1-3.チュートリアル

 周囲の景色が一斉に反転した。無機質なクリーム色の壁が淡い光を放つ緑の石壁に変わり、行き止まりだった部屋には新しい通路が現われた。その代わり、俺が最初に入ってきたほうの通路が壁に変わっていた。触ってみるとざらついたリアルな石壁の感触があった。通り抜けられそうな雰囲気はない。

 選択肢もないということだろう。

 先に進むとすぐに開けた空間があり、その中央に結晶樹が生えていた。現代史の教科書やテレビ番組で観るのと同じ、根も葉も幹も黒一色の円蓋形の樹。高さ3、4メートルはある天井に届くほどの高さで、太い無数の根が部屋中の床という床を張っており、一本は俺の足元まで届いている。そして枝にはたっぷりと結晶樹の実が成っていた。

「なんでこんなところに結晶樹が?」

 近付いて幹を撫でてみる。黒い幹はぽかんとした俺のアホ面が映り込むくらいには艶々としていた。釈然としなかった。結晶樹が自然にできることはそこまで珍しいことでもないが、いくら何でもでかすぎだった。

 まとまった量の零結晶が数日時間を置くと結晶樹に成長し、一か月ほどで綺麗な花を咲かせた後こんな風に実をつける。しかし個人での実の収穫は法律によって禁じられており、国家資格を取得した民間企業のプラントでのみ管理されている。育ち過ぎた結晶樹は、業者や公務員が定期的に伐採しているはずなのだが……。

 考え込んでいると、遠くからポウンと音がした。

 視界の先に小柄な生物がいた。

 その背丈は俺の腰くらいまでの大きさで、ふらふらと揺れながら近づいてくる。肉付きのいい棒人間みたいな黒一色のシルエットが、絶えず陽炎のように揺らめいている。人間には見えなかった。右手には硬化された零結晶――硬結晶が、短い金属バットのような形を取っている。

 武器の形。

 敵対の意思の表明でもある。

 俺を見定めた謎の生物は、ポウンポウンとかわいらしい足音を立てながら――まっすぐ飛びかかってくる。

「!」

 大きく距離を取ってかわした。ブンっと空気を切り裂く音が、遅れて耳に届いた。

 ……なるほど、そのための結晶樹ってわけだ。

 理屈は知らないが納得はできた。俺は結晶樹から手ごろな長さの枝を一本折り取った。握れば砕けるほどに脆いその枝を思惟で以って硬化ディレクション短剣グラディウスの形に変えていく。謎の生物(めんどくさいのでポウンと呼ぶ)の金属バットと短剣グラディウス――接近したふたつの硬結晶が淡い耳鳴りのような音を立てる、共振ハウルと呼ばれる現象が起こる。

 再びポウンが飛びかかってくる。今度は避けるだけじゃない。交差する瞬間、剣の腹を立て、胴体を打ち抜く形で、一気に振り抜く!

 ポウンの動きが停止する。耐えきれないレベルのダメージを受けて、その口元から結晶樹の種が吐き出された。種が床を転がり滑る音とともに、思惟による介入ディレクションを失った金属バットが黒い粒子の姿に戻り、さあっ――と音を立てて床に零れた。

 武器を無くしたポウンは、ポウンポウンと足音を立てて逃げ去っていく。雑魚キャラなんだろうか? ゲームなら腐るほど見る光景だが、実際に遭遇するとこんな感じなんだな、と変に納得した。

 先のピエトロ氏の言葉にも理解がいった。確かにこれはゲームだった、それも体感型のRPGだ。

 RPGらしく部屋の隅には先に進む通路がある。どんどん先に進んでいく。通路は開けた部屋につながっており、先程とは別のポウンが2体、俺を見るなりポウンポウンと攻撃してきたが、さしたる苦労もなく撃退できた。

 ポウンが残した粒子の山に剣を差し入れ、短剣グラディウスに取り込んで硬度を上げる。硬度は基本的に硬化させる物体のサイズに反比例するため、同じサイズのままで取り込めば硬度が上がる。硬度が高ければより強靭になり、硬度の低い硬結晶と打ち合っても砕けずに済む。

 実際、次のポウンは先の奴より硬い武器を持っていた。だが、俺の短剣グラディウスの方がずっと硬度が高かったので、数回打ち合っただけで砕け散った。武器を失って狼狽えるポウンに一撃を加えて種を吐かせ、秒で勝利。

「はは、楽勝じゃんか」

 勝手に笑みがこぼれてくる。視界の先には厚みのある木製の両開きの扉がある。この先にボスがいるパターンだな、と思いながら扉を開く。

 巨大なポウンが、目の前にいた。

 全長は2メートル程度だろうか。そいつは色が赤かった。今までの黒い奴とは違う。そのとき俺の脳内をRPGのお約束が横切った――雑魚キャラの色違いは、大体、ヤバい。

 気付いたときには、右足に一撃を食らっていた。

 巨大なに打ち据えられたのだと、辛うじて悟った。

 咽喉に強烈な吐き気。やばい、いきなり致命傷だ。吐き出さないように必死で咽喉を押し留める。

 結晶樹の実を食した生命体が肉体にダメージを受けるとき、その損傷と痛みは全て結晶樹の実が『肩代わり』する。切られようが潰されようが撃たれようが、肉体が傷つくことはない。その代わり肉体は、咽喉に留まった結晶樹の実から、受けたダメージに比例した『吐き気』を受けることになる。

 仮定の話をするならば、種を吐きさえしなければ、あらゆるダメージに対して無傷でいられる。

 そして俺が受けた吐き気ダメージは、二度も耐えられるようなものではなかった。

 腹を打ち抜かれて吹き飛ばされる。ごふ、と重たい音とともに俺の咽喉から種が飛び、カラカラと回転しながら床に転がる。その表面は汚い涎にまみれ、ぬめった光を放っていた。

 短剣グラディウスを構えようとして、それが既に砂となって右手を滑り落ちていることに遅れて気付いた。赤いポウンが近づいてくる。巨大な足が「ぱきん」と音を立てて俺の吐いた種を踏み潰した。結晶樹の実の守りはもうない。次に受ける攻撃は、肉体へのダメージとして計上される。

 

「え、これ死ぬやつ……?」

 ポウンポウンと足音が接近する。警戒色を思わせる赤い巨体と不釣り合いなかわいらしい音が、闇の中のピエロめいた悪夢に思えた。

「いやちょっと待てよ、おま、やめろ、来んな、この、」

 俺の口からは意味のわからない言葉ばかりが飛び出た。だがそんなものはお構いなしに、鉄塊が振り上げられる。

 ひどくゆっくりとした動きで、振り下ろされる。


 そして――巨体が横っ飛びに吹き飛んだ。


(え――)

 ポウンが石壁に激突し、轟音が部屋中に反響する。

 俺の目の前にが立っていた。

 ……人、なのか? 俺は一瞬戸惑っていた。

 冷静に考えれば、人じゃないわけがない。

 それでも戸惑った理由は、男の両手に生えた、巨大な爪を見たからだ。

「――――――、」

 そいつが歯を剥いて笑ったように見えた、直後、その靴底が爆ぜた――文字通りの炸裂音を伴う、文字通りの爆発的な加速。振り上げられた爪が巨大な腕を打ち払う。石壁の放つ薄明かりの中でポウンが切り刻まれていく。反復する連続攻撃、右と左、低位置と中空、三次元的に舞い踊るふたつの爪が俺の朧な視界の中で、共振ハウルの耳鳴りとともに幻想的にひらめいた。

 振り抜かれる爪の軌跡が、一瞬のきらめきを残像に留める。それが幾重にも連なる間、巨大なポウンは身動き一つできず嬲られ続けた。三度、四度、五度六度七度――八度目で咽喉から種が吹き出し、鉄塊が黒い砂山に姿を変えた。

 言うなれば、一方的な狩りだった。

 そして、それを成し遂げる狩人けものの姿は、

(『狼』……)

 俺の目には、そう見えた。

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