第21話『私の名前は』

 *****


 私があいつと知り合ったのはただの偶然だった。

 私は真神の中では少々特別で、ニホンオオカミとしての記憶をほとんど持ってないままの真神として生まれ変わった。だからだろうか、私は他の仲間よりも刺激を求めたがる性格をしていたのだ。欠けている記憶を埋めたくて、色んなことに興味を持った。それで怒られたことなんて数え切れず。それでも私は懲りずに色んなことに興味を持ち続け、遂には仲間の中で禁じられていた人間との関わりを持ってみたいとまで思ってしまった。

 人間の事はさんざん周りから聞かされているからどんなものかは知っている。

 愚かでバカでどうしようもない劣等種。どんな奴なのだろうか、何を食べるのだろうか、どうやって生活しているのだろうか。考えると疑問は尽きなくて、早く会ってみたい気持ちが強くなった。だから私は仲間の目を盗んで人間の元へと降りていった。

 人間へのなり方は教わったし、簡単にまぎれると思って私は人間に化けた。だけど、そのまま人の住む町へと降りた矢先、私は人間が仕掛けた単純な罠に引っかかってしまったのだ。

「なにこれ! 痛い痛い痛い」

 獣の口を思い切り開いた時のような鋭い歯の並ぶ罠が閉じて私の足首に喰らいついていた。じんじんとした痛みが、私の足から全身へ駆け巡る。食いちぎられるんじゃないかと思うほどの痛みに、私はどうしたらいいのか分からないでいると、突然茂みから音がして何かが近づいてくる。

「あれ? 人?」

 茂みから現れたのは子供だった。背丈は私が化けている人と同じ位で、背が高く髪も短いことから男であることは分かる。垂れ目で草食動物を思わせる雰囲気をしていた。

「ああ引っかかっちゃったんだね。大丈夫だから、ちょっと待ってね」

 私を見るや男の子は慣れた手つきで私の足を喰らっていた罠を外してくれる。それでも足には先程の歯型しっかりとついており、まだ痛みがしっかりと残っているし、血まで流れている。

「えっと、確かここに……」

 男の子は持っていたリュックサックを開けてごそごそと漁り、綿が入った小さな瓶と布を取り出してきた。

「ちょっと沁みるからね」

 言うや瓶の中に入ってあった綿を出して私の足に近づける。

「っ!」

 刺すような痛みに顔を歪めるけれど、すぐに離れて彼は布を伸ばしてぐるぐると私の足を巻きつけた。

「これで大丈夫。ごめんね、じいちゃんが仕掛けてたやつなんだ」

 申し訳なさそうな顔をして、男の子はその罠を持ってリュックサックの中にしまう。

 どくん。と心臓がいつも異常に音を立てた。何だかあの男の子の顔を直視することが出来なくて、私は逃げるように彼の元から離れていった。走って走って走り続けて、息を整えるように木に背中を預けて座り込む。

 山の中を全力で一周しても上がらなかったはずの息が上がっている。心臓もバクバクいっている。そっと素足に巻かれた布に触れる。もうなくなっているはずなのに、あの男の子の手の暖かさが残っている気がして、また心臓の動きが早くなる。

「あの男……一体私に何をしたの……」

 どうして私がこんな事になったのか分からなかった。恐らく原因はあの男だ。あいつが私に何か呪いでもかけたに違いない。そう確信した私は、その呪いを解かせるためにも、あの謎の男を様子を探っていくことを決めたのだった。

 

 いつものように茂みの中から様子を窺う。

 見える景色は、山の中にぽつんと建てられている和式の家。敷地面積は広く家の前には耕運機があり。小さな畑には野菜が成っている。

 私は監視するように、じっと茂みから動くことなくその家を観察する。何分くらい経った頃だろう、ガラガラという音と共に家の引き戸が開いた。

「いってきまーす」

 眠そうな声と共に、一人の少年が扉から現れる。短めの髪に小柄な体。眠たそうに大きな欠伸をこぼしながら気だるそうに歩いていた。

 間違いない。あの男だ。

 私はその場から動かずに、男の様子を茂みの中から見つめる。

「ん?」

 ぱちり。と少年の目が茂みに隠れていた私とぶつかる。

 しまった。と焦り思わず逃げようと体が動く。だが、それよりも早く少年の声が投げられた。

「おーい」

 それが私にかけられた言葉だと分かっていたので、もう逃げられないと悟って足を止める。

「そんな所に隠れてないで、出てきなよ」

 後ろから砂利を音が大きくなる。仕方なくしゃがんでいた体をゆっくりと伸ばして茂みから顔を出す。私の存在を見つけた少年が、嬉しそうに笑う。目尻に緩やかなカーブを描いている目は柔和に細められており、明るいオーラを惜しみなく出しているその笑顔は何故か眩しくて、私ではとても直視することができずに視線を逸らす。

「この前の怪我、良くなったんだね」

 少年が私の足を見て嬉しそうに頷く。その時の事を思い出すと、真神である私の醜態に顔が燃えるように熱くなって、余計少年の目を合わせることが出来なかった。

「この前は名前聞けなかったよね。君の名前は?」

 邪気のない顔で尋ねてくる。だけど私は答えれずにただ黙った。

「あ、ごめんね。僕の方も自己紹介がまだだったね」

 私が怒っていると勘違いされたのか、少年は申し訳なさそうな表情をした。そんな気を使わせてしまった事に、ずきん。と胸に痛みが走る。

「はじめまして。僕の名前は御影連太郎みかげれんたろう。君は?」

 屈託なく笑う彼が、私の言葉を待つ。しばらく俯いてようやく覚悟を決めた私は、小さく拳を握って口を開いた。


「私の、名前は――天楼――」



 *****


 はっ。と目を覚ます。

 周りは薄暗くぼんやりとしており、オレは天蓋つきのベットを眺めていた。

「……あら、まだ意識があったのね」

 耳元に声が聞こえて目を向けると、天楼がオレをちらりと見た。そうだ、オレは琴音を助けにいこうしたけど力尽きてまた天楼に捕まったんだっけ……。

「まだ神性が残ってるのね。さすがだわ」

 首筋から口を離して妖艶に笑う天楼。そんな彼女の顔を見て、オレはぽつりと呟く。

「――あんたも、オレと同じ。人間に恋をしていたんだな」

 その一言に、天楼の余裕の混じった表情が険しい物へと豹変した。

「……なんで、アンタがそれを知ってるのよ」

「夢を見たんだ。連太郎っていう少年と一緒にいたあんたの夢を」

 夢の中の天楼は、彼に対しての気持ちが恋だと理解してなかったけれど、あれは紛れもなく恋だ。

「……なるほどね。アンタの神性を吸ってる時、アンタの中に私の記憶が混じったのね。忘れた過去を掘り返されるなんて最悪だわ……」

 心底嫌な表情でため息まじりをこぼす天楼。

「なんで……人間に恋してたなら、人間に復讐しようだなんて思わないはずだろ」

 違うわよ。とすぐに天楼はオレの言葉を否定する。

「人間に恋をしたから、私は人間に復讐しようと決めたのよ」

「どうしてだよ……」

「あいつはね……連太郎は、人間の私しか受け入れようとしなかったのよ。隠し事しないように全部を打ち明けた私を見て、あいつは叫びながら逃げていったのよ!」

 怒りを握り拳に詰め込んで、ベッドにそれを強くぶつける。

「人間に裏切られて戻った私に待っていたのは、真神達からの裏切り者としての制裁よ。人間と共に生きようとしたものに真神を名乗る資格なしと言われ、全員が私をよってたかって襲い掛かる。命からがらに逃げた時の私の気持ちがあんたに分かる?」

「それは……」

「アマちゃんのアンタはまだ分からないでしょうね。人に恋した真神の末路ってのはね、惨めで悲惨なものなのよ。真神に戻ることも出来ない。だけど人間の世界に溶け込めることも出来ない。そして、一番隣にいて欲しいものもいない。そんな孤独と毎日毎日過ごさなくちゃいけないのよ」

 天楼の手がオレの胸ぐらを掴んで、そのままオレを押し倒す。

「私はアンタを食べて力を得るの。アンタの神性を全部自分の物にして、真神も人間も、全部殺してやるのよ」

 だから。と、天楼の掴んでいた手が強くなり、

「アンタは私に食べられて消えなさいっ!」

 口を開けて天楼が迫ってくる。だがオレは残っていた力を振り絞るように迫ってくる天楼の顔を受け止めて睨みつける。押さえつけるように力にオレは反対に抵抗するように押し返そうとする。力の拮抗が行われるも、泥仕合になると悟ったのか天楼は顔をオレから離した。

「なんでよ……。なんでそんな目をしてるのよ!」

「そんなの、諦めてないからに決まってるだろ」

「何度言えば分かるの。人間は私達の事を嫌うのよ! あんたがバカみたいに信じてもね、結局裏切るのよ!」

「そうじゃないやつだっているんだ! オレはそれを信じてる」

 真っ直ぐ向き合うオレの瞳と天楼の瞳がぶつかり合う。黒みがかった青色の瞳にオレの顔が見える。何秒間そうしていただろうか、突然天楼が顔を逸らすように立ち上がった。

「まったく……あんたには敵わないわね」

 諦めにも似たため息をこぼすその声はさっきに比べると少しだけ穏やかになっていた。もしかして、オレの言葉を受け止めてくれたのだろうか。

 天楼はベッドの反対側に置いてある机の方まで歩いて行き小さな小瓶を取り出してからゆっくりとこちらへと戻ってくる。戻りながら小瓶を開けてそれを口につけて放り投げる。ぱりん。という小さな音がして、天楼の手がオレの両頬を掴んだ。

「な、なんだよいきなり……」

 オレの言葉に天楼は答えずゆっくりと顔を近づけてくる。逃げようとしても両手に顔を挟まれていて逃げることも動かすことも出来ない。

「なにすんだよ、おい、やめろって!」

 彼女の顔が近くまで迫り、オレの唇に天楼の唇が重なった。

「っ!?」

 柔らかい唇の感触に目を見開く。それとほぼ同時に、何かの液体が天楼の口からオレの口へと流れ込み、それはするりとたやすくオレの喉を通っていった。

 まるで熱いものを飲んだ時のような熱さが喉と体に広がる。

「な、何したんだ」

 ぷはっ。と口を離した天楼に尋ねると彼女は、ふふふ。と唇をぺろりと舐めて含み笑いをこぼし、

「アンタの中に私の神性を混ぜて活性化させたの。アンタはこれから私だけの命令を聞くペットになるのよ!」

 あはははは。と高らかに笑う天楼。

「ふざけん、なっ!」

 睨み付け、起き上がろうとするけれど、体が熱くなって意識が朦朧としてきた。体の奥底から何か黒く大きな波が押し寄せてきて意識が持って行かれそうになる。

 瞼がゆっくりと落ちてくる。なんとかそれを落とさないよう必死に耐える。

 落としたらダメだ。落としたらいけないと何度も頭が警鐘を鳴らしていた。だがしかし、その抵抗は数分も保たなくて、ゆっくりと瞼が闇の帳のようにオレの視界を黒に塗りつぶしていく。

「さあ行くわよ。私のワンちゃん。アンタが好きな人間を食い殺しにね」

 笑う天楼の声が聞こえて、それからの音は何も聞こえなくなった。

 まるで黒い泥のような海に、とぷん。と沈んで行くようにオレの意識は落ちていったのだった。


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