その涙さえ命の色

新巻へもん

理性と感情

 サラはヘルメット越しにコクピットの集中監視モニターを見つめる。強化ガラス製のフェイスシールドにはモニターから放たれる色とりどりの光が映し出され、その中の表情をうかがい知ることはできなかった。サラは煩わし気に頭を振り、フェイスシールドの表面を耐圧スーツのグローブで拭う。


 しかし、サラの視界を妨げるヘルメットのくもりを消すことはできない。当然だ。くもりは内側についているのだから。無意識のうちに行ってしまう無駄な作業にサラは大きくため息を吐きたいのをじっと我慢した。これ以上くもりが広がっては作業が出来なくなってしまう。


 サラはくもりを消すためのヒーターのスイッチを入れるか熟考の末やめることにした。見えにくいが見えないわけではない。そのために貴重な電力を浪費することは避けなければならなかった。スイッチを入れるのはタイチの船外活動の結果が出てからでいい。


 成功すれば、ヒーター程度の電力は問題なく使えるようになるだろうし、失敗すれば、別の意味で電力の心配をする必要はなくなる。遠からず他のクルーの後を追って、あの世に旅立つことになるだろう。サラはあの忌まわしい事故のことを思い出した。


 木星探査船ジュピターⅢが事故に遭遇したのは、火星の公転軌道を通過してしばらくしてからのことだった。アステロイドベルトから弾き飛ばされたと推測される大規模な小隕石群に見舞われたのだ。隕石の一つ一つの大きさは鶏卵以下の大きさのためレーダーで捕捉できず、不意に船体を激しく乱打する。


 不幸なことに多くのクルーが船外作業中だった。サラとタイチを除いた船長以下6名の宇宙飛行士が死亡又は行方不明となる。船体にも甚大な被害が発生した。致命的だったのは水のメインタンクを破壊され、貴重な水のほとんどを失ってしまったことだった。同時に主要電源も喪失し、船外の太陽電池パネルとのケーブルも破損したのか、ごくわずかな電力しか供給されていない。


 一度に6名の同僚を失うという緊急事態に良く訓練されているはずのサラもしばらくの間は呆然自失となる。そのサラを叱咤激励して居住区画にできた亀裂を塞ぎ、システムを緊急モードに移行させて破滅の淵から救ったのがもう一人の生き残りのタイチだった。


 普段はおっとりとしているタイチが別人のように奮闘する姿を見て、サラも自分を取り戻す。一番重要なことから解決していった。酸素は船尾の設備が無事なので問題なし。水も宇宙服を常時着用することでなんとかしのげることが分かった。宇宙服は体から排出される水分を高分子ポリマーと逆浸透膜フィルターで再生して循環させることができる。


 宇宙服を脱ぐことが出来るのは、その区画自体が宇宙服と同様の設備を有する船尾の酸素供給室、通称「植物園」だけになった。問題は船首よりにある操縦室とかなり距離があること。耐圧スーツを着て200メートルの距離を移動するのは、よほどの用事が無ければ御免こうむりたい。


 操縦室は酸素の供給こそされているものの、空気中に吐き出した呼吸から失われる水分を回収する術はない。さらに言えば温度管理をする電力を節約しているために操縦室内は氷点下となっている。こうしてサラはヘルメットが曇るのを我慢しつつ、モニターと睨めっこをしていることとなった。

 

 モニターの右隅の赤い警告表示が消え、緑色の柔らかなアイコンが表示される。宇宙船本体から放射状に突き出た太陽電池パネルとの接続が復活したのだった。サラはほっとする。額の汗をぬぐいたいがそれもできない。いずれ蒸発し背中のタンクに回収されるのを待つしかない。


 電源が回復したのでサラはシステムを緊急モードから通常モードに復旧して再度帰還までの所要時間と必要物資の残量の計算を始めた。メインエンジンと姿勢制御エンジンのコントロールが失われなかったのは幸いだった。事故後すぐに軌道を修正したのでジュピターⅢは緩やかな円弧を描きながら火星に向かっている。


 メインエンジンの出力が低下しているので、火星に到達するのは地球時間で約180日必要になる。酸素は「植物園」から供給される量で充分に足りる。問題は水だった。船内にある水は「植物園」を賄うので精一杯だ。やはり6カ月もの間、宇宙服のお世話になることになりそうだ。食料は十分足りる。


 船内各部のチェックをさらに2度終えたところでサラは現実と向き合うことにした。タイチからの連絡がない。電源復旧作業を終えたのにインターコムからタイチの朗らかな声が流れてこなかった。作業への精神集中の妨げになるからと連絡をしてこなかったが、サラはこちらから呼びかけてみることにする。


「タイチ? 作業完了の報告をお願い」

 ヘルメットの中で自分の声だけが反響する。返事がない。サラの心に闇が落ちる。事故の後にクルー全員に呼びかけたときのことを思い出した。あの時も返事は無かった。タイチ一人を除いて……。急に孤独感がサラを覆い包む。


「ニール船長」

「アルバート」

「ジョスリン」

「ウラジミール」

「リョーピン」

「ネルソン」


 太陽電池に近い後部ハッチが故障して使えなくなったために、前部ハッチから船外に出て修理するという案をタイチが提案したときから、こうなることは半ば分かっていた。

「タイチ。船外を200メートルも移動するなんて正気なの?」

「ああ。もちろん」


「作業をして戻ってくるだけの酸素が足りないわ」

「大丈夫だよ。僕は足が速いんだ」

「こんなときに冗談はやめてよ」

「すまない。だけど、この作業は絶対に必要だ。電源がないままだと二人とも死ぬ」

「じゃあ、私がやるわ」

「ダメだ。船外活動は僕の方が得意だ。トレーニングの時もそうだっただろ?」


 結局はタイチに押し切られる形になった。リスクは少しでも低い方を選択するべきだ。確かにその通り。だけど、結果を見なさいよ。私一人を残してみんな逝ってしまうなんて。サラは自分の心の脆さを認めざるをえない。誰かと一緒なら頑張れる。だけど私ひとりじゃ……。孤独に耐えられるものだけが宇宙飛行士になれる。とはいえ、これはあんまりじゃないか。


 後方でビッという電子音が響く。はっとして振り返ったサラの目にエアロックからタイチが入ってくる姿が映る。サラはシートベルトを外すと席を蹴りタイチの方へと飛び出す。エアロックを閉じる作業をして振り返ったタイチに勢い良くぶつかった。ヘルメットとヘルメットを接触させてサラはなじる。

「どうして作業完了の連絡をしないのよ」


「連絡をしようと思ったんだけどね」

 タイチが目線で下の方を示す。タイチの宇宙服の腰の辺りに付けられた安全ケーブルが先端から20センチほどのところで焼ききれていた。再びヘルメット同士をくっつけるとタイチは言い訳をする。


「途中でアンテナの基部に引っかかったせいか、どうしても太陽電池パネルまで辿り着けなくてね。だけど、知っての通り、ケーブルは船外では絶対に外れないだろ。だから、作業用のアーク溶接機で焼ききってやった。お陰で時間はかかるし、通信ケーブルも一緒に切れちゃったから連絡しようが無くってさ」


 ははは、とのんびり笑うタイチを見ているうちにサラの中の感情が爆発する。

「本当にもう……。何を考えているのよ」

 頭の片隅の理性はやめろと言っていたが、もう歯止めが効かなかった。サラは首元をいじってロックを解除するとヘルメットを捻って外す。


 とめどなく流れる涙をぬぐおうとするサラの手をタイチは止める。タイチもヘルメットを外すと涙が伝う頬に唇を寄せた。

「貴重な水分なんだぜ」

 サラはタイチを睨みつけるとその生意気な口を自分の口で塞いだ。


 


 

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