手記

 執務室は書類でいっぱいだった。いつも王城に出向いて業務をしているはずなのに、机の上には書類が山のように積まれている。

 もしかしたらお父様は仕事人間なのかもしれない。ゲームではお父様の名前すら出てこなかったので、仕事を家に持ち帰るたぐいの人だとは知らなかった。


 私の今までの振る舞いのせいもあるけど、そうでなくてもお父様は終始忙しそうだったので、これまで親子の関わりを持ったことはあまりない。


「悪い夢を見たそうだな」

「はい、お父様」


 書類の山に呆気にとられていた私は、お父様に声をかけられて慌てて視線を上げた。

 夜が深まってくる時間まで執務をしているお父様は、時間が惜しいとばかりに書類を見るのに忙しく、私と目が合うことはなかった。


「でも、もう夢から覚めました。今まで心配をかけてしまい、申し訳ございません」


 そこでようやくお父様は書類から顔を離し、探るような目で私を見てきた。


「今までの私は令嬢に相応しくない振る舞いをしていたと、そう自覚しております。これからはお父様の自慢の娘になれるよう精進するつもりです」


 将来的には婚約破棄された挙句、一時的だが引きこもる。


 ――さすがにそれを言うことはできないので、そのことも含めて再度謝罪の言葉だけを口にする。


「どんな心境の変化か知らんが……振る舞いを正すと言うのなら、まあいいだろう」


 この親にしてこの子ありとでも言うべきか、お父様も案外いい加減な性格をしているようだ。


「お父様、本来ならこのような場でお願いを口にするべきではないとわかっているのですが、どうか私の願いを聞いていただけませんか?」


 お父様の片眉がぴくりと跳ねたけど、鷹揚に頷いてくれた。


「私は色々なことを学びたいのです。礼儀作法などを怠ったりはしませんので、私に学問の師と魔法の師をつけていただけませんか」


 これまでは奇行のせいか、礼儀作法などの貴族として最低限必要な知識を教える先生しか私にはついていなかった。あまり人前に出したくなかったのだろうと、今ならわかる。


 だけどほとぼりが冷めた後に自立するために、学べることはすべて学びたい。将来何が役に立つかわからない。


「いいだろう。手配が済み次第声をかけよう」


 言い終わると、お父様の視線は書類に落ちた。どうやらこれで話は終わりのようだ。


 私は感謝の言葉と共に一礼し、執務室を出た。


「教えてくれる人がくるまでは書庫にでもこもろうかしら」


 幸い教えてもらった最低限の中には文字も含まれていたので、難解な内容でなければある程度読むことができる。

 傍らに立つマリーを見上げると、彼女は頬に手を当てて少し悩むようにしてからこくりと頷いた。


「そのくらいでしたらご当主様も何もおっしゃらないでしょう」


 これまでも特に何も言われていないのだから、口出しされることは確かにないだろう。


「でも今日はもうお休みください。夢が怖くて眠れないのでしたら、お嬢様が寝付くまで絵本をお読みいたします」


 逸る気持ちを抑えて、私は不承不承頷いた。




 前世の私が遊んでいた乙女ゲームは学園が舞台で、学園外のことについて詳しい記述はされていなかった。隣国の話が多少出てきたりしたけど、それもヒロインが恋に落ちる相手のひとりが隣国の王子様だったからだ。

 学園外のことについては、ほとんどわからないのが現状である。


「この国について書いてある書物はあるかしら」


 次の日、朝食を終えた私はその足で書庫に向かい、本棚にぎっしりと詰めこまれている本の数々を眺めながら首をひねった。


 私は自分が暮らしている国について、王様がいて、子どもが三人――今はまだふたりだけど――それから将来通うことになる国があり、私が住んでいるのが王都にある貴族街だということぐらいしか知らない。

 お父様がどんな役職に就いているかすら知らないので、とりあえず国について知ろうと思ったのだが、本の数が多すぎる。

 この中から目当てのものを探すのは、少々骨が折れそうだ。


「そうですね、歴史書――は長すぎますし、ここ数年について載っているものでもよろしいでしょうか」


 私の後ろに控えていたマリーが、本棚を見上げてどうしたものかと悩む姿に見かねたのか声をかけてくれた。


「それでいいわ」


 とは言ってみたものの、情勢が乗っている本ってなんだろうか。エッセイ的なものなのか、あまり想像できない。


「ああよかった、ありました」


 きょろきょろと本棚を見回していたマリーは、その中のひとつに視線を止めると古びた本を引っ張り出した。


 それは使い古された――お父様の手記だった。


 え、これ読んでいいものなの? というか、なんでこんなものが書庫に?

 手渡された手記を前にうろたえていた私だったが、にこにこと笑っているマリーを見て疑問をすべて胸の中に閉じこめた。

 もしかしたら手記を書庫で保管するのは普通のことで、誰が目を通してもいいものなのかもしれない。

 前世の常識のほうが色濃い私は、余計なことを言わないように手記に目を通した。




「お嬢様、昼食のお時間ですよ」


 没頭して読みふけっていたら声をかけられた。


「どうされますか? こちらにお持ちしますか?」


 朝食は家族全員揃って食べることになっているが、それ以外は好きな場所で、好きに食べていいことになっている。

 行儀的にはよろしくないが、家にいるときは執務室にこもりきりのお父様を思いやってのことだろう。

 昼食は皆でと決めたら、お父様は昼食を抜きそうだ。執務室で見た書類の山を思い返しながら、そう確信する。


「そうね、簡単に食べられるものがいいわ」


 そう言って再度手記を読んでいたら、扉の閉まる音が聞こえた。マリーがいなくなりひとりになった部屋は静かで、頁をめくる音だけが聞こえてくる。


 ちなみに、この手記はどう考えても読んでいいものには思えなかった。お母さまとの馴れ初めまで書いてある。

 厳格なお父様とお母様の恋物語は中々波乱万丈で読みごたえがあり、感想を言い合える相手がいないのが残念なぐらいだ。

 さすがにこの手記を誰かに読ませるのは勇気がいる。


 後ついでに、この世界には魔物と呼ばれるものや、魔族といった存在がいることがわかった。詳しくは書かれていなかったが、人間とは相いれない存在として書かれている。


 魔族は見てはいけないし、名前を呼んでもいけない。一度目にとまれば彼らはすべて奪うだろうと、お父様の手記に載っていた。


 どうやら魔族というものは触れてはいけない対象らしい。魔物は討伐対象として書かれていたのに、この差はなんなのだろうか。

 魔族と魔物にどのような違いがあるのかは、残念ながら載っていなかった。


「危ない存在がいるなら、自立した後も国から出ないほうがよさそうね」


 そんなよくわからないものと関わる気はないので、その程度の感想しか抱けなかった。

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