2-2.エデンズフィールドの住人たち
「えっ、エデンって夜じゃなくても入れんの?」
「ああ。イベントが開かれないだけで、エデン自体はいつでも入れる」
狗吠駅前の国道沿いを歩きながら、俺は須藤にエデンズフィールドのことをいろいろ教えてもらっていた。
まず第一に、エデンズフィールドは『エデン』と略されるらしい。名前が長いからこれは納得だった。
昨日の市民館以外にも、エデンへの入口はいくつもあるらしい。学校だったり、スーパーマーケットだったり、廃ビルだったり。それぞれの入口はエデン上の異なる座標に
「その割には最初のログインの部屋、俺以外に誰もいなかったけど」
「全員、時間より前に奥まで行ってたからだな。慣れてる奴らは大体そうするんだ。最初の部屋の壁な、行き止まりに見えるけど、端んとこを通り抜けて先行けるんだよ」
事もなげに須藤は言う。なんかの攻略wikiみたいなことを言われた気分だ……。
「そんなの、普通わかんねえだろ……」
「慣れてきたら勘で分かるようになるんだ。ほら、そこにも入口あんぜ」
須藤が歩道脇の建物を指差した。え、と思ってその先を見ると、そこには洒落たモデルルームが建っている。側面の壁に向かって須藤が右腕を突っ込むと、昨晩俺がやったみたいに壁の中に消えた。
軽く鳥肌が立った。
ただそれだけで気分が上がってくる。今の俺と同じ場面を目にしたら、誰だって同じ気持ちになると思う。だって普通思わないだろ? 自分が普段気に留めもしない、何でもない当たり前の風景が、実は
「行ってみるか?」
「行く行く!」
恥ずかしいくらいはしゃいだ声になってしまったのも致し方ない話だ。
周囲に人影がないことを確かめてから、俺たちは壁の中に飛び込んだ。
壁の向こうにあったのは、広い街だった。
さっきまで見ていた国道脇の植え込みや湯気の立ちそうなアスファルトや高層マンションや遠目に見えた東都スカイツリーなんて影も形もない。代わりにあるのは、整備された石畳の歩道に、街路樹みたいな結晶樹に、立ち並ぶ煉瓦造りの建物。
ちょっと前に流行った、異世界転生もののアニメみたいな風景。
今までの景色が夢だったのか、それともこの風景こそが幻なのか……。ぼーっとしていると目の前をものすごいスピードで馬車が駆け抜けていった。遅れて後ろに一歩下がる。どうやら夢でも幻でもないらしい。
見上げた先には抜けるような青空が広がっている。建物の中に入ったのにその先がまた外の景色っていうのは、いささか感覚が狂う。
「この街は『宿り木の街』って呼ばれてる。エデンに命懸けてる奴らの憩いの場所って意味なんだとさ」
須藤が説明してくれる。街の入口にいるNPCみたいでちょっとウケた。
「RPGでよくある、はじまりの街みたいなやつかな」
「ゲームには詳しくねーが、まあそんなもんじゃねーかな。敵も出て来ねーし、平和なとこだよ」
見るものすべてが新鮮である。須藤の説明を受けながら、俺はおのぼりさん気分を堪能することにした。
やがて広い通りに出た。通りの両端には市が立ち並び、その間を無数の人々が行き交っている。人々の服装には現代的なものとそうでないものが入り混じっていた。ドイツのディアンドルっぽい服装やインドのサリーめいたもの、赤い
「ここが
「市の数がすげえな。祭りの日みたいだ」
「店を買うには金がいるからな。商品だけ持ち込んで、こうやって道端で売ってるやつが多いんだ」
売られている商品を見て回る。日用品からそれ以外までいろいろなものが並んでいる。手作りと思しきアクセサリーに、布巾、木工用具、茶碗にコップ。肉の焼けるいい匂いがしてきた。焼き鳥、ホットドッグ、向かいの屋台には綿飴、それに林檎飴……。なお、ここで言う林檎はちゃんとした林檎である。
中には自作の漫画を売っている人までいた。結構上手かった。
「雑多過ぎないか?」
「まあ、言ってみれば、ここにいる奴ら全員狗吠あたりの住人だからな。生活ってやつがあるんだろうさ。外の世界で作るなり仕入れるなりしたものを、こっちで売ってんだろうな」
なるほど、と思う。
ちょうど腹が減っていたので焼き鳥を買った。うまかった。支払いは円で通じた。
市のひしめく通りを抜けると、看板を出している建物がぽつぽつと増え始めた。
「この辺は店持ちの奴らが集まってるんだ。古株の金持ち連中が多いな」と須藤が教えてくれる。
ひときわ目立つアパレルショップがあった。さっき見かけた雑多な服装はここで売られているらしい。物珍しさで店頭のディスプレイを眺めていると、「こんにちわー」と声をかけられた。顔を上げると、綺麗なお姉さんが二人。店員だろう。
「何かご入用ですか?」
「あー、いえ……」
「あんまり見ない顔だけど、ひょっとして来たばっかりの子?」
お姉さんたちはやけにグイグイ来る。よほど暇なのか、あるいは話好きなのだろうか。二人ともいい匂いがするので、俺はちょっぴりキョドりながらもなんとか言葉を返す。
「そうですね。一人で暇してたら、なんか変な奴に声かけられちゃって」
「あーねー」「やっぱ閣下かー」
お姉さんたちが顔を見合わせて納得という表情をしている。
「閣下?」
「ピエトロ閣下。あたしたちがそう呼んでるだけなんだけど」
なんとなく須藤を見る。俺を頼るな、という顔をされた。
「あたしたちも閣下に声かけられたんだよね、実は」
「そうそう。最初ナンパかと思って、二人まとめて粉かけるなんてどういう了見だよって思って」
「それが今や、すっかりハマっちゃって」
「ダンジョン攻略楽しいよねー」
「こないだの七階層の弓隊がさー」
「あの辺から連携取り始めるのキツいよねー」
情報量が多い。
いろいろ話をした後、何も買わずに店を出るのも気が引けてしまい、適当なシャツを一枚買った。
「ダンジョンで会ったらよろしくねー」「お店の方もまた来てねーっ」
わざわざ店外まで出てきていただき、笑顔で見送っていただけた。俺はヘラヘラ笑いながら手を振り返した。
店の前で待っていた須藤が呆れたように言った。
「大体分かってきたんだが、お前女に弱いな?」
「俺は綺麗なお姉さんに耐性ねえんだよ……お前と違ってな……」
笑いたいなら笑うがいい。青春真っ盛りの男子の気持ちは複雑なのである。
「いやー、楽しかったなー」
平時のエデンをたっぷり堪能した後、狗吠の街に戻ってくると、すっかり日が暮れていた。
というのは実は語弊がある。というのも、エデンもこっちも、時間の流れは変わりないのだ。エデンの方が日暮れを迎えたので外に出ると、同じように日が暮れていた、入ってきたときから時間が飛んだみたいでちょっとびっくりした――ただそれだけの話である。
「ところでさ、俺ずっと気になってたんだけど」
俺は須藤に向かって尋ねる。ん、という返事が返ってくる。いろいろ質問をするのにも慣れてきていた。須藤の存在が今日という一日で、俺の心に大分馴染んできたような気がしている。
「須藤さ、何でいきなり親切になったんだ? 昨日は面倒臭そうだったのに」
夕暮れの街の中、佇む須藤は答えなかった。陽の傾いた、夕方六時の橙に染まる景色と、歩道に長く伸びる影が、その表情を見えにくくしていた。
やがてぼそぼそと、言葉が生まれる。
「エデンの通帳な」
「ん?」
「すげー額が入ってたんだ。お前を助けたときのでかぶつと、そのあとで倒した鎧の分」
なんかちょっと雰囲気が変だ。
俺より背が高い割に、今は猫背気味になっているせいで、顔の高さが同じくらいだ。どこか殊勝な顔をして、所在なさげに頭を掻いている。
「正直助かった。今月、どうしてもまとまった金が必要だったからな」
……なぜ俺は礼を言われているのだろうか。
理由は不明だが、なんだかこそばゆい気持ちになる。普段からよく見かけるのにずっと懐かなかった野良猫が、ようやく頭を撫でさせてくれたような感覚に似ている気がする。
「須藤、お前さ」
いやがらせ代わりのトモちゃんではなく、ちゃんと苗字で、俺は須藤を呼ぶ。
「何だよ」と棘の取れたような声音で須藤が答えてくれる。
俺はさわやかな笑顔で言った。
「態度とか言葉遣いの割にいい奴なんだな!」
腹パンが飛んできた。
腰の乗った本気のやつだった。結構ヤバめの吐き気が生じた。不意打ちだったのでやばかった。もうちょいで『吐く』とこだった。
「テメェは言葉遣いの割に性格最悪だな」
「……返す言葉もございません……」
強い吐き気をやり過ごしながら、俺は、こいつをからかうのはもうやめておこうと思った。
「テメェには気遣いがいらねーってことがよーくわかった。……というわけで、提案だ。お前が知りてーことなら全部教えてやる。代わりにお前は俺と組め。ちゃんと協力してやれば、一人じゃやれなかった敵だって、倒せるってわかったからな」
須藤はいつの間にか猫背をやめていた。ちゃんと背を伸ばすと俺より高いので威圧感がある。だが、不思議とその方が俺的にしっくり来た。
「なるほどね。つまり相棒ってわけだ」
負けないように背筋を伸ばし、声を張って応える。
「いいぜ、乗ってやる。これからよろしくな、須藤」
俺は右手を差し出した。
須藤はそれをしばらく眺めていた。表情を伺うと、少し眉をひそめているように見えた。どういう感情なんだ? と思っていると、右手ではなく、握った拳を出してきた。
そしてそのまま、俺の右肩にごつんとぶつけた。
「じゃ、そういうことだ。次は三日後だっけな。地図の場所に30分前だ。遅れんなよ」
それきり須藤は俺に背を向け、去っていった。
「いや、握手……」
置き去りにされたような言葉をつぶやきながら、俺は反省する。
まあ確かに、「よろしく」で握手は臭過ぎたな……。
俺はぶつけられた右肩を何ともなしにさすった。それから左手で拳を作って、同じところをごつんと打った。
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