苦労人
エルネスト・シルヴェストル――それが私の名だ。シルヴェストル公爵家の長子として生まれ、父の死後シルヴェストル領と公爵の地位を受け継いだ。
愛する妻に優秀な息子、可愛い娘、なんの不満もない人生だと思っていた。可愛い娘――レティシアが言葉を発するようになるまでは。
レティシアはよくわからないものを欲しがることが多かった。それは何かと問えば、さらによくわからないことを言いはじめる。なんとも扱いにくい子どもだった。
世話係である侍女に対応を任せることにしたのだが、上がってくる報告はやはり首を傾げたくなるほどよくわからないものばかりだった。
まず、単語の意味がわからない。その原理すらわからない。つまり、理解に苦しむものしか書かれていなかった。
最近だと『ドライヤー』なるものを欲しがったようだ。それは何かと問うと『コンセント』に差して『デンキ』を使って風を起こす『キカイ』というもので、温風と冷風を使い分けられる、らしい。
魔道具に風を起こせるものはあるが、冷風と温風を切り替えることはできない。冷風が欲しいときには冷風用を、温風が欲しいときには温風用をという風に使いわける。
また『デンキ』とは何かと問えば、磁石と『コイル』を使って発生されるもので、寒い冬の日に金属に触れるとびりっとするやつのすごい版だと返ってきた。もはや何がなんだかわからない。
そんな感じで何を欲しがっているのかもわからなければ、何を言っているのかもわからない娘だった。
悪い魔女になりたくないというよくわからないことで泣き叫んだかと思えば、これまたよくわからないが自らの振る舞いを見直しはじめたのだ。
相変わらず我が娘のやることは理解に苦しむ。
よくわからないまま教師をつけてやると、それまでの奇行はある程度鳴りを潜めた。たまに部屋の前を通ると高笑いが聞こえてきたが、今までの振る舞いに比べたら可愛いものだろう。
だが平穏な日々は、娘の次のお願いによって終わりを迎えた。
「中庭、か……」
今までのお願いに比べたら可愛らしいものだったが、本当に王城に連れていってもいいのだろうか。最近は随分とましにはなったものの、不安が募る。
一応願い出るだけ願い出て、駄目だったら諦めさせよう。可愛い娘のお願いを断ることが私にはできなかった。
もちろん無理にとは言いいませんがと何度も何度も口にしたにも関わらず、中庭訪問の許可が降りた。それどころか、王妃陛下がレティシアと会ってみたいとか言い出す始末。
王妃陛下の願いを断ることはできず、胃の痛い思いをしながら当日を迎えた。
「王妃陛下、ルシアン殿下もいらっしゃるとはどういうおつもりですか」
当日はさらに胃が痛くなった。今日が過ぎれば不安はなくなると高を括っていたのに、まさかの王子殿下まで現れた。
「とても仲睦まじくて、可愛らしいおふたりだと思いませんか」
王妃陛下の目は花を愛でる子供たちに注がれている。レティシアは愛する妻に似て、確かに見た目だけなら可愛い。目に入れても痛くないほど可愛いとは思っているが、だからなんだというのだろうか。
「レティシア公爵令嬢はとても優れた子だと聞きましたよ」
「それは、買い被りすぎです」
レティシアが勉学に励んでからまだ一年しか経っていない。教師からの評価は悪くなく、魔法に関しては目を見張るものがあるとは言われたが、それだけだ。
ぶり返しで奇行がさらに悪化するのではないかと冷や冷やしているのが現状だ。
「ルシアンは将来フレデリクを支えることになるでしょう。あの子は優秀な子ですから、それだけなら問題ありません。ですがあの子を支えてくれる者を側につけたいと、そう願ってしまうのは親の欲でしょうか」
問いかけているように見せかけて、その実こちらの回答は求めていない。
私は黙ったまま話の先を促した。
「あなたの子であれば、それが叶うだろうと思っています」
まっすぐにこちらを見つめる瞳に気圧されながらも、明確な回答を出さないように口を噤む。
不用意な発言は足を掬われる。
「単刀直入に言いましょう。シルヴェストル公爵家の第二子であるレティシア・シルヴェストル公爵令嬢を第二王子ルシアン・ミストラルの婚約者に添えていただきたいのです」
「……私が力をつけることを不満に思う者もいるのではないでしょうか」
レティシアは可愛い。甘やかしたくなるぐらいに可愛いが、王子妃の器ではない。それだけは断言して言える。あれが王子妃になれるなら、そこらの平民の娘ですら王子妃になれるだろう。それぐらいありえない。
だが王妃陛下直々の願いを即座に切って捨てることはできない。せめてと断る理由を絞りだす。
「それはないでしょう」
だが必死に考えた理由はばっさりと切り捨てられた。
「シルヴェストル公爵家は長年国に仕えてきました。今更その労をねぎらったところで反論する者はこの国にはいません。あなた自身を悪く言う者もいないでしょう」
「ですが、王子妃の座を狙う者はいるでしょう」
「私はそういった者をルシアンの側に置きたいとは思わないのですよ。シルヴェストル公、王家と縁付くというのはあなたをねぎらうことにはなりませんか?」
言葉に詰まる。ここで断るのはあまりに不敬だ。その程度では足りないと言っているも同然になる。
ならば、どうすれば――
「レティシアが頷いたら、ということではいけませんか。大変ありがたいお話だとは思うのですが、無理な婚姻を結ばせて可愛い娘に嫌われたくはないのですよ」
自嘲気味に笑うと、王妃陛下も頷いて微笑みを返してくれた。
六歳の子どもが言ったことなら不敬にはならないだろうし、令嬢らしくない我が娘なら断ってくれるかもしれない。
希望的観測だが、もはや一縷の望みにかけるしかない。
「きっと色よい返事がくると、そう願っておりますよ」
くすくすと笑う王妃陛下の目には微笑みあっている我が子たちが映っていた。
頼むレティシア、断ってくれ。
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