「進歩状況について話そうと思っただけなのに」

 あまりにも気障すぎる所作に思わず硬直する。こういうことする人って本当にいるんだ、と感心すらしてしまった。それがよくなかったのかもしれない。いや、よかったのかもしれない。


 どちらなのかはこの時点ではわからなかったけど、とりあえず王子様に現場を見られた。


「何を、しているんですか」


 目を吊り上げて乱暴な靴音と共に近づいてくる王子様。どうしてこんな所にいるんだ。

 王子様にとっては婚約者が別の男性と仲睦まじくしている現場に足を踏み入れたようなものだ。実情はどうあれ、髪への口づけを許したように見えたとしても不思議ではない。


 不貞の現場を目撃した王子様は怒り心頭だ。やばいと思ったのは一瞬で、ふしだらな娘だからと婚約がなかったことにならないかと思わず考えた。

 でもそれはだめだ。性格の悪さが理由で婚約がなくなるのとではどっちもどっちな気がするが、私がなりたいのは悪女ではなく悪役だ。


 かといって弁解するのも情けない。何もわかっていない風を装うことに決めた。

 おかしなことなど何もないという言うように、首を傾げて純粋無垢な乙女のようにきょとんとした表情を作る。


「こんなところで何をしているのかと、聞いているんですよ」


 視線の先にいるのは私ではなく、隣国の王子だ。だけどその怒りは私にも向いているような気がする。気のせいだと嬉しい。

 怒っている王子様は初めて見たような気がする。困ったように笑ったり、呆れたような顔をしていたけど、怒られたことはなかった。普段怒らない人が怒っているのは、怖い。


「見てわからないとは、君の目はずいぶんと節穴のようだね」

「何か勘違いしていませんか? 私は答えろと、そう言っているんですよ」


 隣国の王子から笑みが消える。そして不快そうに眉間に皺を寄せ、蛇に睨まれた蛙状態で微動だにしていなかった私の肩に手を置いた。何もわかっていません風を装うどころじゃなかった私は、突然触られて飛び上がらんばかりに驚いた。


 王子様がふ、と小さく笑みを零すと小馬鹿にするような目で隣国の王子を見た。


「どうやら、見たままではなさそうですね」

「緊張しているだけだよ。怖い顔をした男が目の前にいて、緊張しない女性はいないさ」

「それはどうでしょうね。――おいで、レティシア」


 手招きされたが、怒っている王子様のところにも行きたくない。隣国の王子の横にいるのも嫌だ。逃げ出したい。


「レティシア様ー」


 だから私は自分の名前を呼ぶ第三者に飛びこんだ。逃げ出したくてしかたなかったのだからしかたない。逃走本能はどうしようもない。


「え、えぇと、これはどういう状況でしょうか」



 問題は飛びこんだ相手がヒロインだったことだ。

 突然抱きついてきた私の背を、ヒロインは優しく撫でてくれた。優しい。


「あの、何があったのかはわかりませんが……困っているようですし、あまり、その、苛めないであげてくださいね」

「苛めてなんていませんよ。ねぇ、レティシア」


 たしかに苛められてはいない。怒られそうになっているだけだ。怒られるようなことをした覚えはないのに。

 不貞疑惑も悪くないと考えはしたけど行動には移していないので、私は悪くない。


「ところで君はどうしてここに? レティシアに用があったのなら申し訳ないけど、後にしてくれると嬉しいかな」


 申し訳ないとは微塵も思っていなさそうな王子様が、私をよこせと言うようにヒロインを睨んだ。恋仲にならないといけないふたりの間に険悪な空気が流れている。これはよくない。悪役がヒロインに助けを求めたのもよくないけど、王子様とヒロインの仲が悪くなるのはもっとよくない。


「あら、あなたごときが私にどんな用があるのかしら」


 ヒロインと険悪になるのは私の役目だ。そっとヒロインから離れて、嫌味を口にする。先ほどまで助けを求めてしがみついて相手に対して、とんでもない手の平返しだということはわかっている。

 何を言っているんだこいつはみたいな空気が流れたような気がするがけど、気にしないことにした。


「ええ、まあ、急用というわけではないので、その、私のことはお気になさらないでください」


 ヒロイは聞かなかったことにしたようで、私ではなく王子様を見ながら眉を下げた。この一ヶ月の付き合いでなんとなくヒロインについてわかったことがある。貴族に対して怯えた小市民を演じているだけで、彼女はとてつもなくたくましい。死骸が詰めこまれようと些事と切り捨て、恨みがあったとはいえ魔族相手にも果敢に立ち向かう気丈な女性だ。

 どうしてそんな怯えた小動物のようなふるまいをするのかと、聞いたことがある。ヒロインは達観したような笑みを浮かべ、変な輩に目をつけられたくないと語った。矮小な存在であると思われれば捨て置かれるということを、はるか昔に知ったそうだ。

 ヒロインの勇者時代については聞いていないけど、大変だったのだろう。


「ほら、レティシア。こっちにおいで」


 招かれるまま王子様のそばに寄る。逃げ出そうかとも考えたけど、ここで逃げ出すのは色々まずい気がした。後で怒られるか今怒られるかなら、今の方がマシだ。


「無理強いはよくないんじゃないかな」


 王子様の怒りに油を注ぎこむ隣国の王子。少し口を閉じていてほしい。だけど私の祈りは通じず、隣国の王子は喋ることをやめない。


「彼女にも選ぶ権利があるだろう」

「そのようなことはあなたの国で言えばいいでしょう。他国のことに口を出さないでほしいですね」

「前にも言ったと思うが、愛だなんだという理由でお相手を選ぶのはこの国ぐらいだ。それなのに彼女は誰かを愛したことがないと、そう言っていたよ。可哀相だとは思わないのかい」


 王子様の視線が私に向けられ、怖いと思った瞬間には逃げ出していた。身に染みついた逃げ癖は、意思を無視して体を動かした。

 逃げ出した私はそのまま部屋に駆けこみ、王子様に怒られないことだけを願った。



 私の祈りが通じたのか、それからしばらく経っても怒られることはなかった。王子様が以前ほど私に話しかけなくなったせいかもしれない。

 あの後何があったのかはわからないけど、王子様はあれ以来ヒロインに目をかけているらしい。


「私は何もしていないのに!」


 そう嘆くヒロインによって事態が上手いこと収まったのを知ったのは、もうすぐ星の月に入ろうとしていた頃だった。

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