第23話『うたかたの中で掴んだ手は』

 黒い海の中にオレはいた。

 濁流のように流れる水に身動きも取れず、流れに抗うことも出来ず、ただ上へ下へ、右へ左へと振り回されるように流される。

 抜け出すこと出来ないその海に全てを諦めて流されていると、暗黒の世界に一筋の光が差し込んだ。光はオレの胸をほんの少しだけ照らす。金色に光るその輝きはほんのり暖かくて何だか懐かしい感じがした。

 その光をもみ消そうと濁流が激しくなって、オレの体も激しく揺れる。だけど、オレの胸に差し込む光は消えなくて、それどころか徐々に広がっていき、海を裂く一筋の道へと変わっていった。

 自然とその光の中で手を伸ばす。何もない空間だけど、何か掴めるかもしれないとオレは思って手を伸ばすと、柔らかい何かがオレの手に触れた。まるで握るように指を絡めてきたそれはゆっくりとオレを引き上げるように上へと昇っていき、オレの体もまた濁流に抗うように昇っていく。目映い光に導かれ、ゆっくりと目を開けると、

「おはよう、こー君」

 目の前に大好きな人の笑顔があった。いつものほにゃっとした気の抜ける笑顔を見れたのは何日ぶりだろうか。全然見れてなかったから何ヶ月ぶりな気がした。

「どうして……琴音、が……」

 呟いて何だか柔らかい感触が頭の下に感じる。視線だけをゆっくりと下げると、なんとオレは琴音に膝枕をされていた。ふにふにとした柔らかさに自然と顔に熱が集中する。

 同時に頭の中で意識がなくなる前の記憶が蘇った。天楼がオレを使って狼と人間に復讐しようとしていたことを。

「琴音、その怪我……」

 笑う琴音の顔を見て、さあ。と、血の気が引いた。琴音の顔にはいくつものひっかき傷がつけられており、深く切られては無いにしても、赤い線と血がたくさん引かれていた。

「ごめん琴音。オレが……オレのせい――」

「こー君……」

 ぴた。と琴音の人差し指がオレの唇に当てられて言葉を遮られる。

「そこから先は言っちゃダメだよ」

 ね。とゆっくりと唇につけていた指を離す。

「それに、私だってこー君にヒドいことしたもん。こー君の事を忘れて、酷いこと言ったし、こー君のほっぺたも叩いたし……」

 申し訳なさそうに眉を下げる琴音。違う。アレは別に琴音が悪いんじゃない。そう言ってあげる前に琴音が、だからね。と下げていた眉を戻して、

「これでおあいこ。仲直り」

 そう言ってオレの手をぎゅっと握ってくる。あぁこの手だったんだ。オレをあの濁流から救ってくれた光と柔らかい感触は。

「そうだな、これで仲直りだな」

 オレも頷いて、握ってきた琴音の手を握り返す。

「……ねえこー君。頭撫でてよ」

「は? 何だよいきなり」

「いいから、撫でて欲しいの」

 いきなり言われてよく分からないオレに、琴音が早くと頭を向けて催促してきたので仕方なく手を伸ばす。膝枕をされてる状態から琴音の頭まで手を伸ばすのは結構腹筋を使うことを知りつつ、オレの手が琴音の頭頂部に到着。そのままいつものように優しく撫でると、琴音はくすぐったそうに表情をほころばせて、

「うん、やっぱり」

 なぜか納得したように小さく頷いていた。

「何がやっぱりなんだよ」

「あの時助けてくれた時の暖かさだなって。私が崖から落ちた時、安心させるように私の頭を何度も撫でてくれたあの感触だったなって」

「琴音、それって……もしかして」

 オレの言葉の続きが分かっているのか、小さく琴音は頷く。

「思い出したよ、全部。大好きだよ、こー君」

 その言葉がゆっくりとオレの心にじんわりと体全体に広がりだして、涙腺が緩み、目がカッと熱くなった。

「って、どうして泣いてるの?」

 目が潤んでいる事に気づかれて、オレは乱暴にごしごしと目を拭って、

「な、泣いてねーし!」

 ふん。と鼻を鳴らしてみるが、やっぱり琴音からそう言われたのがすごく嬉しくて、またじんわりと目が潤んできてしまう。

「……信じられない……」

 そんな声が聞こえて、オレはゆっくりと声のする方を向く。そこにはあり得ないものを見たような表情で座り込む天楼の姿があった。

「ありえない! 人間が真神を受け入れるなんて! だって、コイツらは化け物なのよ! ありえない、ありえないわよ!」

 ありえない。と何度もつぶやく天楼。その光景に俺たちは何も言えずにただ黙ってしまっていた。

「……ありえないのよ。だって、私はそんなこと言われたことないもの……。アイツは、連太郎はそんなこと言ってくれなかった……。ただ悲鳴をあげて私から逃げたのよ」

「連太郎……?」

 突然、琴音が何かに気づいたように顔を上げる。

「今、連太郎って言いました?」

「なによ……」

 声をかけられて、睨むように天楼が琴音を見た。

「連太郎ってもしかして、御影連太郎のことですか?」

 琴音の質問に、天楼の顔に驚きが走る。

「……なんであんたが知ってるのよ」

「私のおじいちゃんなんです」

「なっ……」

 天楼が絶句して目を見開く。 

「おじいちゃん、よくお話ししてくれてたんです。この山に住む真神の話とか色々。そしていつも寂しそうな顔をして、昔会った女の子の話をするんです」

 琴音がオレをそっと地面において立ち上がり、天楼の元へと歩み寄っていく。

「琴音……」

「大丈夫だよ。こー君」

 思わず起き上がって琴音を止めようとしたけど、琴音は心配ないよと笑顔に浮かべる。

「真っ白の髪に人形のような顔をした可愛い女の子。おじいちゃんはいつもその子と一緒にいたんですけど、ある日その子が狼だと分かってしまって逃げたんです。その狼の女の子って貴方だったんですね」

「ええ、そうよ。アイツは私の正体を知って逃げ出したのよ。悲鳴をあげて無様だったわ。人間なんて所詮そんな存在なのよ!」

 天楼が吠えて、琴音を睨みつける。しかし、それに怯むことなく琴音はさらに続ける。

「おじいちゃんはその話を決まってこういうんです。謝りたかった。って。逃げてしまってごめんって。ずっと後悔したように話してました」

「し、信じられるわけないでしょ!」

 否定の言葉を吠える天楼に、琴音はおもむろに髪をまとめていたヘアゴムを外す。パサッ。とまとまったいた髪が降りて少し色っぽくて思わず見とれてしまった。

「これ……。おじいちゃんが持ってた物なんです。元はかんざしだったそうですけど、古くなってゴムに変えたんです。このガラス玉をおじいちゃんすごく気に入ってたんですよ」

 キラリとヘアゴムに着いていた紺碧のガラス玉が光る。

「あなたの目と同じ色ですよね。おじいちゃん、亡くなる直前までずっとこの簪を見てました。ずっと貴方のこと思ってたんじゃないですか?」

 そう言って、そっとヘアゴムを天楼に握らせる。

「だから……天楼さんの事が大好きだったおじいちゃんをもう一度だけ信じてあげてください」

 深深と頭を下げる琴音に、天楼ははっ。と息を吐き、

「ふざけんじゃないわよ。もう一度信じてくださいですって? 私を拒絶した人間を私が信じる、なんて……」

 その声が少しづつ潤みが混ざる。ヘアゴムを握る手が小刻みに震え、ゆっくりと顔を隠すように持ち上げる。

「なんで、今更になってそんな事思い出させるのよ……。もっと、早く言いなさいよ……バカ……」

 嗚咽を必死に押し殺しながら、天楼は小さく呟いたのだった。

 まるでシャボン玉のようだとオレは思った。

 少しの衝撃でパチンと弾けたら、それで全て終わり。真神と人間の関係はそんな悲惨で残酷な関係なんだと目の前で泣き崩れる彼女をみて実感させられた。

「……行こ。こー君」

 くい。と戻ってきた琴音がオレの袖を引っ張る。

「あまり、こういうの見られるのも見るのも辛いと思うから」

「……そうだな」

 頷いて踵を返したオレ達の前にゆっくりと大きな影が立ちはだかる。

「狼月……」

 呟くオレに、狼月は何も言わずいつものようにキツい視線を向けた。

「本当に人間と生きていくつもりか?」

「何回言ったら分かるんだよ。オレはずっとそれを望んでたんだから」

「絶望した奴を見てもまだ気持ちは変わらないのか」

「変わらないね」

「……後悔するぞ?」

 その問にオレは一笑をこぼす。

「するわけないだろ」

 後悔なんてするわけない。自信満々に言ったオレを見て、狼月は眉間にシワを寄せるようにオレを睨んで、

「勝手にしろ」

 ふん。と前へと進み、オレの通り過ぎる。

「なぁ、天楼のことーー」

「お前が気にする必要はない。奴のことは奴自身が決める」

「ありがとな、父さん……」

 ぽつり。と呟く。狼月にも、隣にいる琴音にも聞こえないくらいの大きさで。

「こー君……お父さんの事いいの?」

「いいさ。いつかはこうなるんだから」

 行こうぜと、今度はオレが琴音を引っ張ろうとしたら、

「にいさーんっ!」

「ぐえっ」

 突然横から不意打ちのように突撃してくる桜華に、オレの体が一瞬だけくの字に曲がって蹲る。

「こ、こー君!」

 驚く琴音をよそに、桜花はマウントを取るように乗っかってきて、

「兄さんのバカバカバカ! 私の気持ちを知らないで、お別れみたいに……」

 潤んだ声をしながらドスドスと前足を交互に出しながらオレにぶつけてくる。爪を立ててくれてないのがせめてもの救いだが、それでも一撃一撃が重い。

「ごめんな、桜華」

「謝っても許しませんから」

「たまになら様子見に来てもいいから」

 その言葉に、桜花の耳がピクっと立ち上がった。

「し、仕方ないですね。これからも毎日兄さんの様子を見に行ってあげます。全く。妹離れできない兄さんですね」

「いや、週二日でお願いします」

「そんなっ!?」

 早口でまくし立てる桜花だったが、それは勘弁して欲しかった。

「いいじゃない。私、桜華ちゃんのこと好きだから構わないよ?」

 そう言って後ろから桜華を抱きしめる琴音。

「な、何言ってるんですかあなた!」

「ほーらよしよし」

 敵意を見せる桜華に琴音は優しく桜花の体を撫でると、一瞬で桜花の険しかった表情が蕩けるように緩くなった。なんという手懐けスキル……。琴音の撫でにされるがままとなってしまった我が妹を見て、オレはそう思わずには居られなかった。


 *****


「ねぇ、こー君。帰ったら何したい?」

 山を降りる途中、隣を歩く琴音がそう尋ねてきた。

 うーん。と考えながら、何かこうカッコイイ言葉でも囁いてやろうかとその言葉を探していたら、

 ぐー。という間の抜けた音がオレの腹から盛れてきた。……空気読め、オレの腹。しばらくの沈黙がオレと琴音の間に訪れ、ほぼ同時に笑い出す。

「何か食べに行くか」

「うん。私もお腹ペコペコだった」

 再び笑い合うオレたち。

「それにしても色々あったな」

「うん。色々あった……ねっ!」

「おっと!」

 思い出しながら歩いていた琴音が何も無いところで躓いた。が、転ぶ前にオレはその手を取って転倒を未然に防いだ。

「危なっかしいな。ホント」

「えへへ。ごめんね」

「いつかほんとにコケるぞ」

「大丈夫だよ」

 自信のある言葉と共に琴音はオレの顔をじっと見て、

「その時は助けてくれるでしょ。ずっと」

 ね? とオレの手を握ってくる。少しドヤっとしたその顔にオレは大きくため息をこぼす。

「まったく……当たり前だろ」

 ぎゅっとその手を握り返したのだった。ずっと離さないように、一緒に歩いていくことを誓うように指を絡めて。

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