1-4.黒曜石の夜の狼

 種を吐かされた巨大なポウンは、やがてしおしおとしぼんでいき、赤かった身体の色も少しずつ抜けて俺の知っている姿に変わっていった。ここ数十分ですっかり聞き慣れたポウンポウンという足音が遠ざかっていくのを、俺はへたりこんだまま見送っていた。

 まだ腰が抜けたままだ。身体がガクガク震えて立てそうにない。

 ポウンを倒した男が立ち去ろうとしていた。一瞬だけ横目で俺を見て、何も言わずに部屋を出ようとする。

「あの、ちょっと!」

 呼び止めると、その足が止まる。無視はされないようだった。俺はどうにか格好をつけて立ち上がった。少しよろめいたのが恥ずかしい。

 男の顔を見て、あれ、と意外な気持ちになった。年上かと思っていたが、多分俺と同じくらいだ。背丈は俺より少しだけ高い。175センチくらいだろうか。両手の爪はよくよく見れば硬結晶で、石壁の光を反射してぼんやりと輝いている。硬度は1.4ってとこだろう。

「ありがとう……助かったよ。君、強いんだな」

 そう告げたが、特に返事はない。

「あのさ、俺、今日ここに初めて来たんだ。この、エデンズフィールド? って、ゲーム? のこと、まあとにかく分かんないことだらけでさ。良かったらいろいろ教えてくれないか?」

「断る」

 秒で断られた。

 えー、と思った。対応に困って何も言えなくなっていると、相手の方が言葉を続けた。

「あんたも大方、あのクソピエロに引っ張り込まれたくちだろ。災難だったな。よっぽど金が欲しいんでもなければ、は止めといた方がいい」

 クソピエロ、と言われて真っ先に奴の顔が浮かんだ。やっぱり俺以外の奴にもそういう扱いをされてるんだな……。

「それよりさっさと次の《林檎》を食っとけ。襲われてからじゃ間に合わねーぞ」

「《林檎》……結晶樹の実のことか?」

「ああ。あんた、今『吐いた』だろ? じゃ、それ食ってないと話になんねーからな」

 断ると言った割にはいろいろ教えてくれる気がする。いい奴なんだろうか?

 その言葉はありがたいのだが、残念なことに、俺は結晶樹の実を持っていない。

 ということを告げると、「は?」と不愉快そうな声が返ってきた。

「お前アホか。入口にバカみてーに生えてただろーが。なんで取ってねーんだ」

 この言いざまにはカチンと来た。俺も声を荒げて反論する。

「なんでって、そんな言い方される筋合いねえよ。今日が初めてっつっただろうが」

 しばらく睨み合う。男は心底めんどくさそうな顔をした後、はぁ、とため息をついた。「食っとけ」と自分のポケットから、結晶樹の実、すなわち《林檎》を渡してくれる。釈然としないところではあったが一応礼は言った。

 これ味しないから苦手なんだよな、と思いながら口に放り込んだ。《林檎》なんて呼ばれているくらいだから味付きであることを期待したが無駄だった。柔らかい梅干しの種のようなものを噛み砕いて飲み込むと、喉の辺りで留まる独特の感覚がある。

 先程砂に戻った黒い粒子に触れ、硬化できることを確認する。

 男はそれだけ見届けて、今度こそ立ち去ろうとしたのだろうが――すぐに足が止まる。間の悪いことに、次の敵が現れたのだ。

 がしゃん、がしゃん――と複数の金属音。全身を硬結晶に覆われた鋼の兵隊のようなものが、三体、槍を構えて進軍してくる。

 足音がポウンではないから、ガシャンと呼んでやろうか?

「まためんどくせー奴が出やがった」

 男が横目で俺を見てきた。

「あんた、硬度どんだけ出せる?」

「硬度? 最大で2.8だけど、それが?」

「上等だ。手ぇ貸せ」

 言うが早いか男は兵隊ガシャンの群れに飛び掛かっていった。

 両手の爪を振り回して、兵隊たちをガンガン殴りつける。硬度で負けているのだろう、爪の方が砕け飛び、空中で零結晶の欠片となって飛散していく。だがそれが散りきる前に空中で捕まえ、回収、再度の硬化ディレクション。ぶつけて、砕いて、硬化して――途切れることなく一連のサイクルを続けていく。

 ダメージが通っている様子はない。だがそれでも、インパクトの瞬間に叩き込まれる衝撃が、連中をその場で足止めする。

「横から行って切り刻め!」

 男の指示が飛び、その通りに俺は回り込む。嵐のような男の攻撃の巻き添えを食らわないよう、大きく距離を取って接近し、右端の奴の左の脛を切り裂いた。動きが鈍る。

「よし、そのままブッ殺せ!」

「さっきから命令すんな! やってやるけども!」

 後ろに回り込んで連続攻撃。頭と両腕と胴体と、見える限りの場所を切りつける。四度目の攻撃を仕掛ける直前、黒い鎧が砂に還った。

「よし……!」

「よしじゃねーバカちゃんと見ろ!!」

 はっとした瞬間に見たのは、残りのガシャンが槍を突き出すところだった。

 やられる、

 と思った瞬間、男に胸を蹴り飛ばされた。バランスを崩して倒れてしまうが、《林檎》のお陰で痛みはない。

「全員『吐かす』まで気ィ抜くな、死ぬぞ!」

「だからこっちは初心者だっての……!」

 再び男の連撃、動きを止めたところを俺が後ろから仕留める。最後に一体残った奴は、男の怒涛の攻撃を受けて壁際に追い込まれ、体力を削り切られて無力化された。

 武装を剥がされたガシャンは一目散に逃げていく。鎧がなくなったら足音がポウンになったので、元ガシャンと言うべきかもしれない。

 まあ、そんなことはどうでも良かった。

 やっつけた奴らの背中を見送りながら、俺は感動に震えていた。

 仲間との連携、友情、そして勝利……! 漫画みたいじゃねえか!

「イエーイ!!」

 テンション爆上げだ! 俺は右手を掲げて男に向ける。

「何してんだ?」

「いや……」

 遺憾ながら相方のほうはそうでもなかった。俺はすごすごと掲げていた手を下ろした。

 盛り上がった気分のままにハイタッチを決めようとしたのにスルーされたときの気持ちは、ちょっと言葉にしづらいものがあった。

 友達だと思ってたのは俺だけだった、的な。

「よくわからんが、落ち込んでんのか? まあ、最初にしては上等じゃねーの」

「いや、そうじゃなくてね……別にいいけど……」

 今になってかなり恥ずかしくなってきた。意外と優しい言葉をかけられた気がしたが、それはそれでキツいものがある。

 黙ってしまった俺を見ながら、「よくわかんねー奴だな」と男が言った。そして改めて立ち去ろうとする。

「あ、待て、名前!」

 それでもまた呼び止めた。男はまた、は? という顔を向けてくる。

「名前? ンなもん聞いてどうすんだ」

「次会ったとき困るだろうが。おいとかお前とか言うの」

「なんか困るか?」

「困るだろ。夫婦じゃあるまいし」

 男が真顔になる。しばらく俺と見つめ合った後、心底嫌そうに言った。

「それは確かに気持ち悪いな………」

(……それはそれで腹立つな……)

 まあ、喜ばれても気持ち悪いが……。気を取り直して名前を伝える。

「俺は苑麻。苑麻そのま真一郎しんいちろうだ」

須藤すどう智生ともき。じゃあな」

 それだけ言い残して、今度こそ須藤は立ち去った。


 一連の戦闘を終わらせた後、どっと疲れが沸いてしまった。

 スマートフォンを確認すると、25:15を指していた。

(そろそろ帰るか……)

 と思ったが、帰り方がわからない。須藤を追いかけて教えてもらおうかと思ったが、それも気が引けた。

『オヤ、お帰りですか?』

 いいタイミングでピエトロ氏のクソむかつく声が聞こえた。

 今の今まで存在を忘れていたのだが、これはもしや、一から十まですべて監視されていたのだろうか? 気の滅入る話だったが、帰り方がわからない以上、こいつに聞くしかなかった。

「そうだよ、帰るんだよ。帰り方教えてくれよ」

『では、最初の部屋まで戻ってください。ログアウトの手続きはワタクシがやりますので』

 俺は言葉に従い最初の部屋を目指し始める。

 途中では幸いにしてポウンに遭遇しなかった。もしかしたら氏の計らいかもしれない。だとしても、別に感謝する気はなかったが。

『さて、記念すべき《エデンズフィールド》一日目でしたが』

 道中ピエトロ氏の声が頭に響いてくる。

『どう、楽しかった? 今どんな気持ち? ねえ今どんな気持ち?』

「……」

 『お前を殴りたい』と答えないだけの理性は、ギリギリ保っていた。

 

 市民館を出た後、見上げた空には、わずかに欠けた半月が昇っていた。

 火照った体に夜風が涼しかった。

 常夜灯のライトに照らされて俺の影が長く伸びていた。剣は置いてきたが、まだ手の中に短剣グラディウスの感覚が残っている気がする。

 少しだけ気が高ぶってきたので、俺は一人、夜道でポウンを相手に戦いを繰り広げる想像をしながら、何も持たない両手をぶんぶん振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る