夜のひととき

 鼻歌交じりで寝台に潜りこむ。意図していない展開だったが、とりあえずの第一関門は突破した。これで無事、婚約破棄してもらえる。

 にやけそうになる頬を手で揉んでいると、マリーが布団をかけてくれた。


「何か喜ばしいことでもありましたか?」

「えぇ、そうなのよ。きっと今日はいい夢が見れそうだわ」


 王子様との婚約が正式に決まるまでは、家族以外には話せない。お母様とお兄様にはお父様から話すそうなので、私から誰かに話すことはない。


「おやすみなさい。マリーもいい夢を見てね」

「はいお嬢様。今日はお疲れでしょうから、ゆっくりとお体を休めてくださいね」




 マリーが部屋を出ていくのを見送った後、私は綺麗にかぶせてくれた布団を跳ねのけて寝台から飛び降りた。夜は私が自由に動ける時間だ。

 昼間はマリーが一緒にいるのでできないことが多い。その筆頭ともいえるのが、高笑いの練習だ。

 やはり悪役といえばそれはもう見事な笑い方が必要になる。練習しすぎてむせたこともあるが、その程度のことでめげていたら悪役など務まらない。

 毎日練習しているおかげか、最近では誰に見せても恥ずかしくない高笑いができるようになった。誰かに見せられないのが残念なぐらいだ。


「けほっけほ……」


 調子に乗りすぎてむせた。


 息を整えてから、次は寝台の横に備え付けられている机に向かう。読書ぐらいしかできなさそうなこぢんまりとした机だが、夜にしか使わない寝室に机があるだけでも儲けものだ。

 こうしてこっそりと使えるのだから、机を用意してくれた人には感謝感激雨霰を贈呈してあげたい。

 多分お父様だと思うので、今度肩でも叩いてあげよう。


 机の上には火の点いている燭台が置かれていて、部屋の中を爛々と照らしてくれている。暗いところじゃ寝れない、怖い、と騒ぎまくったので、毎日新しい蝋燭に火が点いた状態のものが用意された。

 机の隅に追いやられているインク壺と羽ペンを引き寄せてから椅子に座り、机の下を探るように手を伸ばす。


 この机には鍵のついている引き出しと、鍵のついていない普通の引き出しがある。普通の引き出しには、誰に見られても恥ずかしくない日記が入っている。

 私は鍵穴に机の下から引っ張り出した鍵を差しこんだ。鍵の開く音が聞こえ、私は引き出しから誰かに見られたらちょっと困る手記を手にとった。


『ハートフルラヴァ―・イスナーニ』


 手記の表題にはそう書かれている。

 このタイトルは私が考えたわけではない。これはこの世界が舞台になっている乙女ゲームのタイトルだ。多分発案者の頭は疲れか暑さか――理由は知らないけど――ちょっとどうかしていたんだと思う。


 これにはこの一年間の記録が綴られている。実際に私が何をしたかではなく、この一年間で思い出したことを書くことにしている。

 もしも中を見られたら眉をひそめられること間違いなしだ。内容がわかるとは思えないが、わかる人がいたら眉だけでなく顔全体をしかめるだろう。その程度ではすまない可能性すらある。

 何しろこの国の王子様の名前とかが普通に出てくるのだから、不敬どころの騒ぎではない。

 幸い私はこの国、どころかこの世界の誰も使ってないと思われる文字が書けるので、そうそう見咎められることはないはずだ。だが読めなくても、奇怪な文字を綴っているのがばれたら、私の頭がおかしくなったと思われそうなのでこうして隠している。



 私は目的の二頁目を開いた。ここには王子様、つまりルシアン・ミストラルのことが書いてある。


 ゲームの中では慇懃無礼な俺様で、入学式にヒロインと出会う。

 最初の印象はあまりよくなかったのだが、婚約者のきつい性格に辟易していたこともありヒロインの優しさにほだされていく、というのが大まかなストーリーだ。

 後は亡き母親と同じ青い目に惹かれたり、王太子が駆け落ちして王位継承権第一位になったり、身を引こうとするヒロインに心惹かれたりとかのすったもんだの末ヒロインと結ばれる。

 ちなみにきつい性格の婚約者はヒロインを苛めていたことが露見し、性格の悪さが王妃に相応しくないと断じられた結果婚約破棄される、といったことがつらつらと書きこまれている。


 二頁目の文字量とは反対に三頁目には何もかかれていない。ここには私が実際に起こした行動などを書くつもりで残してある。

 十頁目もめくったら次の攻略対象について書いてあるのだが、今日のところは見る必要がない。


「えーと、とりあえず婚約成立と」


 さらさらと第一関門突破の後にそう書きこむ。


 私が辿らないといけない道筋はわりとシビアだ。

 ヒロインが四人いる攻略対象の誰と結ばれようと、私が性格の悪さで婚約破棄されるという事実は変わらないのだが――それはハッピーエンドを迎えた場合だけに限られている。


 というのも、前世の私は積んであるゲーム消化の一環で遊んでいただけで、ハッピーエンド以外に手をつけていなかったのだ。

 しかも攻略サイトを見ながらだったので、最適解しか知らないという、製作者からしたらもう少ししっかり遊んでよと不満を漏らしたくなるような遊び方だった。

 せめて完全攻略、とまでは言わない。攻略サイトを隅から隅まで読んで頭の中に叩きこんでくれていれば――後悔先に立たずとはまさにこのことか。


 だから私はなんとしても、ハッピーエンドを迎えさせないといけない。


 バッドエンドやノーマルエンドを迎えたときにどうなるのか私は知らない。

 婚約破棄以上の悲惨な末路が待っているのかもしれないと考えると、震えが止まらなくなる。

 




「とりあえず、寝る前にもう一度練習しておこうかしら」


 見事な悪役になるために、今夜も高笑いの練習に精を出す。

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