第二章
兼業
十年前、魔王が現れた。魔王は魔物と魔族を率い人の世を脅かした。
それからほどなくして女神の加護を授かりし者が現れ、魔王は姿を消した。
月日は流れ――少女が魔族と出会った。
魔族と少女のハートフルストーリー。
そう銘打たれたゲームは、正しくハートフルで冒頭から少女の住んでいた街が魔族と魔物に襲われるところからはじまった。
ひとりの魔族に声を奪われ、妹をさらわれ、魔物に襲われていたところを別の魔族に助けられる。そして妹を取り返すために魔族の住む屋敷に赴き――というところで私は投げ出した。
そして何を思ったのか続編が発売された。
舞台は学園、攻略対象も人間で貴族。前作とは打って変わった方針が気になって衝動買いした。
どこで落とし穴があるかわからないから、攻略サイトを見ながらハッピーエンドだけを最短で遊んだ。四人の攻略対象を終わらせた後は見向きもしなかった。
いたって普通の、前作は一体なんだったのかと聞きたくなるようなまともな内容だったので満足したというのもある。
ハッピーエンド至上主義だった私は「やっぱり結局ハートフル」と言われている隠しキャラを攻略しなかった。したくなかった。
なにせ隠しキャラルートでは前作のキャラクターが出てくるとネタバレされていたから。
だから百年ぐらい経っていても魔族が生きている確証があった。出てくるのがどれなのかはわからなかったけど、誰か一人でも生きているなら、治癒魔法を持つ魔族も生きているだろうと思っていた。
だから私は呼んだ。それしか方法が思いつかなくて――
「……聞いているのか?」
不機嫌な声に思考が引き戻される。どうしてこうなったと前世の記憶から遡っていた。もはや現実逃避に等しい思考は、眉をひそめているお父様によって中断された。
お父様の傍らに立つのは、地味ではあるものの仕立てのよさを感じられる装いに身を包んだ青年。髪の色は違う。でも浮かべている柔らかな微笑と血を連想させるような赤い瞳は間違いなく―ーあの晩に出会った、私が呼んだ魔族だ。
「突然護衛だなんだと言われて、お嬢様も混乱しているのでしょう」
青年の言葉を聞いて、お父様は深い溜息を零した。
「彼はアドルナートからわざわざ来てもらったお前の護衛役だ。従者としても教育係としても優秀だと聞いている」
護衛兼従者兼教育係兼見張り兼魔族って兼業しすぎだ。
「若いが、腕前はたいしたものだそうだから護衛としては十分だろう」
百年以上生きているとは思えないほどの若作りだし、戦力としてはそこらの悪漢ぐらいなら八つ裂きにできるだろう。だけど、問題はそこじゃない。そんなことはどうでもいい。
「で、ですがお父様。従者と言われましても私にはマリーがいます」
「マリーには長年苦労をかけたからな。しばらく休息が必要だろうと思って別の仕事を与えてある」
「外に出ない私に護衛が必要ですか?」
「勝手に出ただろう」
「教育はもう受けています。勉学は問題なく進んでいます」
「お前が受けるのは王子妃教育だ」
私の断り文句は次々潰された。そのうえ新事実まで発覚した。
おうじひきょういく……? 何それ、とぽかんと口を開けている私を見て、お父様が再度溜息を落とした。
「今まではベアトリスの方針により行っていなかったが、さすがに今回の件で方針を見直すことにしたようだ。疎かになってた分を補うために専属でつけることになった」
ベアトリスというのはお母様の名前だ。優しいお母様は私を思いやってくれていたのだろう。そんなお母様の心遣いを裏切る形になってしまったのだと気づき、胸が苦しくなる。
「お母様が……わかりました。でもこの人? である必要はないのではないでしょうか」
「とんでもないじゃじゃ馬を教育したことがあるらしいからな。うってつけだろう」
お父様の中で私はじゃじゃ馬らしい。というか何をやっているんだ。魔族は暇なのか。
ちなみに人という部分をあやふやにしたら、赤い目でちらりと睨まれた。
「部屋はお前の続き部屋を与えることになっている。空いていたし丁度いいだろう」
「そんな! 男性を続き部屋にいれるだなんて!」
続き部屋というのは、本来侍女などが主人の命にいつでも応えられるようにと与えられる、主人の部屋と繋がっている部屋のことだ。
私の場合は自室の隣に続き部屋があり、もう反対側に寝室がある。今まで私の続き部屋は無人になっていたので、寝室にも続き部屋にも鍵のたぐいはついていない。
「せめて鍵をつけてください!」
「鍵をかけたまま抜け出すかもしれんからな」
お父様の中では完全に決定事項なのだろう。私の訴えはことごとく却下されていく。
「中々手を焼く娘だが、よろしく頼む」
「はい、旦那様」
用件はすんだとばかりにお父様が私の部屋から出ていく。恭しく一礼する青年を横目に、私は顔面を蒼白させることしか出来なかった。
「じゃあ、改めて。リューゲ・ロレンツィ、ローデンヴァルト国の商会の娘がアドルナート国の男爵に嫁いで産まれた末の息子、という設定だよ」
完全に扉を閉まるのを確認した青年は楽しそうに笑いながら、自己紹介という名の設定紹介をはじめた。
「なんで、そもそも、リューゲって誰……」
「だから、ボクの偽名だよ。それ以外で呼ばれたら困るから、しっかり頭に叩きこむんだよ」
取り繕う気はないらしい。設定とか偽名とかあっさり言っている。私は混乱する頭を抱えながら、リューゲリューゲと必死に脳内で再生した。
もしも言い間違えたら何が起きるのかは、わからない。優しい魔族なのだと思っていたけど、王子様のときには危うく見捨てられかけた。
結局助けてもらえたけど、何を考えているのかわからないうちは従っておくほうが賢明だろう。リューゲが解任されることはなさそうだし。
「頭とか、耳は?」
髪の隙間から飛び出ていた耳が今はない。頭の色も抜けているし、魔族には擬態能力でもあるのだろうか。
「ああ、邪魔だったから魔力と一緒に抜いた」
「は?」
「ある程度は残してるから護衛をする分には問題ないよ」
「いえ、そうではなく、抜いたとは一体?」
「なんだ、そんなこと? 魔力を抜くと髪の色も一緒に抜けるんだよ。でも完全に抜いてはいないから―ーほら、名残りがあるでしょ?」
ひょい、と後ろで一つに纏めていた長い髪を摘まんで見せつけてきた。しっかりと手入れされているのか、艶やかで柔らかそうな髪だ。女性として羨望の感情がわいてくる。
「キミも抜きたかったら抜いてみる? まあ、体の一部も一緒に抜かないといけないけど」
「いえ、それはちょっと遠慮したいです」
「というわけで、魔力と一緒に耳の余分だったところを抜いたんだよ。断面を人間と同じ形にするのは大変だったけどね」
あっさりと言われたので思わずなるほどと納得しかけ―ーえ、抜くって物理? 断面って、切り取ったとか? と疑問がわくと同時に恐ろしい光景を想像して、押し黙る。聞けば聞くほど、魔族が危険生物に見えてきそうだ。
「で、もう質問は終わりでいいのかな? 荷物を部屋に運びたいんだけど」
「じゃ、じゃあ最後に。いつまでいるつもりなんですか?」
足元に置いていた大きな鞄を片手にもって続き部屋に向かおうとする背中に問いかけると、リューゲはこちらを見ずにひらひらと空いている手を振った。
「他の魔族に文句を言われる前には戻るよ。まあ、百年ぐらいは大丈夫なんじゃないかな」
気長すぎるよ魔族。
死に目を看取る気か。
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