第22話『理由なんて一つだけ』

*****


 本当に連れてきて良かったのだろうか。何度目かの疑問を私は思う。私の横にいる人間、未谷琴音は物珍しいそうに辺りを見渡しながら歩いていた。

「転びますよ。そんなにきょろきょろしていたら」

 その行動が鬱陶しくて釘を刺すと、彼女はごめんなさい。と前を向く。

「この山、こんなに奥まで広がってたんだね」

「あぁ、そういえばこの山は昔よく来ていたんですね」

「うん。お爺ちゃんの家が山の麓にあったから。この奥にこー君がいるの?」

「おそらく。家にいなかったからここにいるかもと思っただけです。確証はありませんけど……」

 そう。確証はなかった。家にいなくて町にもいないとなると、私が知っている場所は、もうここしか無かったのだ。それに、お父さんなら、あの女の場所をしっているかもしれない。そう思いながら進んでいると、突然頭にぽんと柔らかい何かが乗っかった。

「何してるんですか?」

「お兄ちゃん思いだね、桜華ちゃん」

 柔らかい笑みで私の頭を撫でてくる琴音さん。その笑顔が何だかムカッときたので振り払おうとするけれど、その動きが止まった。

 こ、この動きは……。

 ソフトタッチのように私の頭を触れながら、ゆっくりと毛並みに逆らわないように撫でるその手つきに思わず心が快楽に揺れてしまう。な、なんて人間なのでしょう。この手つき、ただ者じゃない……。

 屈しないように睨みつけるけれど、そんな表情は数秒も保たなくて、顔がだらしなく緩んでしまう。く、屈辱です……。

「気持ちいい? よしよし、いい子いい子」

 まるで子犬をあやすような口調で撫でる琴音さん。く、悔しいのに、反抗したいのに、体が勝手に撫でられる快楽に流されてしまう。

「ずいぶんと惚けた顔をさせられているな。桜華」

 突然聞こえてきた声に、はっ。と我に返る。顔をあげると、私達が進む道の先からゆっくりと一匹の狼が姿を現した。

「お父……さん」

 雪のように真っ白で、汚れの無いその毛並みはどこか神々しく、暗い夜道に煌々と光って見えた。鋭い目は金色で私とその横の琴音さんを順に捕らえている。

「お父さん? 桜華ちゃんの?」

「ここから先は狼だけが住む土地だ。なぜ人間を連れてきた」

 彼女の言葉には応えず、真神の長である狼月は私と琴音さんを睨み付ける。その視線だけでさっきまでたるんでいた気持ちが締め上げられるほど苦しくなって、思わず姿勢を正してまう。

「我らが嫌う人間を連れてきた。まさかお前までアイツと同じ思想を持っていたというのか?」

 お父さんの背後から赤い光が、点々と灯って森の影から他の真神達が姿を現す。みんな私を見る目がキツく睨むように捕らえている。

「応えろ、桜華」

 答えを求めるお父さんの言葉に、なんと応えるべきかと考えていると、

「私が連れて行って欲しいと頼んで来ただけです。桜華ちゃんは悪くありません」

 琴音さんが一歩前に出てそういった。

「私達、こー君……狗牙を探しに来たんです。どこにいるか知りませんか?」

 続けて質問する琴音さんに、お父さんが鋭い目をさらに鋭くする。しかし、琴音さんは退くことなくその目を受け止める。

そんな彼女に、お父さんは小さく溜息をこぼし、

「アイツならここにはいない。あの女に連れて行かれたようだな」

「やっぱり……」

 思っていた悪い状況が的中して、思わず目を伏せる。

「桜華ちゃん、知ってたの?」

「確証はなかったんですけどね。兄さんはあの女、天楼に連れて行かれたんです」

「天楼って……天楼さんの事? 確かこー君の従姉妹の?」

「それはあいつの虚偽きょぎだ」

 お父さんが私達の話に入ってくる。

「奴は元真神の仲間だった。しかし、裏切り我等に復讐する好機を窺っていた。我等を凌駕するために奴は同じ真神の力を取り込もうとしており、その餌に狙いを定めたのが」

「兄さんだったんです」

「じゃ、じゃあこー君が捕まったらどうなっちゃうの?」

「神性を全部吸われてしまうでしょう。私達にとっての神性は人間で言うところの命です。もしそれがなくなってしまったら――兄さんは」

 話を言わなくても理解できたらしく、琴音さんは震えた顔で一、二歩下がる。

「天楼さんは今、どこにいるんですか?」

「教えてどうする?」

「助けに行きます。だから教えてください」

 勢いよく頭を下げる琴音さん。お父さんはそんな彼女の姿をしばらく見て、

「……なぜだ。なぜそこまでしようとする?」

 威圧するでも、責めたてるわけでもない、ただ純粋な疑問。お父さんがそんな質問をするなんてとても珍しかった。

「人間にとって、我ら真神は妖怪のように忌むべき存在のはず。それなのになぜ、お前は真神を助けようとする?」

「……そんなの決まってる」

 お父さんの質問に、琴音さんは顔を上げる。

「こー君が私にとって大切な存在だから。真神とか人間とか関係ないから」

 思わず私は息を飲んだ。琴音さんが放ったその言葉には一切の迷いもなく、これが真実だと断言できるという自信に満ちていた。

 普通の人間ならまず口にしないであろう言葉を彼女はなんの躊躇いもなく放ったのだ。

 お父さんはそんな琴音さんを黙って見据える。しばらく二人の視線がぶつかり合い、どちらが先に口を開くのかを待つ時間が訪れた。

「――はあ。ほんとにそんなことを平気で言える人間がいるのね」

 沈黙の世界に降ってきた声は、琴音さんともお父さんとも違う声。周りの真神の声でもなく、その声に私たちは一斉に顔を向ける。

 ガサガサと音を立ててスラリとした足が見え、コツ。とハイヒールが音を立ててその人物が姿を現す。

「天楼……」

 呟いたのはお父さんだった。眉間に皺を寄せて、睨むようにして彼女を捉えている。

「お久しぶり、狼月。元気にしてた?」

 まるで久しぶりに会った友と挨拶をするような気軽さの天楼に、お父さんが眉間を更に皺を寄せる。

「兄さんを返してください! 貴女が連れていったんでしょ!」

「そんなに怒らないでくれる? ちゃんと連れてきたんだから」

「え?」

 天楼が自分の背後に目線を向けると、茂みから何かが飛び出してきた。

「なっ!」

「ぐわっ!」

 直後、周りの真神達から悲鳴が聞こえ始める。見ると何か黒い影が通り過ぎる度に仲間達が次々と倒れていった。まるでカマイタチのように通るすべてのものを倒した影は周りを一巡するように駆け抜けて、再び天楼の前へと戻ってくる。

 正体は一匹の真神だった。私より一回り大きく、墨を塗ったように黒い狼。見間違うわけがない、あの姿はまさしく――

「兄さ……っ」

 駆け寄ろうとして、足を止めた。違う、足が止まったのだ。そして目を疑う。目の前にいるのは会いたかったはずの兄さん。だけど、どうしてだろう、兄さんとは思えない匂いと雰囲気が周りに充満していた。

「兄さん……ですよね?」

 思わず尋ねる。それくらい目の前にいる兄さんの様子がいつもより全然違っていたのだ。姿は兄さんと変わらなかった。真っ黒な体、ピンと立っている耳、がっしりとした体つき。でも、目が真っ赤に染まっていた。まるで血に染まったような赤い瞳が爛々と輝かせ私達を睨み付けている。そして、兄さんの周りから漂わせる雰囲気が禍々しさを帯びていて、肌が、目が、鼻が、そして私の中の本能が危険だと警鐘を鳴らしていた。

「……こいつに何をした」

「私の神性を混ぜてあげて、私だけの犬にしてあげたのよ」

 お父さんが憎らしげな表情に、天楼は悪びれる様子もない表情を返して答える。

「そんな……兄さんっ! 目を覚ましてください、兄さん!」

 叫ぶように呼びかけて、兄さんの元へと駆け寄る私。

「やめろ、桜華!」

 その前を突然お父さんが横切ってくる。一体どうしてかと思った刹那、まだ距離があった場所にいたはずの兄さんが、瞬きの間に私達の前に現れていた。右の前足を掲げ鋭い爪を光らせて振り下ろす。

「くっ」

 お父さんが私を守るように楯になって兄さんの攻撃を食らう。振り下ろされた鈍器に叩きつけられたように、お父さんが地面へと倒れる。

「お父さん!」

 倒れたお父さんに近づく私だったが、まだそばにいた兄さんの横払いに気づかず、吹き飛ばされてしまった。

 まるで大木が横からぶつかったような衝撃に私の体が数メートル吹き飛ばされる。横腹に鈍痛が響いて自然と咳き込む。

「桜華ちゃん!」

 吹き飛ばされた私を見て琴音さんが声を上げる。朦朧とした頭でゆっくりと顔をあげると、琴音さんが私の方へとやってこようとしているのが見えた。

「逃げてください! 貴女がいても意味がありません!」

 叫ぶと痛みがさらに増すけれど、そんなことお構いなしに叫ぶ。真神の中で屈指の実力を持つお父さんが一瞬で倒され、私も手も足も出ない力を持った兄さんに、人間である彼女が立ち向かえるわけがない。けれど琴音さんは私の声が聞こえてないのか、まだ私の方へと向かってきていた。

「逃げなさいと言ってるじゃないですか! 死んでしまいますよ!」

「逃げない! 桜華ちゃんもこー君も放っておけないから!」

 そう言って私と兄さんを見る琴音さん。そんな彼女を見て、天楼が重いため息をこぼした。

「やめて欲しいのよ、そんな三文芝居。見てて虫酸が走るんだけど」

 さっきまでの余裕の表情とは違う、苛立ちを隠そうとしない顔で琴音さんを見て、すっ。と彼女を指差す天楼。

「噛み殺しなさい。今すぐ!」

 その命令に兄さんが、琴音さんの姿を捉え向かってくる。

「逃げて、逃げなさい! 本当に死んでしまいますよ!」

 起き上がろうとするけれど、痛みで再び地面に伏せる。琴音さんは逃げる動きを見せずに迫り来る兄さんを見据えていた。

 距離がどんどん、ものすごい早さで縮んでいき、兄さんが口を開きながら琴音さんの首筋目がけて飛びかかる。

「こー君……」

「――――っ!」

 ぽつりと呟いたその言葉にほんの一瞬、兄さんの口が閉じられた。その隙をつくように飛びかかった兄さんを琴音さんは優しく抱きしめる。が、勢いよく飛んできた兄さんを受け止めることは出来ず一緒に地面へ倒れた。

 動きを止めていた兄さんが我に返って抜け出そうと暴れ出す。だが、琴音さんはそんな兄さんをさらにぎゅっと強く抱きしめる。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 兄さんが暴れる度に、爪が頬や手や肩を傷つけていく。その都度流れていく血。決して痛くないはずのない痛みに、傷つきながらも、うろたえることもなく琴音さんは何度も大丈夫だよ。と優しく声をかけていた。

「何してるのよ! そんな人間、さっさと振りほどきなさい!」

 天楼の怒号が響く。その命令に兄さんの目が一層禍々しく光りうめき声を上げる。鋭い牙を剥き出しにして今まさに琴音さんを噛み殺そうと襲いかかろうとする。

「……大丈夫、怖くないよ」

 けれど琴音さんは全く恐怖すること無く呟く。

「どんなこー君でも私は全然怖くない。だって、全部こー君なんだもん。私の大好きなこー君だから」

 琴音さんの言葉に、兄さんの動きが少しだけ落ち着いていく。そんな兄さんにゆっくりと琴音さんは兄さんの首に手を回し、

「……大好きだよ、こー君」

 目を瞑り、兄さんの唇に自分の唇を重ねた。すると、兄さんの体がゆっくりと狼の姿から人間の姿へと戻っていき、完全な人間の姿に戻った兄さんが気を失ったように琴音さんの胸に倒れこんだ。

「お帰りなさい、こー君」

 そんな兄さんを見て、琴音さんは微笑みながら兄さんの頭を優しく撫でていた。

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