王城訪問

 それからの一年は目まぐるしく過ぎた。数学といった、前世の知識が役立つ分野は問題なかったのだが、国の成り立ちなどの歴史面がおぼつかなかったせいだ。

 女神様が出てくるし、どうにも納得できず何度もつまずいた。


 この国――どころかこの世界は女神様を敬っているそうで、他の神様は存在しないし、世界が作られたのはすべて女神様のおかげで、この国ができたのも女神様の御使いのおかげであるときたもんだ。

 当然人を作ったのも女神様なので、進化論なんてものは存在しない。そんなものを唱えようものなら異端者として扱われる。

 知識面を前世の記憶に頼っていた私は、こういった差異に馴染むのに時間がかかった。


 だけど、魔法はすいすい覚えられた。魔法という存在は知っていても、物語にしか出てこないし、これが当たり前という知識がなかったおかげかもしれない。

 水を吸うスポンジのように吸収することができた。


 この一年間は十分頑張ったので、そろそろ次のステップに向かおうと思う。



 あれから何度かお父様を訪ねに執務室にお邪魔する機会があったのだが、いつ来ても書類の山が築き上げられていた。ちなみにこの書類群は王城の仕事を持ち帰ったわけではなく、領地から上がってきたものらしい。

 代わりの人を立てているとはいえ、最終決定権はお父様にあるので確認書類が次から次にやってくる。そのため、たまの休みに消化して送り返しているそうだ。


「お父様、お願いがございます」


 この書類の山にも見慣れたもので、呆気にとられることなくお父様にうかがいを立てる。

 お父様は書類から目を離し、じっと私を見てきた。多分先を促しているのだろう。


「王城の中庭には珍しい花が咲いていると耳にしましたので、ぜひとも拝見してみたいのです」


 もじもじしながら上目遣いでお願いする姿は、花を愛でる少女にしか見えないだろう。


 だが私の目的は花ではない。

 私はまだ誰とも婚約していない状態だ。婚約破棄される予定の王子様とすら会ったことがない。

 王子様に限らず婚約のこの字もないのは、多分これまでの奇行のせいだろう。ありえないことばかりを口にする娘を人前に出そうとは、私自身思えない。


 しかたないのだとわかってはいるけど、いつまでも婚約話がありませんでは私が困る。始まりがないと終わりすら訪れないのだから、婚約破棄するためにはまず婚約しないといけない。


 というわけで、王城で王子様に一目惚れしましたとかなんとかでっちあげてお父様にお願いする予定だ。実際に会えるかどうかはこの際関係ない。

 お父様は貴族なので、それなりの野心もあるだろう。だからこう、いい感じに婚約話をまとめ上げてくれると信じている。

 私のお父様に対する信頼は山よりも高い。


「……確約はできんが、申請はしてやろう」

「ありがとうございますお父様」





 そうして迎えた王城訪問。お願いしてからひと月も待たされたが、無事王城に来ることができた。

 色とりどりの花が咲く中庭はとても綺麗で、このためだけにまた訪れたいと思えるほど素晴らしかった。


 主目的ではないはずの中庭に目を奪われることこそあったが、ここまではなんの問題もなく、順調に進んでいた。

 王城で花を見て帰る――それで終わるはずだったのに、何故かその後に王妃様との謁見が設けられていた。


 屋敷から王城までの馬車の中でその話を聞いたときは開いた口が塞がらなかった。場所が中庭にある休憩所なのが唯一の救いに思えてくる唐突さだった。

 謁見の間とかに通されていたら、緊張で何を口走ったかわからない。


「お初にお目にかかります、レティシア・シルヴェストルと申します。本日は素敵な中庭を拝見させていただき、光栄でございます」


 スカートの端を軽く摘まんでこうべを垂れる。多分これでよかったはず。

 緊張のせいか合っているのかどうか不安になる。


「シルヴェストル公が大切にしているあなたとお会いできて私も嬉しいわ」


 王妃様は鈴の鳴るような声でころころと笑うと、お顔を見せてちょうだいと顔を上げる許可をくれた。


 陽に透ける銀色の髪がきらきらと輝き、楽しそうに弧を描く青い瞳も宝石のように輝いている――咲き誇る花が霞んで見えるほど美しい人が目の前にいた。


 触れたら壊れてしまいそうなほど儚げで、本当にこの人が王妃様なのか疑いたくなる。深窓の令嬢という言葉がよく似合いそうな風貌は、とても王様と共に国を背負っている人には見えない。


「ルシアン・ミストラルです。今日はお会いできたことを嬉しく思います」


 思わず見惚れてしまっていたが、予想外の挨拶を受け我に返る。

 優雅に一礼しながら挨拶をしたのは、王妃様によく似た愛らしい少年だった。ふっくらとした頬には朱色が差し、撫でたら心地よいことが見るだけでわかるきめ細やかな肌、王妃様と違うのは緩やかに微笑んでいる紫色の瞳ぐらいだろうか。


 天使という言葉が頭に浮かぶ。これが将来慇懃無礼な俺様王子になるなんて信じられない。


 ルシアン・ミストラル――地上に降りた天使の正体は、私の婚約者になる予定の第二王子だ。


 その可愛らしさに頬が緩みそうになったが、将来の姿を思い出したのでぐっと引き締める。

 王子様もいるなんて聞いてない、と脇に立つお父様に視線だけで訴えようとしたが、お父様も知らなかったのか目を見開いていた。


「王妃陛下、ルシアン殿下もいらっしゃるとは伺っておりませんが――」

「あら、そうだったかしら。子ども同士話しが弾むかと思って呼んだのよ」


 飄々と笑う王妃様。どうやら儚げなのは見た目だけで、芯はしっかりとしていそうだ。

 やはり王妃ともなると守ってあげたくなるだけでは駄目だということか。私にはやはり荷が重い。


「シルヴェストル公、子どもは子ども同士で遊ばせて、私たちはこちらで大人の話でもしましょう」


 有無を言わせぬ声色にお父様が頷いた。

 だがすぐに心配そうに私を見てきたので、任せろという意味をこめて頷いてみせた。大丈夫だと力強く頷いたはずなのに、お父様は王妃様に連れられながもちらちらとこちらの様子を気にしている。

 お父様が心配するのもわかるが安心してほしい、私は王子様の気分を損なうような真似をするつもりはない。婚約にこぎ着けないといけないのに最初から悪印象を抱かれては元も子もないからだ。


「お母様とシルヴェストル公はどんな話をするんだと思う?」


 お父様は心配性だ、とのんきに考えていた私は、唐突な質問に目を瞬かせた。


「さあ、子どもの私では到底理解できないような難しいお話でもされるのでしょう」


 そもそも私はお父様が王城でどんな仕事をしているのか知らない。

 色々しているみたいだけど、宰相とかの文官のお偉いさんではなさそうだ。お父様は謎に包まれている。


「なんだ知らないんだ、つまらないな」


 王妃様同様、彼の中身も天使ではないようだ。不満そうに口を尖らしている姿はなんでも叶えてあげたくなるほど可愛いが、知らないものは知らないし、どうしようもない。


「お父様と王妃陛下が戻られるまで中庭を案内して頂けますか?」

「まあ、いいけど」


 なんで自分がというような顔をしていたけど、無下に断られることはなかった。

 正直、何を話せばいいのか見当もつかない。気に入られすぎたら婚約を破棄してくれなくなるかもしれないし、最初から嫌われたら婚約できないかもしれない。

 そんな綱渡りのような会話をするぐらいなら、花の説明に相槌を打っているほうが楽だし時間も稼げる。


「これは母上がお気に入りの花で、朝は真紅なんだけど時間が経つにつれて淡い色合いになっていくものなんだ。あちらは母上が――」


 そう思ってお願いしたのだが、何故か花のひとつひとつに母上という単語が入ってくる。


「ルシアン殿下は王妃陛下を慕っていらっしゃるのですね」

「そりゃあそうだろう。たまに厳しいときもあるけど、優しくて聡くて……将来は母上のような人と過ごしたいと思ってるよ」


 きらきらと目を輝かせて王妃様がいかに素晴らしいかを語る姿に、思わず一歩引いてしまう。

 ヒロインの存在の有無にかかわらず、どうあがいても婚約破棄される運命なのではと思ってしまうほど、彼の口上には熱がこもっていた。

 ――というか、そもそも婚約者になれる気がしない。


 どう考えても、私が王妃様のようになれる日はやってこない。天地がひっくり返ろうと、世界中の死者が生き返るほどの奇跡が起きたとしても、無理だ。


「ルシアンったら、あまり困らせるようなことを言うものではないわ」


 あらあらそうなのですかうふふと誤魔化していたら、くすくす笑う王妃様と仏頂面のお父様が戻ってきた。

 王妃様の顔を見た瞬間、王子様の表情が華やいだ。本当に王妃様が好きなのだと伝わってきて、微笑ましい気持ちになる。


「王妃陛下、ルシアン殿下、本日はお招きいただきありがとうございました」


 渋面のお父様に続いて私も別れの言葉を口にする。また遊びにきてちょうだいと笑う王妃様に一礼し、私とお父様は王城を後にした。



 揺れる馬車の中で、悩ましげな顔で窓の外を眺めていたお父様が不意に私のほうを向いた。


「お前と第二王子――ルシアン殿下との婚約話が出ている」

「へっ!?」


 あまりにも早すぎる展開に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。それを目的としてうかがったわけだが、まさか即日婚約にこぎ着けられるとは思ってもみなかった。


 お父様の野心は私が思っていた以上にあったのかもしれない。


「もちろんお前の意思を尊重するつもりだ。嫌なら断っても構わない」


 縋るような目で見てくるお父様はなんてずるいのだろう。口ではそう言っても、王子様との婚約を下位である私が嫌だと断れるはずがない。

 それに私が断ることをお父様も望んでいないだろうし、私自身望んでいない。



「私が王子妃に相応しいかどうかわかりませんが、とても喜ばしいお話だと思います。ルシアン殿下に相応しくあれるよう、これからも精進いたします」


 にこりと微笑んで、承諾する。

 きっと私と王子様が婚約するのは運命で、今までが牛歩の進みだったから展開が早くなったのだろう。


 私は基本的に楽観主義だ。

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