約束

 次の日、昼食を終えゆったりとした時間を過ごしていたところで客が来た。マリーに連れられて部屋に入ってきたのは、不機嫌そうに眉をひそめている騎士様だった。

 マリーは今はこうした、客人の案内係についているらしい。客が来ることの少ない私は中々マリーに会うことができなくて寂しかったりする。

 騎士様は私の傍らに立つリューゲを一瞥した後、私に向かって頭を下げた。


「先日は慌てていたとはいえ失礼しました。ですが、殿下のいる場所に心当たりがあるのなら教えて欲しかったです」

「ヴィクス様が出られた後に思いいたりましたので、あのときには本当に存じておりませんでしたのよ」


 顔を上げた騎士様は疑うような眼差しを隠そうともせず私に向けてくる。実際騎士様がいたときには思い出しすらしていなかった。あの後必死に考えたから思い出せただけなので、その点に関して私に落ち度はないはずだ。


「それで本日はどうされましたの? 殿下はご一緒ではないようですが」

「魔物の数が減ったので、殿下の護衛は元通り騎士団の者が務めています。俺は護衛の任を解かれました」

「あら、そうでしたの。突然の大量発生とお聞きしていましたから心配してましたけど、無事落ちついたのでしたら安心ですわ」


 なるほど、騎士様がこれほどまでに不機嫌だったのは王子様のそばを離れることになったからか。苦虫を噛み潰したような顔をしているから本気で不本意なのだろう。


「では本日は謝罪しに来ましたの?」

「それもありますが……殿下からこれを預かっています」


 そう言って差し出されたのは、分厚い手帳だった。なんだこれはと首を傾げていたら、早く受け取れと言わんばかりにずいっと押しつけられた。


「これは?」

「交換日記なるものと伺っています。あなたからの要望と聞きましたが、手紙ではなく日記とはまた変わった趣向ですね」


 そういえばそんなことを口走った気がする。手帳を捲るとびっしりと文字の詰まった頁が目に飛びこんできた。一枚、二枚、と捲るがどの頁にも文字が詰まっている。


「これは?」

「ですから、交換日記だそうです」


 とりあえず適当に開いた頁の内容を読んでみると、確かに日記だった。何があったのかということや、そのとき思ったことが詳細に綴られている。しかも数日間に渡って。


「それで、あなたの日記はどちらに?」

「は?」

「日記を交換するのだと聞いています。俺も暇ではないので早く出してください」


 私の知っている交換日記となんか違う。これはあれか、交換日記という文化はこの世界にはないのか。


「……本日いらっしゃるとは聞いていなかったので、準備しておりません」

「では早く用意してください」


 騎士様からしてみたら私が言い出したことだから、すぐに出てくるものだと思っているのだろう。

 だけど私からしてみたら寝耳に水だし、そもそも私の知っている交換日記と違いすぎる。日記なんてたまに書けばいい程度で、受け取った日記のように毎日のことは書いていない。


 とりあえずなんとか誤魔化そうと寝室に飛びこんだ。


「交換日記、ねぇ」


 ばたんと扉が閉まるのと同時にリューゲがにやにやと笑った。乙女の寝室にまで入ってくるんじゃないと叱責しようかと悩んだが、時間の無駄だと判断する。


 机から紙とインク壺を取り出して王子様宛に手紙を書いて、寝室から出た。


「殿下にはこれを」

「日記には見えませんが?」

「それに関しては、殿下にこの手紙を渡していただければ大丈夫ですわ。日記はまた後日とも書いてありますので、ヴィクス様が怒られるようなこともないと思いますわ」


 分厚い日記帳が薄い手紙に代わってしまったからか、騎士様はなんとも微妙な表情で手紙を受け取ると丁寧にしまった。


「それでは俺はこれで。また後日お会いしましょう」


 そう言って来たときと同じように、表で待っていたマリーと共に去っていった。私の手元には分厚い日記帳だけが残されている。


「あの様子だとまたすぐに来てもおかしくないね」

「さすがに大丈夫だと思うわ」


 お茶を注いで勝手に飲みはじめているリューゲを睨みつける。敬称や敬語はいらないと昨夜のうちにリューゲに言われたので、私は彼に対して気安く話せるように頑張っている最中だ。


「あなたは交換日記を知っていたの?」


 先ほどあの様子からすると、騎士様とは違ってそういったものが存在することは知っていそうだった。


「まあ、昔の知り合いがそんなことを言っていたからね。実際にやろうとした人は初めて見たけど」

「そうなの? なんで定着してないのかしら」


 リューゲが昔と言うなら、数年ではなく数十年、あるいは数百年単位で昔の話なのだろう。それほど昔から存在するなら、今でも根強く残っていても不思議ではない。


「日々の生活を書き残して誰かと見せ合うことに意味があるとは思えないからね。日記なんていうものは自分のためだけに書くものだよ」

「まあ、それはそうだけど」


 確かに前世の知識にある交換日記でも日記としての機能はあまりなかったように思う。それなら手紙でもいいわけで、広まらないのはある意味当然のことなのかもしれない。


「それでキミは日記を書いて返すのかな?」

「私の日常で書けるようなことなんてないわよ。ああ、でも返さないと失礼よね……」


 屋敷にこもって勉強するだけの日々では、最終的に書くことがなくなって今日も勉強しましたの一文で終了となってしまいそうだ。かといって書くことがないのでやめましょうとは言えない。すでに王子様は何頁にも渡って日記を書いている。



「せめて文通と言っておけばよかったわ」



 今後絶対に交換日記なんて提案しない。


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