わなかった。



 ぼんやりとしながら自室で寛いでいたら、シモンが駆け込んで来た。血相を変えた顔に首をかしげる。彼がここまで狼狽するとは珍しい。


「レティシア嬢が泣いていました」

「それで?」


 そうか、レティシアは泣いていたのか。

 私の言葉でも揺らぐことのなかった彼女が、あの男によって泣かされたのか。


「それでって……慰めに行ってあげてください。彼女を慰められるのはあなたしかいません」


 私ではなくあれがレティシアの心を動かした。その事実が悲しくて苛立たしくて、自分を抑えることができない。


「どうして私が?」

「あなたは彼女の婚約者でしょう」

「そうだね。だけど、それが君に関係ある?」

「……いえ、私には関係のない話でしたね」


 何か言いたそうにしながらも言葉を飲み込んで立ち去るシモンを見送りながら、これからどうするべきかを考えた。


 婚約を解消するという手はなくなった。私はどうあがいても、レティシアを手放すつもりはないことがよくわかった。想い合っているのならと引き下がる気にはなれない。


 元々、レティシアに想い人がいてもかまわないと思っていた。私が婚約者である限り、レティシアは私と結ばれるしかない。

 だから隣に並び立てるようにと努力してきた。誰にも私たちの婚約を邪魔できないようにと他国にまで行った。


 レティシアがシルヴェストル公に申し出れば婚約はなくなるうだろうけど、これまでの動きを見る限りその可能性は低い。ならば私が頑なでいれば、誰も引き離すことはできない。



『鳥籠の鳥は世界を知ったらどうなると思う?』


 ――それを誰が言っていたのかは覚えていない。だけどもう、どうでもいい。



 ただ見てほしかった。ただ名前で呼んでほしかった。ただ笑いかけてほしかった。

 ただそれだけの願いが、気づけば歪んでいた。



 次の日、図書室でレティシアを見つけた。

 初日にレティシアとここで会えたから、暇さえあれば足を運んでいた。レティシアと会えるかもしれないと思ってのことだった。

 こうして会えたというのにレティシアはシモンから何かを学んでいて、私はそのまま立ち去った。



「協力、ですか?」

「そうだよ。私はレティシアと話したいのだけど、悲しいことに避けられているんだ。でも、君と一緒にいたら彼女の方から来てくれる」

「……また叩かれるのはいやですよ」

「レティシアが来たらすぐ行ってくれてかまわないし、来なかったとしてもすぐに帰っていいよ。ただ少しでもレティシアと話す機会が欲しいだけなんだ」


 探るように私を見ながらも、最終的に頷いてくれた。

 どうやって見つけているのかはわからないが、私がクロエと話していると高確率でレティシアはやって来る。


 そしてその間は、あの男と一緒にはいられない。


 あの男が厄介なのはローデンヴァルトという後ろ盾があるせいだ。あの国は私が失態を犯すのを待っている。そして私が何かしでかせば、すぐにでもレティシアとの婚約解消を求めるだろう。


 レティシアが聖女の子だからこそ、ローデンヴァルトは気にかけている。

 なら、レティシアが聖女の子に相応しくなくなれば、手を引くことだろ。後ろ盾を失ったあの男がレティシアを手に入れることはできなくなる。


 案の定レティシアはクロエと一緒にいるときを見計らって現れた。

 そして私との約束通りクロエはすぐに帰り、残された私もまた何も言うことなく去った。


「……あの、いつまで続けるんですか?」

「君には申し訳ないと思っているんだ。でも、レティシアを目の前にすると何を言えばいいのかわからなくて……」


 そうして何度もレティシアがいつも通り役割をこなすのを見届ける。

 クロエに言ったことは嘘ではない。レティシアを前にすると、抱いた決心が揺らぎかける。間違っているという考えが頭をよぎり、何も言えないままでいた。


 そして何度か図書室に足を運び、シモンとマドレーヌと一緒にレティシアを見たが声をかけることはできなかった。

 これまでまったく図書室に来なかったのに、どうして今になって来るのかが不思議だった。


 そのぐらいなら聞いても大丈夫だろうと考えたのだが、甘かった。


「誘われましたので、前期よりは行ってますわ」


 なんてことのないように言われて、聞かなければよかったと後悔した。

 私からは逃げるのに、他の人の誘いは乗るのか。


「……私が誘っても来てくれる?」

「は、はい!」


 間髪入れず返ってきた答えに思わず笑みが零れる。

 レティシア、それは駄目だ。それでは何も考えずに答えたことが丸わかりだ。

 だけど、嘘でもそう言ってくれたことが嬉しかった。やはり私がやろうとしていたことは間違っている。


「本当に?」


 再度確認して頷いてくれたら、レティシアを大切にして、私を受け入れてくれるようにまた頑張ろう。

 そう思っていた――


「レティシア」


 ――彼女を呼ぶ声が聞こえるまでは。


 どうして、他の男がレティシアを呼び捨てにしている。しかもごく自然に、まるでいつもそう呼んでいるかのように。

 ああ、やはり駄目だ。レティシアとふたりだけなら問題ないのに、他の者が混ざるだけでどうしようもないほどの不安に駆られる。

 レティシアが私から決して離れないという保証がない限り、この不安は消えない。



「……後で、お話がしたいです」


 小さな声で告げられた誘いに、思わず手に力がこもる。繋がれていた手を強く握りしめられ、レティシアが不安そうな目で私を見上げた。


「いいよ。でも、邪魔が入るのはいやだから授業が終わった一時間後に学舎の裏手で待ち合わせでいいかな」


 あの男とレティシアが一緒にいた場所を選ぶ。あの忌々しい場所を塗り替えたかった。

 レティシアが何を話そうとしているのかはある程度見当がついている。どうせ婚約についてだろう。

 ならばあの場所で改めて、婚約を解消する気はないのだと教えてあげよう。

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