1-5.夜が明けたら

 翌朝、土曜日。目覚めると机の上に預金通帳が置かれていた。

 黒一色で、銀行名も何も書かれていない。自分の使っている通帳ではないし、そもそも今まで見たこともないデザインだった。

 通帳を開くと、中には一行こうある。

 

  20-06-27 振込 ウンエイ 24,549

 

(2万……)

 万年金欠の高校生としては地味に嬉しい金額だった。

 誰かがここに置いたのだろうか。泥棒? なわけない、盗みに入って通帳を置いていく泥棒なんて間抜けすぎる。それとも誰かの悪戯か? それも考えづらい。何より、運営ウンエイ、の文字が気になる。

 そこで昨夜のエデンズフィールドの掲示板を思い出す。クリーチャー撃破ボーナスとか書いてあった気がする。

 何がボーナスなんだか昨日はわからなかったが、あれはそのまま、ゲームにおける報酬を指してるってこと?

 RPGで倒した敵が落とす、出所不明の金みたいな?

「いや、そんな都合のいい話があってたまるか……」

 俺は寝起きのアホな頭をぐるぐる振った。

 我ながら、あまりに発想が突飛すぎる……。

 

 だがしかし、悲しいかな、ショボい貧乏学生では2万の誘惑に勝てなかった。

 近所のコンビニに赴き、入口横のATMに通帳を突っ込んだ。驚くべきことに暗証番号も何も聞かれることなく、引き落とし金額の入力画面までたどり着いた。

 試しに1000円を引いた。

 1000円が出てきた。

 もう一度試す。今度は全額引いた。無論引き出せた。なんと手数料もかからなかった。

 ……なんてことだ。深夜にちょっとした《ゲーム》をしただけで、こんな大金が手に入るなんて!

 確かにちょっと命がけだったけど、こんなうまい話があるか!?

「……あるわけねえだろ……」

 俺は再度ATMに通帳を通し、引き出した金を全額戻した。

 ビビりだと思うだろうか? なら冷静に考えてみてくれ。

 こんな怖い金使えるわけねえだろ! どう考えたって詐欺かなんかだ! 調子に乗って使い込んでたらある日突然ポンと肩を叩かれ、振り向くとヤクザか何かがいて、ヤバい仕事に引き摺り込まれるに決まってる。

 引き出し前の金額を記帳された通帳を見て、ほっと一息つく。自慢じゃないが俺は高校生にしては思慮深い方なのだった。

 まあ、金の謎はさておき、である。

 昨日の戦いの感覚を、俺はまた思い出していた。ただそれだけで気分が高揚してくる。あの非日常的な、エデンズフィールドでの戦いの時間が、今まで経験してきた様々なことの中でも抜群に楽しかったのは間違いなかった。

(あれ、今日もあんのかな……)

 スマートフォンを起動し、例のページを開く。掲示板には、来週の日付で開催日が入っていた。

(来週か……)

 かなりがっかりした。だが同時に、次の楽しみができたという気持ちも湧き上がってくる。

「おいコラテメェ、いつまでやってんだよ」

 後ろからヤンキーみたいな声がかかる。しまった、ずっとATMの前に立ちっぱなしだった。「あ、すみません……」と言いながら振り返る。相手の口調が怖かったので、できるだけ反省してるっぽい雰囲気で。

「お……」

「あ?」

 見覚えのある顔だった。というか、昨日さんざん見た顔だった。

 須藤すどう智生ともきがそこにいた。

「すど」

「帰る」

 名前を呼ぶ暇もなく須藤が俺に背を向ける。

「なんでだよ! 人の顔見て逃げるな! 失礼か!」

「うっせーな面倒臭せーんだよ寄ってくんなアホ」

「もーっ、トモちゃん、なんで先行っちゃうのーっ?」

 遠くからやけに可愛らしい女の人の声がした。

 男の性というやつで、ついそちらを見てしまう。

 ゆるふわな髪の毛の、少しだけふくよかな、胸の大きなお姉さんが走ってくる。

「あっ、いたー!」お姉さんは容姿に負けず劣らずゆるふわな声を出しながら、俺たちの方にまっすぐ駆けてくる。柔らかそうな緑色の長袖のサマーカーディガンと、身体の動きに合わせて揺れる白いロングスカートがまぶしい。

「とー、もー、ちゃあああああああああああああああんっ」

 そしてそのまま、結構な勢いで須藤に抱きついた。

 須藤の身体が一瞬、ぐらりと傾き――起き上がりこぼしのように持ち直す。

「――だッから楓、いちいちくっつくな! 離れろ! 暑苦しいんだよ!!」

「やーだー、もう離れないー! お姉ちゃんはトモちゃんを離さないもーんっ」

 ぐりぐりと頭を擦り付けるゆるふわお姉さんと、引き剥がそうと必死な須藤。

 やや面食らい気味に二人を眺めながら、俺は頭を回転させる。

 この二人の関係は何だ? どうやら恋人ではなさそうだ。お姉さんはお姉ちゃんと言っているが顔も雰囲気も似ていないので恐らく血縁はない。親戚、もしくは近所の幼馴染? どちらにせよ須藤が羨ましい限りだ。結構可愛いし。

 だが、そんなことよりも――

 少なくとも、このタイミングで、絶対やっておきたいことがあった。


 俺は須藤を指差して言う。

 半笑いで。

?」

「ブッ殺すぞテメェェェッ!!!!」

 須藤の叫び声が、六月末の、夏の青空に拡散する。

 

 こうして、俺と須藤、そして何人かの新しい知人たちの――

 エデンズフィールドを巡る、怜和二年の、新しい夏が始まったのだ。

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