3.サマーフェスタ

3-1.討伐イベント初日

 駅前のトドールの窓際の席でぐだぐだしていると、スマートフォンの通知が鳴った。

「お、通知来た」

「なんだって?」

 横でだるそうにしていた須藤が聞いてくる。7月中旬のクソ暑い陽射しに追い立てられ、聖地トドールに逃げ込んだ俺たちは、潤沢にエアコンの効いた涼しい場所で快適な時間を満喫していた。意味もなくアイスコーヒーのストローをかき回してみる。氷のカラカラ回るいい音がする。

「『討伐イベント』、だとさ」

 俺はストローから手を放し、エデンのアプリを起動して細かい内容を確認する。先日から使い始めたこの専用アプリだが、これが地味に便利な代物だった。過去イベントの検索から各階層の敵の特徴と一体あたりの獲得金額、果てはアップルテイカー同士の交流掲示板まで完備している。

 ちなみにこのアプリ、別にダウンロードをしたわけではなくて、気付いたらいつの間にかスマートフォンに入っていた。完全に怖いやつだが、俺の方も最近では感覚が麻痺してきたのかあまり気にならなくなった。

 例の通帳からも普通に金を引き出している。初日から3週間が過ぎ、既に金額は20万に近い。こなしたイベントは都合8回程度で、一日あたりの稼ぎは平均して2万強といったところだ。

「しかしスマホってのは便利なもんだな。ただのおもちゃだと思ってたが」

 スマートフォンを渡すと、須藤はつらつらとスワイプして新たな情報を眺め始めた。なんとこいつはこのご時世にスマートフォンを持っていないらしい。まさか今時ガラケーなのかと(ちょっとバカにしながら)尋ねたら、携帯自体持ってないと答えられたので、さすがに俺も驚いた。

「お前も買えばいいじゃん。山ほど金あるだろ」

「ねーよ」

 だるそうな返事が返ってくる。ここ最近の暑さのせいか、須藤は日中へばっていることが多くなった。戦ってるときにはノンストップで敵を殴り続ける体力オバケみたいなやつだが、暑さには弱いらしい。それでも戦っている最中はシャキッとするので大したもんだと思う。本人には言わないけど。

 しかし、金がないとは不思議な話である。俺より長い期間エデンで戦ってるはずだから、ちょっとしたお大尽でもおかしくないと思うんだが。

 尋ねると須藤は端的に答えてくれた。

「生活費」

「は?」

「親父が死んでるからな」

 一瞬息が止まる。

 須藤の声のトーンには何の変化もなかった。だが、それまでと空気の質が変わったように思えた。周囲からは音が消えたようだし、エアコンの涼しさが突き刺す寒さに変わったような感じがした。

「冗談だよ」

 俺が何も言えなくなっていると、須藤が皮肉っぽい顔で笑った。

 いや冗談ってお前、と言いかけたところで、須藤が続けた。

「で、『討伐イベント』って何だ?」


 エデンの夜空を照らすいくつもの篝火が、気持ちのいい音を立てて爆ぜた。

 『討伐イベント』、その初日、俺は自分でもわかるアホ面を晒して目の前の人ごみを眺めていた。中央通りヴィア・ピシオンの末端、イベント開催場所の周囲には屋台が立ち並び、焼きそばの焼ける音やポップコーンの弾ける音、何かの肉の串焼きの香り、浴衣姿で手をつないで林檎飴を舐めるカップル……そういう既視感のある諸々が五感を刺激してくる。遠くからはエレキギターの音が聞こえた。あまり上手くはない。

 ――討伐イベントの詳細は以下の通り。

 期間は土日祝日の3日間。深夜0時から朝5時まで、夜通し行われるお祭りフェスだった。

 戦闘フィールドは北のアララト山。何らかの原因で山中に大量発生したポウンなり何なりの集団が人里に降りてきて悪さをするので、アップルテイカー総出で山狩りに出る――という設定、だそうだ。

 要はプレイヤー間での限られた資産の奪い合いで、うまくやれば普段の倍近く稼げるらしい。逆にちんたらしてると他の連中に根こそぎやられてしまうので稼ぎゼロってこともあり得る。なるほどわかりやすい。

 普段は陰キャのくせにイベントごととなると盛り上がる国民性(俺の話ではない)に加えて、アプリにはランキングが掲載されるので、承認欲求の塊みたいな連中(繰り返すが俺の話ではない)が大挙して押し寄せてくるわけだ。

 というわけで、この状況である。

 見渡す限りの、人、人、人――こいつら全員がライバルというわけだ。他のアップルテイカーたちと腕を競える貴重な機会……実に胸熱である。自然と気持ちが沸き立ってくる。

「へへっ……激しい戦いになりそうだな……」

「独りで何言ってんだ? 気持ち悪いぞテメェ」

 須藤に突っ込まれた。確かに今のはちょっと、過ぎていたかもしれない。

 俺はかゆくもない頭を掻いて、おとなしくゲームスタートの合図を待った。

 

 やがてどこからともなく謎の洋楽が聞こえ始める。アパレルショップでよく流れるような、リズム感たっぷりのラップ。それを機に周囲から会話が消えたので、もうすぐ始まるんだな、ということを肌で察した。

 音楽が途切れる。一瞬の静寂。そして予想していた声が響く。

『――緊急事態イマージェンシー

 珍しくテンションの落ち着いた、ピエトロ氏の声だ。

『アップルテイカーの諸君、君たちに集まってもらったのは他でもない。この世界に危機が迫っている』

 毎度のことながら設定が凝ってると思う。氏の趣味なんだろうか?

『エデンの北を統べる《四鬼》が一つ、《怨嗟のカイン》が動き出した。カインの軍勢、魂なき戦士たちが組織され、アララトの麓より我らの楽園へと侵攻を企てている……。ひいては、諸君に願う。カインの軍勢の侵攻を阻止し、このエデンを守ってほしい。準備はよろしいか?』

 おうっ、と控えめな鬨の声が響く。

『準備はよろしいか?』

 先程よりは少し揃った、だがまだ頼りない。

『諸君のひとりひとりが、かけがえのない存在であると知ってほしい。この決戦の趨勢は、諸君のはたらきにかかっているのだ。諸君らが鍛え上げてきた力を、技を、そして勇気を、今こそ我々に見せてほしい。――みたび問う。準備はよろしいか?』

 そこでようやく、本物の兵隊を思わせる力強い声が揃った。よろしい、とピエトロ氏が満足げに言う。

『今日初めて戦場に立つ者も、幾多の戦場を潜り抜けてきた古強者も、けして命を落とすことのなきよう、零結晶と《林檎》の補充をお忘れなく。――時間です。では、善き《狩りゲーム》を』

 声が止むと同時、篝火が一斉に激しい音を立て、天に向かって燃え立った。

 人の群れが前方に向かって走り始める。マラソン競技の最初のようだった。え、これ、遅れたらマズいやつ?

「す、須藤、どうすりゃいいんだ須藤」

「とりあえず後ろに続きゃいいだろ」

 俺たちは群衆の最後尾に続いた。

 途中に広がる結晶樹の森で《林檎》と零結晶を回収する。《林檎》の予備は両ポケットに、零結晶は短剣グラディウスにして扱える限界まで硬度を高める。2.9くらいまでは行けた気がする。自己ベスト更新である。頻繁に硬めていると上達していくもんらしい。

 須藤は両手に巨大な爪を装着した後(硬度は1.8くらいだろう)、両足で結晶樹をガンガン蹴りつけていた。何をしているのかと言うと、靴底に硬結晶を貼り付けている。これは須藤が得意なやつで、踏み込みと同時に硬結晶を爆発させて加速する小技に使う。速攻や緊急回避に役立つし、普段の移動にも使えて便利そうだ。

 ちなみに俺も真似しようと思ったが、どうしても複数の硬結晶を維持できなくて諦めた。失笑するのはやめてほしい、人には向き不向きがあるのである。

 俺たちは先に行った連中を追っていった。最後尾に近づいているのだろう、だんだん共振ハウルの耳鳴りが強くなってくる。やがてアララト山の手前の傾斜地で、たくさんのアップルテイカーたちと武装したポウンたちが団子状にカチ合っているのが見えてきた。

「おーおー、やってるやってる」

「敵も雑魚に見えるけどな。慣れてない奴らなんだろうな」

「手助けした方がいいかな」

「獲物取られて喜ぶバカはいねーだろ。逆恨みされるだけだ。無視だ無視」

 それもそうだ。俺たちは団子を無視して先に進む。


 広い山道を走りながらアプリを確かめる。スレッド形式の掲示板ではリアルタイムで戦況の情報が更新されている。

『アララト山道西口2合目に敵陣が構築されつつある。精鋭を揃えて急襲したい。賛同する者は山道西口の結晶樹根本まで集合されたし』

『初心者におススメ! 楽して稼げるおいしい狩り場5選』

『斥候が本体の進軍を確認。南口8合目に展開中。武装の様子から、兵卒の敵強度は10階層、曹長クラスは15階層相当と推測……』

「よし、南口の8合目だな?」

「お前死ぬ気か!? 俺ら5階層だって抜けたことねえだろ!」

 須藤が加速する前に止める。振り返ったアホは心底不思議そうな顔をしている。

「なんで止めンだ? 早いもの勝ちなんだろーが」

「俺らが『吐く』のが早くなるだけだよ! そういう最速攻略RTA狙ってねえから!」

 渾身の説得によって、なんとか無謀な特攻は押し留められた。

 が……

 ポウンポウン、という耳に馴染んだ音が連なる。

 山道の上と下、つまり事実上の全方位から。

 ダメ押しのような共振ハウルの音が、重層的に俺たちのことを取り囲んで、しかもだんだん近づいてくる……

「……え、これ、囲まれてる」

「へえ」

 須藤が笑う。

 アララト山道はあみだくじみたいな入り組んだ構造になっており、これまでもいくつか枝道が伸びているのを見ている。ほとんどが獣道も同然で、倒木や巨大な岩に塞がれていて人の通れる道には思えなかったから無視してきたわけだが……敵さん連中には何の障害にもならないらしい。

 周囲を見渡す。左は切り立った崖、右は谷底、そして前後は敵の群れ。

「……いやこれヤバいだろ、囲まれたら終わるから、崖を背にして持ち堪えて……徹底的に1対多を避けて、持久戦でほかの助けが来るのを待つしか……」

「は? 持久戦だ? 何ビビってんだよテメェ」

 と須藤が言う。この期に及んで呑気なことに、伸脚とか背伸びとかそういうことをしている。

「いや作戦、作戦いるだろ!? お前これどうする気なんだよ!」

「どーもこーも、ンなもんなぁ」

 準備運動を終えた須藤が、狼のように低い体勢で構えを取った。

 いやお前まさか、と止める間もなく、靴底の爆ぜる音が響き渡る。

「全滅させるに決まってんだろ!!」

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