3-4.討伐イベント2日目(25:30)

 須藤を羽交い絞めにしたまま、俺は風紀委員の皆様方がグレンデルを囲んでボコっているのを眺めていた。俺たちの横で風紀委員長が指示を出し、うまいこと戦況をコントロールしている。

 指示の合間、風紀委員長は俺たちに『集団戦の何たるか』についての講釈をくれていた。あのデカいやつ相手にそんな余裕があるのがヤバい。

「本イベントに於ける最難関、《魔人グレンデル》の攻略について話す。武器の形状は三叉槍トライデント、通常の硬度は4.5程度だが、チャージタイム45秒つまり45秒間隔で繰り出される大技《螺旋槍》発生時には瞬間的に5.8を記録する」

「それ、絶対勝てない奴じゃないですか?」

「まともにやっても勝ち目はないな。だが我々には二つの武器がある。物量と知恵だ」

 ストップウォッチを構えた風紀委員長が、来るぞ、下がれ、とよく通る声で叫んだ。片膝をついたグレンデルがまた『しゅん』と槍を振る。だがその攻撃範囲には誰もいない。的確な指示、的確な回避。寄せては返す波のように攻撃が再開される。

 これ、このまま削り殺せるんじゃねえか? そんな風に思っていた俺の目の前で潮目が変わる。今まで地上でブンブン三叉槍トライデントを振るだけだったグレンデルが、業を煮やしたのか、蝙蝠の翼をはためかせて空中に飛び上がった。こちらの攻撃の届かない位置から一方的に槍で突かれ、風紀委員の皆様方の隊列が崩れ始める。

「第2ラウンドの開始だな」と風紀委員長が言う。

「さてここでクエスチョンだ。苑麻君、グレンデルの翼は何でできていると思う?」

「自前じゃないんですか?」

「そう見えるがあれは硬結晶だ。硬度は3.5程度らしい。翼を落とせば、機動をかなり阻害できる」

 簡単そうに言うが、言葉のひとつひとつが無茶苦茶だった。

「どうやって? あいつ体長5メートルはありますよ。翼まで届かないでしょう」

「俺なら届きそうだが、3.5だと破壊は無理だな」

 須藤が珍しく殊勝な意見を述べた。確かに、例の爆発キックでも2.3とかそんなところだろう。

 うん、と風紀委員長は頷いた。

「そこでこれを使う」

 ポケットに右手を突っ込む。中から現れたのは、文庫本サイズの真っ黒いタブレット……いや、硬結晶。

 速やかな思惟による介入ディレクションが行われ、拳銃の形に変わる。

「僕の硬化ディレクションはそこそこ特異でね。思惟を届けられる範囲が概ね半径20メートルになる。この能力の便利なところはいくつもあるが、この局面で重要なのは、遠距離攻撃が可能になるということだ」

 風紀委員長は無造作に立ち上がり、風紀委員いじめにご執心のグレンデル様をきっちり20メートル離れた位置から狙撃する。ぱん、という乾いた音と共に黒い薬莢がはじけ飛び、蝙蝠の翼の皮膜の部分に小さな穴が開いた。

 飛んだ薬莢を思惟で捕らえて再装填ディレクション。的のでかさもあるだろうが命中精度はなかなかに高い。五発も打ち込む頃には目に見えて皮膜の穴が広がっており、グレンデルの動きも目に見えて鈍り始めた。

「硬度3.5が貫けるのヤバくないすか」

「硬度が硬結晶のサイズに反比例するのは知っているだろう? 銃弾のサイズまで圧縮すると、4.0程度までは余裕で出るんだ」

 言ってる間にまた穴が広がる。グレンデルの方も再度の硬化ディレクションを試みるが、その間攻撃の手もお留守になる。隙だらけの身体にボーナスタイムの如き攻撃が押し寄せ、それを嫌ってか槍をブンブン振り回して距離を取った。

 やがて皮膜が再生する。

 そしてその赤いシルエットが――別に両目がついているわけでもないが――ぎらり、と風紀委員長を見定めた気がした。

「僕の想いが届いたようだ」風紀委員長がにやりと笑う。

「君たちは離れていたまえ。強烈なのが来る」

 ぶわりぶわりとグレンデルが舞い上がる。大上段に構えた三叉槍トライデントが、やがてまっすぐ風紀委員長に向く。

 そして翼を折りたたみ、身体を槍と水平に、カジキマグロみたいな勢いで突っ込んでくる。

 うわうわうわ、とテンパっていると、突然視界が横転した。須藤に身体ごと引き摺られて攻撃範囲の外に出たのだと気付いたときには、すべてが終わりかけていた。

「《魔人グレンデル》の二つ目の大技、《飛竜槍》。瞬間的硬度は6.1。いわゆる突進技だな」

 迫り来る槍の穂先を眺めながら風紀委員長がつぶやく。

「だがそれを待っていた」

 そして突撃を甘んじて受ける――

 わけはなかった。見かけに似合わない機敏な動作で、ひょいと横にかわした。

 三叉槍トライデントが地面に触れた瞬間、まったくの突然に地面が消えた。代わりに現れたの底に《飛竜槍》がぶち込まれる。ボフウッ! みたいなものすごい音がして莫大な砂煙と黒い粒子が立ち昇り、見えづらい視界の中でグレンデルの巨体が穴底に激突しているのが見えた。

「諸君!」

 風紀委員長の指示と共に風紀委員会の皆様が殺到する。無防備を晒す背中に次々と攻撃が加えられ、両の翼が切断される。

 穴の底で暴れるグレンデルの三叉槍トライデントが何人かを掠めた。一人か二人が胸や腹を刺されてあえなく種を吐き出した。

 次の瞬間、俺の視界の中に真っ白い輝きが生まれていた。

 輝きの源は風紀委員長の右手だった。グレンデルに向けて真っすぐ構えられた銃口が、熱されたマグネシウムみたいに光を放ち、その強さを増している。

「済まない。借りは委員会で返す」

 強い耳鳴りが始まったように思った。これは? と思って気付いた。これは共振ハウル――それも、グレンデルの必殺技と同じレベルの強烈なやつだ。

「穿て――《終焉の夜に雲間より差す光スティングレイ》」

 風紀委員長の口からなんかかっこいい言葉が吐き出されると同時、銃口から放たれた閃光がグレンデルを貫いた。

 赤い巨体がびくんと痙攣し、三叉槍トライデントが取り落とされる。まだ元の形を保ちながら落下した三叉槍トライデントが、大穴の底にぶつかって、砂鉄のように散らばった。


「なるほど、落とし穴」

 武装を失ったグレンデルを逃がした後、俺たちは風紀委員長のネタバレを聞いていた。グレンデルの身体がすっぽり埋まるくらいの広く深い落とし穴は、地面に空いた巨大な浴槽のように思えた。

「こんな深い穴、どうやって掘ったんですか」

「僕たちが掘ったものではないよ。アララト山での討伐イベントでは毎回使われているやつだな。君たちには上手いことやったように見えたかもしれないが、この戦法も定石セオリーに過ぎないんだ」

 やり方を説明された。まず落とし穴の上に囮を用意する(今回の場合は風紀委員長だ)。囮は穴の上に硬結晶の板を張って待機。グレンデルをちくちくつついてある程度のダメージを与えると《飛竜槍》が解禁される。その状態で囮がターゲットを取れば《飛竜槍》を打ってくるので、タイミングを合わせて回避する。グレンデルはあまり頭が良くないので簡単にハマってくれるらしい。

「コツは相手の頭に血を昇らせることと、足元の硬結晶の硬度をできる限り下げておくことだ。硬度が高いと共振ハウルで警戒される恐れがあるからな」

「なるほど。よくわかりました」

 俺にも須藤にも無理だということが。俺は複数の硬結晶を維持できないし、須藤は堪え性がない。

 それはさておき、俺には現在、気になっていることがあるのだった。ざっと周囲にお集まりの風紀委員会の面々を見回したとき、最も重要なおひと方が足りないように思えるのだ。

「あの、今日、副会長はいらっしゃらないんです?」

 何気ない風を装って尋ねると、うん、と風紀委員長が頷いた。

「残念ながら欠席だ。大事な用があってな」

「用? こんな夜中に?」

 うん、とまた、風紀委員長が頷いた。

「彼女はリアタイ派だからな。録画の方が効率的だと何度言っても聞き入れない。『リアタイは同時代を生きる者のみに許されたロマン』と言っていたな。まあ、わからないでもないが」

「あー」

 勘のいい俺はすべてを察した。

「確か明日は追っている作品がないはずだから、顔を見せるだろう」

 風紀委員長の発言で俄然やる気が出た。明日の楽しみが増えるというものである。

 気付けば辺りのアップルテイカーが散り始めていた。本日最大のイベントを終えて撤収するもの、残党狩りに行くもの、単純に眠たくなってしまったもの。個々にさまざまな理由があるのだろう。風紀委員長もそろそろ頃合いと見たのか、話を切り上げる様子を見せた。

「僕たちは明日に備えて引き上げる予定だが、君たちはどうする?」

「明日って、また何かあるんですか?」

「最終日のボーナスイベントだ。2日目でグレンデルを討伐した場合、最終日にはもう一体新たなボスが出る」

「へえ……」

 いろいろと新たな情報が手に入る。アプリだけではわからないことがあるんだなと実感する。どんなことでも先達がいるのはありがたいことだなあ、などと、最近古典で習ったフレーズが頭をよぎった。

「良ければ明日も、僕たちと来るか?」

「えっ、いいんですか?」

 やったぜ、渡りに船!

 と思ったところで、相方の存在を思い出した。

 須藤の方を横目で見ると、興味を惹かれている様子だった。それなら何の問題もない。「ぜひお願いします」と俺は頷いた。


「いろんな奴らがいるんだな」

 先輩方が去った後の戦場跡で、須藤が珍しく、しみじみと感じ入った様子でつぶやいた。遠くでフクロウのような鳴き声がホーホーと響いている。辺りのアップルテイカーたちはもう、数人いるかいないかといったところだ。零結晶の砂を大量に含んだ涼風が火照った頬に気持ちよかった。

「そうだなあ。すごかったよな、さっきの先輩たち」

 話を振ると、須藤は「ああ」と頷いた。

 おや、と俺は少し意外に思う。そんな返事が来るとは思ってなかった。てっきり「あんなの大したことねーよ」とか「テメェももっとやれただろ」とか、そんな憎まれ口が返ってくるものだとばかり。

 これは大きな反省ポイントである。どうやら俺はまだ、須藤のことをよくわかっていないらしい。傲岸不遜で唯我独尊のワガママの塊か何かだと思い込んでいたが、殊勝な一面も持ち合わせているらしい。

「テメェ、またクソみてーなこと考えてンな?」

「いいや?」

 俺はにこやかに笑って見せる。

 さりげなく須藤から顔を逸らしつつスマートフォンを確認する。時間は26時を回っていた。さすがに眠気が勝ち始めた。

「俺らもそろそろ引き上げるか」

「いや、もう少しやってきてーな」

 須藤が割と強めに主張した。

 ん、と俺は下がり始めた瞼を見開く。

 なんだか愉快な気分になって、変な笑いが出てしまった。どうやら、俺の想像していた以上に、さっきのやつは須藤にとっての刺激になったらしい。

 眠気はすっかり吹っ飛んでしまった。

「いいじゃん。付き合うよ」

「よっしゃ、行くか」

 ばちん! と須藤が両手を打ち合わせる。

 歩き始めた俺たちの足元にくっきりとした影が落ちている。頭上を見ると、雲一つないエデンの夜空に、真っ白い満月が輝いていた。

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