1-2.ゲームスタート

 俺の家は小島急行沿線の狗吠駅近辺にある2DKのマンションの一室である。

 エントランスで開錠用のパスワードを打ち込み、階段で3階まで上がる。エレベーターもあるにはあるが階段の方が早かった。301号室のドアのセンサーにカードキーを当てると、ピーン、と気持ちの良い音がして鍵が開く。

 ただいま、とは言わなかった。仕事人間の親父は平日に家にいる方が珍しかったし実際今日も玄関は空だ。脱いだ革靴を揃えて靴箱にしまった。

 洗面所で手を洗い、うがいを済ませ、乱れた髪型を整える。

 自室に戻る。フローリングの床に六月下旬の午後七時前の薄明かりが落ちている。明かりをつけて部屋着に着替え、制服のブレザーとネクタイとスラックスをハンガーにかけてクローゼットにしまった。ワイシャツは簡単に畳んでベッドに置く。どうせ後でまとめて宅配クリーニングに出してしまうのだからぐちゃぐちゃでも困らないが、つい畳んでしまうのが俺の癖だった。

「さて……」

 机に向かう。

 普段であればその日の授業の予習か復習、気が乗らなければ小一時間ほどソシャゲをするか適当なvtuberの動画を観るかといった具合だが、今は他に気になることがあった。

 ピエトロ氏の名刺を目の前に置く。見れば見るほどうさんくさい名刺だった。貰ったときには気にしなかったが、よくよく見れば名前の横にサインまで入っている。

 まあサインのことはどうでもいい(芸能人の如く気取った筆跡が実にイラッとしたが)。問題はその他。

 スマートフォンからwebブラウザを起動し、『有限会社エデンズフィールド』で検索する。引っかかったリンクをタップすると、近代的なデザインのwebサイトが開いた。ゲーム会社ならば美少女か美少年か渋いオヤジか巨大な怪物のイラストが出ているものと思っていたが、想像よりはお堅い雰囲気だった。

 コンビニで買ったサンドイッチを頬張りながら内容を流し見る。会社沿革、事業内容、採用情報……特段変わったものはない。ごく普通の会社だった。

 では、こちらはどうか? スマートフォンを名刺の上にかざし、二次元コードを読み込む。

 先ほどと同じwebサイトが開いた。

 まあ、それはそうか……と思って閉じようとしたとき、先ほどはなかった文字が目に入る。

 

 『アップルテイカーの皆様へ』。

 

 ……林檎を奪う者アップルテイカー

 エデンに林檎と来た。いよいよ厨二の瘴気が濃くなってきた。リンクをタップすると、パスワード欄と文字だけのシンプルな画面が開いた。

 パスワードには心当たりがない。パスワード欄の下には、お困りの際はお電話ください、との記載がある。しかし画面を見る限り電話番号はどこにもない。手前の画面に戻ってエデンズフィールドのサイトを探したが、会社の電話番号とFAX番号があるだけだった。さすがに電話する勇気はなかった。

 さてどうしたものか、と思ったときに、手元の名刺が目に入る。

 電話番号。

 会社の番号とはまるで違う。

 スマートフォンから電話をかける。コール音はない。即座につながり、合成音声が聞こえ始める。

 合成音声は特定のキーワードを繰り返し告げているようだった。聴き取ったキーワードをパスワード欄に打ち込むと、次のページが開いた。

 それは地図だった。示された場所は近所の市民館――歩いて10分もかからない。

 俺は張り詰めた気分を解放し、大きく息を吐いた。得られる情報はすべて得たという感覚があった。軽く伸びをした後、スマートフォンをスリープモードにする。

 そしてそのまま教科書を開き、その日の授業の復習を始めた。

 

 言っておくが学生の本分は勉強である。

 どんなに他に楽しいことがあっても日課をサボるのは最悪だ。

 やるべきこともやらないで遊び惚けてるそこのお前、お前だよ、聴いてるか? あ?


 復習の単元は英語だった。

 ノートを開き、少し間を置いた後、俺はまっさらなページに文章を綴る。

 書き慣れた筆記体で、三つの単語を連ねる。

 

退屈はわれわれを殺すBoredom kills us』。

 

 電話口の合成音声が繰り返していた、キーワードの文面だ。

 

 ---

 

 それからしばらく勉強し、そのあとしばらくだらだらして、深夜。

 俺は件の市民館の前までやってきていた。

 現在の時間を確認する。スマートフォンのデジタル時計に、23:35、と表示されている。

 当然だが市民館は閉まっていた。が、誰かが入っていくのが見える。門扉の脇にある小さな扉を音もなく開いて、密やかに。どうやら鍵はかかっていないようだった。

 裏口から入るんだろうかという予想に反して、人影は何もない壁の前に立ち、何かを確認し始めた。やがてその姿がスッと壁の中に消えた。

「消えた……」

 俺も続いて扉を潜り、壁の前に立った。ちょっとだけビビりながら表面に触れる。果たして俺の腕は何の抵抗もなく壁の向こうに消えた。慌てて引き戻したが何の変化もない。初見殺しでぶった切られたのではなくて心の底から安心した。

 隠し通路ってやつか、いよいよゲームじみてきたな、と思いながら壁の向こうに踏み込んだ。

 壁の先はまっすぐな通路だった。どこかに照明があるのだろうか、足元に困らない程度には明るかった。

 突き当たりに開けた部屋があった。四方の壁はシンプルなクリーム色で、公民館だけにいかにもお役所然とした具合だった。隅には椅子が並べられている。椅子の横には立札もあり、『新規ログインの皆様はここでお待ちください』と書かれている。他に人影はない。

 現実世界の立て札で新規ログインとは新しいな、などと思いながら椅子に腰かける。手持無沙汰にスマートフォンで地図のページを開く。地図の下には以下の記載があった。

 

       * け い し゛は゛ん *

  本日のイベント開催時刻…24:00~27:00

   !!!!!新規参加者サービス期間!!!!!

    1階層のクリーチャー撃破ボーナス1.2倍!

    どんどん狩ってどんどん稼ごう!!!!

 

 射幸心を煽ってじゃぶじゃぶ云々、というフレーズが頭をよぎった。

 非人道的な課金でもさせられるのではと心配したが、さすがにガチャも引かせず金だけ取るようなゲームもなかろうと思い直す。

 やがてデジタル時計が23:55を差した。

『ピン・ポン・パン・ポーン♪』

 生理的に無理な感じの声がした。

『今宵も《エデンズフィールド》にお集まりの紳士淑女の皆様、プレイいただき誠にありがとうございます。運営代行のピエトロ・ドーケンでございます』

(やっぱあいつか……)

 俺は自分に出来る限り最高に嫌そうな顔を作る。

『本日のイベントの案内でございます。掲示板のお知らせはご覧になっていますね? そう! 新規参加者サービス期間です。今日から参加のそこのあなた、そうあなたですよ、なかなか背の高い/お育ちの良さそうな/かなりの美少年――』

 やけに具体的だった。誰のことだ? まさか自分かと思い顔を上げる。

 そしてピエトロ氏の声が高らかに響いた。

『ハイ今顔上げた人~~~! あなたじゃありませ~~~~ん! 《背の高い/育ちの良い/かなりの美少年》――なぁんて自分で思ってたんですか~~~?? ちょっと自意識過剰じゃないですか~~~~~??? プププ~! 鬼ウケる~! 共感性羞恥~~~~~!』

「死ね!!!!!」

 というか殺す!!!!!!

 本気でキレそうな俺のことなどものともせず、ピエトロ氏の声は続く。

『まぁ冗談はこのくらいにしましょう。あなたはちゃんと美少年ですよ、新規参加者のS君、実にワタクシ好みの――まあそう睨みなさんな。そこのお嬢さん方はニヤニヤするのをおやめなさい。ああもう、そこ、興奮してクネクネしない』

「最悪だ……」

 あの勘違いオサレ野郎はどこから見ているのだろうか。声を聞く限り、どうやら俺の位置や表情を把握しているようだ。見渡す限り監視カメラの類はないようだったが。また、今のところ姿こそ見えないが、何人か先客がいるらしい。

 やがて茶番に飽きたのか、ピエトロ氏が説明口調に戻っていく。

『フロアが沸いたところで《ゲーム》のルールを説明しましょう。《エデンズフィールド》は所謂オープンワールド――アップルテイカーの皆様には、我々運営の用意したを自由にお楽しみいただけます。しかしそれだけでは退屈でしょう、ハック・アンド・スラッシュ要素も用意しております。ひたすら敵を倒してダンジョン奥深くに潜っていく、古式ゆかしいRPGの形式ですね』

 いやちょっと待て、情報量が多い。

『今宵のシナリオは【F-1:ミノタウロスは不眠症】、主戦場ステージはもちろんダイダロスの迷宮です。最下層は地下24階、そこには強力なクリーチャーが控えています。新人のあなたも、エンジョイ勢の君たちも、最速攻略RTAに挑戦するベテランの皆様も、けして命を落とすことのなきよう、零結晶と《林檎》の補充をお忘れなく』

 ミノタウロス? RPG? 零結晶と……《林檎》の補充??

 俺が混乱している間に、デジタル時計が24:00を指す。

『――時間です』

 ピエトロ氏の声が響く。

『では、善き《ゲーム》を!!』

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