2-3.伊集院修と磐田未夏
目覚めたときにはもう、始業の時間だった――
などという迂闊なことは俺には縁のない話で、夜遅くまでエデンに顔を出していようが多少寝不足だろうが、必ず決まった時間に起きるのだった。目覚ましなんていらねえ。ハジキもいらねえ。
コンビニのサンドイッチとサラダで簡単な朝食を摂って、歯を磨いて、制服に着替えれば朝の準備は終わり。洗濯物は毎週水曜と土曜の朝に数日分をまとめて宅配ボックスに突っ込んでおく。その日のうちにクリーニング業者に集配され、翌日にはピカピカに洗い上がったものが届くという寸法である。
日常生活に手間をかけるな、というのが親父の口癖で、その薫陶を受けた俺も大体同じような心持ちで日々を過ごしている。なお台所には食洗器もあるが、そもそも自炊すること自体稀なのであまり稼働してなかったりする。
学校に行くと、生徒会と風紀委員会が校門前であいさつ活動をしていた。
生徒会長はよく言えば堅実、悪く言えば特徴のない人で、その無難さの一点において有権者つまり生徒一同から消極的支持を勝ち取ったような男だった。実際俺は名前も覚えていない。
あくの強さで言うならば、その隣にいる男の方がよっぽどだった。
風紀委員長、
特筆すべきはその体形である。155cm67kgという特徴的な矮躯にして肥満体型。だが見た目で侮ることなかれ、彼は都内でもなかなかの高偏差値を誇る我が大月高校においてもトップクラスの成績を誇る、秀才、いや奇才である。
正直な話、知名度にしても能力にしても、生徒会長に選ばれていてもおかしくない先輩である。だが彼は頑なに風紀委員以外の役職を得ようとはしなかった。なぜ風紀委員長なのか? と聞いたときの答えが、この男にカルトな支持を与えているともっぱらの評判である。曰く、
『――
まあ、一人もそんな呼び方をしている生徒を見たことがないが。少なくとも俺は。
「苑麻君」
すれ違いざま、その風紀委員長に呼び止められる。俺よりずっと低い位置から威風堂々とした問いかけがなされる。極太のセルフレームの眼鏡の下の鋭い瞳が、まるで獲物を値踏みする鷹のように俺を見つめる。
「ネクタイが曲がっているぞ」
「はあ」
確かめる。特に曲がっている様子はなかった。鷹の目は基準が厳しいのだろうか。
「顔色も優れないように見受けられる。夜はきちんと眠れているか?」
真顔で尋ねられる。心配されているのだろうか。確かに風紀委員長の言う通り、たびたびのエデンのプレイによって睡眠不足ではあるのだが、見てわかるほどに顔色が悪いとは思えなかった。馬鹿正直に答える必要も感じないので、適当に話を合わせることにする。
「お気遣いありがとうございます。テスト前ですからね」
「そうか。根を詰めすぎないようにな」
風紀委員長はそれだけ言ってあいさつ活動に戻った。
……何だったんだろうか。
どうせ声をかけてもらえるなら、別の人からにして欲しかったけどな、などと俺は思う。
横目で彼女のご尊顔をチラ見する。繊細な糸をくしけずったように細い、肩までの髪が逆光に透けて、銀縁の眼鏡の蔓を光らせている。女性にしては長身の、自己主張の強すぎも弱すぎもしない体型には俺的にときめくものがある。名前は
目が合った。
というのは気のせいだろうか? 確かめるように再び先輩の顔を見ると、通り過ぎる生徒に綺麗なアルト声であいさつをしていた。つまり別に自分を見てはいなかった。が、視線を外すと視線を感じる。
家の近所に住み着いた野良猫のことを思い出した。撫でようとして近付けば逃げるのに、離れたところに佇んでしっかりこちらを見ているのだ。げに猫というのは何がしたいのかわからない生き物だと俺は常々思っている。可愛いけれども。
猫ならぬ人間であるところの先輩もやはり――可愛いというよりは綺麗と言いたくなる感じではあったが――、こちらを見ているような気がする。が、自意識過剰かもしれない。「おはようございます」と礼をして、横を通り過ぎる。
そういや、と思い出す。
風紀委員長と副会長が男女の仲であると噂に聞いたことがあるが、本当なのだろうか。
しばらく先で振り返り、二人の姿を確かめる。
並んだ二人の組み合わせは、美女と野獣もいいところだった。
(ま、噂は噂だよな)
世にゴシップの種は尽きまじ、と思いながら、俺は校舎に向かって行った。
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