2.苑麻真一郎の周辺の人々

2-1.須藤智生と佐藤楓

 立ち話を続けるには陽射しが強すぎたので、俺たち三人はとりあえず駅前まで移動することにした。一瞬だけさわやかな風が吹いて、どこからか飛んできた零結晶の黒い粒子が視界を横切っていくのが見えた。

 駅までの道行きで簡単に自己紹介を済ませた。須藤は俺と同じ高一で、狗吠の高校に通っているらしい。お姉さんは佐藤さとうかえでというやたら甘そうな名前で、須藤と家が近いらしい。

 なお、私大の二年とのこと。大学名を聞いたら割といいところで驚いた。

 土曜の朝で割と空いていた駅前のトルバドールに入った。トルバドール(通称トドール)は全国チェーンの喫茶店で、業界一位のサンフロントコーヒー(通称サフロ)と人気を二分している。世の中の喫茶店好きはトドール派とサフロ派でよくケンカをしているが、俺は圧倒的トドール派である。何が映えだ、サフロ派は全員散れ。

 カウンターで思い思いに注文し、俺たちは席に着く。須藤と楓さんは壁際のソファに並んで座り、俺はその対面の椅子に腰を下ろした。

 楓さんは話をするのを待ちかねていたようで、ニコニコ笑いながら言った。

「トモちゃんに友達ができるなんて、お姉ちゃんは嬉しい!」

「こいつは友達ダチじゃねーし楓は姉じゃねー」

 一方の須藤は不機嫌そうだった。綺麗な木目のテーブルに肘をついて、まずそうにアイスコーヒーを吸い上げている。こんなまずそうにコーヒー飲むやつ初めて見た。ちゃんと味わえよお前、トドールのコーヒーだぞ。結構いい豆使ってんだぞ。多分……。

「二人はどうして仲良くなったの?」

「仲良くぅ?」須藤が嫌そうな声を出す。

「ええとですね、先日、エデ」

 俺が説明を始めた途端、須藤がバンとテーブルを叩いてソファから立ち上がった。めちゃくちゃ睨んでくる。「えで?」と楓さんが首をかしげるのも無視して、須藤は店の奥へと進んでいく。俺はすれ違いざまに襟の後ろをつかまれ、為す術もなく奥まったところまで引きずり出された。

 壁ドンの体勢に追い込まれた俺に、須藤はヤクザよろしく耳打ちしてくる。

(いいか、楓にはエデンのこと絶対言うなよ)

(内緒なのか?)

(話したらだ。あいつは絶対ついてくるし、そのくせクソみてーにトロいんだ)

 須藤はうんざりした顔をしていた。まあ、それは想像がつく。初対面で失礼な話だが、楓さんは運動が得意なタイプには見えなかった。

 内緒話はそれで終わり。改めて二人で席に戻り、須藤はソファにドカッと腰を下ろし、俺は再び楓さんと向き合う。楓さんは俺たちに向かってかわいらしく抗議してきた。

「目の前で内緒話をされるのは、お姉ちゃん傷つくなぁ」

「やだなぁ、須藤が楓さんのこと大好きだって話してたんですよ」と俺は自分史上最高の笑顔で伝える。

「はァ!?」

「えっ、そうなの? まあ知ってるけど~」

 そういうことは素直に言ってくれればいいのに~、とニコニコとろける楓さんである。

 俺は再び店の奥に引きずり出された。

(テメェよっぽど死にてェようだな……!!)

(まあ落ち着けよ。こんなとこで喧嘩してみろ、『お姉さん』が何て言うかな)

(……)

(落ち着かせるのはお前の役目になるだろうなー、そういうの、どうせ苦手だろ?)

(クソが……!!)

 須藤は俺を突き放す。解放された俺は勝者の気分で席に戻った。

 イライラを隠そうともしない須藤に向かって、俺はニヤニヤしながら尋ねる。

「な、トモちゃん、楓さんのことだーい好きなんだよなー?」

 ガチな殺意のこもった視線が俺を睨みつけてくる。

 楓さんは楓さんで、クリスマスイブの日の子供みたいな表情で須藤を見ている。須藤は恐らく暴言を返そうとして口を開きかけ、うっかり楓さんの表情を見てしまい、何かに耐えるような表情で目を逸らしたあと、しばらく間をおいて、心底恥ずかしそうにこう返すのだった。

「……ああ好きだよ……クソが……」

「やったー!」

 感極まった楓さんが須藤に抱き着いて頭を撫で始める。しかし須藤の方はまったく嬉しくなさそうにずっと俺を睨みながら、口だけをもごもごと動かしている。俺の渾身の読唇術によると、「テメェ死ねよ……ぜってー殺す……後で完全にブッ殺す……」みたいなことを言っているようだった。

 いやはや。

 羨ましい限りである、本当に。


 都心に行く用事があるという楓さんを狗吠駅改札前で見送った後、俺はヤバい目をした狼に対峙することと相成った。

「で、覚悟は出来てんだろうな?」

「いやあ、ちょっとした冗談だろ、あんなの」

 バキバキと拳を鳴らす須藤から俺は距離を取る。実際問題ボコボコに殴られたところで吐き気にさえ耐えればノーダメージなわけだが、もちろん殴られて嬉しいものではない。

 はぁ、と須藤のため息が聞こえた。

「んじゃ、行くぞ」

「うわーお手柔らかにお願いします」

 避けられそうにないやつだ。俺は覚悟を決めてギュッと目を閉じる。

 一秒待つ。

 二秒待ち、三秒待ち、しかし何も起こらない。

 薄目を一瞬開けてすぐに閉じる。さらに数秒待つが何も起こらない。どういうことだと思って今度は普通に目を開けると、須藤はさっきまでよりも数歩離れた位置にいて、不可解そうな顔で俺を見ていた。

「何やってんだよお前」

「何って……防御……」

「は?」

 意味がわからん、という様子で須藤は言う。

「いいから付いてこいよ。お前昨日、エデンのこと知りたいって言ってただろーが。聞き違いだったか?」

 ん???

 俺はしばらく頭を整理した。少なくともボコられることはなさそうだった。先程の須藤の言葉を思い返しながら、思考を巡らせて、ようやく理解する。

「ああ、行くってそういう……」

「何だと思ったんだ?」

 須藤は妙なものを見る目で俺を見てくる。「いや別に?」とか言ってごまかしながら、俺は須藤についていくことにした。

 ワンパン来るかと思ってた――というのは、言わない方がいいだろう。

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