ルシアン・ミストラル2

「こんな場所で何をしているのかしら」


 そんな私をレティシアに見咎められた。


「殿下をたぶらかすだなんて、平民というものは浅ましいものね」


 台本を読むかのような淡々とした言葉に胸が締め付けられた。きっとレティシアが理想としている令嬢はこういう場面でこういう発言をするのだろう。

 レティシアはクロエと仲良くなりたがっていたのに、私がこんな台詞を言わせてしまった。

 どうすれば取り返しがつく。クロエは行ってしまって、残っているのは私とレティシアだけだ。どうすれば――


「さて、殿下。あなたの想い人は逃げ出しましたけど、追いかけなくてよろしいのかしら」


 その言葉に目の前が真っ白になった。

 私が想っているのはレティシアだけなのに、どうしてそんなことを言うのかがわからなかった。

 否定したいのに、口が上手く回らない。

 

「あら、何が違うと言うのでしょうか。現に仲睦まじそうにお話されていたではありませんか」


 学園に来てからずっとレティシアに話しかけていた。

 学園に来る前にも屋敷に何度も赴いて、会っていない期間も日記をたくさん書いて、旅先の土産も送って――それなのに何も伝わっていなかった。

 

 私を見てくれていないことはわかっていた。それでも少しぐらいは心の片隅に置いてくれているかもしれないと期待していた。

 培ってきたと思っていたものが否定されて、悲しいと思うよりも先に怒りが湧いた。


 ――これまで私がしてきたことはなんだったんだ。


 ――想い人がいるのは君のほうじゃないのか。


 そんなことが言いたいんじゃない。しっかりと伝えられていなかった私が不甲斐なかっただけだ。

 傷つけたくない、責めたくない、そう思うのに責めるような言葉しか浮かばない。

 だから初めて、レティシアから逃げた。



『手に入らないものを追いかけるのは疲れるだろう。少し休みたいと思うのは仕方のないことだ』



 クロエといるのは心地よかった。だからクロエを見ると話しかけずにはいられなかった。

 そしてそのたびにレティシアに咎められた。


「何度言えばわかるのかしら」

「私……そんなつもりでは!」


 顔を伏せて逃げ去るクロエを止めることも、クロエを責めるレティシアを止めることもできなかった。


「殿下も殿下ですわ。どうしてあのような方に声をかけていらっしゃるの」


 感情のこもらない声で、ただ役割をこなすかのように淡々と私を責めた。

 一体私は何をしているのだろう。私が話したいのはレティシアのはずなのに、どうしてクロエに話しかけているのかがわからない。


 取り返しのつかないことをしたと悔やんだのに、どうして何度も同じことを繰り返している。どうしてレティシアを前にすると怒りが湧いてくる。どうして――


 何かがおかしいと思うのに、何がおかしいのかわからない。

 ちぐはぐな思いに身動きが取れなくなっている。



 レティシアのために用意した贈り物が渡せなかった。

 一緒にいようと誓いあうための贈り物は、ずいぶん前から作らせていたものだった。ようやく仕上がったのがひと月前で、渡せる日を待っていたのにいまだに私の手元にある。

 もしも断られたら、私が何をするのかわからなかった。だから机の上に置いて、セドリックに見つけさせた。彼はこれが何かを知っているから、きっとレティシアに届けてくれるはずだ。


 だからセドリックとレティシアが一緒にいるところを見つけたときには緊張した。レティシアはちゃんと受け取ってくれただろうかと不安だった。

 そしてレティシアの手に木箱があるのを見て胸を撫でおろす。


 だけど、レティシアが受け入れてくれたわけではないのがすぐにわかった。

 一緒にいたいと願った贈り物を返すと言われて、どうしようもないほどの怒りが湧いた。


「……返さなくていい」


 怒りを必死に押しとどめて、ただそれだけを告げる。

 レティシアの手元にあるだけで満足だと自分に言い聞かせた。

 



 レティシアが眠りの呪いにかかったと聞いたのは、誕生日の贈り物を届けに城に伺うと打診があった数日後のことだった。

 貰えるとは思っていなかった贈り物。早く誕生日にならないものかと指折り数えていたときに、シルヴェストル公が休暇を申請した。


「娘が眠りの呪いにかかったかもしれません。呪いを解ける者を探すために、しばらく休暇をいただきたく存じます」


 それを聞いた私はすぐにシルヴェストル公に頼み込んでシルヴェストル家に向かった。

 馬車の中では生きた心地がしなかった。もうすぐ私の誕生日で、贈り物を貰って、また前のように戻れると、そう信じて疑っていなかった。

 だから眠りの呪いというのは間違いで、シルヴェストル公が何か勘違いしているだけかもしれない――そんなことすら考えていた。


「レティシア……」


 だけど彼女は眠っていた。枕元で呼びかけても応えず、ただ静かに寝息を立てている。まるでついさっき眠りについただけのように見えるのに、もう丸一日近く目覚めていない。


「どうか起きて……逃げられてもいい、私を見てくれなくてもいいから……」


 寝台に散らばる髪をそっと撫でると、レティシアの目がわずかに開いた。

 祈りが通じたのだと女神に感謝を捧げて――


「王子、様……?」


 ぼんやりとした目で私を見て、私ではない誰かを呼ぶ声に固まった。

 学園初日でも、彼女はぼんやりとした目で私を見ながら王子様と呼んでいた。


「……君の王子様は誰?」


 ――君は私に誰を映して、誰を王子様と呼んでいるの。


 だけど答えを知ることはできなかった。折角通じた祈りなのに、私が欲をかいたからレティシアはまた眠りに落ちた。



 その晩には回復したようで、予定通りレティシアは贈り物を届けにきたのだけど、素直には喜べなくなっていた。もしかしたら贈り物を貰えるというのは勘違いだったのかもしれない。どこかで情報の行き違いがあったのかもしれない。


 レティシアが起きて嬉しかったはずなのに、一緒に中庭を回る彼女を見ながら疑心暗鬼に囚われることしかできなかった。

 こんなはずじゃなかった。一緒に中庭を見ながら幼いころの思い出を語って、これからもずっと一緒にこうやって過ごしたいと言って、それからレティシアの贈り物を貰って――そう考えていた。

 一緒にいたいと言ってもレティシアは頷いてくれないかもしれない。また逃げられるかもしれない――起きてさえくれたら逃げられてもかまわないと祈ったのに――そう考えると、不安でどうしようもなくて、ただ花の説明をすることしかできなくなっていた。


「あの、殿下。こちら、誕生日の贈り物ですわ」


 だから本当に貰えたときには嬉しかった。


 ああ、何を言えばいいのだろう。これからも一緒にいたいと言えばいいのか、母上が育った国の星空を一緒に見たいと言うのもいいかもしれない。

 でもやはり、またふたりで星を見たいと伝えるべきかもしれない。あれは私とレティシアだけの思い出なのだから。

 こんなことなら、六歳からずっと彼女との思い出を作ればよかった。そうすれば語れる言葉も増えたのに。レティシアをただの婚約者だとしか思っていなかった頃のことを思うと、悔やんでも悔やみきれない。


 だけど過ぎたことは仕方ない。これから思い出を作れれば、それで――



「――ディートリヒ王子がどちらにお住まいかご存じかしら」


 それなのに、どうしてレティシアはあの男の名前を口にするのだろう。

 一緒にいようと贈り物を渡したその場で、どうしてその名前を言うんだ。


 ああ、そうか。さっきレティシア自身が言っていたではないか。婚約者としての責務だと。

 彼女にとっては、その程度のものだった――それだけのことだ。





 気づけば休みが終わっていた。

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